五頁:復讐の果てに
「なんで?」
突如消滅したグリムハンズで作った家来達。その原因を薫は、はっきりと目撃していた。
たった一撃。ワードが渾身で薙ぎ払った鉈は、一振りで薫の家来三匹を一度に消し去ったのである。
以前のワードに、ここまでの力はなかった。
家来達の膂力に、ワードは成す術もなく殺されている。
しかし眼前に居る怪物は、以前と同等とは呼べぬ規格外にして想定外。
脳裏を過ぎるのは、正太郎の忠告だった。
「本当に正しく殺さないと力を増して蘇るんだ」
しかし今更戻れない。
今更やめられない。
妹の無念を、不条理を考えれば、この程度の障害は、容易く飛び越えねばならない。
「前は、簡単すぎて物足りなかったんだ!」
殺さねばならない。
無念の分だけ、不条理の分だけ、理不尽の分だけ。
もう飽きたと思えるほど、殺し続けなければならない。
何故なら全ては、この血のせいなのだから。
「そうだ。名前だけじゃない。僕がグリムハンズだから。僕が桃太郎のグリムハンズだから――」
グリムハンズとワード。同じ根源を持つ者は、引かれ合う。
桃太郎のグリムハンズの血縁者である桃子は、ワードにとっては至高の標的だ。
自身の本能を満たし、天敵の精神に多大な損害を与える対象。
「だから妹を狙ったんだろう。血縁者だから!」
身を守る力のある自分を直接襲えばよかった。
何の力もなく、罪もない桃子を殺す云われは何処にある?
「僕は、ここだ! 頭をかち割ってみやがれ化け物!!」
あるはずもない。
だから牙を持つ者が、理不尽が形を成した化け物に立ち向かわねばらないのだ。
薫は、左手首を前歯でかじりつき、周囲の肉ごと血管を食い千切った。悍ましい熱が広がり、意識の天秤を揺らしてくる。
けれど痛みは噛み殺し、溢れる血を三匹の家来に変えて怨敵へと向かわせた。
しかしワードもまた怯む事なく、鉈を振るって薫との間合いを詰めてくる。
飛び掛かった雉を縦に割り、
「なんで? この前よりも遥かに」
懐へ飛び込んだ猿の首を跳ね、
「こんなに力を増すのか?」
主の盾となって立ちはだかる犬の胴を切り離し、
「先生の言う通り――」
ワードは、薫の眼前に立つと、鉈の振り上げ、
「仮に強制顕現させたとしても殺し切れるかどうか」
打ち下ろした切っ先が薫の額に触れる寸前、その身を業火に飲み干された。
――何だ!?
脳内の困惑とは裏腹に薫の身体は、反射によって動き、屋上の出入り口へと走らせた。
そこに立っていたのは一人の美しい少女だ。
「大丈夫!?」
「君は?」
どこかで見覚えのある顔だ。制服から見ても同じ彩桜高校の生徒だろう。
だがここまで容姿端麗な生徒となると、さすがに数は限られてくる。
「確か、沙月エリカさん?」
思いがけない人物にうろたえていると、薫の後頭部を気配が刺した。
振り返ると、鉈を構え、全身を黒く焼かれたワードが鼻先の間合いまで迫っている。
――殺される。
濃厚な死の直感。しかしそれを打ち払うかの如く、足元を赤黒いイバラが走り、ワードを縛り上げた。
「亀城。無事か!?」
「先生!」
逃げるような真似をしておきながら、心のどこかで待望していた人物の登場に、薫の表情が緩んだ。
対する正太郎も、安堵に胸を撫で下ろし、生徒二人を手招きした。
「説教は、あとだ。こっちに来い!」
とにかく今は、距離を取るのが先決。
三人が屋上からマンション内に飛び込み、階段を駆け下る最中、薫は後悔に押し潰されようとしていた。
「先生ごめんなさい。あんなに力を増すなんて思ってなくて……」
確かに薫の思慮の浅さが取り返しの付かない事態を招いてしまった。
けれど正太郎には、薫から伝わる物がある。
