第4話 異族狩りと三秒の時間
朝、いつも通りニュースに目を通した俺が階下へ向かえば、しかし普段と違って人の気配が多い。リビングに顔を出せば、何やら盛り上がっていたので、とりあえずキッチン側に行けば、寮母が食事をしていた。
「おはよ、エルス」
「おう。珈琲を勝手に飲むが?」
「あ! あたし欲しい! 先輩の珈琲飲む!」
「チッ……」
気付きやがった、あの猫。
まあいいと、多めに六人分くらいを十五分ほど時間を使って落とした俺は、五つのカップを用意して、まずはレゾナルの傍へ。
「残り、飲んでいいぞ」
「ありがとう」
リビングに行って、テーブルにお盆を置きながら何をしているのかと見れば、ヴェネッサが携帯端末と格闘していた。
「これをこうで、こう――じゃろ!?」
「ざんねーん、終了でーす。はいヴェネちゃん先輩はここまでー」
「さっきはできたじゃろ! あれえ……?」
「先輩、こっち、こっちのページ」
「うぬう……!」
目を細めるな、お前は老眼か?
「ありがと、エルス先輩。あーもう疲れたー、……ん、美味しい! 先輩の珈琲大好き!」
「そりゃどうも。……ああそうか、今日は休日だっけな」
「そうだよ。先輩もたまには休もうね」
学園はだいぶ休んでるけどな。
「つーか、携帯端末なんてできることが限られてるだろ。基本はメールと電話、あとは設定やら何やらと、音楽作成とか文章入力……?」
「それがわからんのじゃ!」
「そうかい、まあ楽しめよロリ子。お前の間抜けを見ても、もう慣れて笑いも起きない」
「ふぬ……!」
俺の場合は緊急用で、普段はほとんど使わない。用事がある場合だとて、直接顔を見て言った方が楽だからだ。急ぐ場合は、その限りではないけれど。
「あ、そうだ先輩!」
「うるせえ」
「ごめん。でさー、今年は寮対抗戦に出ようよー」
「ん? 三人じゃ出られないだろ?」
「四人いるじゃん」
「おいおい、見てわかるだろうが、教えてやるよリリ。いいか? 寮母はあれで、それなりに鏡の前で皺と格闘するくらいの年齢だ――っと」
キッチンから飛来したお盆をキャッチ、テーブルの上へ置いた流れで、俺もソファに腰を下ろした。以前は逃げていたキョウも、今は俺が隣に座っても気にしない。
「先輩すげー」
「なにが?」
「え、だって不意打ちに近い飛来物をキャッチとか。あれかな、自分が投げナイフをよく使ってると、そういうのわかるもの?」
「やってみりゃわかる。でだリリ、俺を頭数に入れるな」
「なんでさー、やろうよ先輩、祭りだよ祭り。楽しもうよ」
「気持ちはわからんでもねえが……」
人数が足りないから祭りに出られない、というのは、疎外感を覚えるものだ。それが楽しいと思っていた者ならばなおさら、その機会を大事にしたい。
「受付最終日が来月で、まだ一ヶ月弱あるだろ? ヴェネのこともある、もうちょい待て。ちゃんと覚えておいてやる」
「はーい。でも先輩って、戦闘嫌いなの?」
「好きじゃないが、嫌いでもない。ただ見世物になるのが嫌なだけだ。いつか参加してやってもいいとは思ってるが――な」
「……エルス先輩は、なんか」
「なんだキョウ」
「ふらっと参加して、軽く優勝しそう」
「さすがに、そこまではしねえよ」
場を荒らしたって、面白いことはない。理由があれば、もちろんやるが。
「でもさー、先輩の戦闘に興味持ってる人、結構いるよ?」
「みたいだな」
