第7話 闘技場で秘密の戦闘訓練
夕食後、少し休憩してからぞろぞろと寮を出たけれど、エルス先輩は少し空を見上げていた。メニから聞いたけれど、今日は大工で塗り仕事をしていたらしいので、雨の気配が気になるだろうことがわかる。
「こっから、会話は自重しろ。……、おいヴェネ、お前メソ子とモー子、どっちが好みだ?」
「妙に懐いているリリ以外ならいいぞ」
「じゃ、メソ子担当な」
「なんでだよう……抱き心地良いんだから、いいじゃんかよう」
「リリ、プリフェ、お前は俺の傍から離れるな。――行くぞキョウ、ついて来い」
「うん」
「わかったわ」
先輩は二人分となると、負担も大きいはずだ。
隠密行動なんて、人数が少なければ少ないほど、成功率は高く、一人増えるだけで半分以下になるのが常だ。私はヴェネ先輩がどれほどの実力者かは知らないけれど、少なくとも私には誰かを負担に貸せないと判断したんだろう。
――あれ?
「あの……エルス先輩」
「どうした?」
「武装は?」
「してるよ。珍しいだろうが、これがなきゃ訓練にならない」
ちらりと私を振り返り、口元に浮かべられた笑みで、ぞくりと背筋に悪寒が走る。
私が気付いたことに、気付かれた。
私の装備は腰の裏に短剣を一本、
そして、エルス先輩とヴェネ先輩の二人が、――怖い。
はっきりと、私は二人の背中を見ながら、この二人をどうしようもなく怖いと思う。今から訓練をするなんて、嫌だと逃げ出したいような気分ですらあった。
だって――変わらない。
何も変わらない。
これが朝で登校するんだと、そんな様子の時と、変化がないのだ。それが何よりも恐ろしい。
装備とは、重量でもある。
どれほど隠そうとしても、その重量を隠すのは非常に難しい。片足を踏み出す一歩、それだけで装備の気配は見える。服の中に隠そうとも、その〝重さ〟は隠しきれない。
私だって、服の中にナイフを隠している時は、歩調に気を遣う。重くならないように、気付かれないように――だからこそ、なのである。
師匠に昔、言われた。
自分が隠すことは大前提だが、それよりもまず、他人を見抜け、と。
そして、隠す技術そのもので、相手の実力は計れる――。
改めて二人を見れば、本当に武装しているのかと、疑問に思うほどで。
「……うむ、リリの視線が心地よいのう」
「まあな」
聞こえるようにそう言う二人は、やっぱり怖い。
「正解を知りたいかのう、リリ」
「え、……ううん、どうしようか困る」
聞いたら、トラウマになりそうで。
「簡単な話じゃよ。武装した状態を、普段から装えば良い。わしは違うが、そういうやり方もある」
「俺も違うが」
違うじゃないか……。
でもまあ、その通り。自分の武装がそう変わらないのなら、普段から武装している歩調でいれば、装備しているかどうかがわからなくなる。
だが、ああ、そういうこと。
この二人は、私と同じで、武装を隠すなんてことも〝日常〟にしているんだ。
――噴水公園に出るまでも、いくつかの経路を辿った。
学園に到着するまでのルートを確認してみても、私が知らないものではない。時間ごとに人気の少ない場所、なんてのは、私もそれなりに知っている。
……あるいは、私に教えたくないと考えていた、なんてのは、疑い過ぎかもしれないし、やっぱり怖いので、違うと思っておこう。
正門から少し迂回した地点でぴたりと足を止めた。
「――よし、こっから闘技場まで黙ってろ。我慢だ」
両脇に二人を抱えるエルス先輩が振り向く。
「先行しろリリ、一人なら楽だろ」
「わかった」
学園への潜入なら、何度か経験もあるし、庭に配備された監視も把握してある。
塀に手をかける位置まで気を付けてよじ登ると、中庭に着地した瞬間から、力を前へと向けて移動を開始する。この着地における足跡が一番力が入るので、痕跡を残さないようにしたい。
でも、どこの窓から入るんだろうと思っていれば、真横からエルス先輩に抜かれ、ぎくりと硬直する躰を強引に前へと動かす。移動を止める方が危険だからだ。
素早い、そして何より〝無音〟の移動技術が怖い。
中に入ったら、低姿勢で外からの発見を防ぐ――え、ちょっと待って、ヴェネ先輩がもういないんだけど、え?
