三毛猫と犬猿の仲


「………またか、あの糞チワワ野郎……!!」

「「「「「 …………… 」」」」」



 人事部課長、柴崎しばさきみやびから放たれる暗黒オーラに気づかないふりをしつつ、人事部一同は無心で仕事を片付けていく。


 時期ときは、四月下旬。

 四月初旬の繁忙期がようやく落ち着いてきた今日この頃。

 またしても営業部課長の未提出書類が見つかってしまったのである。



「あの野郎、マジで一回糞まみれにならねぇかな……」

「「「「「 …………… 」」」」」



 据わっている目で低く笑う柴崎。

 無心で仕事を片付けている人事部一同ではあるが、その背中は冷や汗でびしょびしょだ。実池みいけ沙耶さやもまた、風邪をぶり返しそうで怖い。



「回収しに行くか」

「「「「「 …………… 」」」」」

「実池」

「………はい」

「行ってこい」

「え”」

「あ”?」

「……………」



 まさか自分が名指しされるとは思っていなかった沙耶。思わず、不満の声が漏れる。しかし次の瞬間には、柴崎からは射殺いころされそうなほどの強烈な睨みが……。



「………いってきます」

「頼んだぞ」

「はい……」



 沙耶に拒否する勇気はなかった。



(糞まみれにしたいくらい腹が立つなら、自分で回収しに行けばいいのに……)



「今の俺が取りに行ったら、何とってくるかわからねぇぞ」

「……………」

「俺は心なんて読めねぇからな。言いたいことが顔に出てんだよ」

「すみません……」

「早く行ってこい」

「はい……」



 これ以上モタつくと、自分に雷が落ちる。そんな理不尽を嫌った沙耶は、足早に人事部を後にするが―――。



「………あ。最悪なこと、忘れてた……」



 そう呟き、足を止めた沙耶が思い出したのは、四月から戻ってきたという同期天敵のこと……。



(どっか行っててくれると、すっごい助かるなぁ。………無理だろうけど)



 その顔を思い浮かべるだけで、口から出るのは溜め息ばかり。

 更に、自然とその足取りも重くなる沙耶なのであった。




 △_▲




「……………」

「……………」



 営業部オフィスにて。

 完璧な作り笑いを浮かべる沙耶と、一人の男。笑いあっているのに、二人の間にある空気感は凍えそうなほどに冷たい。



「………久しぶり。いつこっちに戻ってきたの?」

「四月の一日いっぴからですよ」

「へぇ。挨拶の一つもなかったから知らなかったわ。営業部課長の尻拭い係さん」

「君には必要ないと思ったんです。人事部課長の手下さん」

「……………」

「……………」



 ヒュオォォォ……と凍える空気。

 笑顔の沙耶と向き合う、同じく笑顔の男は、四月に他社の出向から戻ってきた人物。

 営業部課長補佐であり、沙耶と壮司の同期―――土佐川とさかわゆう

 二人が会うのは実に数年ぶりなのだが、顔を合わせた瞬間にこの状態。仲が悪いにも程がある。



「………まぁ、そんな話はどうでもよくて。書類、貰える?」

「今書いているところなので、まだ無理です」

「書類渡してから今日の期限まで二週間。準備できてないのはおかしいんじゃない? 課長補佐さん」

「………確かに、それだけの期間があって準備ができていないのはおかしいですね。でも、そちらも悪いんですよ?」

「どうして?」

「僕に直接書類を渡さないから。課長が隠し持っているものまで、いちいち把握できませんよ」

「課長補佐なのに?」

「だとしてもです。あんな汚い机、さすがの僕でも触りたくはありません」

「それに関しては激しく同意だわ……」



 悪びれた様子もなく、涼しげな笑顔でさらっと毒を吐く土佐川。最後の部分に関してだけは、沙耶も同意する。

 沙耶が知る限り、営業部課長の机は常に汚く、綺麗だったことはない。



(私が土佐川君の立場だったら、絶対に近寄らない。近寄りたくもない)



 課長あいつはおかしいと、一変して頷き合う沙耶と土佐川。

 そこから少し離れたところでは、慌てた様子の社員数名と、いつも通りマイペースな営業部課長の姿があった。



「課長! 早く提出する書類終わらせてくださいよ!」

「あの二人が言い合いをやめてる今の内に早く!」

「この一時いっときの平和を無駄にしないで!」

「そう言われてもねー。そんなすぐには書き終わらないよー。もう一時間くらい待って」

「「「 遅い!! もっと早く!!! 」」」



 営業部課長は、やはり曲者である。天敵である土佐川がいようとも、マイペースさは変わらない。

 そんな営業部課長への文句で、若干緩和していた沙耶と土佐川だが……。その雰囲気も、気が付けばまた逆戻りだ。



「とにかく今後は提出期限守ってくれる?」

「絶対にとは言えませんけど、善処はします」

「そこは絶対って言ってほしいんだけど……。他の部署の課長は、期限越したことないわよ」

「他の部署の課長と、うちの課長を同等にしないでください。うちの課長には基本期限なんて存在しません」

「じゃあ、土佐川君が頑張ってよ」

「他にも仕事が山積みなので」

「あなた、課長補佐でしょ」

「……………」

「できない、なんて言わないよね?」



 と、沙耶は意地の悪い笑顔を浮かべる。

 土佐川は口にこそ出さないものの、苛立ちはピークなのか、笑顔に威圧感が増す。

 しかし、沙耶に対してそんな威圧は、何も意味をなさなかった。



「ちなみに、提出期限を守らなかった部署には、ペナルティあるから気を付けて」

「………は?」



 土佐川は笑顔を浮かべたまま固まる。そして、



「そんな話……、初耳ですけど」



 と、呟いた。そんな土佐川に、沙耶は一枚の紙を差し出す。



「土佐川君が出向した後、営業部の書類提出があまりにも悪くなったから、ペナルティを設けることになったの。五つバツがついたら経費削減。総務部も許可済みよ」

「……………」

「ちなみに今、営業部のバツは四つ。今回の分がついたら五つになって、経費削げ―――」

「か ち ょ う ?」



 沙耶の言葉を遮り、満面のまま、ギギギ……とまるで油の足りていない人形のように振り返る土佐川。彼のそんな恐ろしい姿に気が付いた課長は、



「わーんっ!! 許して土佐川くーん!!!」



 と、ふざけた叫び声を上げ、逃走。

 その瞬間。

 土佐川から、完全に笑顔が消える。

 そして、その一部始終を見ていた、沙耶はというと。



「それじゃあ、三十分以内に人事部に書類届けに来てねー」



 そう言いながら、ひらひらと手を振り、営業部を後にした。

 沙耶が背中を向けた先には、悔しげな表情を浮かべた土佐川がいるのであった。



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