第13話 抜けた少女に一振りの刀

 夕方になって再び学園へ赴いた俺は、闘技場方面での騒がしさを感じながら、校舎の中へ入った。全体の勝敗がどうなったのか、その確認は必要だろうが後回し。事前に連絡を入れているので、とっとと学生会室へ行こう。

 ――そう、思っていたのだが。

 通路の壁に背中を預け、腕を組んだ女が、目を伏せたままそこにいた。170に近いくらいの背丈に、肩まである髪、うっすら開かれた目は切れ長と表現すべきか――。

 彼女は言う。

「久しぶりね」

「お前なんか知らん」

 即答したら、ぴたりと停止したこの女は、うっすらと額に汗を浮かべて視線をあちこちへ動かして。

「……久しぶりね?」

「誰だお前は」

 同じ言葉が返ったので、俺もまた同じく応じたのならば、彼女は。

「ちょ、ちょう待ってお願いや、あんな? 段取りいうんが、世の中にはあんねん」

「変な言葉遣いをする女に知り合いはいねえ」

「あ――、こほん。ええと……なんだっけ」

 なんだこの女は、などとは思わない。面識そのものはないが、さすがにを見誤るような俺ではないし、気付いていて黙っているのが俺のスタンスだ。もちろん、全てを見抜けるわけではないが、こいつはわかりやすい。

 ゆえに、本来ならばここで関わり合いになりたいとも、思わない――が、それは、あくまでも俺の理由でしかなかったわけだ。

凍水とうすい鋭牙えいが――あなたに挑みたい」

「あ、そう。じゃあ今日からお前がその称号を使えよ。やるから。無料が怖いってんなら三百でいい、飲み物とおにぎりの代金くらいにはなる」

 俺は異族狩りではない。同族が欲しいなら勝手に持っていけばいい……んだが、まあ、同業者だからこそ受け取れないこともわかっている。

 つまり、付き合ってられないと足を進めれば、女は慌てた。

「ちょう待ってや! そうやない、そないなこと話したいんとちゃうわ!」

「……なんだ? 良い女を揃えてる店の紹介か?」

「うちのこと覚えておらへんの?」

「知らん」

「う、ううう……」

 泣きそうになったので、ため息を落とした俺は逆側の壁に背中を預けた。人避けの結界があるわけでもなし、通行人が来る前に終わらせたいものだ。

「――悪いが、異族狩りとして動いていた頃の記憶は、ほとんどない。特に、殺した相手以外はな」

「そ――、そうなん?」

「ガキの頃だ、そんな余裕もない。逆に言えば、それだけの技術を叩きこまれたわけだが、そいつは間近で見ていたどっかの誰かが知っているだけの話だ。――で? 仕事の話か、それ以外か」

「手合わせしたいねん」

「殺しじゃねえのか、異族狩り」

「あんなん、あほらしくてやっとれんわ。身に染みてるんは、どうもならへんけど、死ぬのも殺すのも嫌や」

「へえ、珍しいな」

「まあな」

 嬉しそうに胸を張るな。いやだが、実際にはかなり珍しい部類だ。異族狩りとして徹底されるルールを、逸脱する存在は基本的に捨てられる。錬度にもよるが、こうして対峙した感じ、この女のレベルだと処分――つまり殺害に該当するくらい、異族狩りと呼べる存在になってしまっている。

「お前、異族狩りに対してはどうしてんだ」

「まだ泳がされてるんとちゃうか? あんさんが近くにおるから、うちなんか後回しやろ」

「クロウは俺を殺したいと言ったが?」

「――あん人、同族やったんか……」

「横の繋がりはないのも、変わらずか。そのくせ、俺に対しては情報がオープンだ、クソッタレ。話の続きがしたいなら学生会室だ」

「あ、ごめん、用事やったんか。邪魔やないんならうちも行く」

 さようで。

「なあ、これで最後や、ほんまにうちのこと覚えとらん?」

「悪いが、まったく覚えがない。だいたいガキの頃なんて、殺害対象以外を覚える理由さえ持ってなかった」

「……さよかあ」

 ちらりと見れば、でけえ女がとぼとぼついて来る。言いたくはないが、俺より背が高いってのが気に入らない。

 ただ、上手く隠しているとは思う。クロウのよう、ぱっと見てわかるような癖もなく、半歩踏み込めばおそらく実力も読めるだろうが、普通の女としてここにいる。可愛いかどうかはともかく、女の子と呼ぶべきかどうかも、ともかく。

