第4話 異族狩りと三秒の時間

 朝、いつも通りニュースに目を通した俺が階下へ向かえば、しかし普段と違って人の気配が多い。リビングに顔を出せば、何やら盛り上がっていたので、とりあえずキッチン側に行けば、寮母が食事をしていた。

「おはよ、エルス」

「おう。珈琲を勝手に飲むが?」

「あ! あたし欲しい! 先輩の珈琲飲む!」

「チッ……」

 気付きやがった、あの猫。

 まあいいと、多めに六人分くらいを十五分ほど時間を使って落とした俺は、五つのカップを用意して、まずはレゾナルの傍へ。

「残り、飲んでいいぞ」

「ありがとう」

 リビングに行って、テーブルにお盆を置きながら何をしているのかと見れば、ヴェネッサが携帯端末と格闘していた。

「これをこうで、こう――じゃろ!?」

「ざんねーん、終了でーす。はいヴェネちゃん先輩はここまでー」

「さっきはできたじゃろ! あれえ……?」

「先輩、こっち、こっちのページ」

「うぬう……!」

 目を細めるな、お前は老眼か?

「ありがと、エルス先輩。あーもう疲れたー、……ん、美味しい! 先輩の珈琲大好き!」

「そりゃどうも。……ああそうか、今日は休日だっけな」

「そうだよ。先輩もたまには休もうね」

 学園はだいぶ休んでるけどな。

「つーか、携帯端末なんてできることが限られてるだろ。基本はメールと電話、あとは設定やら何やらと、音楽作成とか文章入力……?」

「それがわからんのじゃ!」

「そうかい、まあ楽しめよロリ子。お前の間抜けを見ても、もう慣れて笑いも起きない」

「ふぬ……!」

 俺の場合は緊急用で、普段はほとんど使わない。用事がある場合だとて、直接顔を見て言った方が楽だからだ。急ぐ場合は、その限りではないけれど。

「あ、そうだ先輩!」

「うるせえ」

「ごめん。でさー、今年は寮対抗戦に出ようよー」

「ん? 三人じゃ出られないだろ?」

「四人いるじゃん」

「おいおい、見てわかるだろうが、教えてやるよリリ。いいか? 寮母はあれで、それなりに鏡の前で皺と格闘するくらいの年齢だ――っと」

 キッチンから飛来したお盆をキャッチ、テーブルの上へ置いた流れで、俺もソファに腰を下ろした。以前は逃げていたキョウも、今は俺が隣に座っても気にしない。

「先輩すげー」

「なにが?」

「え、だって不意打ちに近い飛来物をキャッチとか。あれかな、自分が投げナイフをよく使ってると、そういうのわかるもの?」

「やってみりゃわかる。でだリリ、俺を頭数に入れるな」

「なんでさー、やろうよ先輩、祭りだよ祭り。楽しもうよ」

「気持ちはわからんでもねえが……」

 人数が足りないから祭りに出られない、というのは、疎外感を覚えるものだ。それが楽しいと思っていた者ならばなおさら、その機会を大事にしたい。

「受付最終日が来月で、まだ一ヶ月弱あるだろ? ヴェネのこともある、もうちょい待て。ちゃんと覚えておいてやる」

「はーい。でも先輩って、戦闘嫌いなの?」

「好きじゃないが、嫌いでもない。ただ見世物になるのが嫌なだけだ。いつか参加してやってもいいとは思ってるが――な」

「……エルス先輩は、なんか」

「なんだキョウ」

「ふらっと参加して、軽く優勝しそう」

「さすがに、そこまではしねえよ」

 場を荒らしたって、面白いことはない。理由があれば、もちろんやるが。

「でもさー、先輩の戦闘に興味持ってる人、結構いるよ?」

「みたいだな」

「あれ? っていうか――そもそも、戦闘してる先輩を見たことないよ!?」

「私も」

「わしはあるぞ」

「余計なことを言ってないで、悪戦苦闘してろよ、ロリ子」

「いや休憩じゃ、休憩。目が痛くなりそうじゃ……お、確かに美味しい珈琲じゃのう」

「豆が良いんだよ」

「ヴェネちゃん先輩、あるんだ。いいなあ」

