四頁:小さな真実

 初夏らしく、からっとした空気に月光が澄み渡り、青い夜の気配が垂れ込めている。

 間もなく深更の頃に、たった三人しか居ない校舎。

 一部屋だけ電灯の明かりが灯った童話研究会の部室で、エリカは、災害時の非常用に学校が用意している敷布団の上に寝転がり、にゃん子を抱いて悶えていた。


「きゃー! 助けてにゃん子! 今日は、二人の野獣と同じ場所で夜を明かすの!」

「モノホンの獣に助け求めてどうすんだ。それに俺はガキにゃ興味ねぇ。やらかすとしたら亀城だけだ」

「僕もやらないよ!!」

「えーそこまで興味ないのも逆にショックなんだけど」

「まったく興味ないわけじゃないけど……」

「キモっ。薫君キモっ」

「僕どうすりゃいいの先生!」

「相手にすんな。無視しとけ」


 初めて経験する仲間との合宿が、エリカを激しく高揚させていた。

 涼葉を助けるという目的を見失ってこそいないが、初体験の興奮が幾分か勝っている。

 しかし正太郎も薫も、その事を咎める様子はない。

 エリカがこれまで過ごしてきた人生を知っているし、本質を見失っていないからこそ、大目に見ているのだ。


「でも先生。夕飯がカップ麺はないんじゃない?」

「じゃあ、なんならよかったんだよ?」

「焼肉!」

「ここでどうやってやんだよ!」

「調理室にホットプレートあるじゃん。あれなら火事の心配もないし」

「やめろ。本に匂いが移る」

「いいじゃん別に」

「タン塩臭いアンデルセンとか俺は読みたくねぇんだよ!」

「売れるかもよ。タン塩の香り付きシンデレラとか」

「馬鹿話は止めて見張ってろ。一時間したら起こせよ」

「はーい」


 今晩は、三人が交代で見張りをする事になった。

 一人が見張りで二人が寝てしまうと、見張りも寝てしまうかもしれないし、万が一の時には対応が遅れてしまう。

 そのため一人が眠り、二人が見張りをする。

 交代と言っても正太郎は、最初に一時間仮眠を取った後は、朝まで起きているつもりらしく、エリカと薫が二時間交代で正太郎と見張る事になっていた。


「じゃ。寝る」


 正太郎は、パイプ椅子に腰かけ、長机に足を乗せると、手近にあった本を顔に乗せて数秒後には、寝息を立ててしまった。


「先生、寝んの速っ!」

「この人、呆れる位、寝つきが良いからね」


 だが、いざ眠られてしまうと退屈な物である。

 にゃん子も睡魔に襲われているのか、エリカの腕の中で蕩けている。

 仕方ないのでアンデルセン童話集を読み耽る薫にターゲットを定めた。


「薫君。先生が寝たからって、私にエロいことしちゃダメだよ?」

「……」

「無視するな!」

「いや。相手すると何しても火傷するなーって」

「放置プレイが好きか。この変態め」

「ダメだこりゃ。何しても僕は、変態扱いだ」


 こんなくだらない時間が愛おしい。

 けど、そろそろ馬鹿話をしている場合ではない。

 この瞬間も涼葉は、たった一人で恐怖と寄り添うしかない。

 孤独に脅威と立ち向かう恐れをエリカは、知っている。

 だから助けさせてほしいと願うのだ。


「ねぇ薫君」

「なに?」


 エリカは、にゃん子を抱きしめながら上体を起こし、薫を見やった。


「助けられるよね? 涼葉さんの事」

「ワードの仕業ならね」


 もしもこれが医療の範疇の事であれば、エリカ達に手を出す余地はない。

 けれどワードならば、封印して救う事が出来る。

 そのための力を手にしているからワードであればいいと願うのは、おこがましいのだろうか?


