第1R『オタクで何が悪い!?』 -3

 「ただいまー!」

ニヤニヤが止まらない。ドアを開けるとちょうど玄関に妹の奈菜(なな)がいて目があった。妹の表情が汚いものを見るかのようにゆがむ。

「ど、どうしたのお兄ちゃん?いつも以上に…キモい…」

「はっはー、妹よ楽しく生きろよ!」

「な、何があったの?こ、怖い…。ああっ、鳥肌立ってきた」

すれ違い様に妹の頭を軽くポンポンっと二度叩き、そのまま小走りで階段を上り二階の自分の部屋に向かった。

「おかあさーん!ついにお兄ちゃんが壊れたー!」

後ろで声がする。ほっとけ。

部屋に入るとすぐに鍵をかけた。そして、そして、あこたんから借りたハンドタオル取り出した。まずは広げてそっと机の上に置いてみる。手を合わせて拝み、両手で天にかざした。

「キ、キ、キターーーーーー!」

歓喜の声を上げた。ハンドタオルを天にかざしたまま、後ろにあるベッドに倒れこむ。倒れこんだ勢いを利用して、目の前にあるハンドタオルをバサッと顔にのせた。鼻から大きく息を吸い込む。あー、いい香りだぁ。これがあこたんの、あこたんのー!妄想では味わえない香りは、現実と幸せの輪郭をくっきりと感じさせてくれた。幸せを噛みしめ目を閉じる。


「う~ん。まぶしいぃ。あれ?いつの間にか寝ちゃったのか。そろそろ起きないと…」

日が高い。ずいぶん長く寝てたみたいだ。

「よいしょっと。ん!?あ、い、痛――――――――い!」

体を起こそうと支えた右手に激痛が走った。悲鳴に似た声が響き渡る。

「あ、ああああ…腫れてる…。な、なんだこれ?手首が、足みたいに太くなってるよ。い、痛い…もうダメぽ…」

「どうしたの?何があったの?」

ドアの外から母さんの声が聞こえた。

それからは母さんの驚く声、バタバタと歩き回る足音と痛みしか覚えてない。気がついたら病院で治療を終え包帯を巻いて帰宅していた。

「お兄ちゃん!手、どうだった?骨折?骨折?」

なんだか楽しそう。むかつく。

「捻挫…」

「なーんだ。でも珍しーいこともあるもんだ。運動しないお兄ちゃんが捻挫なんてねぇ」そこに洗濯を終え干しに行く途中の母さんが通りかかった。

「小太郎だいじょうぶ?折れてなくてよかったわねぇ」

「折れてればよかったのに」

「コラッ奈菜!そんな事言わないの!!」

「ごめんなさーい」

そんなやりとりを聞きながら部屋に戻ろうとした時、母さんが持っている洗濯カゴに目が留まる。一瞬目を疑った。洗濯物の山の中にあこたんのハンドタオルが見えている。

「あー!ああー!!」

「何!?どうしたの突然大声出して」

「そ、そのタオル!洗ったの!?」

「え?これ?二階の廊下に落ちてたわよ。奈菜のじゃないの?」

「ん?私のじゃなーい」

「わあーーーーーーーーーー!」

僕はハンドタオルを奪い取るように洗濯物の中から引っ張りだし、走って自分の部屋へ向かった。

「何あれ?どうしたの?」

「分かんない。なんか変なのよねー。昨日から。あっ!もしかして彼女が出来たとか!さっきのタオル彼女からもらったとか」

「ふへっー!?」

「そんなわけないか」

「ないわよねー」

後ろからそんな会話が聞こえてくる。うるさいって怒鳴りたい気持ちを抑える。部屋に入るとすぐに鍵をかけ、ハンドタオルを顔に当てた。思いっきり香りを嗅ぐ。

「あー。もうあこたんの香りはしないやー。うちの洗剤の匂いだ。ガックシ。でもいずれ洗濯して返そうと思っていたからちょうどいいか。そうだ!早く返して、誠意を見せるってのはどうでしょう!艦長!」