「良いのか?」

「うん」

「その感覚も良くわからんのじゃが、そもそも、どうして戦闘経験を積もうとするのじゃ?」

「え、知らないの? えっとね、……どこから話そう?」

「二千年前」

「あ、うん。ほら、二千年以上前は、この中央都市イングルジットを舞台に、四種族が戦争してたでしょ? あれってさ、土地の確保って意味合いが強くて」

「うむ、そう聞いている」

「年に一度、魔物の日っていうのがあって――その日はさ、魔物が空から降って来るんだよね」

「――ほう?」

 馬鹿、知ってる振りくらいしろ……あ、こいつら気付いてないな。

 どの都市にいたって、そのくらいのことは常識だ。

「ここに住んでるとわからないけど、実は、四方都市の方が魔物の量が多いの。今もそうだけど、かつても困ってて。だから、戦争して領地を手に入れようとしてたんだって。そんで、今もやっぱり規模の大小はあれど、その時に戦える人は多い方がいいから、みんな訓練するんだよ。あとは各都市にもあるダンジョン。あそこも魔物の住処になってるらしいし」

「なんじゃ、地下の探索もしておるのか?」

「こっちは学生ばっかだから、少ないけど、猫はちょいちょいやってるよ? 狭いところ好きだし。そっちの冒険もいいけど、定期巡回ある警備員に就職できれば、食うのに困らないのがいいよねー」

「そのぶん、条件も厳しいけどな」

「もうエルス先輩、水を差さないでよ」

「お前みたいな甘ったれを見てりゃ、口を挟みたくもなる。もっと頭を使って考えろよモー子」

「モー子言うな!」

「……? おいエルス、こいつのおっぱいは小さいぞ? むしろキョウの方が大きい。牛というのはどうなんじゃ?」

「今はだいぶ収まったが、リリの口癖は三つだ。もう嫌だ、もうやめる、なんでだもう」

「ああ、もーもー言っていたのか……」

「いやあの、ヴェネちゃん先輩、今は違うし。っていうか、この適当な名付けの原因についてね、こう、議論すべきじゃない?」

「小賢しいこと言ってんじゃねえよ、モー子」

「うっさいなもー」

「それとヴェネ」

「なんじゃ?」

「操作じゃなくて仕組みを覚えろ。自然界の魔力を使った広範囲の〝流動アクセス〟に常時展開型リアルタイムセルの術式。都市内部、全域に張られた魔力網への接続端末」

「――なんじゃ、そういうことか。残りは付属システムと考えれば」

 携帯端末のパネルに手を触れて、いくつかの操作を行いながらも、ヴェネは何度か頷いた。

 仕組み自体はそう難しくはないのだ。それを実現可能にするには、範囲を決めなければ難しいだけ。都市内にある自然界の魔力を使い、魔力の網を作るようにして、それを常時展開させて都市内にいくつかの術式を布陣する。携帯端末はそのネットワークの一部を利用して、離れた場所への連絡が可能になる、文字通りの端末だ。

「なんで先輩、そんな説明でわかるの……?」

「む? いやキョウ、現実との繋がりをきちんと理解した方が、何事も良いものじゃ」

「見知らぬものを前にした時、知っているものとの関連を辿って知るのは自然だ。それに気付けるかどうかって話でな」

「うへえ……エルス先輩、やっぱすげーなあ」

 そういう思考が、必要だっただけだ。

 吐息を落とし、空のカップをテーブルに置いた俺は、視線を外へ。

 やっぱり、――今日は雨か。それなりに防音されているため気付きにくいが、どうも雨の気配というのは、調から困る。

「そういえばヴェネちゃん先輩、昨日が初登校だっけ?」

「うむ……何故か、そう、何故かのう」

「何故もクソもねえだろ、お前が間抜けだっただけだ。棟梁から聞いたが、後半はプリ子に仕事を任せて、八歳くらいのガキ数人から逃げ回ってただけじゃねえか。おいロリ子、仕事の手伝いもできねえのかお前は」

