四頁:関係
四島通りを離れた三人は、現場から歩いて十五分の所にあるエリカのアパートに身を隠している。
万が一警察が巡回してくる可能性も考慮して、三人は、灯りを消して息を潜めていた。
薫と涼葉は、外の様子に耳をそばだてながらも、時折物珍しそうにエリカの部屋を眺めている。
壊れかけた座卓とリサイクルショップで買ったタダ同然のテレビしかない六畳間。
それ以外の物と言えば、学生鞄が床に投げ出されているぐらいだ。
薫と涼葉にすれば、年頃の女子高生の住んでいる部屋とは信じられないのだろう。
沈黙しているのは、潜伏しているからと言うだけではない。
エリカに掛けてよい言葉を選んでいる証拠だ。
「ごめんね。何にもなくて」
だからエリカは、あえて自分から口にした。
そうすれば二人が気を使わなくて済む。
「必要なくてさ。今までは」
一人で生きてきた時間の象徴。
今過ごしている得難い幸福とは、正反対の世界を生きていた証。
「だから嫌だったの」
最高の日々をくれた人が、自分を突き放すのが悲しかった。
「せっかく居場所が出来て、友達が出来て、それなのに追い出されたから。きっかけくれた人なのに」
エリカの強張った心を解すかのように、涼葉の腕の温もりがエリカを包み込んだ。
「寂しいよね。エリカちゃんの気持ちよく分かるわ」
「ありがと。涼葉さん」
涼葉は、エリカの頭を撫でてから身体を離すと、改めて部屋を眺めた。
「現場から結構近いのね、エリカちゃんの家」
「これも何かの天啓ってやつよ」
「それは、どうかしら……」
「で、涼葉さん。下水道の様子はどう?」
四島通りから退避する直前、涼葉はサンベリーナを下水道に送り込んでいた。
今は、二体のワードを追って下水道を捜索しているのだが、
「足跡を追ってるけど、追いつけないかも。あとものすごく臭くて……」
サンベリーナ発動中は、全ての感覚が共有される。
視覚と聴覚だけでなく、痛覚や嗅覚もだ。
ある程度共有の度合いを操作出来るようになってきているが、特定の感覚のみを遮断するという事は出来ない。
嗅覚の方は、状況次第とは言え、サンベリーナの能力上、狭い場所への潜入が常なので、ポジティブに活用される事は少なかった。
「薫君は?」
「僕のは、リアルタイムで確認出来ないんだ。帰ってきたら分かるけど」
薫が言い終えると同時に、玄関のドアがコツコツと小さくノックされる。
「お、来た」
薫がドアを開けると、そこには一羽のカラスを胸に抱き、皮肉の色を含んで微笑んでいる正太郎の姿があった。
「如月……先生!?」
「やっぱり首を突っ込みやがったな。この悪ガキどもめ」
「なんでここが?」
薫が尋ねると、正太郎は、抱いていたカラスを手渡した。
「町の至る所、カラスが大量に飛び過ぎだ。偵察なら、もうちょっと抑えてやれ」
正太郎は、玄関口に入ると、ドアを閉め、エリカを見つめたが、対するエリカは、視線を合わせようとしない。
けれど、構わずに正太郎は言った。
「首突っ込むなって言っただろ?」
「だって……」
「すねようが何しようが、はっきり言っとくぞ。俺が首を突っ込むなと言ったら突っ込むな。それが守れないなら童話研究会をやめてもらう」
今のエリカにぶつけるには、最悪の言葉。
そう理解した涼葉と薫が宥める間もなく、エリカは、正太郎に飛び掛かって、ジャケットの襟を掴み上げた。
「そこまで決める権限、あんたにないでしょ!!」
「あるに決まってんだろ。俺が顧問なんだ」
「なによ! 居場所だって、ずっと一緒って言ってくれたのに!」
「ルールを守るならだ。無法にやるなら、んなもん追い出されて当然だろ。俺は、無秩序を許すつもりはねぇよ」
感情でモノを言っても正太郎には、響かないし、折れてもくれない。
反論の言葉を失い、凍り付いたエリカの手を、涼葉が正太郎のジャケットから優しく引き離した。
涼葉は、エリカの両肩に手を置いて一歩下がらせると、正太郎との間に割って入った。
「先生のおっしゃる事は、よく理解出来ます。正論です。言い返す余地はない。でも先生の言い方も良くないと思います」
「言い方?」
「あんな言い方をされて素直に言う事聞くと思いますか? 私達にだって人格があります。酷い言葉を吐いておいて、それを棚に上げて私達を責めるのは、卑怯です。それこそ秩序なんかありません」
「さっきから何の事を――」
「仲間じゃないって、言った事だよ!」
エリカの怒声に、正太郎はしばし呆然とした後、舌を打ちながら、両手で顔を擦った。
「悪かった……」
酷く落ち込んだ声音で言った正太郎は、嘆息を交えて苦笑した。