「あれ? っていうか――そもそも、戦闘してる先輩を見たことないよ!?」
「私も」
「わしはあるぞ」
「余計なことを言ってないで、悪戦苦闘してろよ、ロリ子」
「いや休憩じゃ、休憩。目が痛くなりそうじゃ……お、確かに美味しい珈琲じゃのう」
「豆が良いんだよ」
「ヴェネちゃん先輩、あるんだ。いいなあ」
「良いのか?」
「うん」
「その感覚も良くわからんのじゃが、そもそも、どうして戦闘経験を積もうとするのじゃ?」
「え、知らないの? えっとね、……どこから話そう?」
「二千年前」
「あ、うん。ほら、二千年以上前は、この中央都市イングルジットを舞台に、四種族が戦争してたでしょ? あれってさ、土地の確保って意味合いが強くて」
「うむ、そう聞いている」
「年に一度、魔物の日っていうのがあって――その日はさ、魔物が空から降って来るんだよね」
「――ほう?」
馬鹿、知ってる振りくらいしろ……あ、こいつら気付いてないな。
どの都市にいたって、そのくらいのことは常識だ。
「ここに住んでるとわからないけど、実は、四方都市の方が魔物の量が多いの。今もそうだけど、かつても困ってて。だから、戦争して領地を手に入れようとしてたんだって。そんで、今もやっぱり規模の大小はあれど、その時に戦える人は多い方がいいから、みんな訓練するんだよ。あとは各都市にもあるダンジョン。あそこも魔物の住処になってるらしいし」
「なんじゃ、地下の探索もしておるのか?」
「こっちは学生ばっかだから、少ないけど、猫はちょいちょいやってるよ? 狭いところ好きだし。そっちの冒険もいいけど、定期巡回ある警備員に就職できれば、食うのに困らないのがいいよねー」
「そのぶん、条件も厳しいけどな」
「もうエルス先輩、水を差さないでよ」
「お前みたいな甘ったれを見てりゃ、口を挟みたくもなる。もっと頭を使って考えろよモー子」
「モー子言うな!」
「……? おいエルス、こいつのおっぱいは小さいぞ? むしろキョウの方が大きい。牛というのはどうなんじゃ?」
「今はだいぶ収まったが、リリの口癖は三つだ。もう嫌だ、もうやめる、なんでだもう」
「ああ、もーもー言っていたのか……」
「いやあの、ヴェネちゃん先輩、今は違うし。っていうか、この適当な名付けの原因についてね、こう、議論すべきじゃない?」
「小賢しいこと言ってんじゃねえよ、モー子」
「うっさいなもー」
「それとヴェネ」
「なんじゃ?」
「操作じゃなくて仕組みを覚えろ。自然界の魔力を使った広範囲の〝
「――なんじゃ、そういうことか。残りは付属システムと考えれば」
携帯端末のパネルに手を触れて、いくつかの操作を行いながらも、ヴェネは何度か頷いた。
仕組み自体はそう難しくはないのだ。それを実現可能にするには、範囲を決めなければ難しいだけ。都市内にある自然界の魔力を使い、魔力の網を作るようにして、それを常時展開させて都市内にいくつかの術式を布陣する。携帯端末はそのネットワークの一部を利用して、離れた場所への連絡が可能になる、文字通りの端末だ。
「なんで先輩、そんな説明でわかるの……?」
「む? いやキョウ、現実との繋がりをきちんと理解した方が、何事も良いものじゃ」
「見知らぬものを前にした時、知っているものとの関連を辿って知るのは自然だ。それに気付けるかどうかって話でな」
「うへえ……エルス先輩、やっぱすげーなあ」