「そうであって欲しいって思うのは変かな?」


 エリカの問いに、薫は、穏やかな笑みを浮かべながら、読んでいた童話集を閉じた。


「そんな事ないよ。ワードが原因なら僕達の本分だから解決も出来る。だろ?」

「うん。そう思っちゃうんだ」

「沙月さんの想いは、悪じゃないよ。沙月さんの気持ち分かるから」

「ありがと。優しいね薫君は。嫉妬深いけど」

「まだ言うか……」

「ごめんね。拗ねないでよ。部長命令でござる」

「もういい」


 本当に拗ねた様子で唇をとがらせ、薫は再び童話集を開いた。


「だからごめんってば――」


 エリカが薫に近付こうとしたその時、微かな気配がエリカの背を突いた。

 振り返ると、そこにあったのは、夕方にも気配を感じたあの本棚だ。


「薫君。また気配がする」

「どこから?」

「同じところ」


 エリカは、にゃん子を床に降ろすと、寝息を立てている正太郎の肩を叩いた。


「先生。来ました」


 その一言で正太郎の肩が跳ね上がり、顔に乗せていた本をどかすと、寝ぼけた瞳でエリカを一瞥いちべつする。


「先生。さっきと同じ場所に気配が」

「お前達は下がってろ」


 正太郎には、既に微睡の気配はなく、朱色のジャケットのポケットから特殊警棒を取り出して、気配のする本棚に向かった。

 先程は、気配を感じられなかった正太郎だが、今回は僅かながらに察知出来ている。

 恐らくは視線。何かがこちらの様子をうかがっている。


 一歩、また一歩と正太郎が本棚に歩み寄り、エリカと薫は距離を取りながらも、人差し指の付け根に犬歯を立てていた。

 正太郎が本棚へと手を伸ばすと、突如ジャケットから着信音が鳴り響いた。

 瞬間、正太郎の視線は、自身のジャケットの左ポケットに奪われる。

 極小の隙、僅かな意識の切れ間を縫うように、気配を出していた何かが本棚から飛び出し、部室の扉を開き、出て行ってしまった。


「なに! 今の!?」


 間違いなく何が居た。

 正確には捉えられなかったが、視界の端に見えた姿は、かなり小さかった。

 ネズミやハムスターと言った小動物程度。

 だが、自然界に存在する小動物が扉開けて外に出るなんて真似をするはずがない。


「ワード!」


 マッチ箱を握り締めてエリカが廊下に飛び出ると、何の影も見当たらない。

 夜闇の色に染まった廊下があるばかりだ。


「どこへ行ったの?」

「任せて!」


 薫は、にゃん子を抱えて廊下に出て来た。

 人差し指の付け根を噛み切ると、にゃん子の鼻先に血を垂らす。

 にゃん子は、鼻に付いた血の雫を舐め取ると、薫の腕から廊下に飛び降り、駆け出した。

 グリムハンズ桃太郎の力で、にゃん子を操作し、追跡させる。

 薫の策に気付いたエリカは、彼の胸倉に掴みかかりながら抗議の声を上げた。


「ちょっと!? 私のにゃん子に、なに薄汚いもん舐めさせてんの!?」

「薄汚いはないでしょ! とにかくあいつを追わないと!」

「にゃん子が怪我したらどうすんの!?」

「危なくなったら逃げるさ。それに血の家来は、射程が三十メートル前後で追跡には不向きなんだ」

「だからって!」

「喧嘩は、よせ!」


 ヒートアップする二人の間に、スマホを手にした正太郎が割って入った。

 エリカと薫の頭を小突きながら正太郎は、にゃん子の走り去った方向を見つめている。


「悪い。どうしたんだ涼葉。続きを頼む」


 正太郎が通話をスピーカーフォンに切り替えると、涼葉が怯えた声で語り出した。


『夕方。先生達が帰った後、眠っている時に先生達の夢を見て……』

「夢?」

『ええ。今は、またあの症状が現れて……さっきまで先生達の姿が見えて』

「俺達の? 今は、何が見える」

『廊下を走ってる? でも学校の廊下だと思うけど、すごく大きくて。天井が高い』


 ――学校の廊下?


 エリカの脳裏を疑問が過る。

 何故ワードと同じ景色を涼葉は見ているのだろうか?


『待って。後ろから気配がする。猫だ! 私を食べた猫が! 来ないで!』

「猫? 三毛猫か!?」

『そうです! 先生助けて!! いやああああああああ!!』


 三毛猫。

 にゃん子も三毛猫だ。

 そしてにゃん子は、今薫の指示でワードを追跡している。

 ワードと涼葉は、視界と感覚を共有している?