「うるさい! あやつら、群れになって背丈を計測するんだとわしを追ってくるんじゃよ! しかも統率の取れた連携でじゃ!」

「そりゃ将来有望だな」

「お疲れだったね、ヴェネちゃん先輩……あの人ら、こっちの嫌がるとこを的確に突いてくるから厭らしいんだよねえ――じゃなく、先輩って魔術特性センスの申請、ちゃんとしたの?」

「うん? もちろんしたが、ちゃんとってどういうことじゃ」

「いやエルス先輩、なんかしてなさそうな感じがあって」

「あのな……俺だって申請くらい通した」

「うっわ、嘘くさー」

「わしは〝雷〟属性の魔術特性を申請しておいたぞ」

 へえ……それなりに戦闘能力もあって、汎用性が利く選択か。

 地水火風天冥雷ちすいかふうてんめいらいにおいて、雷の属性はやや特殊だ。いわゆる四大属性から外されながらも、創造の天、破壊の冥の対立からも除外された唯一の属性である雷は、やや異質なものとして捉えられる場合が多い。

 属性でありながら、属性として扱われず、単一の雷なのに、その発生を追えば気流としての風、大地の温度、上空の温度、含まれる雨、そうした四大属性の起因が必要だったりする。もちろん、あくまでも自然現象ならば、だが。

「エルスはどうなのじゃ」

「俺? 俺は〝解錠アンロック〟だ」

「へー、そうなんだ。初めて聞いた。エルス先輩、隠し事多いからなあ……ん? どったのキョウ、変な顔してる」

「あ、うん。……先輩、それ嘘ね?」

「いや、偽ってはいるが嘘じゃねえよ」

「え、なにそれ。偽ってるなら嘘じゃん」

「物事なんてのは、そんな単純じゃねえんだよ。たとえば混合属性で風と火が使えたとして、それらを使うことで雷を発生させられるヤツが、雷属性を名乗ったら?」

「えっと……あ、うん、雷が作れるから嘘じゃない。けど、偽りっていうか誤魔化してる」

「そういうことだ。だから〝解錠〟を偽れる何かしらの魔術特性センスだってこと。あとは自分でよく考えろ――他人には言うなよ、面倒だ」

「それはいいけど……ん? じゃ、なんでキョウはそれがわかったの?」

「――勘、かな」

 誰にだって隠し事はある。そして、誤魔化し方もそれぞれ。

 さも真実のよう、理屈の通る何かが目の前に落ちていたところで、確証なんてどこにもない。

 そして真実なんて、知らない方が幸せだ。

「さて、俺は出てくる」

「雨だよ、先輩」

「だから見回りなんだろうが……噴水の様子もな。昼には戻る、気が利く女はタオルを用意しておいてくれ」

 それとカップの片付けもなと言い残し、俺は傘も持たずに外へ出た。

 空を見上げれば曇天だが、それほど雨の勢いは強くない。中央都市は平坦ではないので、水の流れには特定の方向が自然と作られているが、だからといって災害が起きないとも限らない。

 小規模なものから、大規模なものまで。

 警備兵の巡回は行われているし、俺自身が警備の真似事をするつもりもない。ただ、雨の日にしか、できないこともある。

 晴れの日と、雨の日。

 時間ごとの巡回経路。

 中央都市の、あらゆる場所に存在する監視の目が消失するスポット――それを、たまの雨の日には確認しておくのだ。


 ――それが、僥倖ぎょうこうだったと言えよう。


 俺にとって? それとも、こいつにとって?

