第4R『リベンジ』-3
試合が一ヶ月後に迫っていた。ジムでの練習もハードになり、そのハードな練習にも耐えられるようになってきた。毎日、平田さんがミットを持ってくれている。たまに会長も持ってくれるようになった。
平田さんと会長のミットは全然違った。平田さんが違いを丁寧に教えてくれた。決定的に違うのは、距離ということだ。
平田さんは選手に気持ちよくなってもらうために、パンチが当たる瞬間に前に押し出しているそうだ。そうするとミートして気持ちいい音が出る。
会長は逆に当たる瞬間に後ろに引いている。その差たったの一センチ。会長のミットをクリーンヒットさせるためには、当たる瞬間までしっかりと見て、さらにミットを打ち抜かないといけない。
この距離感の違いをつかむのは難しく、つかめば飛躍的にうまくなるという。さらに防御でこの距離感をつかむと、当たる瞬間で体をずらすことができるようになり、ダメージも最小限にできるらしい。ミットで実感したたった一センチで、こんなにも劇的な違いをもたらすなんて、ボクシングは奥が深い。
ボクシングは、「距離感」「リズム」「スピード」「タイミング」があれば力がなくても勝てる格闘技。だから僕でもできるんだ。
でもこれらのスキルは一人で習得できるものじゃない。やっぱり実戦練習が一番重要なのだ。
彗星ジムでの実戦練習は、平田さんがマスボクシングをしてくれた。しかし、スパーリングはほとんどやっていない。彗星ジムはアマチュア専門で女性が多い。女性で実戦の試合に出てる人はいるけど、さすがに女性とは本気ではスパーリングしにくい。男性は、ダイエットや運動不足解消がほとんど。昔ボクシングをやっていた人はいるけど、本気でスパーリングをできる人はいない。
もっと実戦練習がしたい。試合に近づくにつれ、気持ちも焦りはじめた。
そんなある日。リングの上でシャドーボクシングをしていると、彗星ジムの扉が開き、見覚えのある人が入ってきた。まさか。なんでここに?
「よう。ストーカー。久しぶりだな」
僕に向かってストーカーって言った!?間違いない!あこたんの彼氏でプロボクサーの宮本さんだ。
「な、なんでここにいるんですか?というかストーカーじゃないですって!」
宮本さんは、声を出して笑っている。冗談のつもりかもしれないけど、広まったら大変だ。
宮本さんが来たことに気が付いた平田さんが駆けつける。
「宮本くん、わざわざ来てくれてありがとう」
「いえ。こちらこそ。ちょうど自分のボクシングを見直す時期だと思ってまして。教えることで新しいものを見つけられるかもしれない。いい機会です」
「いやー。助かるよ」
「佐々木君、知ってると思うけど、改めて紹介するね。プロボクサーの宮本くん。スパーリングパートナーとして来てくれたよ」
「スパーリングパートナー?誰のですか?」
「佐々木君の」
「へー。」
一瞬把握できなかった。
「えっ!?僕の?本当ですか!?」
「ほんと」
宮本さんが含みのある表情で頷く。「容赦しないからな」と心の声が聞こえる。ひぃぃ。
「生野さんがお願いしてくれて、これから三週間ほど来てくれることになった。女子の指導もしてくれるということだ」
「そういうことだ。スパーの準備ができたら声かけてくれ。いつでもボコボコにしてやるから」
声を出して笑っている。冗談のつもりらしいけど、僕にはまったく笑えない。
「そうそう。ダブルパンチはもう通用しないからな」
今度は平田さんが声を出して笑う。僕にはまったく笑えない。あの時の恐怖と緊張感がよみがえる。
まさかまた宮本さんとスパーリングする日が来るなんて。実戦的な練習ができるのは助かるけど、できればもう会いたくなかったのに。まだあこたんとは付き合っているんだよなぁ。別れてくれないかなぁ。宮本さんを僕がボコボコにして、あこたんにかっこいい所を見せられたらいいのに。その逆をいっぱい見せてしまうことになるんだろうな。複雑な気持ちのまま僕はスパーリングの準備をはじめた。
あっという間に試合前日になった。宮本さんとほぼ毎日スパーリングをこなし、実戦的な練習にもついていけるようになった。まぁ、ボコボコにされる日々が続いたわけだけど。
宮本さんのボクシング理論が「ケンカが強い人は、殴られ慣れている。普通に生活していると、殴られる経験はあまりないからだ。殴られることに慣れろ」ということだから容赦しない。というか「ケンカ」って言っちゃってるよ。すでに「ボクシング理論」じゃない。もちろん本人には言ってないけど。言ったらさらにボコボコにされることは目に見えてる。