そういう思考が、必要だっただけだ。
吐息を落とし、空のカップをテーブルに置いた俺は、視線を外へ。
やっぱり、――今日は雨か。それなりに防音されているため気付きにくいが、どうも雨の気配というのは、調子が良くなるから困る。
「そういえばヴェネちゃん先輩、昨日が初登校だっけ?」
「うむ……何故か、そう、何故かのう」
「何故もクソもねえだろ、お前が間抜けだっただけだ。棟梁から聞いたが、後半はプリ子に仕事を任せて、八歳くらいのガキ数人から逃げ回ってただけじゃねえか。おいロリ子、仕事の手伝いもできねえのかお前は」
「うるさい! あやつら、群れになって背丈を計測するんだとわしを追ってくるんじゃよ! しかも統率の取れた連携でじゃ!」
「そりゃ将来有望だな」
「お疲れだったね、ヴェネちゃん先輩……あの人ら、こっちの嫌がるとこを的確に突いてくるから厭らしいんだよねえ――じゃなく、先輩って
「うん? もちろんしたが、ちゃんとってどういうことじゃ」
「いやエルス先輩、なんかしてなさそうな感じがあって」
「あのな……俺だって申請くらい通した」
「うっわ、嘘くさー」
「わしは〝雷〟属性の魔術特性を申請しておいたぞ」
へえ……それなりに戦闘能力もあって、汎用性が利く選択か。
属性でありながら、属性として扱われず、単一の雷なのに、その発生を追えば気流としての風、大地の温度、上空の温度、含まれる雨、そうした四大属性の起因が必要だったりする。もちろん、あくまでも自然現象ならば、だが。
「エルスはどうなのじゃ」
「俺? 俺は〝
「へー、そうなんだ。初めて聞いた。エルス先輩、隠し事多いからなあ……ん? どったのキョウ、変な顔してる」
「あ、うん。……先輩、それ嘘ね?」
「いや、偽ってはいるが嘘じゃねえよ」
「え、なにそれ。偽ってるなら嘘じゃん」
「物事なんてのは、そんな単純じゃねえんだよ。たとえば混合属性で風と火が使えたとして、それらを使うことで雷を発生させられるヤツが、雷属性を名乗ったら?」
「えっと……あ、うん、雷が作れるから嘘じゃない。けど、偽りっていうか誤魔化してる」
「そういうことだ。だから〝解錠〟を偽れる何かしらの
「それはいいけど……ん? じゃ、なんでキョウはそれがわかったの?」
「――勘、かな」
誰にだって隠し事はある。そして、誤魔化し方もそれぞれ。
さも真実のよう、理屈の通る何かが目の前に落ちていたところで、確証なんてどこにもない。
そして真実なんて、知らない方が幸せだ。
「さて、俺は出てくる」
「雨だよ、先輩」
「だから見回りなんだろうが……噴水の様子もな。昼には戻る、気が利く女はタオルを用意しておいてくれ」
それとカップの片付けもなと言い残し、俺は傘も持たずに外へ出た。
空を見上げれば曇天だが、それほど雨の勢いは強くない。中央都市は平坦ではないので、水の流れには特定の方向が自然と作られているが、だからといって災害が起きないとも限らない。
小規模なものから、大規模なものまで。
警備兵の巡回は行われているし、俺自身が警備の真似事をするつもりもない。ただ、雨の日にしか、できないこともある。
晴れの日と、雨の日。
時間ごとの巡回経路。
中央都市の、あらゆる場所に存在する監視の目が消失するスポット――それを、たまの雨の日には確認しておくのだ。
――それが、
俺にとって? それとも、こいつにとって?