「あまり詳しく話して巻き込みたくなかったんだけどな」
「先生どういう事? ここまで来たら話してくれよ」
薫が尋ねると、正太郎は、ドアに背を預けて腕を組んだ。
ここに至って尚、エリカ達に事情を話す事を躊躇っている.。
しばらくそうしてから、諦めたように正太郎の口が開かれた。
「これは、警察の依頼なんだ。お前達ぐらいの年頃、政府と一緒に仕事してたんだよ。その縁で時々な。だから、これは俺個人への依頼で、お前達は、関係ないんだ」
「そういう言い方がムカつくの!!」
「エリカちゃん、落ち着いて」
「嫌だ!」
「涼葉。好きにさせてやれ」
涼葉が正太郎の前から退くと、エリカはすぐさま正太郎の懐に飛び込み、胸倉を両手で掴んだ。
「関係ないとか、仲間じゃないとか、じゃあ私は、先生にとってのなんなの!?」
「大事だから巻きこみたくないんだ」
「答えになってない! 関係なくて、仲間じゃないなら、私は、先生にとってなんなの? 答えてよ!!」
「教師と生徒。師匠で弟子。そういう関係じゃないか? 言い方は、なんにせよ、繋がりである事に違いはねぇだろ? それじゃダメか?」
「結局うまい事言って煙に撒いてませんか? どうして逃げるのか、理由を聞きたいところですね」
涼葉の追及を正太郎は、曖昧な笑みで受け流した。
「そこは、大人の事情って事で察してくんねぇか? あんまり話したくねぇんだ」
正太郎は、エリカの肩を軽く叩いてからしゃがみこみ、涙で輝く瞳を仰いだ。
「エリカ。ひどい事言って悪かった。それについては、本当にすまん」
しゃがんだまま正太郎は俯いてしまった。
エリカ達に表情を見られる事を拒んでいるようだ。
今エリカは、正太郎の触れてはいけない部分に触れてしまっている。
でなければ。普段軽口ばかりの人が、こうはならないだろう。
今どんな顔をしているのか、それとはなしにエリカは思い描いていた。
きっとその表情は見てはならないもので、エリカが弁えなくてはいけない部分だ。
「だけどな。政府からの依頼は、今までの事例とはわけが違う。危険だから、これからもお前達を参加させない事もあるが分かってくれ」
正太郎は、一つ大きな息を吐き出してから立つと、いつもの飄々とした表情に戻っていた。
「俺がいざという時、守れる範疇にお前達を置いておきたいんだよ」
正太郎の過去をエリカは聞いた事がない。
本人も話したくないという。
エリカは、薫と初めて出会った日の、薫を慰める正太郎の言葉を思い返した。
『グリムハンズやワードのなんて得体の知れないもんがある世界だ。きっと天国だってあるさ』
『長生きして、土産話たらふく持って会いに行けばいいさ』
あの時の言葉は、正太郎自身にも言い聞かせているように思えた。
今までたくさんの大切をなくしてきた人間でなければ、あの台詞は言えない。
燃え盛る憎悪を抱えながら、歯を食いしばって心の内に押し込み、自我を保ち続けてきたのだろう。
許したわけではない。
けれど、このまま関係が終わってしまいたくもない。
今の沙月エリカを与えてくれた大切な人だから。
「分かった。許してないけど、話はしてあげる」
「ありがとな。じゃあお前ら今更ながらに関わるか?」
「言ってる事がさっきまでと違くない!?」
エリカの指摘に正太郎は乾いた笑いを浮かべている。
「いや。今回の事件調べがついてな。そこまで危険な案件じゃないって分かったんだ」
危険じゃない?
あのワード達が?
ベテランの正太郎が言うのなら嘘はないだろうし、事実誤認しているとも考え辛い。
しかしエリカ達が戦った二体の戦闘能力は、今まで相手にしてきたワードの中でも頂点と呼ぶにふさわしかった。
「でもすごく強いワードだったよ」
「戦ったのか?」
「うん。二体も居て、鎧みたいな体で……あと炎を出してさ」
「なるほどね」
正太郎は、含みのある笑みで頷いた。
ワードの正体について、検討を付けている証拠だ。
何を知っているのか、エリカが聞こうとするより速く正太郎が口を開いた。
「それも込みで解決済みだ どうする? ついてくるか?」
解決済みとは言っても、付いてくるかと問うという事は、やはりあのワードをまだ倒してはいないのだろう。
だが、あれは明らかに正太郎の言う危険な仕事である。
正太郎の
とは言え、せっかく誘われたのだから断る理由もなく、
「行く」
「私も」
「僕も」
「よし。じゃあついてこい」
エリカ達は、正太郎と共に行く事となった。
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