 どちらでも、同じことだ。


「よう、クロウ」

「――エルス」


 雨の中、人の目が完全に消失したこの場所の耐久時間は、おおよそで十五分。

 俺は、雨と共に服の表面を撫でるような殺意と共に対峙する、この男と向かい合った。


「すまんな」

「何を謝ってんだ、お前は」


 引き抜かれるのは黒色の剣。一撃の使い捨て、切れ味は高く隠密性も高いが、一度でも使ってしまえば塗料が落ちて、銀色の刀身が見え、その時点で役割を喪失する。

 俺にとっても、それは見慣れた得物だった。

 それは。

 〝異族狩り〟の象徴でもあったから。

「……エルス」

「なんだ?」

 十五分、それは長すぎる。彼らの〝戦闘〟において、最長は二分とされており、逆に言えば二分だけしか戦えないよう鍛えられていた。

 それ以上は、負荷がかかり過ぎて死ぬ。成功か失敗かは、その二分後に必ず結果として出るからこその、異族狩り。

 ああ、だが――今回は。

「戻る気はないのか」

 本題はそこにあり、次が殺害になる。

「三年前は、断る前に殺したはずだ」

 異族狩りは、必ず準備期間を作る。三年ならばそれは、短いスパンだ。

 知らないだけで、連中は各所にいる。普段は素性を隠し、当たり前のような生活をして周囲に馴染み、そして仕事となれば、こうして本当の姿を示す。


 ――馬鹿ばかりだ。


 成功しなければ自分が死ぬのに、それすらも度外視して、ただ、前向きにやろうと気持ちを抱く連中しか、異族狩りにはなれない――いや、ならないのだ。

「戻れエルス、それで話は終わりだ」

「……断る」

 戻るつもりなら最初からしてるし、その気はない。いや、そもそも。

「俺は異族狩りじゃあ、ない」

「馬鹿な……そんなはずがあるか。凍水とうすい鋭牙えいがの称号を、十歳にして受け継いだお前が」

「受け継いだのは名と、技術だ。――

詭弁きべんだ」

 本当の姿を見せたとはいえ、クロウは変わらない。強く、鋭く、正しいと思ったことをそのままつかみ取ろうとする。

 相手へ選択肢をつけるけるのではなく、本当は、自分自身に選択を決めさせるのが、クロウの本質だ。

「内世界干渉系――状況から目的までの道筋を、複数の選択肢によって導き出すお前が、この結果を望んだのか?」

「そうだ」

「俺が断ると知っていて?」

「そうだ、石橋エルス――俺は」

 クロウは、大きく深呼吸をするような間を作ってから。


「――本気のお前と戦いたい」


 そんな、馬鹿げたことを言い出した。


 異族狩りの中に、称号持ちは五人だけ。俺はその中の一人に育てられ、その野郎の称号を得た――いや、奪ったと言うべきか。

 凍水の鋭牙。

 それは魔術特性ではなく、ただその技術にのみ評価された称号であり、ゆえに俺もまた、その技術を受け継いだ。

 ――その称号は、かつて、旗印はたじるしとされていたこともある。

 俺は、異族狩りとして育てられなかったが、それでも、連中が何であるかは嫌というほど知っている。


 異族狩りは正体を明かさない。異族狩りは二分以上戦わない。異族狩りは人質を取らない。異族狩りは屍体を一つしか残さない。異族狩りは仲間を信じない。異族狩りは生かすことなく殺す。異族狩りは利権を必要としない。異族狩りは望みのために行動しない。異族狩りは行動の中で望む。異族狩りは敵を作らない。異族狩りは味方もいない。異族狩りは真実の探求をしない。異族狩りは殺す相手を選ばない。異族狩りは逃げない。異族狩りは自殺しない。異族狩りは――そんな、あらゆる制約でがんじがらめなのに、気付かない。


 馬鹿馬鹿しい。

 笑い話だ。

 ――そう、あの野郎トウスイも言っていた。


「俺は、お前の望むものを何一つとして、叶えるつもりはねえよ」

「だったら――」

「なあ、クロウ。お前はきっと、俺が何と言っても、諦めるつもりはないんだろう。だが二年分の付き合いだけ、俺のやり方を教えてやる。――俺は、お前を殺さない」

「……!」

「酷いと思うか? 冷たいか? ――知ったことか。負けたら勝手にどっかでくたばれ」

 俺に殺されるなら本望だと、そんな逃げ道を用意していたんだろう?