おかげで実戦には慣れた。というか殴られ慣れた。前回の試合の前日は、何をやっていたかすら思い出せないぐらい怖くて不安で、緊張もピークだったのに、今回はすごくリラックスできている。
ご飯も食べたし、お風呂も入ったし、明日の準備も万全。あとはもう寝るだけだ。明日に備えてゆっくり休もう。ボクシングマンガの好きなシーンだけ見ようかな。「あしたのジョー」のカーロスとのスパーリングシーンと「はじめの一歩」の小橋健太が日本チャンピオンになるシーン。どっちも過去の自分に打ち勝つという僕にぴったりのシーンだ。
「あっ。お兄ちゃん」
部屋に向かう途中の廊下で妹の奈菜に会った。全身をマジマジと見ている。またきもいとか言われるな。小さい頃は仲よかったのに。いつからだろう、きもいとか言われるようになったのは。
「お兄ちゃんさー。ボクシングやってるの?」
「な、なんだよ。何やろうと自分の勝手だろ」
「やっぱりそうなんだー」
バレてたのか。まぁ、朝練とか、バンテージとかの洗濯物で分かるかな。どうせ似合わないとか、続くはずないとか、バカにされると思ったから言ってなかった。
「最近のお兄ちゃん、なんだか、ちょっとかっこいいよ」
「な、な、なんだよ。変なこと言うなよ。き、気持ち悪いなぁ」
「試合とか出るの?出るなら教えてね。友達と応援に行くから」
そう言って自分の部屋に入っていった。
試合、明日だけど…。とは絶対に言えないな。本当に応援に来られたら困る。困るというか戸惑う。すでに戸惑ってるけど。まさか「かっこいい」なんて言われるとは。妹からでもうれしいもんだな。もっと自信がついたら、胸を張って家族に言おう。家族で応援に来るかな。恥ずかしいし、戸惑うけど、うれしいだろうな。スキップで自分の部屋へ戻り、鏡の前でワンツーを放った。
試合当日。会場は、前回と同じ、自動車会社の体育館だった。前回と同じ道を歩いている。なのに前回とまったく違って見える。静かで寂しい道かと思ってたけど、よくみると色んなお店が並んでいた。前回はお店があることすら気が付かなかった。
会場につくと、すでに平田さんとあこたん、その他三名ほどの彗星ジムの女性メンバー
がいた。
「コジロー君。今日もがんばろうね」
あこたんだ。やっぱりかわええ。君が一番だ。他の女性が目に入らないぐらい。
実際、彗星ジムの他の女性のことは名前すら知らない。あまりにも失礼かなぁ。ちょっと反省。
「さて、全員そろったね」
平田さんが真剣な眼差しで話はじめた。
「今日のスケジュールですが、午前中が女子の演技の部、午後十三時から実戦です。女子の実戦が二試合あり、その後、男子の実戦になります」
今回は女子の実戦があるのか。女子が本気で殴り合う姿を想像すると、怖いような、見たいような、複雑な気持ちになる。
「彗星ジムからの出場は、女子演技に三名、男子実戦に一名です」
今回も彗星ジムからの男子出場者は僕だけだ。
「なお、今回の女子演技の部は、全国大会の予選を兼ねています。一位の選手はそのまま東京都代表となり、来月の全国大会に出場できます」
女子演技は、実戦の試合に出るために必要なC級という資格を取るためと聞いていたけど、それ自体がちゃんとした競技になっていた。
だから得点が与えられ、順位がつくんだ。
C級の上にはもちろんB級やA級もあり、地域大会や全国大会で得点を上げることで獲得することができるようになっている。
今回は、全国大会の予選を兼ねているということで、すでにC級を持っている人が多く出場する。前回よりもレベルが高い。
そんな大会に、なんとあこたんが出場するのだ。もちろん目標は一位の全国大会出場。
前回の試合ではダントツにうまかった。ペース配分をミスして、後半スタミナ切れになってしまったけど、スタミナが持てば間違いなく上位だった。今回も期待せずにはいられない。何より本人が前回のリベンジする気満々だ。あこたん応援してるからね。全国大会で表彰台に立つあこたんが見てみたいなぁ。
それにもし、全国大会でも上位になったりしたら、タレントとしてもチャンスなんじゃないだろうか。美人でボクサーでアイドルでコスプレイヤー。有名になったらどうしよう。うれしいけど、僕だけのものでいてほしいなぁ。いや、そりゃ僕のものじゃないって分かってるよ。もっというと彼氏のことも知ってるけど。夢ぐらい見たっていいじゃない。
妄想している間にも、平田さんの話は進む。
「試合に出る人は、九時半に点呼があります。準備をしてリング前に集まるように。いよいよ本番です。練習してきたものを出し切りましょう」
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