第5話 迂闊な新会長メソ子

 久しぶりに来た学園の教室では、朝から映像が流れていた。

 やや騒がしい雑談交じりの室内だが、しかし、誰もがその映像を見ており、言葉を耳にしている。

『改めて、この時期に会長を交代するといった申請が通ったこと。それに関連して学生、および教員に多大な迷惑と負担をかけてしまうことを、お詫び致します』

 ――なんて、プリフェがクソ真面目な顔で教壇から演説じみたことを言っている。

 まあ、簡単な話だ。

 不動ふどうクロウの失踪騒ぎ、それを前にして感情的な不安、そして役員不足。そうした理由を重ねて、一ヶ月以上先にある寮対抗戦を前に、会長交代をしたと、そんな報告である。

 そして、やがて新しい会長が顔を見せ、引継ぎを行う。

『――けれど前会長、わたくしはあなたが、寮対抗戦に出られることを期待しておりますわ』

 やや挑発的ともいえるその言葉に。

『ええ、ありがとう。その頃には立ち直ってきっと、舞台に立てるようにしましょう』

 なんて、大人の返事をしていた。

「ん……? おう、石橋じゃん。なにお前いたの?」

「幽霊と遭遇したかと思ったか?」

 クラスメイトの顔も名前も憶えているが、声をかけられて名前を呼ぶほどじゃあ、ない。

「はは、相変わらずだな。しっかし、次の会長はあいつかー」

「大して気にすることじゃないだろ」

「竜族だってのは、気にしないけど」

「まあこの学園において、種族なんてのは、ぱっと見て印象強いか、好みの問題だけだしな。猫の耳や竜の尻尾がたまらんって野郎もいれば、狼の体臭が良いって女もいる」

「んなことは知らねえよ……」

「は? お前、猫の耳好きじゃなかったっけ?」

「それ俺じゃねえよ!?」

「ああそう……」

 でも大半の野郎は、そんなに嫌いじゃないだろ。

「いやそうじゃなくてだな? つーかお前と話してると、本題をすぐ忘れそうになる」

「それはお前が、本題を最初に言わないからだぞ」

「どっちかっつーとお前が――いや、だからな? あいつ、理事会との繋がりがあるんじゃなかったっけ?」

「それだって、べつに問題にはならんだろ……」

 学園側は、学生を見るが、理事会とは学園の運営を担う側だ。まあいろいろと確執があるらしいが、俺の知ったことじゃない。内情は知っているが。

「――失礼。石橋エルスさんは……あ、おはようございます」

「お? なんだ石橋、さっそくの呼び出しだぜ? あーあ、ご愁傷様」

「さっそく関われてハッピーだなと問えよ」

「ハッピーか?」

「そう思えるんなら、お前の人生もハッピーだろうよ……」

「あはははは!」

 椅子から立ち上がって廊下に出れば、すみませんと頭を下げられた。同級生だろうに、そこまで畏まる必要があるのか……?

「新会長が学生会室でお待ちなので、そちらに行っていただけますか?」

「丁寧だな、あんた。そこで俺を案内するのが礼儀じゃ?」

「いや、僕は伝言を頼まれただけだから……」

「ああそう、んじゃご苦労様」

 やれやれ、面倒がなけりゃいいんだが――どうせ、そんな願いは叶わない。

 新会長とはいえ、今までは副会長として動いていたし、俺も何度か顔を見ている。それほど会話をした覚えもないが……関係自体は薄い。

 あんな間抜けなクソ女が俺に用事ってだけで、今から便所で顔に〝面倒だ〟とマジックで書いておきたくなる。

 とはいえ、こんなことなら学園になど来なければ良かったと思うが、それは問題の先送りでしかない。とっとと片づけた方が有益だ。

 廊下から外を見れば、あの日ほどではないにせよ、ぱらぱらと雨が降っていた。

 窓ガラスには、いつもの俺が映っている。

 肩より長い髪を後ろで一つに括り、目つきの悪さを隠そうともしない細い顔。相変わらず低い背丈、体幹は発達しているのに腕は絞り込まれて細く見える――

 学生会室の前で吐息を一つ、ノックをして中に入れば、その女が一人、執務机の両手を乗せるようにして待っていた。

 カルーゾ・メロウ・メニミィ。

 カルーゾ家、メロウ族のメニミィだ。

「待っていましたわ」

 耳が見える短い髪は赤色に近く、黒色の髪留めはそう目立たないアクセント。プリフェよりも背が低いのは覚えているが、ロリ子が着てからは、あまり小さいとも思わなくなった。