「うだうだするな」

「あいたっ! お尻を叩かんといて!」

 あーこいつ、糸使いか。面倒な手合いだな……。

 学生会室をノック、声と同時くらいに中に入った。

「こんな時にまで仕事とは恐れ入る」

「開口一番でそう言うなら、もっとねぎらって――あら」

 メニミィはこちらを見て、作業の手を止めて眼鏡を外すと、かまぼこみたいな目をした。

「――また新しい女ですの? これだけ周囲に女がいて?」

「比較的、新しいのはお前の方だし、俺の周りに女ばかりなのは事実だが、どれもこれも俺が望んで得たものじゃない」

「あら、ギルクさん?」

「や、メニミィ、久しぶりね。最近じゃ教室でも顔を見ないから」

「ギルク? お前あのサディストの庇護下か?」

「それに関しては否定できないけど、イーギーは母親のようなものよ」

 この学園の医務室を根城にしている医者だ。それ以前は冒険者だったので、訓練での怪我多い学園では、良い人材だろうし、腕も良い。

「メニミィは事情を知ってるの?」

「いや知らん」

「は?」

「ところでメニ、俺は元異族狩りみたいなもんなんだが、どうだ」

「どう? あなた、そういう手法で女の態度を推し量りますの?」

「俺がクロウを殺していたとしても?」

「理由なく殺害するような人ではないと、わたくしは知ってますわよ。信頼度を確認したいなら、いつも見ている携帯端末でゲージの量でも見たらいかがです?」

「聞いたか?」

「同じクラスだけど、メニミィってこんなやつだっけ……?」

「エルス、付き合ってる報告なら違う場所ですわよ」

「じゃあお前と付き合う時はでけえ鏡が必要そうだな。本題とは別だ、ちょっと場所を寄越せ――おら」

「だから尻を叩かんといて! でっかいんは自覚しとんのや!」

「その方が男受けするだろ。――で、ええと、名前はなんだっけ?」

「ククルクや。ギルク・ククルク」

「そんな言葉遣いをするんですのね」

「――あ」

「今更だろ、気を楽にしろ」

 とりあえずソファに座らせて、俺はメニミィの側に回って正面から。

「望みはなんだ、ククルク」

「やから、うちはあんたと戦いたい」

「理由は」

「憧れや。凍水の鋭牙がどんなもんか、知りたいと思うんは、おかしくないやろ」

「わかって言ってんのか? お前らは真面目にやりゃやるほど、殺しになるだろ」

「そこは加減してくれるんとちゃうんか?」

「俺任せかよ……まあ、遊ぶ程度なら、機会があるならやってもいいが」

「――ほんま!?」

「俺もちょうど、得物を返してもらいに行くところだ。腕戻しくらいの相手にはなるんだろうな?」

「いよっし! 前言撤回はなしやな?」

「ああ、機会がありゃな」

「……」

「なんだメニ、言いたいことがあるなら言え」

「ギルクさん、喜んでいるところ申し訳ないんですけれど」

「な、なんや」

「この男、一戦でも舞台に上がったら次はありませんわよ?」

「……え?」

「おそらく、このまま順当に上がって明日、わたくしとの立ち合いをした時点で、終わりですわ」

「え?」

「最初からそのつもりで参加してるが?」

「ついでに言うと、どれほど勝ち上がったところで、エルスとは当たらないようになってますわ」

「――え、え?」

「三グループでそれぞれトーナメントが組まれる以上、そういう陥穽かんせいが存在するのは確かに、現実だろうな」

「んが……」

 頭を抱え、額をそのまま膝に当てたククルクは、すぐに顔を覆って横になって転がった。耳まで赤くなってる。

「は――恥しい! あんだけ意気込んどいて、そんなんあらへんやろ……!」

 抜けてんなあ、この女。

「まあ、女なんてちょっと抜けてるくらいが可愛いか」

「あら、好みのタイプですの?」

「お前の次にな」

「またあなたはそういう軽口を」

「慣れただろ?」

「ええ否応なく。それよりも、本題はなんですの? 彼女の紹介じゃないなら、好みのタイプをわたくしに教えたいの?」

「お前の嫌味がほどほどに上手くなってきたのは評価してやるが、ちょっと学園長に用事があってな。クソチビとは違う用件だ、お前を連れて行こうと思ってな」

「ああ、対外的にわたくしがいた方が、上手くいきますわね」

「飲み込みが早いところも悪くねえよ。――おい、いつまで転がってんだ間抜け」

「……なんやの、もう」

「どうして俺に気付いた?」

