4
「姉ちゃん、生きてっかな」
土曜、昼過ぎ。
風邪をひいたという沙耶のお見舞いにやって来た弟、
そして、幼馴染みである壮司に、沙耶の看病に行ってほしいと、一番最初に頼んだ人物だ。
本来であれば、日曜の朝に旅行から戻る予定だったのだが。一緒にいた友人の一人が体調を崩したために緊急帰宅。暇な時間ができたため、風邪をひいている沙耶の元へ、旅行土産を持ってお見舞いに来たのである。
(壮ちゃんに頼んだから大丈夫だと思うけど……。姉ちゃん、復活したかな? まだ具合悪そうだったら、オレが看病しないと……)
沙耶の弟とは思えない優しい大和は、沙耶宅のインターホンを鳴らす。
「………あれ?」
インターホンを鳴らして数秒、応答がない。
「まだ寝てんのかな?」
そう思うものの、時刻はすでに昼過ぎだ。具合が悪かろうと、起きていてもおかしくない時間帯のはずだが……。
(うーん……。ベッドから起き上がれないほど、具合が悪いとか?)
もしそうだったら、しつこく鳴らすのはよくないかもしれない。とりあえず、もう一度鳴らしてみて応答がなければ帰ろうと決めて、再度インターホンを鳴らしてみる。
「………うん。出ないな」
やはり応答はない。
帰るしかないか、と呟く大和だが、せっかくここまで来たのだ。暇だったとはいえ。
最終手段として、今度はドア越しに声をかけてみる。
「おーい! 姉ちゃーん! 弟だよー。大和だよー」
なんか恥ずかしいな……なんて思いながらも、そう声をかけてみれば……。数秒もしないうちに、部屋の中からバタバタッ! と、激しめの足音が聞こえてくる。
(テレビインターホンで誰が来たのかも確認しないで、居留守つかってたな。まったく……)
仕方のない姉だと、小さな溜め息を吐いた―――瞬間。
なぜか、勢いよく開け放たれた玄関ドア。出てきたのは、額に冷えピタを張り付けた、パジャマ姿の沙耶だ。
体調がだいぶ良くなったのか。その顔色は元気な時とあまり変わらないように見える。
「居留守つかうなよなー。元気そうに見えるけど、熱下がったの?」
「まぁ、とりあえずは……」
「そっか。よかったじゃん」
大和がニカッと歯を見せて笑えば、それに釣られたかのように笑顔になる沙耶。珍しく、デレが表に出ている姉に、大和は内心驚いた。
(『余計なお世話よっ!』とか言われると思ったのに……。姉ちゃんが、素直だ……)
病み上がりのせいか……なんて失礼なことを思いながらも、顔や態度には出さない。さすが、沙耶の弟である。
「あ、そうだ」
「?」
「はい、これ。旅行土産」
「……………ありがと」
「……………」
(姉ちゃんが………お礼を……!?)
お見舞いついでに持ってきた旅行土産を渡せば、素直に返ってきたお礼。大和は絶句する。
姉が、自分の知っている姉ではない―――と。
仕事のしすぎで、どこか狂っているのではないだろうか。それか、元気そうに見えて、まだ熱があるのかもしれない。
もしや、目の前にいる人物はすでに姉ではない? などなど、弟といえど、度を越えた失礼さである。
(こんな素直にありがとうなんて言われたの、何年ぶりだろ……。今日、世界は滅亡するのか?)
実の弟にそんな風に思われてしまうくらいには、沙耶の素っ気なさには差別がない。つまり、皆、平等なのである。
(もしくは、よほどいいことがあったんだろうなー)
混乱しすぎた結果。ようやく正常な考えに至った大和は、微妙に素直な沙耶を前にそんなことを思う。
教えてもらえるのなら教えてほしいが、きっと聞いたところで、
『………別に』
の一言で片付けられてしまうことくらいは予想できる。つまりは、聞き出す手はない、ということである。何事も諦めが肝心だ。
「そうだ、姉ちゃん」
「何?」
「壮ちゃんの家、隣だったよな?」
「そうだけど……。なんかあるの?」
「うん。壮ちゃんにも旅行土産持ってきたんだ。今、いるかな?」
「……………」
「姉ちゃん?」
なぜか気まずそうに視線を反らす沙耶。そんな姉の態度を不審に思い、大和は訝しげに首を傾げる。
「どうしたの、姉ちゃん。もしかして何かあった?」
「いや。別に。何も」
「………本当に?」
「……………」
「やっぱり何かあったん―――」
「おい、沙耶。玄関で立ち話すんな。また熱出るぞ」
「「 …………… 」」
部屋の中から聞こえたのは、紛れもない壮司の声。
大和が反射的に部屋の中を覗き見れば、そこには濡れている頭をタオルで拭いている壮司の姿があった。そしてそれはどこからどうみても、お風呂上がりのようで……。
「………姉ちゃん」
「いや。待って。これには深いワケが―――」
「大丈夫」
「え?」
「深くは聞かないよ」
「へ?」
「大人の事情ってやつ、だろ?」
「……………はぁ!?」
