二頁:暴走
エリカは、スマートフォンを見ながら、激情の込もった荒い足取りで、上谷駅へと続く雲上通りを歩いている。
雲上通りは、上谷駅に近い事もあって人通りも多く、帰宅する学生達が大蛇のように列を作って駅に向かっている風景は、平日の恒例行事だった。
エリカは、学生の列をかき分け、ずんずんと足音を鳴らしながら駅へと向かって進んでいく。
学生達は、エリカの身勝手な独歩を鬱陶しく思いながらも、エリカの表情や足並みから触れれば火傷させられると直感し、静観と黙認を決め込んでいた。
「沙月さん」
「エリカちゃん」
早足で追い掛けてきた薫と涼葉に、エリカは、むくれ顔で振り向いた。
「むかつく」
「気持ちは分かるけどさ……」
「薫君。これ見て」
薫に、エリカはスマートフォンの画面を突き付けた。
若い世代に人気のニュースアプリ『デイリー・リサーチ・コミュティー』の記事が映っている。
「これだよ。先生が言ってるワードの事件」
記事の見出しには『怪奇! 死体なき殺人事件! 警視庁の隠ぺい工作!?』と書かれている。
「なんだこれ?」
薫が首を傾げると、エリカは、スマートフォンの画面を薫に向けたままフリックしていく。
「殺人事件って事になってるけど、ネットじゃ遺体が見つからず、血痕だけが現場に残されてたって話題になってるの。それがもう五件目」
「ネットって、眉唾じゃないか?」
「動画サイトに、事件現場をドローンで撮ってみたって動画上がっててさ。ほらこれ」
エリカが見せたのは、世界的に人気の動画サイト『Me Tube』に投稿された動画である。
画質はあまり良くないが、ドローンで事件現場を上空から映した映像のようで、大量の血痕が道路に残されている様子が映っていた。
「警察が現場を封鎖した直後の映像だよ」
「遠目でよく分かんないけど……確かにリアルな気がするな。本物っぽい」
関心を抱いた薫とは対照的に、涼葉は、懐疑的な態度だ。
「フェイクではないの? こういうのは合成で、どうにでも出来ると思うのだけれど」
「実は、この動画について検証してる人が居るんだ。特撮番組のスタッフらしいんだけどさ、結論から言うと合成じゃないって」
「それだけじゃ根拠としては薄くないかしら?」
涼葉の問いに、エリカは、顔色をタコのように真っ赤に染めた。
「涼葉さんも私を疑うの!?」
「待って」
涼葉は、エリカの両肩に手を置くと擦りながら破顔した。
「エリカちゃんの事は信じてるよ。だからエリカちゃんなら他にも確証を得てるんじゃない?」
エリカの内で燃え盛っていた怒りは、水をかけられたように冷めていき、一回深呼吸をしてからスマホの画面を指差した。
「この動画、何度も削除されてるんだよね。それもアップの度に速攻で。こんな事出来るの国家権力だけだと思う」
「日本政府は、グリムハンズとワードの存在を認知してると言いたいの?」
「先生が私を勧誘した時、国が私についての情報を収集してるって言ってた。だから知ってるんだよ。グリムハンズもワードも。そして――」
「ワードの認知を広めないために、国が情報を操作してる、という事ね」
涼葉は、頷きながら薫に視線を移した。
この中でも最もグリムハンズとしての経験が豊富な薫に、エリカの推測が正しいかを尋ねたいのだろう。
その意図を組み、薫は語り出した。
「僕の父さんは、グリムハンズだけど、僕が覚醒した時、父さんは各国政府の上層部は、一連の事を把握しているって話してくれたよ。だから政府が隠ぺいに関与してるっていうのは、あり得ると思う」
「じゃあエリカちゃんの推理は、正しい可能性が高いわね」
「だからさ! 私達でワードをやっつけて先生を見返してやろうよ!」
盛り上がるエリカとは裏腹に、涼葉と薫は、警戒心を露わにしている。
「人間を骨も残さずに食べてしまうワード。確かに危険ね。先生が私達を関わらせたがらないのも分かるわ」
「だから! それが気に入らないから、私達で退治しようって言ってんの!」
「沙月さん、絶対やめといた方がいいって。あとでめちゃくちゃ怒られるぜ。あの人が関わるなって言う事に首突っ込むと、ろくでもない事になるのは、僕が経験者だ」
「だからってこのまま引き下がるの!?」
「勝負じゃないんだからさ。あの人は、十年以上のキャリアがあるベテランだし、忠告は聞いといた方がいいよ」
薫の言う理屈が分からないわけではない。
むしろ、よく理解している。
子供を危険から遠ざけたいと思うのは、大人の道理だ。
正太郎の気持ちは、当然の気遣いである。
けれど――。
「私がムカつくのはさ!」
理屈だけでは、どうしても割り切れなかった。
「あそこを私の居場所だって言ったくせに、追い出した事なの。私だけじゃない。みんなの居場所なのに、先生が全部決めるの不公平じゃん! 大人なら何してもいいって事じゃないでしょ!?」
優しい言葉で虜にしたくせに、今更突き放すのは残酷すぎる。
こんな事なら最初から『居場所』なんて台詞を吐かなければよかった。
受け入れてなんて、くれなければよかった。
「大体! あれが歳喰ったおじいちゃんなら、もう少し説得力あるけど二十六の若造よ! たかだか十歳の差で偉そうにすんなって!」
エリカが抱くのは、恩師から蔑ろにされた悲しみではない。
大切な人から理不尽な仕打ちを受けた憤怒だ。
「絶対見返してやる」
無論わがままである事も分かっている。
二人を巻き込んでまで、する行為ではないという事も。
ワードの戦闘は、文字通りの命懸け。
荒らしの中、高層ビルで綱渡りするような、死と寄り添いながら歩む道だ。
少し熱の引いた頭で、ようやくエリカは、自分の身勝手さを客観視出来るようになっていた。
「無理言ってごめん」
無茶はしないよ。
ワード退治は、諦める。
二人の為を思うなら、そう言えばいい。
けれど正太郎の言うなりになる事だけは、エリカにとって譲れない一線だった。
「だから、涼葉さんも薫君も私の言った事は、気にしないで」
エリカが去ろうとすると、
「エリカちゃん。どうせ引き下がるんじゃなくて、一人でやる気なんでしょ?」
涼葉の指先がやんわりとエリカのシャツの袖口を摘まみ、前進を阻んだ。
「なら、巻き込まれるしかないわね」
涼葉の発言を想定していなかったのか、薫の肩が跳ね上がった。
「え!? 本気ですか?」
「ほっといたら暴走しちゃうわ。かと言って先生に相談しても余計こじれそうだし、私達でエリカちゃんの手綱を取りましょう」
「涼葉さんにとって私は、暴れ馬? なんか傷付く」
「似たような物でしょう? 嫌いじゃないけどね」
「僕は、素直に言った方がいいと思うけど……」
「私もね、先生のあの言い方には、少し腹が立ってるの」
「結局私怨ですか! 悠木先輩まで勘弁してよ……」
「亀城君は、仲間じゃないなんて言い方されて、はいそうですかって納得出来る?」
「まぁ……そうなんですけど」
薫も曖昧な態度ではあるが、この場を去ろうとはしない。
口では弱腰だが、内心は正太郎に思う所があるのか、エリカの傍に居る決意を固めているようだった。
涼葉と薫の気遣いが、ささくれていたエリカの感情を宥めてくれる。
「ありがと。二人とも」
「でもさ、沙月さん。ワードをどうやって探し出すんだ? 方法は考えてある?」
「薫君が夜中に現場で張り込み」
「なんで僕!?」
「犯人は、現場に帰ってくるって言うじゃん」
「夜中だろうと警察が見張ってると思うけど、ていうかなんで僕!?」
「男の子でしょ。体張って」
「いやいや。体格だけなら悠木先輩の方が――」
「亀城君。お姉さんに何か言いたい事でもあるのかな?」
涼葉から気品と柔和さが消え、代わりに切っ先のような殺意が浮かび上がってくる。
薫の身長は、エリカとほぼ同じ一六二センチ。対する涼葉は一七六センチだ。
日本人女性としては、かなりの高身長であり、エリカからすれば憧れなのだが、隣の芝生は、青く見えるもの。
苦労もしているようで、身長の話題に触れると途端に機嫌が悪くなるのだ。
「亀城君?」
「いえ……なんでも」
小鹿のように怯える薫を無視して、エリカの思考は、犯人探しの手段について検討を始めていたが、
「まぁ、そこは問題ないでしょ。涼葉さんと薫君なら」
「そうね。私と亀城君なら問題ない」
「……ああ。確かに、そうっすね」
その手段は、すぐに得られた。
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