どちらでも、同じことだ。
「よう、クロウ」
「――エルス」
雨の中、人の目が完全に消失したこの場所の耐久時間は、おおよそで十五分。
俺は、雨と共に服の表面を撫でるような殺意と共に対峙する、この男と向かい合った。
「すまんな」
「何を謝ってんだ、お前は」
引き抜かれるのは黒色の剣。一撃の使い捨て、切れ味は高く隠密性も高いが、一度でも使ってしまえば塗料が落ちて、銀色の刀身が見え、その時点で役割を喪失する。
俺にとっても、それは見慣れた得物だった。
それは。
〝異族狩り〟の象徴でもあったから。
「……エルス」
「なんだ?」
十五分、それは長すぎる。彼らの〝戦闘〟において、最長は二分とされており、逆に言えば二分だけしか戦えないよう鍛えられていた。
それ以上は、負荷がかかり過ぎて死ぬ。成功か失敗かは、その二分後に必ず結果として出るからこその、異族狩り。
ああ、だが――今回は。
「戻る気はないのか」
本題はそこにあり、次が殺害になる。
「三年前は、断る前に殺したはずだ」
異族狩りは、必ず準備期間を作る。三年ならばそれは、短いスパンだ。
知らないだけで、連中は各所にいる。普段は素性を隠し、当たり前のような生活をして周囲に馴染み、そして仕事となれば、こうして本当の姿を示す。
――馬鹿ばかりだ。
成功しなければ自分が死ぬのに、それすらも度外視して、ただ、前向きにやろうと気持ちを抱く連中しか、異族狩りにはなれない――いや、ならないのだ。
「戻れエルス、それで話は終わりだ」
「……断る」
戻るつもりなら最初からしてるし、その気はない。いや、そもそも。
「俺は異族狩りじゃあ、ない」
「馬鹿な……そんなはずがあるか。
「受け継いだのは名と、技術だ。――立場じゃない」
「
本当の姿を見せたとはいえ、クロウは変わらない。強く、鋭く、正しいと思ったことをそのままつかみ取ろうとする。
相手へ選択肢をつけるけるのではなく、本当は、自分自身に選択を決めさせるのが、クロウの本質だ。
「内世界干渉系――状況から目的までの道筋を、複数の選択肢によって導き出すお前が、この結果を望んだのか?」
「そうだ」
「俺が断ると知っていて?」
「そうだ、石橋エルス――俺は」
クロウは、大きく深呼吸をするような間を作ってから。
「――本気のお前と戦いたい」
そんな、馬鹿げたことを言い出した。
異族狩りの中に、称号持ちは五人だけ。俺はその中の一人に育てられ、その野郎の称号を得た――いや、奪ったと言うべきか。
凍水の鋭牙。
それは魔術特性ではなく、ただその技術にのみ評価された称号であり、ゆえに俺もまた、その技術を受け継いだ。
――その称号は、かつて、
俺は、異族狩りとして育てられなかったが、それでも、連中が何であるかは嫌というほど知っている。
異族狩りは正体を明かさない。異族狩りは二分以上戦わない。異族狩りは人質を取らない。異族狩りは屍体を一つしか残さない。異族狩りは仲間を信じない。異族狩りは生かすことなく殺す。異族狩りは利権を必要としない。異族狩りは望みのために行動しない。異族狩りは行動の中で望む。異族狩りは敵を作らない。異族狩りは味方もいない。異族狩りは真実の探求をしない。異族狩りは殺す相手を選ばない。異族狩りは逃げない。異族狩りは自殺しない。異族狩りは――そんな、あらゆる制約でがんじがらめなのに、気付かない。
馬鹿馬鹿しい。
笑い話だ。
――そう、
「俺は、お前の望むものを何一つとして、叶えるつもりはねえよ」
「だったら――」
「なあ、クロウ。お前はきっと、俺が何と言っても、諦めるつもりはないんだろう。だが二年分の付き合いだけ、俺のやり方を教えてやる。――俺は、お前を殺さない」
「……!」
「酷いと思うか? 冷たいか? ――知ったことか。負けたら勝手にどっかでくたばれ」
俺に殺されるなら本望だと、そんな逃げ道を用意していたんだろう?