何言ってんだ!! と言いたげな沙耶を無視し、大和は満面の笑みで優しく肩を叩く。
密かに、いつかはこうなってほしいと思っていた大和にとって、この展開は嬉しい誤算だった。材料さえあれば、赤飯を炊いてあげたいくらいには。
しかし―――。
「あんた、絶対に何か勘違いしてるでしょ!!」
そう叫びながら、大和の両肩を掴み、病み上がりとは思えない力で揺さぶる沙耶。一応、沙耶なりの否定らしいが、残念ながら大和には一切届いていない。
「そんなに必死にならなくても、経緯なんて聞かないからさ。安心してよ」
「違う!」
「まぁ、どうしても言いたいっていうなら聞いてもいいけど?」
「大和!」
「でもさ、わざわざ教えてくれなくてもなんとなくわかるよ。あれだろ?」
「だーかーらー!」
「看病してくれた流れでうっかり………みたいな。大丈夫だよ。誰も姉ちゃんのこと、チョロいなんて思わないから」
「……………」
「おめでとう、姉ちゃ―――」
「違うっつってんでしょ!!!」
バッチーン!! と派手な音を響かせる高威力の振りかぶりビンタ。
最早、クリティカルヒットの域にあるそのビンタを食らった大和は、赤くなった頬を押さえながらその場にうずくまる。
「痛い……。姉ちゃん、ひど……」
「人の話をちゃんと聞かないからこうなんのよ!」
「にしたって、振りかぶりビンタはない……」
「何? 文句あるの?」
「いや、だって……」
「文句、あるの?」
「………ないです。ごめんなさい」
いつも以上に冷めた視線を向けてくる沙耶に恐れおののき、素直に謝る大和。すると、沙耶は問答無用とばかりに、大和の首根っこを掴んで部屋の中へと引きずり込む。
(世界が滅亡するんじゃなくて、オレが滅ぶ日だったか……)
ふっ、と諦めたように鼻で小さく笑いながら、大和は大人しく引きずられていくのであった―――。
そして、その後。
沙耶の口から説明された経緯に、大和は深い深い溜め息を吐いていた。
壮司が風呂に入っていた理由。それは、大和が勝手に想像した大人の事情とはまったく関係なかったが……。沙耶のせいであることには、間違いなかったからである。
「ひっでーな、姉ちゃん。壮ちゃんの頭にお粥ぶっかけるとか鬼かよ」
「う、うっさいわね……」
大和が呆れで半眼になりながらジーッと見つめれば、沙耶はバツが悪そうに視線をそらす。
沙耶の話によると、昼に食べたお粥の残りを片付けようとした時。足がもつれて転び、手に持っていたお粥の入った鍋がぶっ飛んでしまったそう。そして、たまたま鍋の飛んだ先にいた壮司の頭に、残っていたお粥が全部かかってしまったらしいのだ。
壮司は、自分の家に帰ると言ったが、その状態のまま歩き回られると沙耶の部屋が更に汚れてしまう。そのため、仕方なく自分の家の風呂を提供したということだった。
想像よりも遥かにしょうもない内容だったのか。それとも単に情けないのか。大和は溜め息ばかりだ。
「姉ちゃんがごめんな、壮ちゃん。それと、看病までしてくれてありがとう」
「いいって。大したことしてねぇから」
そう言って笑う心の広い壮司に、大和は思う。
早くこんなお義兄ちゃんが欲しい―――と。
しかし、今はそんなことを思っている場合ではない。大和には、早急にすること、いや、させることがある。それは―――。
「姉ちゃん」
「何よ……」
「ちゃんとお礼言えよ」
沙耶に、お礼を言わせることであった。
常日頃からツンツンしている沙耶のことだ、絶対に言っていないだろうと大和は決めつけていた。
「なんで私がお礼言ってないって決めつけんのよ」
「何。もしかして、言えたの?」
「いや、それは……」
「言えてないんだろ」
「……………」
「どうしたの、姉ちゃん」
「う、うっさいな……」
「?」
鬱陶しそうに、ふいっと反らした沙耶の顔が、若干赤いことに大和は気付く。
(え。何。もしかして、本当は何かあった?)
いつもとは違う姉の態度から、もしかして……と思い、壮司へ視線を向けるが……。こちらは平然とした顔で、大和の持ってきたお土産のお菓子を食べている。
(気のせい? ………いや、絶対何かあった。じゃないと、姉ちゃんがあんな変な顔するわけない)
一体何があったのかと気にはなるが、強引に探りすぎるのは危険だ。
なぜなら、さっきみたいな振りかぶりビンタが飛んでくる可能性もあるからだ。
どうしたものかと考えながらも、大和の出した答えは―――。
「ありがとう、って素直に言わないとダメだからな」
「うーるーさーいー!」
気付かなかったフリをして、もう少し様子見すること。
とても空気の読める弟であった。
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