ちらりと背後を見たら、窓が閉まる小さな音がするのに、エルス先輩が見えない!?
――〝
迷彩、認識阻害、認識迷路、まあいろいろと言われるけれど、相手の認識をズラすことを目的とした、私の
感覚としては、フィルタを周囲に展開することで、相手の視線そのものを歪曲させることに近い。たとえば私の背後にある映像を前面に映し出せたのなら、相手は私を見えなくなるだろう。仕組みとしては、そんなもの。
いや――だからこそ、か。
私は今まで、私の特性を使われたことがなかった。当然だ、これは私の個性であって誰かのものじゃない。そりゃいるんだろうとは思ってたけど――。
なんで? どうして?
そんな疑問が頭に浮かび、それについて考えるに従い、私は背中を流れる冷たい汗を感じるようになった。
※
闘技場とはいえ、向かっていたのは小さめの訓練場であって、一対一の対決を十人がやれるくらいの広さはあれど、闘技場と呼ぶに値するかどうかと問われれば、俺は首を傾げるだろう。
リリズィが入ってから扉を閉めれば、内部の音は外に漏れない。手を二度ほど叩くようにして、俺は合図をする。
「――よし、もういいぞ。侵入成功だ。必要なら準備運動に入れ。あとメソ子、持ってきた荷物はお前に任せた」
「マネージャー役ですのね? ええもう、構いませんわよ……」
「ん」
「――ちょっと、女の頭を気安く撫でないでいただけますの?」
「ああ悪い、うちの連中のつもりだった。嫌ならやらん」
「あ、う……い、嫌ではないですけれど!」
「ああそう」
まあ確かに気安かったか、やめておこう。
ぐるりと外周を回るようにして、闘技場内部に展開されている防御系の術式を再確認。あくまでも施設が壊れないようにする配慮なので、過信は禁物であるし、綻びがあったら修正するのも、使っているこっちの役目だ。
――しかし。
俺は人に教えられるほど、何かを得ているとは思わない。こんな機会は初めてであるし、連中が気付いていないことを教えることは可能だろうが、それが全てでもないだろう。
だから、まあせいぜい、俺は俺で得るものを得ようと、その程度の考えでいい。
同じ場所で、今度は逃げることもできず、ヴェネッサとやり合うことになりそうだが……なあ。あいつの〝目的〟も、まだ不明なままだ。
ぐるりと回って戻ってから、さて。
「俺がやるからロリ子、解説な」
「わしがか? 逆じゃろそこは!」
「お前が好き勝手やったら、ほかの連中のためにならねえだろうが」
「ぬう……!」
「最初は……」
「はい! はい!」
うん、聞くまでもないけど、リリは後回しな。
「プリフェな」
「先輩あたし!」
「お前はもうちょい落ち着いてからな」
「私はいいけれど、エルスは準備しなくてもいいの?」
「準備? ――開始の合図がなけりゃ戦闘ができない間抜けに、なったつもりはねえよ」
「それが負けた時の言い訳?」
「俺が負けたら、今日から一年間、お前の奴隷になってやるよ。夜のお供もしてやる」
「いやそれは言わないけど……」