「ああそう。で、用件は?」

「あなたの出席日数に関してですわ。わたくしは前会長の楼花ろうかさんほど甘くはありませんの」

「へえ」

「む……どうして、興味がなさそうな顔をしていますの?」

「今あんたが言った通りだ」

「――良いですの? このままでは、あなたは退学になりますわ。けれど、それを防ぐための譲歩案を、わたくしは用意してありますの」

「ふうん」

 空回りって、こういうのを言うんだろうなあ……。

「次の寮対抗戦に出なさいな。その結果に応じて、こちらも対処してさしあげますわ」

 ――過去を遡っても、線香花火の寮は設立からただの一度も、実は参加したことがない。それは人数不足が原因であって、レゾナルが望んだことではなかったが、まあ都合が良かったのは確かだろう。

 目立たないことなんてのは、何よりもありがたい話だからな。

「……聞いていますの?」

「ん、ああ、聞いてる、聞いてる。ところで、どうして俺が今まで退学しなかったんだと思ってるんだ?」

「それは、楼花さんがあなたに甘かったからですわ」

「――本当にそれだけか?」

「ほかに何がありますの? 成績も悪い、出席日数も少ないあなたが、むしろ退学にならない方が不思議でなりませんわ」

 だからその不思議を、どうして調べなかったんだと聞いているんだが、伝わらないらしい。

「退学でいい――そう応えてもいいんだが、そうするとお前が困るだろうし、言いたくはないんだがな……」

「あら、どうしてわたくしが困るんですの?」

「その理由を、お前が知らないからだ。まあいい……お前の〝警告〟は受け取った。それでいいだろ」

「返事はしませんの?」

「受け取ったんだ、返事なんてすぐわかる。だがまあ、お前に同情くらいはしてやるよ……まったく、どうして俺がここに通わなくちゃならないんだと、文句を言いたい気分ではあるがな」

 そう、かつてプリフェには言ったが――困るのは、あの女だけじゃない。

 誰かを監視するためには、どこかに所属させるのが一番だ。いつでも連絡が取れるし、動きもある程度は把握できる。融和を図りたいのならば余計に、暗黙の諒解インサイドルールがそこに作られ、俺も監視されても構わないぞと、そんな態度を示してトラブルを回避できるわけだ。

 それを説明したところでピンと来ないだろうが――。

「おい、メソ子」

「メソ子ではありませんわ!」

「いいか、よく聞け。俺はどうでも構わないが、それでも、お前の味方だ。それだけは覚えておけ。いいな?」

「え、ええ……」

「じゃあ――っと、行く前に、もう一つ」

「なんですの?」

「会長就任、おめでとう」

「あ、え、……あ、はい。ありがとうございます」

 基本的には素直なガキなんだけどなあ、こいつも……。

 学生会室を出て、寮対抗戦はどうしようかと考えつつ、俺は学園の出口を目指して階下へ向かいながら、携帯端末を取り出して、ある男に連絡を行った。

 理事会と一括されるが、内情は複雑で、一枚岩ではない。そのどことメソ子が繋がっているのかも知っているからこそ、俺は。

 メニミィをむしろ助けるために、連絡を入れる。

『――はい』

「おう」

『お久しぶりです、エルスさん。半年ぶりですね』

「二年前、俺に差し向けたクソ野郎を殺して以来、顔を合わせることはまだないな」

『ははは、――恐ろしい人だ』

 実際、俺という異分子が危険性を孕むと考えた理事会の一人が、排除を試みたのがその二年前。俺も学園に通っていたからこそ、その危険性に気付かれたわけだが、当人は今、車椅子の生活で理事会からは完全に身を引いている。

