三頁:ファーストページ

 ――どういう事ですか?


 簡単な問い掛けが出来ないほど、鮮烈な衝撃がエリカを襲った。

 だからだろうか。正太郎は、エリカの反応を待たずに自ら語り出した。


「俺が今使ってるグリムハンズの力は、ネクストページなんだよ。ファーストページは、もっと攻撃的で凶悪な能力だった」


 グリムハンズには、二つの力があり、それぞれファーストページとネクストページと呼ばれている。

 薫の場合は、血を経口摂取した犬・猿・雉を象徴する動物を操るのがファーストページ。

 これは、キビ団子を貰った犬・猿・雉が桃太郎の家来になった事を由来する。


 ネクストページは、血で作った犬、猿、雉を操って戦う力。

 こちらは、血を媒介にしてグリムハンズを発動する如月流と、鬼と戦った三匹の家来の荒々しさの融合である。

 正太郎のグリムハンズ、茨姫リトルブライアローズは、血を媒介にイバラを作り出し、イバラの棘が刺さった対象を眠らせるという能力だ。

 エリカは、茨姫リトルブライアローズの能力に関して、相手を眠らせるという力についてしか知らない。


「どんなって聞いてもいい?」


 純粋な興味であった。

 ある種子供っぽい無邪気な質問。

 だが、正太郎の顔色が深淵の闇に沈んでいく。

 踏み込んではいけない領域に立ち入ってしまった事をエリカに自覚させた。


「ごめんなさい。変な事聞いて」

「大丈夫だよ」

「でも……」

「なんていうのかな。お前は、言うなれば暴発だ。お前の意志に関わらずに発動してしまったが故の事故だ」

「先生は、違うの?」

「俺は、そうなると分かっていて、それでも自分が楽になりたくて使った結果だ。俺の意志で使ったんだ」


 自身の後悔を語っているのに、過去を懐かしんでいる。

 人がこういう顔をする時、何を思うのかエリカはよく知っていた。


「大切な人だったの?」


 正太郎は頷きながら、


「恋人だ」


 そう言って柔らかく破顔した。


「もう一人は、恩師だった」


 どうして正太郎が優しくしてくれるのか、エリカは理解した。


「二人とも、愛してた」


 エリカと同じだから。

 大切なものを自分のせいで失った気持ちが分かるから。

 同じ境遇の子供を放っておけなくて、助けてくれたのだ。


「エリカ、ウロボロスって知ってるか?」


 唐突な質問に、エリカは首を捻った。


「蛇だよね? 自分のしっぽを食べてるやつ」

「輪廻の象徴だ。神災級ドラゴンクラスと呼ばれる最大級のワードの名称でもある。これまでに神災級は、三度しか出現していない」

「三体だけ? 神災級って名前もやばそうだけど」

「一体目は、一九三八年。二体目は、一九六五年。三体目が二〇〇八年。いずれも討伐には成功したが、世界は大きな犠牲を払い、揺蕩う力に還元されて尚、神災級の影響力は、時代を混迷へと導いた」


 正太郎の挙げた年は、いずれも世界に大きな変化があった頃と一致する。

 世界大戦。

 東西冷戦。

 未曾有の金融危機。

 討伐して尚、世界を脅かす神災級。

 神憑かみがかった圧倒的な脅威は、グリムハンズやワードという超常を知ったエリカにとってすら、夢物語に聞こえた。


「俺も仲間と一緒に戦った事があるんだ。神災級ウロボロスとな」


 仲間。

 正太郎から初めて聞く単語がエリカには新鮮であった。

 しかし彼の声には、堪えがたい悲壮が籠っている。


「だが当時は、ワードの研究が今ほど進んでなくてな」

「何かあったの?」

「ワードを見つけると意味を理解する事もなく殺していた。もちろん封印なんてしなかったよ。手順を踏んで倒すべきと主張する学者もいたが、封印しなかった際の具体的な影響について、当時は、完全に解明されてなかった。皆、効率を重視した」

