六頁:香宮町へ
童話研究会の部室では、エリカ・薫・涼葉の三人がリュックサックに荷物を詰めていた。
エリカは、着古した白い開襟シャツに裾のだぼついたオリーブ色のハーフパンツ姿であり、薫が青いTシャツに黒いカーゴパンツ。涼葉は、ベージュのシャツに、濃紺のデニムパンツと言うスタイルである。
三人とも動きやすく、破れても構わないような服装だった。
日本政府並びにウロボロス討伐作戦に参加するグリムハンズとの最終作戦会議を終えた正太郎は、部室に入るや戦闘準備万端といった三人の姿に苦笑し、対するエリカは、正太郎を見るや唇を尖らせた。
「先生遅い! 遅刻だよ、まったく」
「お前ら何してんだ? 今日は、学校休みなんだけどな」
エリカは、とぼけた顔を返してきた。
「そうなの? 今日は、童話研究会の野外活動の日だと思ってたんだけどな。ね、薫君」
「先生忘れたの? 酷くない悠木先輩?」
「まったくです。先生が来なかったら私達だけで、野外活動に行っていたところです」
言いながら薫はリュックサックを、涼葉はリュックサックとライフルケースの二つを背負った。
三人が用意したリュックサックには、童話の訳本やスナック菓子がこれでもかと詰め込まれている。
「薫君。お菓子買いすぎじゃない?」
エリカの指摘に、薫は胸を張って鼻を鳴らした。
「遠足の定番、おやつは五百円縛りが無きゃ、こんなもんよ」
「動物さんの餌にもなる物ね」
「分かってますね、悠木先輩!」
ワードを倒す準備は、万全。
連れて行かないのなら勝手に付いていく。
教え子達の意思表示を、正太郎は苦々しくも、嬉しくも思い、曖昧な笑みを綻ばせた。
「まったく。もうちっと利口なガキ達だと思ってたんだがな、お前等」
「先生の生徒なんだから。馬鹿に決まってんじゃない。舐めないでよ」
「エリカ、お前それ自信持って言う事じゃねぇぞ?」
「うるさい。早く先生も準備してよ。今日はテレビで見たい映画があるから、ちゃちゃっと片付けたいの」
そして絶対に生きて帰ってくるという意志。
本当は、連れて行きたくはない。
けれど、ここまでしてくれる生徒達の想いを無下には出来なかった。
「始めに言っとくぞ。生きて帰れる保証はない」
相手は、神災級。
不測の事態は、いくらでもあり得る。
どれほど備えようとも、無策に終わる可能性が高い。
「それでも来るか?」
「愚問」
エリカは、すぐさま切り返すと、正太郎に歩み寄り、額を胸にくっつけて預けてきた。
「先生の傍が私の居場所なの。先生が作ってくれたあったかい場所」
心地の良い体温がシャツ越しに伝わってくる。
まるで、あの頃の美月を思い出させて――。
「だから私は、その場所を守りたいの。私の大好きな場所はね。大好きな如月先生が居てくれないと意味ないんだ。先生が居て、涼葉さんと薫君と、皆とにゃん子が居てね」
紡がれる声が、発する音が、夏場に飲む氷水みたいに、胸へと染み渡る。
「普段は、みんなで馬鹿騒ぎしながら、時々怪物を退治するの」
「ああ。そうだな」
「それってすごく大切なの。ここで過ごす時間がね。私にとっては掛け替えがないの」
正太郎にとっても同じだ。
ここで生徒達と過ごした時間が、心をどれほど救ってくれたろう。
どんな宝石でも色褪せて見える、輝くような日々を彼等が与えてくれた。
「だからね。私は、大切なこの場所を守りたい」
「俺も守りたい。俺にとっても、この場所は、宝物だ」
「うん。私もだよ。だから守りたいんだ。先生の事も、みんなの事も」
エリカと初めて出会った日、正太郎はこの少女を自分にそっくりだと思った。
罪に苦しみ、自分を責め、明日を見ずに、死に場所ばかりを求めている。
けれどそれは間違っていた。
もう沙月エリカは、初めて出会った頃のお人形のような弱い人間ではない。
自分の足で立ち、自分で考えて歩める強さを手に入れた。
童話研究会の日々が彼女を強く変えたなら、今度は正太郎が変わる番だ。
「本当に来るんだな?」
エリカは、三人の中で誰より素早く頷いた。
「危ないのは、承知してる。すごく危険な相手なんだよね」
「ああ。世界を滅ぼすような力を持ってる。言うなれば擬神だ」
「でも……だから一人で行くべきじゃない」
エリカは、正太郎の胸板から額を離すと、右手を伸ばし、頬を撫でてくる。
「私達は、先生の対等な仲間でも友達でもないかもしれない。だけど先生が私達を大切にしてくれるから、私達も先生を大切にしたい。お互い大切って、家族と同じぐらい強い絆じゃないかな?」
もう仲間じゃないなんて言わない。
「そうだな」
二度と一人で戦おうなんて思わない。
「エリカ」
強くなった。
「薫」
立派になった。
「涼葉」
逞しくなった。
「行こう。童話研究会のみんなで」
もう、この子達は、単なる教え子ではなかった。
守ってやるなどと、おこがましい感情は、二度と抱かない。
三人の生徒たちは、今や如月正太郎と並び立つ一人前のグリムハンズだ。
「どんな影響が出るか分からないから今回は、少数精鋭だ。他のグリムハンズは、安全地帯で待機してる」
一度討伐されたとはいえ、神災級には未知の部分が多く、グリムハンズの大量投入は、すべきではないと結論付けられた。
生態が分かっていない以上、送り込んだ戦力が何の成果もなく、全滅させられる危険だけは冒せない。
「危険な状況になっても救出は、期待出来ない。もちろん無駄死にも許されない。最悪死ぬにしても、神災級の能力や特徴、弱点を掴み、後続の部隊に伝える。そんな先遣隊だ」
少人数による偵察及び、状況自体では、神災級を討伐しうる戦闘能力とウロボロスとの交戦経験を持つ正太郎が先遣隊として向かうのは、必然だった。
何より正太郎自身が、この役目を買って出た。
刺し違える覚悟。
勝てないなら自己を犠牲にしての情報収集。
そのつもりだった。
けれど、独りよがりの戦いは、もはや許されない。
大切な仲間と共に戦うのだから。
「とは言っても、これは最悪の話。何より重要なのは、確実に奴を仕留める事だ。失敗は許されないし、するつもりもない」
この子達となら出来る。
あの時のような失態は、もう犯さない。
「幸いなのは、奴の正体が最初から判明している事、発生直後でまだ対処可能な力に納まっている事だ。奴を顕現させ、確実に仕留めるぞ」
これは、もはや死地への特攻ではない。
「行くぞ、お前達」
『はい!! 如月先生!!』
己が明日を切り開くための闘争だ。
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