 悪いが、俺はそれほど、優しくはない。いつだって自分本位だ。できるだけ殺しなんてしたくない、そう思って従いたい。まあ、この基準だって、状況によって都合よく変えるし、それが人間だ。

 決めたことを、決めたままにするなんて、強い人間のやることだと思われがちだが――頭の固い、状況が見えていない人間に多い傾向である。

 いずれにせよ、殺しなんて後味が悪い。

「残り十二分、まだ余裕はある。なあクロウ、俺はお前が異族狩りであることを考慮してた。あらゆる相手にそう考えるし、であれば、この状況も最初から想定していた。お前は、この状況で何を算出した?」

「……いつだって、俺が出す結論なんて、どの選択をしても、。だからだ、エルス。いや、どうしてだ? 何故、お前はいつだって、本気にならない?」

「本気――か。いいよな、クロウ、本気になれるってのは羨ましい」

「羨ましいなら、お前もそうすればいい。試せばいい、望めばいい」

「望む? 試す? ――本気になる前に相手が死ぬのに?」

「――」

「望んでいたさ、だから一年間試してみた。知ってるだろう? 年間殺害数五十八、それだけ試しても、駄目だった。さすがに俺だって、手を抜くのが失礼だってことくらい知ってるさ――それが、命を賭けた戦闘なら、な。だから俺は、お前らを敵に回そうと決めて……結局、どうでもいいと切り捨てた。ここに立っているのがお前以外でも、同じだよ」

 そうだ。

「俺にとっては、ただの死にたがりがいるだけだ。そんな自分勝手な野郎の望みを、どうして俺が叶えなきゃならない?」

「――そうか。だが、そうだ、俺が死ぬまでに、少しでもその本気が見れるんだろう?」

「そうかい」

 ため息を一つ。

 わかっている――この状況になった時点で、クロウは油断を捨てて、一言と共に攻撃へ転じられるような戦闘態勢。俺の態度、言葉に踏み込まなかったのは、単に隙がなかっただけで、会話に望んで乗っていたわけじゃない。

 そう、この場に姿を見せた時点で、常に俺の命を狙っている。

 もう戦闘が始まっているのだ。開始の合図など、どこにもありはしない。


「――見られると、いいな」


 空間転移ステップ誤認モザイク創造クリエイト

 違う魔術特性センスの術式三種を一秒未満での同時使用した俺は、二秒目で背後からクロウの太ももに投擲専用スローイングナイフを突き立てつつ、その背中を蹴り飛ばした。

 そう、ナイフは突き刺さった。

 異族狩りの連中なら、その現実をこう捉える。

 ――首なら死んでいた、と。

 一秒未満とはいえ、相手に気付かれ対応されることを考え、空間転移での移動をしつつ、誤認の術式で俺自身の位置を誤魔化し、あとは武器を作り上げて、俺はただナイフを突き刺せばいい。

 クロウにとっては選択があるように、俺にとっては〝時間〟そのものが問題なのだ。

「クロウ、お前の選択は何を見た?」

「……っ」

「強いとか弱いとか、そういう話は面倒だ。――じゃあなクロウ」

 俺は。

 クロウが振り向いてこっちを見る前に、頭を揺らして気絶させた。

 論じると本当に面倒だが、結果としてこうなったけれど、べつに俺が強かったわけでも、こいつが弱かったわけでもない。

 知っているか否か、そういう問題でもなくて――ただ、ただ現実がこうなった、それが結果の全てだ。

「やってらんねえな」

 空を見上げて、雨を感じながら、これがあるからこそ痕跡が消えて良いんだと思えば、やはり吐息が落ちる。

 友人ではなかったが、知り合いだった。

 付き合いは二年。

 これっきりだと思えば、割り切りができたとしても、喜ぶような状況じゃない。

「……いるんだろ、ヴェネ」

「気付いておったのか」

 空間が歪むようにして、言葉と共につま先から現実へと姿を見せる。いや、最初から現実にいたが、隠れていたのだ。

 それは雑音ノイズのように、最初から紛れていた。

 俺だってさっき誤認の術式を使うまで、気付けなかったくらい、雨音に混ざっていた――だから、ヴェネだと当たりをつけた。俺の知っている限り、ここらにいる相手なら、こいつくらいしかいない。

「こやつ、わしが預かっても良いか?」

「どうなるかわかっているのか」

「結果、こやつは行方不明になるだけじゃ。お主は何も知らん方が良いし、誰もわからんじゃろう。きっと、わしだけしか取れない〝選択チョイス〟じゃよ」

「――好きにしろ。帰って不在を誤魔化しておいてやる」

「ありがたい話じゃのう。……ふむ」

 倒れたクロウの腕を背負うようにしたヴェネは、俺が創造したナイフに視線を向けて、そう言ったが、俺は気付いた様子を見せず、背を向ける。

 一つの仕事が片付いて、面倒が減ったと、そんな気持ちは浮かばず、一歩の足を踏み出すたびに、俺はまた同じ日常に戻るのかと、自問自答を投げかけた。

 たぶん、また〝次〟が三年後くらいにやってくる。それまで安穏としていて、またその時に同じ対処をする?

 ……それが嫌なら、異族狩りを潰すしかない。

 どうしたって俺は、どれほど違うと言ったところで、異族狩りから称号を奪った、凍水の鋭牙だ。

「嫌になるのは、自分の生き方か……?」

 答えなんてないだろうと、自答した俺は、小さく笑って帰路につく。

 生き方を規定するだなんて、連中と同じじゃないか。けれど好き勝手にやれるほど器用でもなく、俺は、俺の経験からできることを、やっているだけ。

 まだ十六歳の、若造だ。

 知り合いを助けることすら、できやしない。

 だからって人と関わらず生きて行けるほど強くもないのだから、割り切る以外にどうしろと。

「――あ、先輩」

「ん……? なんだキョウ、お前も見回りか?」

「うん、そんなの」

「学園側は見てこなかったから、時間があるなら頼む。大事だいじないとは思うけどな」

「わかった、先にそっち見とく。傘いる?」

「お前がそのまま使ってろ、俺はとっくに濡れてる。それとも、一緒の傘で景気よく歩きたいって願望でも?」

「……それはそれで?」

「はあ、また今度な」

「うん。じゃあ行ってきます」

「おう」

 俺には俺の調査があるように、この雨の日だからこそ、キョウにも確認しておきたいことがあるわけだ。

 お互いに隠し事、それをあえて話さずに、関係を持たない。

 俺たちらしい、と言えば――それまでか。

 線香花火、そう表札の出ている寮に戻れば、玄関に大きめのバスタオルが用意されていた。四つあるうちの一つを手に取り、ざっとぬぐって肩にかけて中に入れば、リビングでテレビを見ていた寮母が、俺の方を見た。