「ん、ああ」

 躰を起こし、頬をぐりぐりと撫でるようにして表情を戻したククルクは、吐息を一つ。

「ちょう前に、なんやちびっこいのと連れ立って歩いとったやろ。そん時や。探り入れとった時が、クロウさんの件と重なってんから、その痕跡を拾うたんや」

「あら、エルスの寮をノックしませんでしたの?」

「あかんあかん。うちの行動範囲に、そっちは含まれてへんのや」

「レゾはあれで、異族狩りの中継役としては、ベテランだからな。下手に干渉すると、殺処分もありうるから、手出しは難しいんだよ」

「そうですのね。他言はしませんけれどそれ、本来はわたくしに説明すべき事柄じゃありませんわよね?」

「普通はな」

「まったく……隠し事は上手く隠してこそですわよ」

「知ってるやつが一人いると、だいぶ楽になるのも事実だ」

「では、わたくしからも一つ」

「お前の下着の趣味なら知ってる」

「あらそう。上下一式、今度買ってくださいな」

 こいつ、本当になんか動じなくなってんな……。

「今回の寮対抗戦では、成績によってはある副賞がありますの、ご存知?」

「お前をくれるってんなら、それなりにやる気にもなるが――ククルクは知ってるか」

「いんや」

「学園の粗品なんぞ、ボールペンとタオルくらいがせいぜいだろうに」

「未開拓の島を一つ、手に入れたそうですわ。その調査を、学園生に任せてみる――そういう話ですわね」

「へえ……キクが戻ってたのは、そういうことか。火流都市の傍に、その島はあるんだろうな」

「では、そういう話もついでに聞きましょうか」

 立ち上がったメニミィと共に、学生会室を出た。

 島とは言うが、もちろんのこと、浮遊島のことである。現時点でも、新たに出現することがあるが、土地としては非常に小さい。貴族などと呼ばれる金持ちが買おうとしないのは、別荘としてはあまりにも不便で、価値がほとんどないからだ。

 ある種の冒険者や、研究施設などが主に購入を検討する土地である。

 ――演習としては、面白いかもしれないが。

 学園長室はすぐ近く、ノックをして中に入れば、内装に変化はなく。

「失礼しますわ、学園長」

「あらあら……これはまた、珍しい来訪者を連れてきたのね、メニミィ」

 ああクソッタレ、嬉しそうに笑ってんじゃねえよ。ククルクを連れて来たのは間違いだったか。

 金色の髪はやや短く、認めたくはないが俺好みの丸顔。この学園の長であるフェノミナは、頬に手を当てて。

「エルヴィス」

 そう、俺の名を口にする。

「嫌そうな顔をするのねえ……もしかして、ククルクが隣にいるから?」

「え、なんでうちが」

「だってエルヴィスよりも背が高いもの」

「はあ……そうですか。背が高いの、うち気にしてるんで、あんま指摘しないで貰えると助かります」

「ですって、エルヴィス」

「こいつの膝から下を切ったら、丁度良いかもな。まあいい、本題だ」

「いいえ、もうちょっと引き延ばしたいから副題からにしてちょうだい」

「面白い買い物をしたそうだな?」

「――メニミィ」

「はい、なんでしょう学園長」

「あなた話したわね?」

「はて、何をです?」

「私が買った浮遊島を、寮対抗戦の成績に応じて、調査させること」

「何のことかよくわかりませんが、きっとエルスは今、学園長の口から説明されたことで知ったのでしょう」

「エルヴィス」

「なんだ? 女に対する教育をしたと思ってるのなら、大間違いだし、そもそも俺の女じゃない。俺を巻き込みたいならもっと別の手段を考えたらどうなんだ?」

「あら、断るの?」

「相手次第だ」

「そう。たとえば、年間欠席率の高いククルクとか?」

「へ……な、なんの話しとんの」

「わかりました、そこらは追って通達するわ。じゃあ次は質問だけれど、どうしてここにククルクがいるの?」

「話の流れだ、お前が異族狩りに関与するな」

「お前って、言い方。――母親に向かってどうなのそれは」

「――母親!?」

 こっちを見るなメニ。あとククルクも何だその、こいつにまともな母親なんていたのか、みたいな顔は。母親がいないなら俺はどっから産まれてきた。

「こいつは、俺と手合わせをしたいらしい。クソ面倒だから断り文句を十数個くらい頭に浮かべながら話をしていれば、産まれたてのアヒルみたいに、ちょろちょろと俺の尻を追ってくる。可愛いもんだろ」