正式な大会用の大規模闘技場と違って、リングがあるわけでもない。少し離れた位置で向かい合うように足を止め、俺は首をほぐすよう動かす。
「ほれ、どうしたプリ子。いつでもいいぞ」
「うんわかった。私が勝ったら、そのプリ子って呼ぶの禁止させるから」
「そうかい」
十二本の剣がスカートのように展開するのを一瞥して、俺は腕を組む。さて、どうしてやろうか……。
「……ん? どうしたんだ? 早くかかって来い。お前って後手踏む戦闘だっけか?」
「いや、その」
「気にするな、最初はすぐ終わらせてやるから」
「あーもう! いいわよやってやるわよ!」
「遠慮するな、殺す気でもいい」
軽い四歩の接敵から、腰の剣を手にして右手だけでの振り下ろしもまた、軽い。ぼんやり上から落ちてくる軌跡が肩を狙っているのを見ながら、側面に手の甲を当てるようにして僅かに反らしながらも。
肩の位置を抜けるタイミング、指で摘まむようにして刀身に力をかければ、簡単にプリフェの手からすっぽ抜けたので、一回転させつつ間合いを開くよう一歩引けば、手元に柄が落ちてきた。
驚きに目を丸くしながらも、腰に手を伸ばして次の一本を引き抜こうとするタイミングで踏み込み、手が触れるよりも早く目的の剣の切っ先を軽く外側に蹴れば、柄の位置がプリフェの腰に近づき、掴もうとしていた手が空を切る。
――ため息。
プリフェが手元に視線を向けたので、無防備になった足を払ってやれば、尻餅をついた。運よく、自分が作った剣の腹の上に、だ。
「転倒時には消せよ……つーか、まず俺に奪われた時点で解体するのが基本だろ。それとも、お前は自分のセオリーから外れた相手には、何もできませんってギャンブルしかできねえのか?」
「ぬ、ぐ……!」
「続けるならとっとと立て」
「わかってるわよ!」
手にした剣を放り投げれば途中で消え、立ち上がったプリフェの周囲にはまた、剣が創造される。
形状が違うだけで、同じ金属の刃物。せめて属性くらいは変えて欲しいものだが、手数の優位性を持っているプリフェはまだ、刃物に対して術式を組み込むことまでは学んでいない。
というか、そんなこそは教わらない。だってもう、称号を得てしまっている。あとは自己鍛錬でもしていろと言われるのが落ちだ。
事実、舞うようにして攻撃を繰り返すプリフェのスタイルは、間違いじゃないし、脅威である。手出しをせずにこうして受けに回ると、やや直線的ではあるが、追加の武器があるというのは面倒だ。武器破壊の意味はなく、間合いを少し取れば――ほら、投擲がきた。
けど、その優位性があるからこその失策だと、気付かない。
投擲されたそれをしゃがむようにして回避した俺は、後方に抜ける前に柄を掴み、プリフェが新しいものを引き抜くのと同時に、投げ返す。
ほら、どうする? 回避か、弾くか? それで二手損だぞ。先手から後手に回ったじゃないか――苦手だろ、防戦は。
おいおいそこで迷うなよ……ほら、俺の踏み込みが間に合った。投擲だったはずの剣が俺の手の中にあるぞ? 驚いてる場合か?