 俺に言わせれば理事会なんて、足の引っ張り合い組織みたいなものだが――その中でもこの野郎は、いくぶんかマシだ。

『どうしました?』

「あんたの弟の娘、学園の会長になっただろ。あんたにとっては朗報か?」

『ええ。あの子には経験をもっと積んで、視野を広げて欲しいと――そういえば、エルスさんには言った気がします』

「覚えてるよ。だからこそ、朗報の追加だ。失敗は経験を多く積み、否応なく視野を広げざるを得なくなる――その失敗の規模に応じて、な。面倒はいい、単刀直入に言おう。あの女、俺を退学にすると警告をした。その上、寮対抗戦に出ればってな」

『――』

 息を飲む、絶句からすぐに焦りの気配。

『エルスさん』

「あいつを切り捨てるなら、てめえは俺の〝敵〟になるぜ?」

『……、……失礼、大丈夫、冷静です』

「良い社会勉強になると、もっと喜んだらどうなんだ?」

『は、はは……あれほど、きちんと相手を見てから、発言しろと、僕は教えてきたんですが』

「だから、俺を見て〝間抜けな脱落者〟だとでも、思ったんだろうよ。プリフェが会長だった時から、あいつが俺に肩入れするのを嫌ってた節もある」

『確かに、多少の私情は含まれていたのでしょうが、僕らからしてみれば好都合でした。少なくとも、エルスさんが学生であると、規定することもできましたから。それ自体が、あなたが無暗に敵を作らない――敵対しなければ良いと、そういう証明にもなっていた』

「考えておいてやるとは伝えたし、あいつだってまだ学生だ、これ以上踏み込まなければ敵にすらならん、可愛いメソ子だ。そういう立場でいる」

『ありがとうございます。こちらから連絡を入れて、エルスさんのことを〝調査〟させますが、その件に関しては?』

「生活区をたらい回しか? いいぞ、前例も何度かあるし、連中ならすぐ理解する」

『ありがとうございます』

「――だが、理事会に対する〝面倒〟は、これで五回目だ。いいか、これ以上続くようなら、潰しをかける手段を、俺は考えなくちゃならん。これは脅しじゃない、わかっているな?」

『ええ、僕はこれ以上なく、理解を示します。ただほかの人たちは、どうでしょうね』

「ふん。連絡は以上だ、――相変わらずのタヌキだよ、あんたは」

『あははは。では、失礼』

 まったく、この野郎は何だかんだで、保身第一じゃないから面倒だ。心の底ではどうせ、自分以外の理事を殺してくれればもっと楽なのにと、そう思っているに違いない。

 理事会は〝利権〟ですべてができている――と、まあ過言にはならんだろう。目に見えないものを、いつか出る成果を天秤に乗せ、採算を考えるのが連中の仕事だ。それを自分のものにしようと画策をする。

 こう言ってはなんだが、都市運営および、他都市との連携には必要な連中だ。どれほど尻を磨いていて、現場を知らなかろうと、必要なのである。俺はそんな仕事はご免だ、やり取りだけで胃が痛くなる――なんて、あのタヌキに言ったら、どういうわけか大笑いされたが。

 正面口から外に出た俺は、少し冷たく感じる雨を心地よいと感じながら外へ。景観を保つため、庭など植木の手入れをしている初老の男に片手を上げる挨拶。この範囲を一人で、よくやる。給料をもっと上げるよう交渉すべきだ。

 移動する時は必ず、中央の噴水公園を通る。その方が時間的にも短縮されるし、分岐路というのは、行動ルーチンに入れておくと、尾行も撒きやすい。

 ――ああ、まったく。

「久しぶりに学園に来たらこれだ……何かに呪われてんじゃねえだろうな」

 授業を受けて寝る時間に当てようとしても、こんな結末だ。教室に戻る気すら起きない。

 ちなみにこのご時世、呪いというのは現実的な脅威だ。実際にそいつを専門にする魔術師もいるし、運を良くするなんてことよりも、運を悪くする方が簡単だ。それでなくとも、人なんて感情の起伏があるのだし、その幅を大きくする呪いだけで、効果的には充分だ。


 ――術式に対する防御行為。


 たぶん、この都市において意識が薄く、問題となっているのが、その点だと俺は考えている。

 力と力のぶつかり合いなら、威力が強い方が勝つ。そんな明確でかつ、雑味のないものが、はっきりとした現実だと――わかりやすいから、認めたくなるわけだ。そいつの足を引っかけて転がし、とっとと術式を行使しないからだと笑うような俺を、人は卑怯と呼ぶ。