悪いが、俺はそれほど、優しくはない。いつだって自分本位だ。できるだけ殺しなんてしたくない、そう思って従いたい。まあ、この基準だって、状況によって都合よく変えるし、それが人間だ。
決めたことを、決めたままにするなんて、強い人間のやることだと思われがちだが――頭の固い、状況が見えていない人間に多い傾向である。
いずれにせよ、殺しなんて後味が悪い。
「残り十二分、まだ余裕はある。なあクロウ、俺はお前が異族狩りであることを考慮してた。あらゆる相手にそう考えるし、であれば、この状況も最初から想定していた。お前は、この状況で何を算出した?」
「……いつだって、俺が出す結論なんて、どの選択をしても、明朗なわけがない。だからだ、エルス。いや、どうしてだ? 何故、お前はいつだって、本気にならない?」
「本気――か。いいよな、クロウ、本気になれるってのは羨ましい」
「羨ましいなら、お前もそうすればいい。試せばいい、望めばいい」
「望む? 試す? ――本気になる前に相手が死ぬのに?」
「――」
「望んでいたさ、だから一年間試してみた。知ってるだろう? 年間殺害数五十八、それだけ試しても、駄目だった。さすがに俺だって、手を抜くのが失礼だってことくらい知ってるさ――それが、命を賭けた戦闘なら、な。だから俺は、お前らを敵に回そうと決めて……結局、どうでもいいと切り捨てた。ここに立っているのがお前以外でも、同じだよ」
そうだ。
「俺にとっては、ただの死にたがりがいるだけだ。そんな自分勝手な野郎の望みを、どうして俺が叶えなきゃならない?」
「――そうか。だが、そうだ、俺が死ぬまでに、少しでもその本気が見れるんだろう?」
「そうかい」
ため息を一つ。
わかっている――この状況になった時点で、クロウは油断を捨てて、一言と共に攻撃へ転じられるような戦闘態勢。俺の態度、言葉に踏み込まなかったのは、単に隙がなかっただけで、会話に望んで乗っていたわけじゃない。
そう、この場に姿を見せた時点で、常に俺の命を狙っている。
もう戦闘が始まっているのだ。開始の合図など、どこにもありはしない。
「――見られると、いいな」
違う
そう、ナイフは突き刺さった。
異族狩りの連中なら、その現実をこう捉える。
――首なら死んでいた、と。
一秒未満とはいえ、相手に気付かれ対応されることを考え、空間転移での移動をしつつ、誤認の術式で俺自身の位置を誤魔化し、あとは武器を作り上げて、俺はただナイフを突き刺せばいい。
クロウにとっては選択があるように、俺にとっては〝時間〟そのものが問題なのだ。
「クロウ、お前の選択は何を見た?」
「……っ」
「強いとか弱いとか、そういう話は面倒だ。――じゃあなクロウ」
俺は。
クロウが振り向いてこっちを見る前に、頭を揺らして気絶させた。
論じると本当に面倒だが、結果としてこうなったけれど、べつに俺が強かったわけでも、こいつが弱かったわけでもない。
知っているか否か、そういう問題でもなくて――ただ、ただ現実がこうなった、それが結果の全てだ。
「やってらんねえな」
空を見上げて、雨を感じながら、これがあるからこそ痕跡が消えて良いんだと思えば、やはり吐息が落ちる。
友人ではなかったが、知り合いだった。
付き合いは二年。
これっきりだと思えば、割り切りができたとしても、喜ぶような状況じゃない。
「……いるんだろ、ヴェネ」
「気付いておったのか」
空間が歪むようにして、言葉と共につま先から現実へと姿を見せる。いや、最初から現実にいたが、隠れていたのだ。
それは
俺だってさっき誤認の術式を使うまで、気付けなかったくらい、雨音に混ざっていた――だから、ヴェネだと当たりをつけた。俺の知っている限り、ここらにいる相手なら、こいつくらいしかいない。
「こやつ、わしが預かっても良いか?」
「どうなるかわかっているのか」
「結果、こやつは行方不明になるだけじゃ。お主は何も知らん方が良いし、誰もわからんじゃろう。きっと、わしだけしか取れない〝
「――好きにしろ。帰って不在を誤魔化しておいてやる」
「ありがたい話じゃのう。……ふむ」
倒れたクロウの腕を背負うようにしたヴェネは、俺が創造したナイフに視線を向けて、そう言ったが、俺は気付いた様子を見せず、背を向ける。
一つの仕事が片付いて、面倒が減ったと、そんな気持ちは浮かばず、一歩の足を踏み出すたびに、俺はまた同じ日常に戻るのかと、自問自答を投げかけた。
たぶん、また〝次〟が三年後くらいにやってくる。それまで安穏としていて、またその時に同じ対処をする?
