二頁:如月正太郎


 如月正太郎。今年赴任してきた彩桜さいおう高校の教師でエリカのクラスの担任でもある。

 端正なルックスで女子生徒からの人気は抜群。

 抜群の運動神経と気さくな性格は、男子生徒からの受けも良い。

 現代文の担当で授業内容にも定評があり、母親達は心酔――多分に容姿の面が大きいが――している。

 だから話しかけられるのが、いつも不思議だった。

 エリカのような面倒な生徒にわざわざ構う必要のない人物だったから。


「よう三毛。元気か」


 エリカの左隣にしゃがみ込んで正太郎は、軽い口調でそう言った。

 対する野良は、餌の方に夢中で正太郎への興味は微塵もない。


「冷てぇなぁ」

「やっぱり猫好きなんですか?」


 正太郎は、気紛れにエリカと野良猫の元を訪れる。

 最初は猫が目的なのかと思ったが、


「そうでもねぇな。俺、犬派だし」


 いつも適当な返事が返って来た。


「何か用ですか?」

「一応担任だからな。ふけてる奴を無視は出来ねぇだろ」


 表向き正太郎は、熱心な教師だ。

 しかしそれが地金ではないとエリカは察していた。

 恐らく自分以上に、ひねくれた根性をしている。

 同類だからこそ、彼の本性を理解出来た。


「熱血教師って風じゃないですけどね」

「否定しねぇけどさ」

「また例の童話研究会への勧誘ですか?」

「まぁな」


 童話研究会とは、正太郎が顧問を務めている同好会で名の通り童話を読み、考察等を論文にまとめる活動をしている。

 正太郎の受け持ちという事で入会希望者は多かったのだが、入会試験が非常に難ししらしく今まで合格者は一人しか居ないという。

 そんな噂が広まって、今ではすっかり入会希望者が居なくなってしまった。


 いわく付きの同好会に正太郎は、入学当初からエリカを勧誘している。

 学校でもトップクラスの人気を誇る教師から気に掛けられているエリカの立場は、当然ながらかんばしくない。

 ただでさえクラスメイトから嫉妬の視線を浴びるのに、エリカの過去が一層厳しい立場へ追いやっていた。

 いくら素気無い対応をしても如月正太郎が折れる気配はなく、暇を見つけては勧誘をしてくる。

 構われるのは心底迷惑でしかなかった。


「童話研究会なんてファンシーな同好会。先生には似合いませんよ」

「イメージじゃないか?」

「これっぽっちも」

「案外おもしれぇぞ。部員だって――」

「一人しか居ませんよね」

「毎日楽しく――」

「三階の角部屋の物置で童話を読むのがですか?」

「実は、困ってる事があってな……」

「返答に困ったからって話題を変えないでください」

「うち一人しかいねぇから、もっと人を増やして部活にしたいんだよ。部費も使えるようになるしな」


 入会資格を厳しくした自業自得であろう。

 興味のない事をやらされるほど苦痛な事もない。

 面倒な事情を持っているエリカだから、懐柔しやすいとでも考えているのだろうか。

 優しさに甘える年頃は、とっくに終わっている。


「私は、困らないので。他の女子でも誘えばどうですか? 先生ならいくらでも釣れるでしょ」

「お前じゃないとダメなんだ」

「どうして?」

「人が既に七人も亡くなってる」


 ――何の事?


「知ってるだろ? 主婦連続失踪事件」


 ――どう繋がる?