いつもの妄想スイッチが入った。誰にでもなくその場で敬礼する。

「よし!それで行こう!第一戦闘配備につけ!」

「はっ!」

一人二役。宇宙艦隊の艦長と隊員。隊員となってリュックにハンドタオルを入れようとした所で気が付いた。再び敬礼。

「艦長!残念ながら、まだ乾いてないので出動できません!」

「な、なんだと!?し、仕方がない。すぐに乾かせ。乾くまで待機だ!」

「はっ!」

僕は敬礼をやめて、窓際にハンドタオルを干した。

なんだか妄想が一気に冷めた。机に座りパソコンをいじる。なんとなくボクシングとググる。ボクシングジムのサイトや、ボクシングの型なんかのサイトを適当に見てまわった。最終的にはようつべでボクシングアニメを見るに落ち着いた。やっぱりアニメが一番分かりやすい。そうこうしているうちに、あっという間に夕暮れになった。

「さてと。そろそろ乾いてますかな?おっ、乾いてますぞ。さっそく出動しますかー。」艦長の設定は冷めてたけど、出動という設定は気に入った。リュックにハンドタオルを入れ家を出た。向かうは彗星ジム。いざ出動!


 日が暮れる前にジムに着いた。以前覗いた窓からそっと中を覗く。あこたんの姿は見当たらない。約二十分ほど見ていたが現れる気配はない。仕方ない諦めるか。今日は帰ることにした。

次の日から僕は毎日バイト帰りに彗星ジムに寄っては、あこたんがいないか確認して家に帰り、帰ってからは、ボクシングのサイトやアニメ、漫画を見まくるという日々を過ごした。こんなにボクシングを見てどうすんだろ。自分でも不思議だった。

そんな毎日を過ごし、彗星ジムにはじめて訪れてから、ちょうど一週間が経っていた。

「あ!あこたんが、い、いたーーー!フムフム。この時間にいるのかー。覚えておこうっと。でも、どうしたものか。練習中だし。ここで待ってるとストーカーみたいだし。う~む」

どうしようか迷う。ジムの周りをウロウロ。オロオロ。そうしているうちにジムの中から男が飛び出してきた。平田さんだ。

「おい!君!えっーと。佐々木君だ!」

「あ、ひゃ~」

反射的に逃げ出してしまった。平田さんが追いかけてくる。

「おい!待って!なんで逃げるの?」

「わ、わかりません!」

「ちょっと待ってよ!」

「待ちません!」

「いや、いや。何もしないから!むしろこないだのこと謝ろうと思って」

「こないだのこと?」

「その手のこと!大丈夫?」

包帯を巻いた右手首を見た。腫れは引いて包帯の量もだいぶ減った。

「だ、大丈夫です。だいぶ良くなりましたから」

と言った所で体力切れ。もう走れない。ちょうどジムを一周した辺り、入り口の前で立ち止まった。

「ハァ、ハァ」

「大丈夫?」

平田さんはまったく息が切れていない。

「ハァ、ハァ。なんとか」

「せっかく来たんだし、中で休んでいきなさいよ」

「え?は、はぁ。」

あいまいな返事したのが悪かった。入る雰囲気になってしまった。渋々平田さんに連れられてジムの中に入る。ジムの中には以前と同じく十人ぐらいの練習生とリングの上にはあこたんの姿があった。