「でも無理やり倒すと、ワードは」

「力を増していく。だけど俺のグリムハンズは、敵を殺し続けた。そして思い知ったんだよ。殺戮がどういう結果をもたらすかを」

「まさか神災級って……」


 エリカの抱いた推測に、正太郎は首肯する。


「正しく討伐されなかったワードの力が累積し、一つの像を得て顕現したモノ」


 それが神災級の正体。

 ワードとグリムハンズが生まれてから百年。

 三十年から四十年の周期で正しくない方法で倒されたワードの影響が一気に現出する。

 集積された膨大な力は、人にとって正に神災だ。

 人の育む文明など、虫を払うかの如く蹂躙じゅうりんし得る。


「そして、俺もやらかしてた一人って事だよ。特に率先してな」


 一つ間違いを見逃がすだけも、世界の命運を揺るがしかねない。

 だからこそ正太郎は、ワードの正しい討伐方法をエリカ達に叩きこんだのだ。

 世界を守るためだけでなく、同じ咎を背負させたくなかったから。


「でも今では変わったんだよね? みんな正しくワードを倒すようになったんだよね?」

「ああ。ワードが発生すると、どの物語の、どんな単語から発生したかを理解して、倒すようになった。一体を倒す時間的効率は、圧倒的に悪いが、相反するようにワードの発生も少なくなっていったんだ」

