2
「あぁ、なるほど。そういうことだったのか」
昼休憩中の人事部にて。
沙耶の隣で昼飯を食べていた
「俺がいない間に、二人のしょうもないじゃれ合―――」
「違う」
「……………」
壮司の言葉を遮り、沙耶は冷ややかに睨み付ける。その瞳は、『冗談でもそれを言うな』と語っていて。
「相変わらず馬が合わねぇんだな、お前ら……」
と、壮司は呆れたように呟いた。
ちなみに、壮司が見たという、奇妙な光景というのは―――。
「上司が部下に正座を強要されるってどういう気分なんだろうな」
正座する営業部課長に、穏やかな口調のまま説教をする、土佐川の姿であった。
「俺、あの課長が本気で反省する日なんて一生来ねぇと思ってた」
「私は、反省って言葉を知らないと思ってた」
「土佐川に正座させられて、説教されてんだから驚いたわ」
「それは誰が見たって驚く」
自分も見てみたかったと、沙耶は呟く。
「……………」
「何よ」
「その引き金をつくったの、沙耶なんだろ?」
「違う。私は、書類を取りに行っただけで、別に何もしてない」
「嘘だな」
「なんでよ!」
自分は無関係だ! と否定する沙耶ではあるが、彼女が引き金であることに間違いはない。
なぜなら、ペナルティの話を出すタイミングが、絶妙すぎたからである。
苛立ちのピークにあんな話をされてしまっては、ブチギレるのは当然のこと。しかも、そのすべての元凶である課長は逃走……。
土佐川の怒りが、熱湯からマグマに変わっても何らおかしくはない。
そしてその結果が、正座プラス長時間説教という形になったのである。
ちなみに、そんな土佐川の暴挙が許されたのは、営業部部長の許可が下りたから。彼もまた、課長に手を焼いている一人である。
「
「……………」
そう言って、壮司は困ったように笑う。
すると、沙耶が何かを思い出したかのように箸の手を止め、ジッと壮司を見つめる。そして―――。
「ねぇ、壮司」
「ん?」
「あんた、なんでいっつもここでご飯食べるの? 自分の部署で食べたら?」
「……………」
このタイミングで、毎度お馴染みの台詞。さすがの壮司も、呆れたように溜め息を吐く。
「普通、あれだけ談笑した後に言うか、それ」
「いつも言ってることじゃない」
「そうだけど」
「そうでしょ」
何が不満なの? と言いたげに、沙耶の眉間にシワが寄る。
「………ほんと沙耶は、いつまで経っても沙耶のままだな」
「何よ、それ」
「そのままの意味」
「………意味わかんない。とにかく、自分の部署に戻りなさいよ」
素っ気なく言い放って、またお弁当に手をつけ始める。そのぶれない態度は、さすがとしか言いようがない。
そして、だいたいの人はその態度で気を悪くするのだろうが、壮司は違う。そうなるどころか、驚くことに小さな笑い声をあげ―――。
「うぎゃっ」
シワの寄った沙耶の眉間を、親指でぐりぐりと押し始めた。しかし、行動の意味はよくわからない。
「ちょっ、と……!」
「……………」
「なん、なの……!」
「……………」
「壮司……!」
必死に呼び掛けるも返答はない。完全スルーである。
ダブルで苛立つ沙耶は、なんとか壮司の指から逃れようとするが……。
「あーもー! この馬鹿力がっ!」
うまくかわすことができない。
「本当にっ! なんなのっ!」
「………なるほど」
「何がっ!」
「抵抗が弱い」
「どこがだっ! さっきからずっと抵抗してんのにっ!」
寝惚けてんのか! と怒る沙耶。しかし壮司は、そんな沙耶をスルーして、一人納得したように頷く。
壮司がさっき口にした『抵抗』というのは、『拒絶』と同義である。
今の沙耶は、怒りはするものの、触ることは許している。これが少し前の沙耶であれば、触られる前にその手をはたき落とし、嫌悪感をそのままに、
『触らないで』
と、言い放っていたはずなのだ。
それが今ではまるで、【かまって貰えて嬉しいくせに、照れくさいからわざと嫌がってみせる子供】のそれである。
だから壮司は、さっきから沙耶をかまっている。決して、からかっているわけではない。
「もう………いい加減にしろっ!」
「いてててて……!」
さすがに我慢の限界を突破したらしい沙耶が、壮司の手の甲を遠慮なくつねる。地味だが、なかなかに高い攻撃力。壮司の親指が、簡単に眉間から外れた。