もう二度と同じ失敗は、しないであろうという事。
もう二度と勝手な行動は、しないだろうという事。
ここで言うべきは、責めの言葉はない。
あるとすれば奮起だ。
「説教は、あとでしてやるよ。まずは、あいつを倒すぞ」
「でも顕現させても……」
薫のグリムハンズの能力は、血を経口摂取した動物を操ったり、血で三匹の家来を作り出す事。
この内、後者の攻撃性能は、相応に高い。それぞれモデルとなった動物の数十倍以上の身体性能を誇っている。
これが通用しないとなれば生半可な攻撃では、意にも介さないだろう。
しかしこちらの最大火力は、その遥か上を行く。
新しい仲間が増えた事を薫は、まだ知らない。
「大丈夫だ。新しいエースの力なら何とかなる」
「新しいエース? 彼女が?」
「沙月エリカ。グリムハンズだよ」
「沙月って……やっぱり同じクラスの沙月さんだよね!? じゃあ、あの炎は君が?」
「灰かぶり《シンデレラ》。可燃性の灰を出す能力。火種がないと使えないけどね」
エリカの火力なら、並大抵のワードを焼き尽くす事も容易い。
そして正太郎と亀城のグリムハンズは、相手を拘束する事に長けている。
敵は、拘束しやすい人サイズだし、勝算は十二分にある。
「俺達であいつを拘束した後、強制的に顕現させて、不安定なところを焼き尽くす」
「ならどうしてさっきそれをしなかったんですか? 絶好のチャンスだったのに」
確かに、そうする事も出来た。
けれど、あのワードを倒し切れるかどうかは別。
ワードは、エリカの炎で確かにダメージを受けていたが、薫との間合いを一瞬で詰めるスピードが健在な以上、体の表面が焦げた程度でしかない。
「開けた場所じゃ爆発の威力が削がれる。さっき見た通り、普通に爆破したんじゃ倒せないから狭い場所で爆発の威力を上げねぇと」
ワードの戦闘能力向上は、正太郎にとっても想像以上だ。
正太郎自身、エリカのグリムハンズで仕留められなかった事には驚かされた。
中途半端は出来ない。
やるなら確実に、それも反撃の余地を与えない一撃で――。
「ごめんなさい。先生」
改めて事の重さを実感したのか、薫の後悔が増していく。
しかし今回の件で責任を取るべきは自分であると、正太郎は思っていた。
対応を完全に誤った。
ワードの脅威を甘く見過ぎていた。
許されないミスをして、取り返しの付かない結果を生んでしまった。
「今回の件は、俺の認識の甘さが招いた事だ。お前のせいじゃない」
もっと出来る事はあったはず。
最善の手を打てたはず。
薫は、正太郎を責めてもいいのに、彼は、そんな事をする気配もない。
自身の無能さを恨めしく思いながら正太郎達がマンションから広場に出ると、頭上から殺気が降り注いだ。
「避けろ!」
正太郎の一声を合図に三人は、その場から飛び退いた。その中心点に上空からの一撃が打ち込まれ、土埃がマンションの中程まで舞い上がる。
すかさず埃を切り払い、ワードが薫を目指して突進した。
「亀城!」
「はい!」
「
「桃太郎!」
正太郎の放ったイバラと薫の放った犬が、ワードに絡み付き、噛みつき、ワードの自由を奪った。
「亀城! 車に乗れ!」
正太郎は、規制線の中に駐車した車を指差し、走り出した。
正太郎の指示通り、薫が車の後部座席に飛び乗ると、正太郎も運転席に乗り込み、エンジンをかけてから伝熱ライターを押し込み、温め始める。
「あれ? 沙月さんは?」
エリカの姿が見えない。
さっきまで、ビルを出た直後まで一緒に居たのに。
まさか、あの奇襲の時?
薫が外へ出ようとドアに手をかけた瞬間、靴底に砂を踏み締めるような感触を覚えた。
足元を見ると車内には白い灰のような物が、そこら中に撒かれている。
――なぜこんな物が?
