第16話 浮遊島調査、静かな雨の一日目の朝
静かな雨が、たぶん俺は一番好きだ。
あまり風がなく、真上からただ落下に任せて落ちる滴は小さく、霧になるほど弱くもなければ、大きく葉を揺らすほど強くもなく、地面には溜まりができず、しかし表面からじわじわと水分を蓄えていく、それを恵みの雨として
もちろん、無音ではない。
耳を澄ませば、サァっと空気が流れる音と共に水滴もまた動きを表現しているし、露出した肌の表面に姿を見せている。
視界もそう悪くなく、匂いが消えるほど強くもなく、隠れるにしては弱すぎて、こんなことなら晴れていた方が濡れなくて済む――そういう雨だから、好きなのだ。
まるで、有利と不利の境界線のようで。
どっちつかず、曖昧なバランスを保っている雨だから。
「はしゃいでおるのう」
「――あ?」
学園の内部から転送され、浮遊島の端に到着した俺は、空を見上げながら雨を嬉しく思っていたのだが、ちっこいのがどういうわけか、水を差す――かと思えば、俺ではなく。
口角を僅かにゆるめ、端的に言えばにやにやとだらしない笑みを浮かべ、そわそわしているククルクがいた。
無言で見ていれば、はたとこちらに気付いて背筋を伸ばすと、一歩退くようにして。
「な、なんやの」
「雨か?」
「う……」
視線が上を向いていたからな。同類かよ。
「ヴェネ、荷物の運搬は任せられるか?」
「うむ」
ブルーシートに覆われた荷物を見たヴェネッサは、六ヶ所にナイフを突き刺してシートを固定した。
「へえ、ちっこいの、かなりやるねんな」
「ヴェネッサじゃ、でっかいの」
「なんやのー、ええやん小さいの。可愛いし、卑怯やん……」
「うるさいお主は敵じゃ!」
「なんで!?」
「ええい近寄るでない! 背丈の差が明確になるじゃろうが!」
「まったくですわ、けしからん胸と尻が目に毒ですわよ……」
「エルス! うちを助けて!」
「岩肌が見えるだろ、あそこをベースにするぞ」
「背が低くて見えん!」
「わたくしも見えませんわ!」
「油注いでどうすんねん!」
どうして全員、俺の方を見て言う……?
「くだらねえこと言ってないで、移動だ馬鹿。魔物以外にも、蛇と蜘蛛には気をつけろ。斥候」
「うちやな」
「しんがり」
「わしじゃな」
「先頭は俺、メニは続け。距離は五歩、いいな?」
「わかりましたわ」
「外周はおおよそ10キロだ。ククルク、把握はしても調査は後回しにしておけ」
「食料はどないする?」
「好きにしろ。まだ昼までは遠いけどな」
足を踏み入れれば、それほど雑草が生えていない。それも当然で、見上げれば木が覆っており、雨も届かないくらいだ。隙間から空は見えるが、足元には枯れ葉と土、そして石だ。
「――はは」
「どうしましたの?」
「いや、久しぶりでな。雨の香りに、土の匂い、森の濃さ。昔はこういう場所でよく、躰を休めていた」
「言っておくが、わしはあまり慣れておらんぞ?」
「慣れてなくても対応できるだろ、お前なら」
「まあのう」
俺はいつも通りの、正装に似た服だし、ヴェネッサも短いスカートに長いソックスをつけているが、ヴェネッサは事前に買っておいたカーゴパンツにジャケットという服装だ。靴も足首まで隠すブーツにしてある。
慣れない服装に、慣れない靴なら、歩幅以上の配慮が必要だろう。
のんびりと、散歩をするくらいの気持ちで。
「メニ、俺の背中は視界に収めるくらいで、左右に広く保て。似たような光景が続くから、目標物を覚えておくといい。しばらく移動したら振り返るのも良いぞ」
「疲労しないよう、適度にやっておきますわ」
「――わかってんじゃねえか」
「ぬう……なんか距離が縮まっておるのう」
「あら、嫉妬ですの?」
「うむ!」
「素直ですわねー」
「腹に何か抱えてる女ほど、面倒な相手はいねえんだよ。そこらへんも自覚してんだろうが」
「それにしては、わしに対して厳しいじゃろ?」
「実力差ぶんだけ、俺の方が弱いだろ」
「釈然とせんのう……」
お前の底の知れなさに対して、警戒しない方がおかしいだろうが。
「しかし、聞いたぞエルス」
「なにをだ」
「お主の両親のことだ。――知っておるのか?」
「いや、たぶん何も知らない」
「ならば多くは言わん。言わんが、トウスイならば知っておる。実際に顔を見たことはないが、わしに体術を仕込んだ男の知り合いでのう」
「へえ……あまり興味はねえな。親父に振り回されるのはもう懲りた。次に逢う時に間抜けを晒さなきゃ、それでいい」
「ならこれ以上は言わん」
「お前には関係があるようだな?」
「無視はできん」
「さようで……」
俺の両親ともなると、関わりがないとは言えないんだけどな……まあいい。
「歩いてる感じでは、虫などもそういませんわね」
「土の中に嫌ってほどいるし、食事に出されることも考慮しとけ。まあ蚊が繁殖するほど湿度は高くないから助かる――」
足を止めて、右側を見る。
「なんですの?」
ばさばさと、鳥が飛び立つ音が聞こえたのは、そのタイミングだ。
「ヴェネ」
「必要か?」
「念のためだ。デカ女が間抜けをしたなら、殴っておけ」
「尻じゃな」
「おう」
普通に歩いているのなら、鳥はほとんど反応しない。仮にも元異族狩りなのだ、そのくらいは心得ているはずである。
何かがあったのなら。
知っておいて損はない。だからヴェネッサに頼んだ。
それに――たぶん、この島は。
「耳は澄ませておけ。サバイバルの基本は、水場の確保から始まる。潜入の場合はまた違う理屈もあるが――まずは、生き残ることを主体にな」
「一つの方が覚えやすいですわ」
「マルチタスクは苦手か?」
「ミスを誘発しますもの」
「悪いことじゃないが、躰と思考を別にする方法も考えろ。特に戦闘じゃ必要なスキルだ」
「思考よりも早く、躰を動かす――勝手に動くような状況じゃありませんの?」
「勝手に動くと終わりだと、俺は教わったけどな」
世の中は、
だが、単純なものに応じる俺たち人間は、複雑でなければ対処できない。
その複雑ってやつを――把握しろ。
俺はそういうふうに、育てられた。
十五分も歩けば、川に突き当たる。何故なら川とは、必ず、島の両端から流れ落ちているからだ。
「岩場の中を通ってるな、流れが少し強い。ってことは魚もいるし、水浴びもできる」
「飲料水はどうですの?」
「動物の屍体がある可能性を考えて、飲むなら必ず煮沸しろ。それと、水場は魔物も利用する」
「必ず誰かと同行しますわ」
「俺かククルクにしとけ。ヴェネは知識があっても経験がない」
「――あら、わかりますの?」
「まあな。だがそれでも、余りある実力を持ってる。ククルクはあれで、異族狩りとして育てられる最初の段階でやらされてるからな」
「褒められたやり方ではないのでしょうね」
「訓練で死ぬのも、実戦で死ぬのも同じだからな。言葉で教えられるより、現実を見て学んだ方が身につくってのも、事実だ」
完成する前に半分くらいは死ぬのも、現実だが。
川の傍を辿るよう歩くが、流れそのものはあっても浅く、水量自体はそれほど多くない。どこかで溜まりができているのか、雨が少ないのか。
川辺は、なかなか歩きにくい。そもそも流れによって削られるので一段低くなっている場合が多く、水を好むのは動物や魔物以外にも、木だって根を伸ばす。だったら川の中を歩けば良いのだが、それはそれで技術が必要だ。
「――あら」
音が大きくなってきたので、メニミィも気付いたようで、そこには三メートルほどの滝が存在していた。
やはりかと、思うが、それは後回し。
「迂回しますの?」
「ん、それが当たり前の思考だな。ただ時間が優先される場合は、その限りじゃない。ところでメニ、下から落ちることはあるか?」
「――基本的にはありませんわ。上から落ちるものですもの」
「じゃあ、足の裏が下なら、落ちることはないな?」
「ええ……わかりましたわ、やってみます」
「失敗して落ちた時には、壁を作れよ」
本来なら、メニミィは空気に壁という属性を付加できるのだから、小さい壁を階段として作れば、障害物を乗り越えるのは容易いが、できる方法をただやるだけのことを、成長とは呼ばない。
それほど難しいことを言っているつもりもないしな。
俺は川を一度渡り、障害物が多い滝の横を登り始める。濡れてはいるが、コケがつくほどでもなく、足場をしっかり確保しながらなら、三メートルほどはそう時間もかからない。その間に、メニミィは足の裏を下として、まるで重力を知らないかのよう、徒歩で崖を登ってきた。
「どうだ?」
「緊張しますわね。慣れたいですわー」
「そのうちな」
滝の上は、大きな溜まりができている。円形になっており、それなりに深さもあって、泳いだら楽しそうだ。深さは底が見えるので、一メートルあるかないか。滝の方に落ちなければ、それなりに遊べるだろう。
「あら、魚がいますわね」
足場を作ったメニミィは、水の上を歩いてくる。まあいいかと、そのまま進めばすぐに森から、岩場が見えた。さすがにこちらは、5メートル以上の高さがある。頂上まで進むには、ルートを決めた方が良い。
普通なら。
「そのまま行くぞ」
「ええ」
半ば崖のようになっているが、俺も術式を使ってひょいひょいと登る。小さな岩だなを足場にして、次の移動を考えれば、無理な距離を飛ぶこともない。
半分の高さまで登って振り返れば、既に森よりも高い。島が一望できるとは言わないにせよ、かなり広範囲を見渡せる。
ここは、ジャングルに近い。
「越えますの?」
「いや、大きい岩だながあるから、そこを拠点にする――そこだ、そこ」
岩だらけ、というわけでもない。砂地の部分を迂回するように歩いて、また岩を登る。到着したのは、店舗の軒下を大きくしたような場所で、雨が避けられる天井があり、ややでこぼこしているものの、岩だなとしてはかなり広い。
「ただ、時間によっては風が入るな」
雨は問題ない。少しだけ傾斜になっているので、内側に入ってくることはない。天井までの高さは二メートル弱くらいだが、天井は岩だなの半分ほどまでしかないので、それほをの圧迫感はないだろう。
簡単に表現するなら、〝つ〟の字を逆にしたような空間だ。
「……エルス?」
「なんだ」
「ここ、使われてましたわよね? しかも――最近ではなく」
「まあな」
メニミィの視線を辿るまでもない。天井を見上げれば、かなり多い
「今は気にするな。長く使ってたってことは、比較的安全だってことだ。火を熾す場所と寝る場所は、入り口を軽く塞ぐようにする――が、お前には課題だ」
「早速ですわねー」
「のんびり会話がしたいなら、夜に添い寝でもしてやるさ」
「はいはい」
受け流すなよ。たぶんその対応が正解だろうけど。
右側にある雨の当たるスペースを使い、俺は
「おおよそ三メートル四方な。中に入って魔力を使えば、ナイフが支柱になって箱が作られる。
荷物置き場に紐付けしておいた物品を術式で手元に寄せる。
「ゴムボールですの?」
「いや、スポンジボールだ。よほどの強さで投げても痛くはない。こいつを中に入れると」
ひょいと投げれば、壁に当たったボールがあらぬ方向へと飛び跳ねた。
「威力減衰はあまりしないが、ある程度の制限はかけてある。――目を閉じて避け続けろ」
「最初から難易度が高いですわね!」
「馬鹿、見えてた方が避けにくいだろ。反射を計算しても無駄だから、とにかく把握しろ。とりあえず午前中のスケジュールに入れておけ」
「やってみますわ」
「――楽しめよ、メニ」
「あなたと買い物デートしていた時よりは、楽しめそうにありませんわねー」
「ああそう……」
一緒にするな、と言うのも癪だったので、スルーしておいた。
雨の気配は遠のかない。さっそくボールに当たったメニミィの上げる声はいいとして、俺は俺でいくつかのプランを考える。
ベースを決めたら、できるだけ過ごしやすいように労力をかける。便利というか、楽に過ごすためならば労力を惜しまないのが、サバイバルの鉄則だ。
しばらく森をぼんやり眺めていたら、ククルクとヴェネッサがやってきた。
「――なんだ、泥だらけで。キャットファイトでもやらかしたか?」
「や、ちょう、うちが
「うむ、わしも初見だったのでテンション上がってのう!」
宿背負い、なんて名前だが、実際に何かを背負っているわけではない。外観はカニに似ていて、洞窟に住む。ただしその大きさは、洞窟の入り口とほぼ同じであり、侵入者に対しては洞窟から顔を出して威嚇をする。その姿が、まるで洞窟を背負っているように見えるため、宿を背負うと、そんな意味で名付けられた。
成長して躰が大きくなると、あの魔物は違う洞窟を探しに出かけるので、実家ではなく宿の扱いなのだ。
「――そいつ、怪我してただろ。倒したか?」
「調査でもなし、遊んだ程度じゃ」
「怪我言うより、古傷やな、あれは。それなりにおっきい切り傷や」
「昔、俺が斬った傷だ」
言えば、二人は無言になって。
「この島は、俺がガキの頃、親父と過ごした場所になる」
そういうことですのねー、なんてメニミィは言うが、言っている間にボールにぶつかっていた。
「とりあえず、それは後回しだ。ベースの作成に取り掛かる」
「……まあ、ええやろ。メニミィはなにしとん?」
「訓練」
「うむ。思うんじゃが、お主はメニミィに甘くないか? うん?」
「あ、それうちも思っとったわ。優しいやろ」
「メニはそういう面倒なことを言わねえからな。ククルク、竹を見かけたか?」
「群生地はちょう遠いねんけど、あったよ」
「一週間なら、竹で充分だろ。加工もしやすいし、利便性が高い。まずヴェネ、荷物をこっちに。寝所と火、それから入り口を覆って風よけ。それから食料」
「ほんなら、うちとヴェネで竹運びや。食料はそっち任せるで」
「面倒じゃから術式で、こっちにマークしておくから消すでないぞ」
「しねえよ、任せた。加工はともかく材料を多めに集めておいてくれ。紐になるものもな」
「任せとき。魔物の気配もそこそこあったで、ソードラビおったら捕まえとくわ」
「おう」
二人に疲労の影は見えない。まだ楽しんでいる最中だし、この程度で疲れるほど体力不足ではないか。まあ、それすらも俺の余計な心配な気がする。
「疲れて落ちるなよメニ」
「そこまで心配はかけませんわよー」
じゃあ、食料と火熾しの材料を集めておくか。
――いろいろと、思い出しながら。
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