「ここだけ化粧が薄くなるから、もう二度としないで」
「化粧してなかったらいいのか?」
「あ"?」
「………冗談だって」
予想以上の剣幕に、壮司はあっさり引き下がる。調子に乗りすぎるのは危険だとわかっているのだ。
「………あんたは一体、何がしたかったわけ?」
そう言って、不機嫌そうに表情を歪ませる。すると、その疑問に対し、壮司は嬉しそうに笑いながら、
「何かしたかったわけじゃねぇよ。ただ、だいぶ緩和してきたなーって」
「何が」
「沙耶の警戒心」
「………は?」
何それ、と怪訝そうに首を傾げる。
沙耶には、普段自分が警戒心を剥き出しにしている自覚はない。本能がそうさせているだけなのだ。
「文句は言うけど、昼飯は一緒に食うようになった」
「それはあんたが勝手にここ来て、私の隣で食べてるだけ」
「一言多いけど、一緒に出勤する」
「………家を出る時間がたまたま一緒なだけ」
「廊下で声を掛けても怒らない」
「む、無視する理由がないだけ……っ」
「最近じゃあ、会社帰りも寄り道に付き合っ「うっさいな!! もう黙ってよ!!」
「うぐ……!」
壮司の正しい指摘に我慢の限界を超えた沙耶は、顔を真っ赤にして目の前のネクタイを全力で引っ張る。それこそ、首を締める勢いでだ。
どうやら、壮司にしては珍しく、引き際を間違えてしまったらしい。
「やめ……! 苦し……!!」
「私の方が苦しいわバカァァァ!!」
「ちょっ……! マジで、絞まっ、てる……!」
ここが会社であることも忘れ、意味の違う苦しさで騒ぐ沙耶と壮司。
昼休みということもあり、人事部にいる社員は少ないが、それでもゼロではない。しかし、沙耶と壮司の絡みにすでに慣れているのか、この場にいる全員が素知らぬ顔をしているのだから、慣れとは恐ろしいものである。
「余計なことはもう言わないって誓え!!」
「誓う……! 誓います……!」
もう絶対に言いません! と壮司が苦しみながら言えば、やや乱暴にネクタイが解放される。
今のは本気でやばかった……と、心の中でそう呟き、安堵の息を吐いた壮司は、乱れたネクタイや襟を慣れた手つきで整える。そしてその合間に、沙耶に視線を向け、
「でも、嘘は言ってねぇだろ」
と、一言。
沙耶の表情は、相変わらず不機嫌そうなままだ。しかし―――。
「別にからかってるわけじゃねぇからな。………俺はただ、こういう風に沙耶と一緒にいるのが楽しいんだよ。自然体でいられるって貴重だろ?」
「……………」
壮司が、素直な言葉を口にして笑いかける。決して嫌がらせではないぞ、という意味のこもった軽い言葉だ。
しかし、その言葉を聞いた沙耶は、なぜか急に黙り込んだ。表情を見るに、怒っているわけではないらしい。
何か変なことでも言ったか? と、壮司は困惑の表情で首を傾げる。すると―――。
「……………私も……」
「?」
「私も………ちょっとだけ、楽しいかもって………思った……」
真っ赤な顔で、今にも消えそうなか細い声。しかしその呟きがしっかり耳に届いた壮司は―――。
俺は幻でも見ているのか……と、本気で驚いていた。
壮司からしてみれば、自分の発言を聞いた沙耶の反応は、
『あんた、何言ってんの?』
これが、正解。更に冷めた視線を向けられたら、文句なしだ。
それなのに、まさかあの沙耶が、壮司の話に乗ってくるとは……………明日は台風かもしれない。
ちなみに壮司はといえば、予想外の沙耶の反応に返す言葉が見つからず、視線が泳ぐ。最早、どこを見ればいいのかもわからない。
すると、そんな壮司に視線を向けた沙耶が、面白くなそうに表情を歪める。
「何よ、その顔……」
「……………」
「なんで無言なのよ……」
「……………」
「何か言いなさいよっ」
「……………」
「む、無言で頭を撫でるなっ!!」
返す言葉が見つからず、なぜかそこで沙耶の頭を撫でた壮司は、当然のようにその手を
しかし、壮司はそこで更に言葉を失う疑問に襲われる。
(なんか、いつもより叩かれ方が優しかったような……………俺の気のせいか?)
赤くもなっていない手に視線をおとし、そんなことを思う。しかし、これ以上の指摘は沙耶に本気でキレられそうだと、その理由を聞くことはできない壮司なのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます