三頁:願い
正太郎の許可が下りた事で、早速動き出した童話研究会の面々だったが、壁はすぐに現れた。
「沙月さん、悠木先輩、それらしいの見つかった?」
「全然だめーっす」
「こっちも見つからないわ」
今回の事例と符合する物語が見つからなかったのである。
〇父親が娘を救うように、誰かに願う。
〇その誰かは、娘を救う代わりに、対価を求める。
〇最終的に願いを叶えた者が、生き返らせた娘の命を奪う。
〇ワードの姿は、石像に似ていたらしく、石像が登場する物語。
これらの要素が今回のワードの正体を解き明かすキーになると薫は考えていた。
しかし一部分であれば、該当する物語は見つかるも、全てとなると中々なく。例えば涼葉が――。
「これはどうかしら。幸福な王子」
「どんな話ですか?」
提示した物語に薫が喰い付くも、
「若くして亡くなった王子をモチーフに、宝石や金箔をふんだんに使われて作られた王子像は、貧しい暮らし位の人達の宝石や金箔を与えるの。でも装飾が無くなってみすぼらしくなった王子像は、最後には壊されてしまう」
「人の願いは、叶えてますね。沙月さんは、どう思う?」
「でも、それって鉄で出来た像じゃない? 石像じゃなかったはずだけど」
これをエリカが否定する。
「その根本が歪む事はないか。じゃあ違うかも。ごめんなさい」
この調子で、これだと言える物語を発見出来ず、時間ばかりが過ぎていた。
既に日は傾きかけており、これ以上学校に残るのも、正太郎の居ない現状では難しい。
かと言って依頼人が失踪しているのに、家に帰ってまた明日で済ませるわけにもいかなかった。
終わらない議論に、部室の空気が硬直している。
焦燥が苛立ちを呼び、苛立ちは判断力を奪っていく。
涼葉は、不毛な石像問題をひとまず置いて、新しい切り口を提案する事にした。
「石像っていうのは大事じゃなくて、願いを叶えるって方が重要って事はないかしら?」
「でも、願いを叶える話ってなると数え切れませんね」
薫は、唇を歪めながら言った。
「そうね。願いを叶えた代わりに何かを要求される話も多いし」
「じゃあ、やっぱり石造であるっていう点が大きなヒントなんでしょうか?」
結局進まぬ議論で時間を浪費するばかりだった。
やはり、このままでは、
今度はエリカが、話題を変えようと口火を切った。
「そういえば薫君の偵察はどうなの? ワードか、おばさんは見つかった?」
「鳥達に見張ってもらってるけど、報告に来ないって事は何も見つかってないんだと思う」
普段であれば「そっか」と同意して話を終えるところだ。
だが、今の煮詰まった状況を脱するための切っ掛けが欲しいエリカは、無意味な問答だと知りつつ、続けて尋ねた。
「そういえば前から気になってるんだけど、薫君ってどうやって自分の血を鳥とか犬に食べさせるの?」
「パン屑とかに混ぜてだよ」
「えぐっ」
「そう?」
「ねぇ亀城君」
今度は、涼葉から声が上がった。
「私も疑問があるんだけど」
「なんですか?」
薫が答えると、涼葉の眉間に、深く皺が刻まれた。
「健二さんは、どうやってワードを見つけたのかしら? 召喚するとか、呼び寄せるとか、そういう方法ってあるの?」
「僕も気になって、家にあるグリムハンズ関連の記録を調べてみましたけど、そういうのはなかったです。如月先生もワードを見つけるには、グリムハンズに頼るしかないって」
「そっか……」
「でも父さんは、ワードの正体さえ分かれば、ある程度習性を利用出来るとは。ただ人間が好き勝手にワードを召喚したり、任意のワードを呼び寄せる方法は知らないそうで。そもそも存在しないだろうと」
「じゃあ健二さんがワードを見つけたのは、偶然なのかしら?」
「ありえないでしょ」
涼葉の推察を否定したのは、エリカだった。
「自分の子供が生死の境を彷徨っている時に、神頼みでワードを探したら見つかった? いくら何でも都合よすぎない?」
「エリカちゃんの言う通り、あり得ないよね。そんな事……」
「元々そのワードの存在を知ってたんじゃない? ずっと前から」
エリカから提示された新説は、
「都合よく見つけたってよりは、そう考えるのが自然ね」
「おじさんがワードを?」
涼葉を納得させたが、薫には疑問の余地が残る物だった。
「知っていたら亀城の家に報告して、討伐してもらうはずだけど」
グリムハンズと関係している健二は、当然ワードの危険性も熟知しているはず。
薫の言うように、対応すると考えるのが妥当だ。
しかし涼葉の脳裏にある可能性が過った。
「ワードの性質を知っていたらどうかしら?」
「性質ですか?」
「ええ。願いを叶えるワード。もしも、その存在を知っていたら――」
グリムハンズとワードを知るからこそ、存在を秘匿した可能性。
「無闇に退治させるかしら?」
「おじさんは……」
薫にとっての健二は、優しい人だった。
昔から薫や桃子の事も、実の子供のように可愛がってくれた。
だから涼葉の推理を否定したかったが、
――自分ならどうだ?