「おかえり、エルス」

「報告が聞きたいか?」

 ふん、どうせ待っていたんだろうしな。

「結果は〝失敗〟だが――その後は、知らん」

「あらら……やっぱり、殺さなかったのねえ」

「相手も知ってるんだろ」

「ええもちろん、私も一応は〝窓口〟だもの」

「何が窓口だ……少し寝る、昼食になったら起こしてくれ」

「なにを食べる?」

「モー子にでも聞けよ。……ああ、もし敵に回るならそう言ってくれよ〝紫煙しえん線香せんこう〟――あんたは殺してやる」

 異族狩り――五人いる称号持ちの一人、紫煙線香の石橋レゾナル。

 その称号の所以は、精製の魔術特性を持ち、あらゆる有害物質と治療薬を噴霧するところにある。暗殺者としては〝最悪〟の部類の彼女は。

 はあい、なんて、いつものように返事をした。



 まだ生きているのか――薄く開いた目が曇天を映し出し、頬に当たる雨を感じた俺は、その想いに対して、落胆を抱いたのだろうか。それとも、感謝か。

 単純な選択肢を前に、それを決める気が起きない。左脚の太ももから鈍い痛みが発生した瞬間、それをと決めて躰を起こそうとすれば、妙に躰が軋んだ。

「回復はそこそこ早いのう」

「――? ……林?」

「そうじゃ、わしじゃよ。呑気じゃのう、わしに対して警戒心も見せんのか」

「……」

 警戒心。

 仕事に失敗した俺にはもう、必要がない。

「まるで死人じゃな」

「そうだ、俺はもう死んだ」

「ふむ、まあわからなくもない――が、であれば、貴様をわしの好きにさせてもらおう」

「なんだ」

「まあそう判断を急ぐな。ところで、エルスのことじゃが」

 エルス、か。

 本気にさせられず、あいつの顔は、表情は、本当にいつもと変わらなかった。

「あやつが本気になれん理由を一つ、教えてやろう」

「冥土の土産か?」

「あるいは、そうなるやもしれん。あとはお主の運じゃからのう」

 視界の端、人が決して近寄ろうとしない大陸と空との境界線から、振り向くようにして林は笑う。

「あやつの魔術特性センスは〝奪取ロバート〟じゃよ」

「――……奪取?」

「聞いたことはないか?」

「ああ、ない。そもそもあいつは、解錠アンロックと申請している……」

「相手の術式の構成を解除する手法がメインじゃろうよ、人に見せるのならばな。良いか、奪取の特性とは、相手の術式を奪って取り込む。それこそ、あらゆる術式をな。じゃが、欠点がある」

「欠点? 保有上限があると?」

「いいや、理論的に上限はない――奪った術式は、自分も使えるし、相手も使える。良いか、クロウ。相手の術式をコピーできたとして、それは有利だと思うか?」

「俺はそう思う」

「じゃが、そんな現実はない。良いか、……何故って、コピーしたところで、相手よりも上手く使えると思うか? 生まれながらにして得たそれを、今生まれたばかりのような者が? ――どう考えても、答えは否じゃよ。本人が隣にいるのに、それをコピーしたところで意味はない。それどころか、仮に敵だったとしたのならば、欠点まで把握していて当然――と、わしならば考察するじゃろうよ。お主がそうであるとは、限らんが」

 だから対処できる、そう言われて。

 そんな考えを、俺は持ちもしなかったと、気付いた。

 自分の特性を伸ばすばかりで、対処など現実を見てからいいと、他人の特性がどんなものなのか、考察もせずに――。

「そして、現実とは甘くない。奪取の特性を得た者の多くは、自身の容量と向き合って決めるか、あるいは――……ま、良いじゃろ。結論から言おう、エルスが奪取できるのは、多めに見積もっても対象が使っていた術式の威力、精度、その二割程度じゃよ」

「……たったの、二割?」

「だから、どう使うのか、よく考えねばならん。そして考えるのは己ではなく、相手じゃよ。お主ならばわかるじゃろうが――手数が増えれば増えただけ、困ることがある」

「選択、か」

「うむ。更に、いや最後にもう一つ。本題じゃ、本気にはなれない――良いかクロウ、あやつはのう、そもそも八割減ったその術式を、三秒しか使えんのじゃよ」

「――なんだって?」

「持続できんのじゃよ、それが〝他人から奪ったもの〟である以上はの……。じゃからあやつは、同時に複数の術式を展開できるようし、それは実現しておる」

 本気にはなれない。

 どんな術式も三秒以降がない。

 ――それで、いや、だからこそあいつは、凍水の鋭牙の称号を。

「……はは、なるほどな。俺が敵う相手じゃなかった、最初からそうだったのか……」

「納得したか?」

「ああ、した。ならば、あとは好きにしてくれ」

「諦めはいかんのう。とはいえ、今から下に落とすわしが言うのも、おかしな話か」

「いいな、それはいい。可能なら、そうやって行方不明になった方が――あとの面倒も減る」

「そういうわけでもないが、な。まあ良い、あとは運任せじゃ。クロウ、良いか、一つだけ頼みがある」

「なんだ?」

「仮に――お主が生きていたら、必ず、林ヴェネッサ、わしの名を出せ。良いか? それが地獄の門で便宜を図る言葉だ。そして、生きろクロウ。その意志だけは最後まで手放すな」

「生きろ、か……」

「死ぬなどと、

「――わかった。自ら命を絶つことを禁じたのが、俺だ。最後まで、お前のその言葉を忘れないようにしよう」

 せめて、もう死んだ俺が、肉体を失うまでは。

「うむ、――ようこそ、死地と呼ばれる場所へ」

「ん?」

 なんだそれはと問いかけるよりも前に、俺は林に蹴り飛ばされ、都市全域に張られた術式をすり抜けるようにして、外へ放り出された。

 雨が、そして傍に滝のように落ちる水がある。

 すぐに、術式無力化地帯に入り込んだ俺は、そこで揺さぶられるようにして意識を失った。

 ――生きよう。

 ただそれを強く、胸の中に抱いて。

 俺の人生は、そこで終わった。



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