そんな思案を許さないかのように、
「モモオオオオオ!!」
後部座席の窓ガラスを突き破ってワードが車内に侵入してきた。
全身を焦がされ、肩口や老婆の肉塊が引き裂けながらも、ワードの戦意は、衰えていない。
正に袋の鼠。
逃げ場がない。
殺される。
濃厚な死の直感に薫が震えると、車内に赤黒いイバラが生い茂り、ワードの身体を縛り上げた。
「顕現せよ! 桃太郎のお爺さんとお婆さん!」
正太郎の一声でワードの姿がより鮮明に具現化する。
「亀城、外に出ろ!」
目まぐるしい状況の変化に、もはや思考する余裕もなく、薫は、ただバックシートに座す事しか出来なかった。
「薫君!」
呼び声と共にワードが潜り込んできた反対のドアが開き、エリカが亀城の手を掴んで車の外へと引きずり下ろした。
薫が出たのを確認して正太郎は、伝熱ライターを引き抜いてイバラの棘にひっかけてから車を降りると、イバラは一層生い茂って車外に躍り出て、ついには車そのものを包み込んでいく。
うっそうとしたイバラの檻の中、身動きの取れないワードは尚ももがき、懸命に抜け出ようとしていた。
暴れれば暴れるだけイバラの棘にひっかけられた置き
敷き詰められた白い灰の上に伝熱ライターが落ちると、轟音と共に炎は、火竜が如く立ち上り、車ごと、ワードを灼熱の腹の内に収めた。
甲高い断末魔が爆音の隙間を縫って響くも、すぐに業火の赤へ飲まれていった。
「あーあ。まだ五年もローン残ってんのに」
正太郎は、瞬く間に、骨組みすらも焼け溶けた愛車を見つめ、項垂れながら白紙の小さなハードカバーを広げると、桃色の小さな光の玉が吸い込まれ、
『桃太郎のお爺さんとお婆さん』
と記述された。
「すごい炎だ……でもどうして?」
いったい何が起きたのか。状況を飲み込めなかった薫であったが、ワードの脅威が去った事で冷静さを取り戻し、やがて正太郎とエリカの策に気が付いた。
「事前に灰を仕掛けてたんですか?」
正太郎は、薫の問いに頷きながら燃え尽きた愛車に手を振り、別れの挨拶をしている。
「エリカの爆発でも開けた場所じゃ、仕留めきれるか分からなかったから次善の策だ。手ごろに用意出来る密閉空間はあれしかなかったんでな。ちくしょう!!」
生徒のためなら車の一台犠牲にするのは、訳のない事だ。
しかし原形すら留めず破壊された愛車の姿を見れば、やはり精神的にくるものがある。
「エリカさん。いくらなんでも灰撒きすぎじゃねぇか?」
「確実な方がいいでしょ?」
やれと言われた策を忠実に行動したのだから文句も言えまい。
正太郎は、未だ火の手が止まない元愛車だった鉄くずに背を向けた。
「明日から電車と歩きで通勤かー」
「先生」
「どうした亀城?」
「どうしてここが分かったんですか?」
薫の問いに正太郎は、申し訳なさげに後頭部を掌でこすった。
「妹さんが亡くなったのここだろ? 俺ならここを復讐の舞台に選ぶ」
薫の口元に、うっすら笑みが差した。
「友達とここに来てよく遊んでたらしいんです。危ないから来るなってきつく注意したんだけど、僕があまり強く言うから喧嘩になっちゃって……」
しかし話を進める度、当時を思い出すたびに、苦痛ばかりが滲んでくる。
「それであの子は、いじけてわざとここに来たんです。そしてあいつに……」
最愛の人との最後の会話が喧嘩だったなら、後悔しない日はないだろう。
薫には何の責もない。それでも自分を責め続けて生きていく。
もっと優しく言えばよかった。
他に注意の仕方があったはずだ、と。
正太郎に、かけられる言葉などない。
けれど沈黙は、それ以上の罪な気がした。
「何の慰めにもならないのは分かってる。でもお前のせいじゃない。自分を責める気持ちは、痛いほど分かるけど、でもこれはお前のせいじゃないんだよ」
「結局何も出来ませんでした……僕は……」
「そんな事ない。お前はよくやったよ」
慰めにもならないけれど、言わずにはいられない。
「グリムハンズやワードのなんて得体の知れないもんがある世界だ。きっと天国だってあるさ」
正太郎は空を指差し微笑んだ。
「長生きして、土産話たらふく持って会いに行けばいいさ」
微笑したまま正太郎は、歩き出した。
あの言葉は、薫だけに向けたものではない。
まるで自身自身にも言い聞かせているような。
――あなたは、どんな人を亡くしたの?
エリカは、正太郎の去りゆく背中を見つめたまま、立ち尽くしていた。
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