「あの事件と何の関係が? ていうか失踪でしょ? なんで死んだなんて分かるんですか?」

「見たからさ。彼女達が死んでいった現場をな」


 正太郎の表情に影が差す。

 これがメッキを剥がした正太郎本来の表情なのだろう。

 エリカは、直感させられる。

 多くの人間の死に触れてきた者だけが出来る顔。同類だけが嗅ぎ分けられる、そこはかとなく黒い香りを。


「もしかして先生が犯人?」

「そう見えるか?」


 ――違う。


 彼が死と肩を寄せ合う人生を歩んできたのは、間違いない。

 けれど快楽のために他者の命を奪える気配は、正太郎から香ってこない。


「先生は、そういう人種じゃない。化け物っていうのは、何もかも燃やし尽くしても、のうのうと生きてる奴を言うんだよ」

「お前が化け物か?」

「そうだよ」

「見えないな」

「じゃあ何に見える?」


 エリカが訪ねると、正太郎は瑞々しくも不敵に微笑んだ。


「子供だな。行き場をなくして生き方も見失って、足掻く事すらしなくなった、お人形みたいな子供だよ」


 胸中を的確に射抜く言葉。

 性根を見抜かれた事。

 全てが鬱陶しい。


「訳分かんない」


 この場に居たら乱される。

 だから逃げればいい。

 いつものように。


「私、具合悪いんで早退します」

「元気そうだけどな」

「男の人には、分かんないでしょうね」


 いますぐこの場を立ち去る事を、


「炎――」


 正太郎の一声が許さなかった。


 ――今なんて?


「何の事ですか?」

「分かってるだろ? 俺なら何とかしてやれるぞ」


 ――何とか?


「あんたさ。焼け死にたいならそう言って」


 ――出来るものならしてみせろ。


「いつでもそうしてあげるから」


 ――私は、出来なかったからここに居る。


「焼き殺すね。やれるもんならやってみな。絶対に無理だから」

「なんで無理って断言出来んの?」

「お前の力について俺は、よく知ってんだよ」


 何が言いたい?

 何を知っている?

 力って何の事?

 エリカの心中の疑問をすくい取るかのように、正太郎は流暢に舌をおどらせた。


「沙月エリカ十六歳。人生で大火を三度も経験。親類を含めた数十人の犠牲者を出し、その全ての火元に居ながら無傷で生還した少女。警察の捜査対象になった事もあるが証拠不十分で嫌疑は晴れる。とは言え、親戚の誰も引き取りたがらず現在一人暮らし」

「ネットか、何か調べたんですか?」


 自分で言いながらも、そうでないとエリカは断言出来た。

 伝聞やネットの書き込みのような曖昧な情報を繋ぎ合わせただけなら、ここまで自信を持てない。

 彼にはあるのだ。もっと信頼の出来る情報筋が。

 それを証明するかのように正太郎の口元に笑みが灯った。


「いや。ここ一年で、日本政府の収集した情報だ。そして俺がここに居るのは、お前さんが化け物と呼ぶ力が一因さ」


 力――。

 また出て来た単語にエリカの困惑は深まった。

 正太郎の語る力とは、恐らく火事の元凶となった炎の事。

 エリカが化け物である事の証が。

 ならば知りたい。

 これまでの不幸の原因が本当に自分自身にあるのなら。


「力って何の事? どういう力だっていうの?」

「まぁこういう力かな。」


 正太郎は、人差し指の根本を犬歯で噛み切った。

 皮は破れ、肉は千切れ、血が滲み、垂れていく。

 なぜこんな事をするのか?

 エリカが訪ねようとした刹那、滴る血の雫が突如赤黒いイバラへと変じて正太郎の右腕に絡み付いた。

 命を宿しているかのようにイバラは絶えずうごめき、愛おしげに正太郎の掌をこすっている。

 目の前で成し遂げられた異様にエリカが声を失うと、正太郎は破顔した。


「俺もお前が言う所の化け物だよ」


 自らを化け物と悲観する者が同類と出会う瞬間は、おとぎ話ならハッピーエンドの〆にふさわしい。

 けれど、これはおとぎ話ではなく、現実だ。


「化け物が仲間を探しに来たってわけ?」


 化け物が罪に苦しむ仲間を救いに来たのか。

 あるいは、仄暗ほのぐらい闇に引きずり込もうとしているのか。


「その辺りも含めて説明する」


 そう言うと正太郎の右腕に絡み付いていたイバラが霧散し、エリカの頭にそっと右手を乗せてきた。

 まるで兄が妹にするかのように、掌の体温は優しくて暖かくて心地が良い。

 先程までの不気味さが嘘のようである。


「まぁついてこいよ」


 正太郎は、エリカの頭を一度ポンッと叩くときびすを返した。


 ――この人は、私をどうしたいの?


 疑問が解消される間もなく、エリカの足は正太郎の背中を追っていた。

 たとえ向かう先が深淵の奥底だとしても、進む以外に選択肢はないと沙月エリカは悟っていた。

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