……それが嫌なら、異族狩りを潰すしかない。
どうしたって俺は、どれほど違うと言ったところで、異族狩りから称号を奪った、凍水の鋭牙だ。
「嫌になるのは、自分の生き方か……?」
答えなんてないだろうと、自答した俺は、小さく笑って帰路につく。
生き方を規定するだなんて、連中と同じじゃないか。けれど好き勝手にやれるほど器用でもなく、俺は、俺の経験からできることを、やっているだけ。
まだ十六歳の、若造だ。
知り合いを助けることすら、できやしない。
だからって人と関わらず生きて行けるほど強くもないのだから、割り切る以外にどうしろと。
「――あ、先輩」
「ん……? なんだキョウ、お前も見回りか?」
「うん、そんなの」
「学園側は見てこなかったから、時間があるなら頼む。
「わかった、先にそっち見とく。傘いる?」
「お前がそのまま使ってろ、俺はとっくに濡れてる。それとも、一緒の傘で景気よく歩きたいって願望でも?」
「……それはそれで?」
「はあ、また今度な」
「うん。じゃあ行ってきます」
「おう」
俺には俺の調査があるように、この雨の日だからこそ、キョウにも確認しておきたいことがあるわけだ。
お互いに隠し事、それをあえて話さずに、関係を持たない。
俺たちらしい、と言えば――それまでか。
線香花火、そう表札の出ている寮に戻れば、玄関に大きめのバスタオルが用意されていた。四つあるうちの一つを手に取り、ざっとぬぐって肩にかけて中に入れば、リビングでテレビを見ていた寮母が、俺の方を見た。
「おかえり、エルス」
「報告が聞きたいか?」
ふん、どうせ待っていたんだろうしな。
「結果は〝失敗〟だが――その後は、知らん」
「あらら……やっぱり、殺さなかったのねえ」
「相手も知ってるんだろ」
「ええもちろん、私も一応は〝窓口〟だもの」
「何が窓口だ……少し寝る、昼食になったら起こしてくれ」
「なにを食べる?」
「モー子にでも聞けよ。……ああ、もし敵に回るならそう言ってくれよ〝
異族狩り――五人いる称号持ちの一人、紫煙線香の石橋レゾナル。
その称号の所以は、精製の魔術特性を持ち、あらゆる有害物質と治療薬を噴霧するところにある。暗殺者としては〝最悪〟の部類の彼女は。
はあい、なんて、いつものように返事をした。
※
まだ生きているのか――薄く開いた目が曇天を映し出し、頬に当たる雨を感じた俺は、その想いに対して、落胆を抱いたのだろうか。それとも、感謝か。
単純な選択肢を前に、それを決める気が起きない。左脚の太ももから鈍い痛みが発生した瞬間、それを感じないと決めて躰を起こそうとすれば、妙に躰が軋んだ。
「回復はそこそこ早いのう」
「――? ……林?」
「そうじゃ、わしじゃよ。呑気じゃのう、わしに対して警戒心も見せんのか」
「……」
警戒心。
仕事に失敗した俺にはもう、必要がない。
「まるで死人じゃな」
「そうだ、俺はもう死んだ」
「ふむ、まあわからなくもない――が、であれば、貴様をわしの好きにさせてもらおう」
「なんだ」
「まあそう判断を急ぐな。ところで、エルスのことじゃが」
エルス、か。
本気にさせられず、あいつの顔は、表情は、本当にいつもと変わらなかった。
「あやつが本気になれん理由を一つ、教えてやろう」
「冥土の土産か?」
「あるいは、そうなるやもしれん。あとはお主の運じゃからのう」
視界の端、人が決して近寄ろうとしない大陸と空との境界線から、振り向くようにして林は笑う。
「あやつの
「――……奪取?」
「聞いたことはないか?」
「ああ、ない。そもそもあいつは、