「――間抜け」
逃げようとバックステップを踏む足を払えば、また転んだ。
「同じやり方で二度もやられるな」
「え、え、なに、なんで?」
「お前は性質上、間合いの内側にまで踏み込まれる経験がないんだよ。だから対応もできなくなる。――反省してろプリ子、次はリリだ」
「うぬう……」
「どうして負けたのかを考えるな。そんなことより、目の前にどう対応すべきかを考えろ……その先に至れば、二つは同じことだ」
「わかったわよ」
交代だと言いながら戻ったプリフェは、すぐに備え付けの椅子に腰を下ろした。不満そうな顔だ、まだ全力を出し切れてないとでも思っているのだろう。
――だが、全力が出るまで待つ馬鹿が、どこにいる。
「よーし!」
「おうリリ、いつでもいいぞ」
「うんやるよ! すっげー楽しみにしてたし!」
やや距離を開けて、リリズィは両手両足を地面につけた。いい距離だ、間合いを詰めにくいが、それでいて遠すぎだと油断するような距離でもない。
――そして、リリズィは地面を思い切り蹴った。
実像がブレるような認識と共に、真横へ飛べば、すぐにまた強い踏み込み音が聞こえて失踪する。目で追おうとすると、躰を回転させて予測した移動先を見ると、踏み込みの直後でまた実像がブレたように見えるくらいの速度。
速い。
そう小さく呟いたメニミィの声が聞こえた。
猫族特有とも言うべき、躰の柔軟さを最大限使った高速移動に加え、こいつの
プリフェとは違って、リリが狙うのは一撃必殺。三度目の踏み込みからはもう、目で追おうとすらしない。数えるのも面倒だと、腕を組もうとした瞬間を狙うよう、背後と左側から二人のリリが、今度は俺に向けて踏み込んできた。
左側は突きの動作、背後は薙ぎの行動。
同時攻撃の対処法、実は簡単だったりする。
俺の知覚範囲は、平時では両手を広げた程度。だが、いずれにせよ速度重視の相手であったところで、間抜けならばそれで充分、対応できる。
だって、そうだろう?
攻撃が当たる前に一歩前に出れば、ほら、背後のリリの攻撃は自分の残影へ向かう。
「のわっ!?」
思わず攻撃の手を緩め、左前に倒れようとする力を強引に変えたところへ、横からきていた残影の肩をぽんと押してやれば、勢い余って二人して転がり、片方は消えた。
「追撃はしないから、とっとと立て」
「うにゃあ……!」
跳ね起きてから、また移動を開始する。
俺を中心にした高速移動。さすがに速度で勝つには術式を使わないと難しい。
だったら対応してやろう、これが一般的な考え方だ。つまり速度で敵わないと認めたのならば、応じてやろうと足を止め、己の術式を使って身構える。
つまり、その時点でリリの領域に飲み込まれてしまうわけだ。
主導権を握るというのは難しくないのに、それを考えない。本当に難しいのは、主導権を握り続けることなのに。
俺を中心にして動いているリリズィから主導権を握る場合はどうする?
方法など、山ほどあるが一番簡単なのは、中心を消すことだ。
目標を認識できなくなった時の恐怖はたぶん、キョウが良く知っている。
移動先を読んで死角に入り込むのなら、それほど速度は必要ない。そして〝混乱〟は速度を阻害する要因だ。
対象を見失ったリリは、それでも動き続ける――が、不安はあるはず。より追い詰めようとするなら、この時に〝背中〟へと威圧の気配を見せるといいが、そこまでする相手じゃない。
そして、思っていた通り、大きく上へと跳躍しながら、ぐるりと躰を回転させ、ほぼ停止したような状態で全体を見渡したリリの真下、これもまた死角、俺は足首を掴んでやる。驚いて暴れようとするが、逃がさない。
指に止まった鳥が、飛び立とうとした瞬間、指を引くと姿勢を崩して飛べなくなるのと同じ。重心、動作、そういったものの制御はそう難しくない――これも、主導権を俺が握っていればこそ、だが。
ひょいとそこらに放り投げ、着地点を狙って〝瞬発〟する。