 だが、それを嫌だとは思わない。そのくらい〝平和〟な方が、安心できる。

 ただ一部の学生は世間に出て、実際の戦闘でそれを痛感するだろうし――寮対抗戦ともなれば、優秀な人材を引き抜くために、そういう実戦を経験した野郎が目を光らせている。俺は隠しながらも、積極的に戦闘をしないことで逃げているようなものだから、見抜かれることもあるのだろう。

 ただ少し、前向きになってもいい理由ならある。

 認めるのは癪であるし、きっかけがあのロリ子にあるともなれば、素直じゃない俺は頷くことを避けるんだろうが――地下区画。

 今は少しだけ、興味を持って、調べてもいた。

 他都市のニュースを探っても、はっきり言って芳しい成果はない。とはいえ、財宝の類の成果なら上がっているので、まったく無意味とは言わないにせよ――その全容は未だに掴めていないのが、実情だ。

 言われてみれば、おかしな話でもある。

 ざっと二千年経過したのに、まともな地下図面が一つもないだなんて。

 ――なにかの圧力を考えたくもなる。

 あるいは、それ以上に難易度が高いのか……どちらも、ありえそうだ。

 まあ、ところ構わず高威力でぶっ放すだけのイノシシみたいな魔術師に、狭い空間で戦闘をしろって方が無理な話だろうが。

「いずれにせよ、寮対抗戦に出るなら、クソ寮母にも一言投げとかねえとな……」

 モー子もうるせえんだ、あれが。しつこいし――。

「ん……?」

 寮の傍、大きな台車に雨除けのシートをかけて運搬している三名に気付き、嫌な予感を抱きながらも、ようと声をかけた。

「雨の中、ご苦労だな」

「あれ、エル? お前、もう学園からの帰りか?」

「女と違って、野郎は言い訳が限られるから面倒だよな。手を貸すか?」

「じゃ、運び入れの方を頼む――つーかこれ、お前んとこの寮だからな?」

 おいおい、そんな話は聞いてねえぞ。

「手を貸すのは後だ、事実確認が先」

「はは、珍しいな。お前に隠れて事を起こそうだなんて、やるじゃねえか」

「馬鹿言え、俺だって知らないこともある」

「なら先に行って、玄関前の片付けでもしといてくれ。こっちはのんびり行くさ」

「おう」

 あのクソ寮母もグルか……いや、いちいち俺に報告するのもどうかと思うが。

 先に寮に到着した俺が中に入れば、ちょうどタオルの用意をしていた寮母と鉢合わせ。

「――おいレゾ」

「おかえり。はい、どうぞ」

「今日は誰の誕生日だ? サプライズパーティをするとは聞いてねえぞ」

「そうねえ」

 そうね、じゃねえよ。

 大して濡れてないので、ざっとぬぐってから靴を脱ぎ、俺がいつも使っているスリッパをはいてリビングに直進すれば、そこに。

楼花ろうかプリフェがいた。

「……何してんだプリ子」

「今日からこの寮に入った!」

 ジャージ姿で胸を張るな。いかにも部屋着という感じだし、大きさがわかりにくいんだよその服は。

「キョウよりもちょっと大きめかしらねえ」

 レゾ、俺の思考を読むな。

「まず寮母、事前に俺へと打診しなかったのは?」

「早い話だったし、エルスは最終的に頷くのに、それまで長いから」

 うるせえよ。

「プリ子」

「ああうん、いろいろ悩んではいたのね、実家もあるし。ただリリズィから、寮対抗戦に出たいからって、猛プッシュを受けて、まあいいかなって」

「あのクソ猫……それで俺の退路を塞いだつもりか?」

 呼び鈴が鳴り、ため息を落とした俺が向かう。

「――玄関に置いてくれ」

「おう」

「プリ子、レゾ、最初は軽いものだからお前らも運べ。下着が入ってる箱は、こいつらの報酬だ、忘れるなよ」

「忘れるわよ!」

 段ボールに入った規定サイズの箱が運び込まれ、受け取りながら重量を確認しつつ、二人に渡し、三階へ運ぶよう指示する。

「……引っ越しの荷物なんてのは、それこそ人によって量が違う。あの姫さんは、よくわかってるよな?」

「あれで、この前まで学園の会長をしてたんだ、多少は賢くなくちゃ困る」

「こっちとしちゃ、楽な相手だ。お前もいるしな」

「何度か手伝ってるしな……」

 荷物を全部、中には入れない。台車を一つずつ、時には中に入って手伝うこともあるが、基本的には声をかけられるまで手伝わない。時間がかかるなんてのは、当たり前だからだ。

 ゆえに、こいつら運搬業者は、相手のペースに合わせる。急かすような真似もしないし、とろとろやることもない。

 必要なものだけを、最小限。買えるものならば後回し――それが引っ越しの基本だ。そうでなくとも、学生会専用寮には、寮対抗戦が終わった時点で引っ越しが決まっていたので、プリフェは既に準備もしていたことだろう。