「じゃあもう神災級も現れないんだね?」


 エリカの言葉に、正太郎は答えなかった。

 視線を逸らし、感情を読まれる事を拒絶していたが、何を考えているのかは、伝わってきた。


「世界を滅亡寸前まで追い込んだんだよ、俺は」


 再び神災級は現れる。

 それも近い将来に。

 エリカは不安に駆られる。

 神災級が現れる事にではない。

 その時、正太郎がどうするのかだ。


「愛してる女を死なせて、世界を滅ぼしかけて、でも俺は生きてる」


 正太郎の抱く罪悪感は、どれほどの虚穴を心の中に開けているのだろう。


「エリカ。罪の意識を感じるのは、よく分かるよ」


 正太郎がエリカ達を仲間と呼ばない理由は、きっとこの罪悪感が原因だ。


「それでも生きてくれ。辛いかもしれないけど、役目があると思って」


 自分に仲間を持つ資格はないから。

 仲間を持つと不幸にしてしまうと思い込んでいるから。


「俺もそれを手伝うよ。お前の先生なんだからな」


 いざという時、巻き込まないように。

 その日が来た時、一人で立ち向かうために。

 だから生徒と教師という一線を超えないように踏みとどまっている。

 だから、これ以上を求めてはいけない。


「ありがとう先生。楽になった」

「一応教師だからな。らしい事が出来て良かったよ」


 これからは、与えてもらうばかりではなく、貰ったものを返す時だ。


「うん」


 如月正太郎という人を孤独になんて絶対させない。

 例え、世界の滅びの時であっても、彼の隣で戦う事をエリカは、自分に誓った。







 エリカは、放課後になっても、日が暮れるまで童話研究会の部室に残っていた。

 既に薫と涼葉は、帰宅しており、正太郎も三十分ほど前に部室を出ている。

 明るい内に帰って冴木と鉢合わせるのが嫌だったし、薫と涼葉には、一緒に帰ろうと提案されたが、自分の過去で、二人に嫌な思いをさせたくなくて断った。


 スマートフォンで時刻を確認すると十九時を回っている。

 さすがに、これ以上の長居は出来ない。

 正太郎も冴木について手を打ってくれている。

 信頼して自宅に帰る事を決断した。


 一人で歩く通学路は、夜の黒と合わさって一層の物寂しさを煽ってくる。

 夏の桜並木の青々とした香りが夜気に染み、葉の擦れる音やアスファルトを踏み付ける感覚。それらを噛み締めて帰るのは、何週間ぶりだろう。


 エリカは、涼葉が童話研究会に入って以降、一人で下校した事はない。

 孤独を思い出さないよう常に涼葉か薫と一緒に居た。

 冴木が現れ、一人で帰る今は昔に戻ったようである。

 自分は化け物であると信じ、誰かに助けて欲しかったけれど、声を上げる事も出来なかった日々。


『子供だな。行き場をなくして生き方も見失って、足掻く事すらしなくなった。お人形みたいな子供だよ』


 正太郎がエリカを童話研究会に勧誘した時に、告げた言葉の一つ。

 当時は酷く腹立たしかったが、あの頃のエリカをこれほど的確に示した台詞もない。

 だが今はもう違う。

 お人形みたいな子供ではない。

 居場所もある。

 生き方も教えてもらった。

 大切を守るためなら、どれほど醜くとも足掻いてみせる。


「よう、エリカ!」


 大切な人達が居るのだから。


「如月先生」

「もう帰るのか?」


 コンビニ袋を片手に正太郎が尋ねてくる。

 中身を覗き込んでみると、おにぎりが四つにカップ麺が二つ。

 うめぼし・こんぶ・おかか・炊き込みおこわと、おにぎりの具材は、エリカの好物ばかりで、カップ麺の方もこれまた好みのしょうゆ味だ。


「どうしたのそれ?」

「ん? この間買った本が読みたくて、今日部室に泊まろうと思ってな」


 正太郎は、しゃけや焼き肉等、たんぱく質系の具材が好きだし、カップ麺もとんこつ味が好物である。

 エリカが学校に泊まるかもしれないと思い、買い出しに行ってくれたのだろう。


「送っていこうか?」

「ううん」


 気遣いを無駄にしたくなかった。

 何より、信頼出来る人ともう少し同じ時間を共有したい。


「やっぱり私も、もう少し学校に残るよ」

「そうか。じゃあこれ喰うか?」

「うん。食べる。お腹すいた」


 エリカが正太郎と並んで一歩踏み出した瞬間、


「――え?」


 重力から解放された浮遊感と共に、正太郎を眼下に見下ろしていた。


「エリカ!?」


 正太郎が見上げると、エリカと彼女を抱える大男が一人。

 壮年で体格の良い見覚えのある男だ。


「冴木!?」


 冴木がここに居る事。

 エリカを攫った事。

 この二つよりも正太郎を驚愕させたのは、冴木の跳躍力だ。

 巨体でありながらエリカを抱えた状態で、電柱の高さの倍ほども高く舞っている。

 グリムハンズである正太郎でも、垂直飛びでは七~八メートルほどが限界。

 二十メートルを遥かに超える跳躍は、グリムハンズという超常を考慮しても、人類の身体能力では到達出来ない領域だ。


 あるいは冴木がグリムハンズであるなら、能力次第では達成し得るかもしれない。

 しかし彼は、グリムハンズではないと断言出来る。

 グリムハンズならエリカに対する追及がより直接的な内容になるはずだ。

 お前は、炎に関連するグリムハンズだ。能力でお前が火事を起こしたんだ、と。

 グリムハンズでないのなら、どうやって冴木は、この超人的な跳躍を可能にしたのか。


 ――いや、考えてる場合じゃねぇ。


 成すべきは、攫われたエリカの救出のみ。

 理屈や理由は、後で考えればいい。

 エリカを抱えた冴木は、着地すると同時に駆け出し、巨体を闇に溶かしてしまった。

 速力も尋常の域ではない。

 正太郎も全速力で走るが、冴木の背中は、見えてこない。

 見失った?

 焦燥をさらに煽るかのように、スマートフォンが鳴り出した。


 ――この忙しい時に!


 腹の中で悪態を吐きながら、画面を見ると、徳永刑事部長からの着信である。

 このタイミングで掛かってきた刑事部長からの電話は、確実に冴木絡みと見ていい。

 正太郎は、すぐさま着信に応じた。


「もしもし!」

『如月か!?』

「刑事部長! 冴木刑事が――」

『沙月エリカか?』


 ――やっぱりそうか。


 勘が当たっている事がこれほど嬉しくない瞬間もなかった。


「どうなってるんですか? 冴木刑事は、なんで?」

『冴木に圧力をかけたんだが、逆効果だったらしい。あれが急に事件の捜査を再開した事を疑うべきだった』

「どういう事です? 何かきっかけでも?」

『うちの小村こむらがな』

「小村さんって……探知系の」


 小村とは、若い女性警官のグリムハンズで、白雪姫の魔法の鏡のグリムハンズである。

 若い女性の肉体をコピーし、豚を用いて作った身体で成り代わっていたワードの魔法の鏡とは違い、小村は鏡を媒介にし、ワードの気配を探る事が出来る。

 鏡に数百メートル~数キロの範囲の街の景色が航空写真のように浮かび上がり、映し出されたどこかにワードが居る事を検知出来る程度の精度だが、希少な能力の使い手である。


『このところ空谷警察署付近に、頻繁にワードの気配を感じたらしくてな。今日確認に行った所はっきりと見たそうだよ』

「……まさか!?」

『冴木に憑依しているワードの姿をな。小村がその場で拘束しようとしたが、とんでもない身体能力で逃げられたそうだ』


 ワードに憑依されているなら、あの異常なジャンプ力にも説明が付く。

 冴木は、ワードと一体になった事で、人の法則を超越した存在になっているのだ。

 そして、その戦闘能力は、


「エリカ、待ってろよ」


 グリムハンズすら容易くほふる。

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