 もしもそうだとするなら――。


「薫君! にゃん子を止めて!」

「え?」

「急いで!!」

「わ、分かった!」


 エリカがにゃん子の走り去った方向に駆け出すと、にゃん子が右前足で小さい何かを捕まえていた。

 エリカがにゃん子を抱き上げると、小さい何かがエリカを見上げてくる。


「これって」


 小人だった。

 三頭身ほどしかなく、手足も短い。人間をデフォルメしたような外見だ。

 そしてこちらもデフォルメされているが、彩桜高校の女子生徒用ブレザーを着ている。


「なにこれ?」


 エリカは、一旦にゃん子を廊下に降ろしてから小人を両手に乗せた。

 顔をよく覗き込んでみると、見覚えのある面立ちをしている。


「涼葉先輩に似てる?」


 パーツがデフォルメされているせいで幼い印象が強いが、悠木涼葉と瓜二つだ。

 後を追ってきた正太郎と薫が、エリカの手に乗る小人を見ると、正太郎がスマートフォンに向かって言った。


「涼葉、俺の姿が見えるか?」

『はい。沙月さんの肩越しに、如月先生と亀城君が』


 涼葉の答えに、正太郎の口元に笑みが灯った。


「なるほど」

「これが涼葉先輩に憑りついてるワードなの?」


 エリカの問いに、正太郎は首を横に振ると、エリカの手から小人をそっと摘み上げ、自分の左手に乗せた。


「ワードじゃない。グリムハンズだ」

「グリムハンズ!?」


 エリカの驚愕の悲鳴が、深夜の闇に染まった学校を賑やかに響き渡った。







 合宿の翌朝、一番早い面会時間にエリカ達、童話研究会の面々は、涼葉の病室を訪れた。

 昨晩捕獲した小人は、綿を敷き詰められた小箱に入れられており、エリカが蓋を開けると、小人は、心地良さげに寝息を立てている。

 エリカは、ふんわりとした手つきで小人をつまむと、涼葉の手の上に置いた。

 すると小人は、涼葉の顔を見つめ、満足そうに微笑み、大気に溶けていく。

 涼葉は、小人の消失を不可思議そうに、眺めていた。


「如月先生、これは……」

「お前のグリムハンズだ」

「グリムハンズ?」


 首を傾げる涼葉に、正太郎は自身の人差し指の付け根を噛み切り、赤黒いイバラを腕に巻き付けた。


「怖いか?」


 涼葉は、頷きながらも、表情に微かではあるが、安堵を浮かべている。


「少し。でも親しみを感じます」

「俺のグリムハンズは、茨姫リトルブライアローズ。お前のは、恐らくこれだと思うんだ」


 正太郎が一冊の絵本を涼葉に渡した。

 表紙には、蓮の花に乗ったドレス姿の少女が描かれている。


「親指姫?」

「サンベリーナって言うんだ。多分お前は、サンベリーナの題名級タイトルクラスグリムハンズだ」

「グリムハンズ? あの小人が私の力?」

「ああ。能力は分身を作り出し、感覚を共有する事。だから無自覚に能力が発動した時、ネズミや猫と出会って喰われたんだ。その痛みや風景がお前に伝わっていた」


 涼葉は、絵本のページをめくりながら正太郎と絵本を交互に見詰めている。


「私がサンベリーナ……」

「制御出来るようになれば勝手に発動する事はなくなるはずだ」


 正太郎の言葉に、涼葉の安堵がより色濃くなっていく。

 涼葉が絵本を読み終えるまで待ってから正太郎が口を開いた。


「お前、部活は?」

「弓道部です」

「うちにも顔出してみないか?」

「童話研究会でしたっけ?」

「表向きはな。実体はグリムハンズ専用の同好会だよ」

「じゃあ二人も?」


 涼葉が視線を送ってきたのでエリカと薫は頷いた。


「ああ。グリムハンズだ」


 そう聞くと、涼葉に残っていた僅かな不安も完全に消え失せていたようだった。

 涼葉の気持ちがエリカには、痛いほど理解出来る。

 仲間を得た安心感がどれほどの救いになるのか、ここ数週間で思い知らされたから。


「改めて悠木涼葉です。よろしくお願いします」


 また一人、物語の力を受け継ぐ仲間が増えた事を、


「よろしく涼葉さん!」


 エリカは、心の底から歓迎していた。

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