八頁:相対
『今倒さないと大変な事になる!』
グリムの継承者は、代々強い精神力が要求される。
いくら少女は言え、グリムに選ばれる程の人物が取り乱すのは、最悪の事態が起きようとしている兆候だ。
状況は、正太郎の想像以上に切迫している。
しかし冷静さを欠いたところで、事態が好転する事だけはあり得ない。
「アリス、落ち着け。落ち着いて話してくれ」
アリスにだけではない。
生徒たちにも、何より自分に対しても向けた言葉だった。
『正太郎達の接近を感知してる』
「感知?」
『そして思い出したの。正太郎との戦いの記憶を。だからあいつは、その記憶を頼りに既に自力で顕現しかけてる。そうなったらウロボロスは、死と再生を司り、世界を破壊するわ』
「猶予は? 増援を待つだけの時間は?」
『ない。下手すると数分で顕現しかねない。そうなったら多くの犠牲を払わないと倒せなくなる。犠牲を出さないためには、今倒すしかない』
数分の猶予では、後方待機しているグリムハンズの増援も間に合わないだろう。
どんな影響がどの程度の範囲で起きるか分からない故、先遣隊以外は香宮町から十キロの安全距離を取って待機という方針だったのが裏目に出てしまった。
交戦経験があるという理由で先遣隊を正太郎が務めた事も、こうなってしまっては悪手と言わざるを得えない。
ウロボロスの持つ記憶を引き出す引き金としての役目を担ってしまった。
だが泣き言を吐いて失態を憂いている余裕はない。
やるべき事は、一つだけ。
「分かった。俺達だけで交戦を開始する」
正太郎は、特殊警棒を朱色のジャケットのポケットから取り出し、振るった。
「通話はこのままに。アリス、ナビ頼むぞ」
『分かった。正太郎』
「ん?」
『美月が気を付けてって』
――死して尚、案じてくれるのか。
「ありがとうって伝えといてくれ」
『うん』
勇気は、貰った。
「お前達、眠気は大丈夫か?」
今度は、正太郎が生徒たちを鼓舞する番だ。
「ええ。問題ないです」
「僕も平気」
「もう、こうなったら気合いっすよ。最悪自分の炎で自分を焼いてでも起きてます」
「よしいい気迫だ。俺もだいぶ眠くなってきた。長居は出来ない。速攻で決めるぞ」
四人がウロボロスを探すべく、城嶋駅の広場から駆け出そうとした瞬間――。
『正太郎! すぐ近くに居る!!』
アリスの悲鳴に、正太郎は、身構えた。
「お前ら来てるぞ!」
正太郎が特殊警棒を振るい抜きながら放った一声に、エリカと薫も特殊警棒を、涼葉は、ライフルケースからコンパウンドボウと矢筒を取り出し、臨戦態勢を整える。
空気に不快な湿り気が増していき、正太郎の頬を意が突き刺した。
殺意。
害意。
敵意。
僅かに混じるのは、仇敵とまみえた喜色だろうか。
静電気のようにチクチクと、ヒリヒリと肌を撫でてくる。
見られている。
駅広場にウロボロスが来ているのは、確実だ。
どこかで四列の牙を研ぎ、飛び掛かるタイミングを計っているのだろう。
ここで戦闘になるのならまずは、広場で寝ている人々の避難が最優先だ。
「
正太郎は、左の人差し指の付け根を噛み切り、地面に左手を付けた。
すると石畳を突き破り、無数の赤黒いイバラが生い茂り、広場に倒れている幾人もの人々を絡め捕った。
駅の構内やビルの屋上。戦闘の被害が及ばない安全地帯へ眠っている人々をイバラが送り届け、広場に童話研究会の面々のみとなってから、正太郎はイバラを霧散させつつ生徒たちに指示を飛ばした。
「亀城、ネクストページで雉を。涼葉のサンベリーナを乗せて偵察してくれ」
「分かった」
「おいでサンベリーナ」
二人が人差し指の付け根を噛み切り、実際の雉と同じサイズの血の
雉は、背中にサンベリーナを背中に乗せて、上空へ羽ばたいていく。
血の家来の射程は、三十メートルほどで本来偵察には不向きなのだが、駅広場を見渡す程度ならば、なんとかなる。
射程距離のギリギリまで昇った雉が高度を保ちながら旋回すると、サンベリーナの見る風景が涼葉の左目に映し出される。
しかし見えるのは、自分達と、寝息を立てている大勢の人々ばかりで、ウロボロスらしい影は確認出来ない。
「どこにも居ません。どういう事?」
一体何処に?