「相手の術式の構成を解除する手法がメインじゃろうよ、人に見せるのならばな。良いか、奪取の特性とは、相手の術式を奪って取り込む。それこそ、あらゆる術式をな。じゃが、欠点がある」
「欠点? 保有上限があると?」
「いいや、理論的に上限はない――奪った術式は、自分も使えるし、相手も使える。良いか、クロウ。相手の術式をコピーできたとして、それは有利だと思うか?」
「俺はそう思う」
「じゃが、そんな現実はない。良いか、ないのじゃよ……何故って、コピーしたところで、相手よりも上手く使えると思うか? 生まれながらにして得たそれを、今生まれたばかりのような者が? ――どう考えても、答えは否じゃよ。本人が隣にいるのに、それをコピーしたところで意味はない。それどころか、仮に敵だったとしたのならば、欠点まで把握していて当然――と、わしならば考察するじゃろうよ。お主がそうであるとは、限らんが」
だから対処できる、そう言われて。
そんな考えを、俺は持ちもしなかったと、気付いた。
自分の特性を伸ばすばかりで、対処など現実を見てからいいと、他人の特性がどんなものなのか、考察もせずに――。
「そして、現実とは甘くない。奪取の特性を得た者の多くは、自身の容量と向き合って決めるか、あるいは――……ま、良いじゃろ。結論から言おう、エルスが奪取できるのは、多めに見積もっても対象が使っていた術式の威力、精度、その二割程度じゃよ」
「……たったの、二割?」
「だから、どう使うのか、よく考えねばならん。そして考えるのは己ではなく、相手じゃよ。お主ならばわかるじゃろうが――手数が増えれば増えただけ、困ることがある」
「選択、か」
「うむ。更に、いや最後にもう一つ。本題じゃ、本気にはなれない――良いかクロウ、あやつはのう、そもそも八割減ったその術式を、三秒しか使えんのじゃよ」
「――なんだって?」
「持続できんのじゃよ、それが〝他人から奪ったもの〟である以上はの……。じゃからあやつは、同時に複数の術式を展開できるよう努力したし、それは実現しておる」
本気にはなれない。
どんな術式も三秒以降がない。
――それで、いや、だからこそあいつは、凍水の鋭牙の称号を。
「……はは、なるほどな。俺が敵う相手じゃなかった、最初からそうだったのか……」
「納得したか?」
「ああ、した。ならば、あとは好きにしてくれ」
「諦めはいかんのう。とはいえ、今から下に落とすわしが言うのも、おかしな話か」
「いいな、それはいい。可能なら、そうやって行方不明になった方が――あとの面倒も減る」
「そういうわけでもないが、な。まあ良い、あとは運任せじゃ。クロウ、良いか、一つだけ頼みがある」
「なんだ?」
「仮に――お主が生きていたら、必ず、林ヴェネッサ、わしの名を出せ。良いか? それが地獄の門で便宜を図る言葉だ。そして、生きろクロウ。その意志だけは最後まで手放すな」
「生きろ、か……」
「死ぬなどと、甘えるでない」
「――わかった。自ら命を絶つことを禁じたのが、俺だ。最後まで、お前のその言葉を忘れないようにしよう」
せめて、もう死んだ俺が、肉体を失うまでは。
「うむ、――ようこそ、死地と呼ばれる場所へ」
「ん?」
なんだそれはと問いかけるよりも前に、俺は林に蹴り飛ばされ、都市全域に張られた術式をすり抜けるようにして、外へ放り出された。
雨が、そして傍に滝のように落ちる水がある。
すぐに、術式無力化地帯に入り込んだ俺は、そこで揺さぶられるようにして意識を失った。
――生きよう。
ただそれを強く、胸の中に抱いて。
俺の人生は、そこで終わった。
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