 戻ってきたので更に二つ渡しておく。ここで俺が動かないのは、女子のスペースである三階に、極力立ち入らないようにするためだ。

「新学期からもう三ヶ月くらいか? そろそろ暇な頃合いだろ」

「ちょいちょい仕事は入るし、暇な時は工事屋に鞍替えだ。大工の棟梁に声をかけられることもあるしな。そいつは逆も然りだ」

「今日も二人でやってるしな?」

「先輩は俺の監視みたいなもんだよ。実際、量が少ないし、台車二台で済んでる」

「ふん、このくらいは一人でやれ」

「いや先輩の場合、台車四台でも一人でやるとか、ちょっとおかしいからな……?」

 ごとごと音を立てて、四つの台車を直列で並べて押しているコイツを見たこともあるが、ちょっと楽しそうだったぞあれ。

「――ああそうだ、ここだけの話。近く、新しい会長が俺のことを聞きに来るかもしれないから、遊んでやってくれ」

「おい、お前また何かしたのか?」

「またとは何だ、人聞きが悪いぜ。下手を打ったのはあっちだ――ま、理事会も俺を敵に回すことは、まだないだろ」

「物騒な話だなあ、おい」

「おい小僧」

「もう二年目だろ、小僧はよしてくれよ先輩」

「わかってねえなら、小僧で充分だ。あのな? お前、エルを敵に回すのと、理事会を敵に回すの、どっちがいい」

「……おいおい、そういう話かよ?」

「いや? 俺はいつだって強要してねえよ」

「怖い野郎だぜ――っと、先輩、次の台車」

 もう一度顔を見せた二人に荷物を渡し、次は五つ。上に乗った二つを廊下に下ろし、三つ目を受け取った。基本的に台車の中でも、下にあるものの方が重いからだ。

「レゾは腰が悪くなら、やめとけ。プリ子、一つ運べそうならやれ。残りは俺が運んでやる」

「はあい。じゃあお茶の準備、しておくわねえ」

「ありがと、エルス。あとプリ子はいい加減やめて……?」

 そんなことは知らん。

「おいプリ子、それ重いぞーいけるのか?」

「んしょっ、あーうん、なんとかなる?」

「階段に気をつけろプリ子」

「なんであんたたちまでそう呼ぶの!?」

 みたいなやり取りが玄関であったが、まあ、そういうものである。俺だってずっと、小僧と呼ばれ続けたからな、一年くらい。

 そして最後の荷物を受け取れば、連中の仕事は終わりだ。俺も三階のプリフェの部屋傍に荷物を置いて、階下に戻れば、お茶の準備がしてあった。

「あれ、着替えなくていいの?」

「そのダッセェ服装にか?」

「うっさい! 荷物運ぶのに丁度良かったの! それだけ!」

「さよで」

 俺はべつに嫌いじゃないがとは言わず、ソファに腰を下ろした。実は途中、軽い火系術式で水分だけは飛ばしてあったりするので、肌着はもう乾いている。

「で、プリ子は寮対抗戦に意欲的なのか?」

「ん……」

 対面に腰を下ろしたプリフェは、お茶を片手にしながら、少し迷ったように笑って。

「ああ言った手前、出ないとなあって。正直――クロウがいなくなったってことに、それほど落ち込んではいないんだけど……ね」

「へえ?」

「だってあの子、関係は極力減らしてたし、私とも役職での関係って感じだったから。――エルスと違って」

 違う、ねえ。

 どうだろうな、それは。

 俺はただ、関係性を捨てなくても良い選択チョイスだっただけ、のような気もする。

「レゾ?」

「なあに? ――よいしょ」