持続できない高速移動だが、どちらかといえば力の使い方に近い。手を軽く前に出した状態で、一気に指先に力をかければ、手は勢いよく下がる。そして逆に、同じ力を肩にかければ、指を上げることも可能だ。
そういった全身運動で一気に加速して、床を叩いて姿勢を戻したリリが次の行動に出る前に、襟首を掴んでやった。
「うにゃっ!?」
「ヴェネ、キョウの相手をしてやれ」
「うむ!」
元気が良くて大変よろしい。
引きずって戻って開放すれば、複雑な顔でリリは腕を組んだ。よくヴェネのやっている姿だが、こいつにもあんま似合わないな。
「水くれ、メソ子。タオルはいらない、あの程度で躰が暖まるかよ……」
「ん、リズもタオルですわよ」
「はあい。……えー、なにあれ。えー?」
「お前らがどんだけ節穴かっていう証明」
「リリズィ、こいつムカつくんだけど」
「そんなだからプリ子って呼ばれるんじゃないの、先輩は」
「うぐ……」
「いいか、お前らはまず自分の〝優位性〟を、改めて確認しろ。授業ではそこで欠点を自覚しろと言うが、その前に、自分の優位性と同じ立場で相手が勝った場合のことを考えろ」
「相手が勝ったって……それ、現実的じゃないでしょ?」
「どうしてだ? お前は二本の足で立って、両手を使って剣を使う。だったら俺だって同じことができる」
「でも新しく創ることはできないじゃない」
「つまり、お前の武器が一本も壊されないのなら、術式を使う意味はないんだな?」
「ぬ、ぬう……!」
「なるほど、あなたが術式を使わずに対応できたのは、そういう理由ですのね……」
「今まで、そういう考えをしなかった方がおかしいんだよ。自分を磨くばかりで、相手を見ない。訓練するのにも〝目標〟がない――ま、学園の場合は誰か特定の〝敵〟を作らないよう配慮してるから、当然なんだけどな。だから力のぶつかり合いばかりで、戦術思考がおざなりだ」
「では、その戦術思考を得るためには、どうすべきですの? 相手を追い詰めるための手段でも増やせばいいですの?」
「……」
「な、なんですの、わたくしを見て」
「メニミィ、お前、ちゃんと冷静な判断が下せるんだな……?」
「わたくしを何だと思ってますの!?」
「とはいえだ、実際に俺だってどう教えればいいのかは、わからん。ただ……」
「ただ、なんですの?」
なんというか、癪な話だが。
「追い詰め方よりも、追い詰められた時を常に想定しろ――俺は一番最初に、そう教わった」
「想定する前に追い詰めたの先輩じゃん……」
「だから、それがもう既に、結果だろ。想定しなかった間抜けは対処なんて一生できねえよ。あとリリ、ありゃなんだ? サーカスなら料金を払うところだ」
「なにおう!?」
「プリ子がどんなに剣を創っても、せいぜい二本しか扱えないのと同様に、どんだけの速度で走り回ろうとも、攻撃時の〝踏み込み〟で動きを止めるなら、対応されて当然だろうが。誰もがいちいち目で追ってくれると思うなよ」
「……追ってなかったの、この人」
「ええ、欠伸でもしそうな顔でしたわ」
「うっわあ……うそん。え、じゃあなんで反応できるの?」
「お前みたいに、目で捉えていなきゃどこにいるのかわからん、なんて胸を張って言えねえだけだ」
「…………」
「リリ、なんだその目は」
「最近、おっぱいカーストで下に二人できたから、張ってもいいかなって」
「ああ、今まで一番下だったもんな、お前」
「ちょ、ちょっとお待ちくださいな……それ、わたくしも入ってますの!?」
「うんそうだよメソ子先輩、下から二番目」
「なんなんですの、この人たちは……!」
「いいかリリ、お前はそう言っているが、俺にはこう聞こえるわけだ。――目で追えない相手には負けしかありませんってな」
「……メソ子先輩、今夜あたしと寝よ。あたしも泣きたい」
「嫌ですわよ……あと、わたくしが泣くことが決まってるみたいな言い方をやめなさいな」
「でもエルス、どうやればいい? 追い詰められた時を想定して、その対処を考えて?」