「そこ座っていいよ」

「あ、はい」

リングの中のあこたんをチラッと確認し、入り口付近に並ぶイスの一つへ座った。なんだか気恥ずかしいというか、あんまりじっと見ちゃいけないような気がした。

「手、どうだった?」

平田さんの言葉で我に返る。

「えっとー。捻挫でした」

「そうか!折れてなくてよかったぁ。ほんと悪いことしたねぇ。何かお詫びしないとな」平田さんの表情が晴れる。本当に心配してくれてたんだろう。この人絶対いい人だ。

「いえ、お詫びとか、大丈夫です」

僕の精いっぱいの笑顔で返した。友好的な証。

「そうだ!今日って、もしかして入会に来た?それなら入会金はタダにしよう!どう?」

ん?あれ?雲行きが怪しい。

「い、いえ、そんな!いいです!いいです!」

表情は引きつっているはず。友好的な表情できず。

「遠慮しなくて大丈夫だから!そうだ!あと、数ヶ月、月謝も無料にした方がいいな。迷惑かけちゃったもんなぁ。ちょっと会長に掛け合ってくるから!そこで待ってて」

おおお?あまりの展開に声が出なかった。平田さんは猛ダッシュでジムの奥の部屋へ入っていった。やばい。このままだと入会させられる…今の内に逃げちゃおう。決心してイスから立ち上がった。と、目の前にあこたんがいた。か、かわいすぎる。クラクラする。立ちくらみじゃないのは確かだ。

「あ、あ、あ、あ…」

声にならない。変な人と思われないか心配。

「こんばんは。手、大丈夫でした?」

「だ、大丈夫です。こんなのたいしたことないです!あ、そうだ!あの、タオルありがとうございました!」

リュックからハンドタオルを出してあこたんに渡す。表情は引きつってるはず。どんな表情していいかわからない。

「ありがとう。そうだ!ボクシングの試合とか興味あります?」

「えっ!試合?出るんですか!?」

驚いた。自然と声が大きくなる。

「私じゃないですよ!私じゃないけど、一緒に応援してくれる人を探してるんです」

一緒に応援!一緒に!一緒!二人?デート?マジで?

「い、一緒に!?行きます!い、一緒に応援します!」

「よかった~。はい!これチケットです。あっ、五千円だけど大丈夫ですかー?」

「えっ?あ、はい」

チケットを受け取り、リュックの中の財布から五千円を出してあこたんに渡した。夢のチケットが五千円なんて安いもんだ!

「ありがとうございます!試合は二週間後の土曜日。そのチケットにある宮本武(みやもとたけし)って選手が私の彼氏なんです。今度勝てば日本チャンピオンに挑戦できるんですよー!一緒に応援お願いしますね」

あこたんは、そこまで話すとさっさと去ってしまった。

頭の中でさっきの言葉を繰り返す。確かに「彼氏」って言った。聞き間違えではないと思う。そうだチケットに名前があるって。宮本武。ほんとだ書いてある。私の彼氏。彼氏。彼氏…体中の力が抜けた。体が支えきれずイスに座り込む。何にも考えられない。これが放心状態ってやつだな。

ボーッとしているとどこからともなく声が聞こえてきた。いつの間にか僕が座っているイスの一つ隣に休憩にきた二人組の女性が座って話をしている。

「亜紀子さんの彼氏の試合、見に行く?」

「行く!行く!だって勝てば日本チャンピオンに挑戦できるんでしょ!すごいよねー。でもチャンピオンの彼女って大変そう」

ああ。ダメ押し。決定的。

「そうだねー。そうそう。これ秘密にしててね。この前聞いちゃったんだけど、亜紀子さん、彼氏からDV受けてるらしいよ」

「えーっ!」

ん?いまなんて言った?

「プロボクサーって減量とか大変って言うじゃない。やっぱりイライラして手が出ちゃうんじゃないかしら」

「こわーい。だから亜紀子さんボクシングはじめたのかもね。自分を守るために」

「でも、相手がプロボクサーじゃ、あんまり意味ないんじゃないの?」

「そうだねー。こわーい」

二人組の女性は、肩を震わせ怖いって感じのジェスチャーをしながら練習に戻っていった。

僕の頭の中はもう大変な事になってる。グルグル回って、めまいもする。亜紀子さんってあこたんの本名だったはず。あこたんには彼氏がいて、プロボクサーで、DVを受けている。情報量多すぎ。処理できない。

DVってドメスティック・バイオレンスだよな。手が出ちゃうとか言ってたもんな。彼氏がいるだけでもショックなのに。その彼氏からDV?しかもプロボクサー。プロボクサーが手を出していいの?ウソだ。全部ウソって言ってくれ。誰か。なんだか体が熱くなる。なのに体の芯は冷えている。

僕は頭を抱え、走ってジムを飛び出した。そのまま駅に向かい、気が付いたら秋葉原の駅で降りていた。

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