「……ついに、座る時まで声を出すようになったか」

 わざとらしく、目頭に手を当てて首を横に振れば、レゾナルは嫌そうな顔をしていた。

「寮対抗戦に関してお前の感想は?」

「いつまでも人数が足りなくて、申し訳ないと思ってたもの。リリズィは喜ぶでしょうね」

 そうかい。

「しょうがねえか……」

「エルスはあんま乗り気じゃないって感じだよねー」

「……、俺が実際に参加するかどうかは、まだ先送りだが、実力の底上げくらいはしてやるよ。今日はまだ無理だし、連中にも聞いてはみるが」

「へ? 実力の底上げって……エルスが?」

「そう言ってる」

「いやいや、本当にできるのそれ。私、エルスが授業であっても戦闘してるとこ、見てないんだけど。それに私、一応は称号持ちなんだけど……?」

「じゃあ最初に勝負してやるよ。俺が負けたら、もう教えることはねえから、好きにしろ」

「ねえ、レゾナルさん、こいつなんで偉そうなの?」

「そういうところがマゾのプリフェは嬉しいのよね?」

「違うし!? っていうかレゾナルさんもそゆこと言うわけ!?」

「寮母なだけあって、人を見る目はあるからな」

「違うところ見てる気がしてならないわよ!」

「……まあいい。俺は寝るが、昼飯は作っておいてくれ。今日は外出予定なしだ」

「はあい」

「――って、こんな時間から? いつも眠そうにしてるけどさ」

 そう、いつだって眠い。

 なかなか眠られないくせに、入眠したかと思えばすぐ飛び起きる俺は、ずっと睡眠不足を続けているようなもの。

 けれどそれは――ただ、俺がまだ睡眠を上手く使えないだけで。

「俺だって未熟なところはあるさ」

 結局、その一言に尽きてしまうわけだ。



 一人の執務室は、静かで――いつかこれにも慣れるのかと思うよりも前に、私は先ほどのやり取りを回想して、首を捻った。

 何を言っていたのか、よくわからない。

 わたくし自身が何かを失敗したとは思っていないし、そりゃ、前会長が贔屓にしていた部分に関して、平等ではないと不満を抱いていたのは確かだが、それは会長という立場として、特定の誰かに肩入れすることに疑問視する、一般的な考察だ。感情論ではない――と、思う。

 だが、失敗どころの騒ぎじゃないと、その連絡で理解した。

伯父おじさま……? はい、メニミィですわ」

『やあ、メニ。――まずいことをしたね』

「はい……?」

『聞いたよ、石橋エルスを退学させようとしたそうだね』

「え――あ、はい、けれど示唆しただけですわ」

『それがどれほどまずいのか、君にどう伝えるべきか僕は悩むけれど、わかりやすく伝えよう。メニ、彼が退学になって

「――え?」

『彼はそもそも、学園に好きで通っているわけじゃない。いつ退学になっても構わないし、好きにしろと彼は口にするんだろう。けれど学園長は懇願するだろうし――僕もまた、考え直してくれないかと、交渉を始める』

「な……何故ですの? こう言ってはなんですが、成績も悪い落ちこぼれですのよ?」

『君には、そう見えるんだね。今、君に伝えられる言葉として選ぶのならば、会長という立場を得た君には、彼を自由に動かせない。何故って、君の要求が彼にはどうでもいいからだ。そんな人物が、学園長の言いなりになると思うかい? 答えは否だ、だって立場的に彼と離れてしまえば、影響力が減る。であるのならば、理事会の言葉はもっと届かない』