「なんでも聞くな、俺だって知らねえよ。ただまあ、基本的には術式を使うなじゃないか? 少なくともキョウは、そうやって鍛えてる」
そう言って見れば、キョウは自身の感覚を〝
「言っちまえば、術式なんてものは、現実に引き起こすことが可能な何かを、違う手段で起こしてるだけの話だ。空がごろごろと鳴り出したら雷を警戒するのと同様に、必ずその初動は発生する。そして、現象そのものは雷以外の何でもないなら、最初に避雷針を用意しておけば良い。それだけの話だろ?」
「……絶句している二人の代弁をすれば、言われてみればその通りですけれど、そんな考えを持つこと自体がおかしいですわよ?」
「魔術なんてのは、手段でしかねえってことを、教わらないから、気付かないんだよ……。使うか、使わないなら捨てる、世の中はだいたいこの二択だ。三つめも四つ目も、選択肢はある――」
選択、か。
クロウは、たぶん己が出した選択を選ばないのが嫌で、あるはずの三つ目を除外していたんだろうな。
「ま、どうであれ、術式も使わずにお前らの相手ができたのは、現実だろ。だからって、誰が相手でもそうだってわけでもねえしな……」
「うー、うー、もーわけわかんない」
「悩むなよリリ、単純な話だ。まずお前は、一人でできる限界を見極めろ。二人でできることを追い求める前にな。そうすりゃわかる」
「なにだよもー」
「一人では、できないことは、二人になってもできないってことさ。それをどうにかしたいから術式を使うって選択が、そこでようやくできる」
「マジか……もー泣きそう」
「お前らの戦闘は派手過ぎる。だが、現実に必要となるものの九割は、これ以上なく地味なものなんだよ。寮対抗戦まで、二日に一度はやってやるから、頭を使って考えろ。それと……おいヴェネ! そろそろ終わりにしろ!」
「うむ!」
「……ここでのことは、口外厳禁な」
「石橋エルス、一ついいですの?」
「なんだ?」
「口外厳禁には承諾しますわ。けれど、それは何故ですの?」
「守りたい秘密がある? そうじゃねえよ、もっと簡単だ。――学園のやり方を全否定してるからだよ。それこそ、仕組み自体をすべて敵に回すことになる。どうせシステムなんてものは、変化があってもいずれ元の形で安定するものだ。無駄なことはしたくねえ」
「……そう、ですの」
「キョウ、わかったか?」
「ん……自分を誤魔化すんじゃなく、相手を狂わす」
「お前もその、感覚に頼り過ぎる癖、どうにかした方がいいぜ」
「師匠にも言われた……」
そうか、あの人はちゃんと教えていたのか。
「ああそうだ、一応言っておく。逃げたいなら、上の観覧席に行け。外には出るなよ」
「うん、わかった」
「え、え、どういうことですの? ちょっとキョウ?」
「うるさいメソ子……」
さてと……やるか。
……やるのかあ。
「おいエルス、お主、顔に出ておるぞ」
「やらなきゃな、とは思うけど、でもまだやらなくていいよなあって、山積みの書類を前によくプリ子が言ってたが、ちょっと気持ちがわかってきた」
「プリフェは喜ぶやもしれんぞ?」
「ふん。こっちから制限をつけてもいいか?」
「今回は逃げられんしのう、まず聞こうか」
「術式なし、得物なし」
そう言えば、ヴェネッサは腕を組んで、小さく苦笑した。
「――純粋な体術のみ。それで勝てんとなると、差を思い知ることになるぞ?」
「上から目線なのが気に入らねえが、んなことはわかって言ってんだよ」
「ふむ。お主の毛色がここでは違うように――お主の常識の中であっても、わしの毛色は違うと見える」
「言ってろ」
「であるのならば、少しは〝真面目〟にやるのかのう」
もちろんだと、五歩の距離を再確認してから、吐息。
――空気が張り詰めたのは、同時。
こういう場だからこそできる、
だが、対一戦闘では、否応なくこういう状態に陥る。何故って、近接戦闘の多くは、陣取り合戦だからだ。お互いに範囲を示し、その二つがぶつかり合い、探り合いがそこに発生する。