自問しながらサンベリーナの首を左右に振らせると、突如視界に白い尾が映り、その瞬間、頭上で雉とサンベリーナが粉微塵に砕かれる。
全身を這いずる激痛の濁流に耐え兼ねて、涼葉は、崩れ落ちた。
「涼葉さん!!」
エリカが絶叫と共に駆け寄って抱き起すと、涼葉は、エリカの肩に爪を喰い込ませながら破顔した。
「大丈夫! フィードバックは僅かよ」
痛みがすぐに消えるはずもない。ない物として強引に殺しているに過ぎない。
だからこそエリカは、涼葉の強がりに異を唱えなかった。
仲間の覚悟を軽んじる行為をするわけにはいかない。
涼葉に応えるために必要なのは、気遣いよりも、怪物を討ち滅ぼす事。
「出て来い化け物!! グリムハンズ灰かぶり《シンデレラ》が相手になってやる!」
エリカの咆哮で色を塗られるように、一頭の大蛇が駅広場に姿を現し、∞の形に蜷局を巻いた。
胴は、杉の古木のように太く、頭から尾まで二十メートルは超えている。
面立ちは毒蛇に、ドラゴンの意匠を掛け合わせたようであり、口腔には、牙が四列並んでいた。
彼の威容は、白く巨大な蛇であり、黒く雄々しい竜であり、赤く艶めかしい神である。
「久しぶりだな。俺を覚えてるか?」
正太郎は、特殊警棒を左手に持ち直し、右手の人差し指の付け根を噛み切った。
流れる血の筋は、鋭い棘を持つ黒いイバラへと変じ、正太郎の右腕に絡み付く。
「こっちは、よく覚えてる」
ウロボロスの視線もまた、正太郎を見据えていた。
敵を警戒しているというより、顔なじみと久方ぶりに会ったかのようである。
対して神災級と初めての邂逅を果たしたエリカは、悍ましいまでの気配に圧倒されていた。
「すごいプレッシャー……」
今まで戦ったワードとは、文字通り桁が違う。
エリカが遭遇してきたワード全てと同時に相対したとしても、今ウロボロスから感じている重圧と比肩する事は叶わない。
「これと戦ったの先生?」
「前は、もっとでかかったけどな」
「すご……」
神と言う
「怖いか?」
正太郎の言葉で、エリカは、自分が震えている事に気が付いた。
手も足も身体も、凍えたように震えている。
抑えようにも抑えられない。
恐怖を感じて当然。
誰もが、そう口を揃えるだろう。
「先生、安心して」
けれど沙月エリカは、自分の抱く恐怖を許さなかった。
もうお人形のような子供ではない。
如月正太郎の隣に戦うと決めたから。
「武者震いだから」
大丈夫。
心までは、震えていない。
エリカは、自身の奮い立たせるように一歩踏み出し、ウロボロスとの間合いを詰める。
薫も退く気配は、微塵も見せず、涼葉は、コンパウンドボウを狙い澄ました。
生徒が見せてくれた不退転の決意。
教師が無為にするわけにはいかない。
正太郎は、ウロボロスへ向かって歩き出すと、黒いイバラの巻き付いた右腕を掲げた。
「グリムハンズ、
黒いイバラは、数を増し、数十が正太郎の腕に絡み付き、獲物を仕留めんとする蛇のようにうねっている。
「これが俺のグリムハンズのファーストページだ。能力は、棘に触れた全てに等しく死を与える事」
世界を滅ぼしかけた力。
ウロボロスを復活させた要因ともなった。
忌み嫌うばかりだった己が物語の力を今度こそ仲間を守るための剣として。
「俺に絶対近付くな。遠距離で戦え。この能力は、棘に触れた対象を無差別に殺しちまう。俺の意志で殺す対象をオンオフ出来ない」
正太郎とウロボロスの間合いが詰まっていく。
既に、互いの射程圏内。
それぞれの武器は、相手を一撃で即死させ得るとびっきりの凶器。
「
正太郎の咆哮と共に、ウロボロスの体表を青い光が血管状に迸った。
死と再生を体現する威容は、人間の闘争本能を容易く屈服させ得る。
「エリカ、薫、涼葉」
だが正太郎は、怯まない。
「お前達は、最高の仲間だ」
最愛の生徒達は、正太郎と並び立つ
「俺は死ぬつもりだった」
死ぬ事は、許されない。
「ウロボロスと刺し違える覚悟だった」
正太郎には、義務が出来てしまったのだから。
「だが、その覚悟がお前達と一緒に居て揺らいだ」
大切な生徒達を見守り、彼等の隣で生き続ける事。
「命をかけてお前達を守るなんて驕ってた」
彼等の居場所を作るのだと、童話研究会を立ち上げたが、
「一緒に戦ってくれ。仲間として」
そこは、正太郎自身にとっても掛け替えのない場所になっていた。
「さぁ童話研究会のクライマックスだ。派手に行くぞ!」
だから全員で生きて帰る。
「滅せよウロボロス!」
それが如月正太郎と言う男の紡ぐべき
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