願いが叶うワードが居たのなら。
人の生死すら容易く操れるのなら。
『お兄ちゃん!』
独占しない保証がどこにあるだろう。
善人ならば、自分に優しくしてくれた人ならば、間違いを犯さないという考えが、おこがましいのかもしれない。
「そうだね。そうするかもしれない」
「薫君?」
薫の抱いた想いを悟ったのか、エリカが視線で気遣ってくれる。
「大丈夫だよ。沙月さん」
桃子を思い出すだけで涙が溢れてくるけれど、傷は少しずつ癒えている。
完全に消えてなくなりはしない。
折に触れては後悔し、自分の愚かさを呪う日もある。
それでも仲間が居てくれるから――。
「大丈夫」
薫が笑むと、エリカは、頷きながら笑顔を返して、再び口を開いた。
「願いを叶えるワードだとして、疑問があるんだけどさ。ずっと前から願いを叶えるワードを知っていて、一度も使わなかったのかな?」
「沙月さん、どういう事?」
「確かに、エリカちゃんの言う通りね」
「え、どういう事? 僕にも分かるように説明してくれよ」
薫の困惑に答えたのは、エリカだった。
「一度も願いを叶えた事がないなら、どうしてワードが娘さんを治せると思ったのかな? そう思った根拠は?」
限りなく死者蘇生に近い業。
まさに神か、それに近しい者にのみ許された奇跡。
世界の理を刃向う願望は、叶う確信がなければ、願わないだろう。
そして確信があるのなら――。
「相応に大きな願いを叶えられると、事前に知っていたとするのが自然って事か!?」
ハッとした薫の一声が部室に響く。
涼葉も、円環と化した議論の突破口を見出せた快感に、表情を緩めた。
「エリカちゃんの言うように、健二さんは、以前にもワードに願いを叶えてもらったという事ね。亀城君、健二さんって、お金持ちだったのかしら?」
「いえ。普通ですよ。ただのサラリーマンだし、家も賃貸だし」
「相応に大きい願いを叶えた事はあるけど、金銭に絡む願いではない? じゃあどんな願いの叶えたのかしら?」
「叶えた願いの大きさによって、代償が大きくなるって言うのはどうかな?」
エリカの披露した推理が腑に落ちないのか、涼葉は眉を寄せた。
「それなら生死を操るなんて、およそ人の願いでももっと大きいものよ。代償を考慮しないかしら?」
「冷静さを失っていたら、ありえるんじゃない? 藁にもすがる何とやらで」
「一年後に娘が結局死んでしまうのなら、願わないんじゃないかしら?」
「少しでも伸ばしたいって思うのは親心なんじゃない? 私は、子供居ないから分かんないけどさ」
「そうだとしても、やっぱり違和感が拭えないわ」
「じゃあ涼葉さんの意見は?」
「代償は、想定外なんじゃないかと思うの」
涼葉の推理に、今度はエリカが難色を示した。
「それだと疑問がループしちゃうよ。代償があるって事を知らなかったのなら、もっと願いをぽんぽん叶えない? 金持ちにしろーとか、世界の支配者にーとか」
「エリカちゃんの言う通り、代償について知らなかったと仮定すると、今まで願いを叶えなかったという疑問が再燃する。だけど――」
「だけど?」
「叶えられる願いの数に、限りがあるとしたら?」
『それだ!』
エリカと薫は、驚嘆の声を重ね合わせた。
叶えられる願いの数が決まっているのなら、容易く願いを叶える事はしないはず。
人間は、制限があるからこそ、欲を堪えて、叶える願いを吟味するのだ。
疑問は、一つ片付き、次に考えるべきは、どんな物語から生じたワードなのかという話の本線である。
これに関しても涼葉の推理を材料に、薫の中には、会心の答えが浮かんでいた。
「じゃあ沙月さん。悠木先輩。都合よく何でも願いを叶えてくれるけど、回数制限付きなのは?」
クイズの司会者っぽく薫が言うと、先に手を上げたのはエリカだった。
「アラジンの魔法のランプ!」
「僕の想像と同じ!」
「あれは、対価は求めてないけどねー」
乗ってくれた割に、すぐさま突き放してくるエリカを薫は恨めしげに睨んだ。
「それはワードとして発生したら、色々と歪んだんだよ」
「ちょっと苦しくない? それに石像とか、他のワードを構成する要素が色々とすっ飛んでる点はどう解釈するの?」
「あの、えっと……」
「五十点の答えだね」
「なんだよ! じゃあ、そっちは答え浮かんでるのかよ!」
「え?」
「え? じゃないよ!」
薫とエリカがじゃれあうように口論を繰り広げていると、涼葉が突如声を上げた。
「ねぇ二人とも聞いて。願いを叶え、命を救い、石像が血を浴びる……亀城君、おじさんのお家に連れて行ってくれない?」
「おじさんの?」
「確認したい事があるの」
涼葉の唐突な提案を薫は、
「分かりました」
三人で、三島玲子の自宅へ行く事となった。
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