ああだが、当事者ではない者は、どうだろう。
ごくりと唾液を飲み込む音すら響いているような、探り合いの静寂の中、膝の震えに〝気付いた〟瞬間が訪れれば、もう立ってはいられなくなる、緊張。同調しなければ排斥される空間にいて、そして排斥とは排除でもあり――ともすればそれを、殺害と捉えられるからこそ。
――殺気、なんて言葉が生まれたのだ。
じわりと背中に嫌な汗が浮かぶ。一ミリの踏み込みにすら気を遣い、感覚に任せず視界に捉えたまま、けれど必ず焦点を結ばないよう、ぼんやりと全体を見る。その状態でありながらも、背中側は必ず、感覚として把握していなくてはならない。
この技術を学ぶのは、そう難しくない。感覚的にならば、ゴムボールを全方位から投げてもらい、対応すれば掴むことは一週間でも可能だ。
だが、これもまた維持が難しい。
なにより――体力もそうだが、むしろ、精神的に辛いのだ。特に相手が同じことをすると、胃がひっくり返りそうな緊張と共に、とっとと攻めて何かを変えたいと、焦る気持ちが先走る。
慣れるしかないのだ。
レゾナルがよく投げるお盆をキャッチしているのも、これの発展形であり、俺は自身の周囲にごくごく軽い警戒をしているに過ぎず、それを日常にしているだけ。であればこそ、慣れてもいる。
だが、こうして真面目に対峙すればわかる。
こいつ――たぶん、俺よりも、上だ。
俺の前足が地面をこするように前へ動かしただけで、砂を蹴り上げる想定までした対処が見える。正面から
牽制のつもりはなく、いくつかの戦術を組み立てた上で放った蹴りは、ヴェネッサの小さな片手に収まった。
「――」
片手で止めるのかよ……!
掴まれてはいないが、それにしたってこのチビ、どんな技を持ってやがる。
「蹴りはこうじゃ」
すぐに離したが、足が地面につく間にヴェネッサの蹴りがきたので、左腕でガードしたら、衝撃が走って膝が、がくんと落ちる。
力が強い? いや、そうじゃない。力そのものがガードした腕から腹部を通って膝に移動したのだ。
「――っ」
なんてことだ。
衝撃用法か?
左側からきた蹴りが、俺の右膝を狙っていただと?
崩れる側からもう一度蹴りが来たので、今度は左の拳を〝当てる〟ようにしてやれば、一気に左の肘まで衝撃が抜ける感覚があった。
「ほう、上手く流すではないか。初見じゃろうに」
うるせえ、苦し紛れだ。次からは受けるんじゃなく、叩くことにしよう。
「というか、お主はこういう戦闘は苦手じゃろ」
その通りだから黙ってろ――。
ここから始まったのは、主導権の握りあいだった。
高速移動で背後を奪った直後、俺はしゃがみ込むことで、移動したはずの俺の背後にいたヴェネの攻撃を避けつつ、足払いを仕掛ければ地面に近い俺を蹴り上げるような動きがあり、どちらも空を切ったかと思えば拳同士がぶつかり合い――力で勝っているのに技術で負けて、弾かれるのは俺だ。
いや、やはりこれは衝撃用法なんだろう。詳しく〝理屈〟まではわからないが、ともかく俺の打撃が一切通らない。当たったかと思えば、俺の殴る力そのものが俺の腕や肩に跳ね返ってくるのだから、どうかしてる。
――どうかしてんのは、このロリ子だ。
技術なんてものは、師匠が持っているものであったとしても、それが必要だったからこそ覚え、練るものだ。錬度が高いのならば、それは実際に使うこともあった――そういう状況が傍にあった。
少なくとも俺は、そんな状況を知らない。
だがたぶん、こいつは。
対人よりもむしろ――魔物と日夜戦っていた?
それとも、このレベルの対人戦闘が、日常的に?
いずれにせよ、感想はこの一言に尽きる。
「――クソッタレ」
想定よりも技術不足。
俺も明日から、ちょっとは頭を使って、どうにかしなくては。
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