「なあメニミィ、減らず口言うんか、これ」

「ええまさにその通りですわ」

「まったくもう、なんでそうなっちゃったの、可愛くない」

「年齢を重ねるごとに、可愛いと言われることもなくなるのは女だけじゃない」

「あら、いつまでも変わらないねって、トウスイさんは言ってくれるわよ?」

「ああ、酒場の姉ちゃんによく言ってたな」

「……ちょっとお父さん、ここに連れてきて。ちょう怒るから」

「野郎がどこにいるか、なんて知らねえよ……」

 俺の父親は、トウスイ。つまり先代の凍水の鋭牙だ。純血だなんて、笑える話だが――血筋で受け継ぐものじゃない。

「いいから、本題だ。俺の得物を寄越せ」

「あら、珍しい。四年前に預かってそのままなのに」

「理由はどうでもいい、返すのか返さないのかどっちだ」

「もう、この子は……はいはい、そこの壁に飾ってあるの、持ってきなさい」

「手入れは――してないんだろうな?」

「ちゃんとしてません。母親を信用しなさい」

「信用はしてない。信頼は、少ししてる」

「んふふふ……」

 この母親、チョロくないか? 落とすだけ落としておいて、ちょっと持ち上げてこれだ。というか、愛情ってやつを向けられると、俺は困るんだけどな……。

 壁に飾ってある得物は、一振りの刀。鯉口の付近はやや塗料が剥げているが、鞘の中央から先端にかけては、青色の装飾が施されている。

 手にして、思うは、――重さだ。

 抜けないよう鍔と鞘を縛っていた金色の紐をほどき、十センチほど引き抜いてから、劣化具合を確認する。

 手入れの道具は、どこから調達すべきか。

「――そうだ、もう一つ。ククルク、お前でもいいんだが」

「なんや」

「鍛冶屋に知り合いがいるなら教えろ」

「あら珍しい」

「うるせえ。どうなんだ?」

「うちが知っとるんは、修理屋だけや」

「そうか、最初から期待はしてなかったが――お前はどうなんだ?」

「条件があります」

「話はここまでだ」

「待って待って! わかったわよ、もう……トウスイさんが懇意にしてた人がいるから、後で紹介してあげる。頑固者だけどね」

「……そうか」

 やれやれ、母親ってのは勘が鋭いな。俺が手配したものはともかく、それが俺のためじゃないと気付きやがって。

 だから――やりにくいんだ、肉親ってのは。

「うちにいるクソチビが、面会を求めてる」

「ああ……ヴェネッサね」

 見せたのは退屈そうな顔。用件はわかっていて、話してもいいが、ただそれだけだという感情。

 のか、それとものかはわからないが。

「悪いけれどメニミィ、今度連れてきてちょうだい」

「ええ、わかりましたわ」

「それと、ククルク?」

「はい?」

「エルヴィスと関わりたいなら、ちゃんとレゾナルを通しておきなさい。道から外れたあなたなら、そう面倒なことにもならないでしょうし――心の内に何を抱いていようとも、エルヴィスはきっと、否定しないわよ」

「――、……わかりました」

「じゃあ、寮対抗戦はまだ続くんだから、楽しみなさい。確か、明日は順当に行くと、メニミィと当たるのね?」

「そうですわねー……」

「観客を楽しませてくれれば、私はそれで満足よ」

 楽しませる? ――どうだかな。

 扱えるかどうかは、別にして。

 今もこうして片手で持てば、どうしたって苦笑が出る。

 ――馴染み過ぎていて。

 四年も前に置いたなんてことを、忘れそうになるくらいだ。

「さて、明日にでも使えるよう手入れに戻るが、どうするククルク、挨拶に来るか?」

「……、……わかった、行く」

「安心しろ、俺が襲うことはねえよ」

「そんな心配はしとらへん」

「お前に言ったんじゃなく、いつもみたいに、かまぼこみたいな目をしてるメニに言ったんだ」

 こいつは一体、俺を何だと思っていて、俺の何だと思ってるんだ?

 ああいや、しかし。

 ククルクに対しての警戒は、甘くなっているかもしれないな。



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