 おかしい、それは。

『逆だと、そう思うかな?』

「え、ええ」

『事実、そうなんだよ。たとえばメニ、君たちならば僕が会食に誘えば、理事の一人に呼ばれたんだと思うだろう。それは、つまり僕の立場が上にあり、僕の領域で会話をすることになる。学園長でも同じだ――君はきっと、学園の長として対峙するだろうし、必然的に会話もそちらに引っ張られる』

「おっしゃることはわかりますわ」

『結構。だけれど、彼は違う。おかしな話をするけれど――僕が、彼と会話をしようと思ったのならば、僕は彼の領域に入らなくちゃいけなくなる。子供と会話をする時に、視線を合わせるためにしゃがみ込むのとはわけが違う――と、そう言っても伝わらないだろうね』

「その……」

『ああ大丈夫、君への処分はないよ。彼にも警告されたし、僕から理事会にも伝えたから、メニが排除されることもないし、彼が何かをすることも――ま、今のところはないかな。以前に言ったよね? どんな相手でも、交渉や口出しをするのならば、調査をしてからと』

「はい、覚えていますわ……」

『けれど、君は彼を相手に、それをしなかった。何故かな?』

「油断があったからですわ。そんなはずはないと」

『そこで、君には彼を調べてもらおう。書類は、引っ越し前の君の寮に送ってあるから、明日は学園を休んで、まずは生活区の役所に向かうこと。――いいね?』

「……はい。わたくしの落ち度、ですもの」

『よろしい。けれど罰ではなく、きっと君も良い経験をすると思うよ。彼に関わる人間は誰もがそうだ――そして最後には、……いや、それは僕の感想か』

 一体、何があったのだろうか。

「その、伯父さまは彼と……?」

『はは、二年ほど前に顔を合わせていてね、久しぶりに連絡をくれたよ。勘違いしないで欲しいのは、彼が連絡をくれたのは、君を助けるためさ』

「……ええ、はい、素直に頷けませんが、そのようですわね」

『うん。それとこれは助言だけれどね、彼と接する時は、ただ一人の自分として接した方がいい。立場、家系、あるいは種族そのものも忘れてね。そして、敵意を見せないこと』

「敵意――ですの?」

『わからないだろうね。試してみればわかると、そう言えないのが残念だ。というか、そもそも理事会側からすると、彼に対するカードがないんだよ』

「――え?」

『市民権のはく奪さえ、僕らには、こう言っては何だが可能だ。けれど彼には不要なのさ、そんなもの。だからどうしたと、笑いもしない。きっとね……。だからせめて、繋がりを持たせて影響力を少しでもと、学園に通ってくれているのさ。通わせているんじゃない、そういう立場を配慮してくれた、彼の行動だよ』

 なんですの、それは。

 まるで――都市運営に関わっている理事会が、手玉に取られているんじゃ、ありませんの……?

『彼は怖いよ。全部は知らないだろうけれどを知っている。つまりそれはね、メニ、も知っているんだよ』

「それは、理事会が? それとも彼が?」

『どちらもさ。――かつて、竜族の一部が、ある狂信的な思想に囚われ、ゲリラが頻発した時期があったのを、覚えているかい』

「――ええ、資料で見ましたわ。思想だけで繋がる〝集団〟であればこそ、その繋がりは偶発的とも思える曖昧なもので、頭を潰しても思想だけで次が生まれる、そういったものでしたわね」

『その通り。まあ昔の話だけれど、たとえば、それを解決するのなら、どうすべきかと彼に問うたこともある。戯れにね』

「どう答えましたの?」

『できるかどうかは別にしてと――そんなことを前置してね、頭を潰すと言ったんだ。けれどそれじゃ解決にならない。すぐ、次の頭ができると言えばこうだ。できるだけ残虐な方法でかつ、同じ殺し方で、次の頭もすぐ殺すと』

「いたちごっこではありませんの……?」

『そう思うだろう? それが僕たちの思考だ、そして君の考えだ。現場を知らないからそう言える――と、まあ、言われてね』

「現場を知れば、違う答えが出るんですの?」

『――恐怖もまた、思想と同じく伝播するものなんだよ、メニ。同じ殺され方をした、それが三度続いたら、もう四度目は偶然じゃ片付けられない。自分がのがわかっていて、頭になりたいと思うかい?』

「あ――」

 自殺行為、なんて言葉じゃ表現しきれない。

 その残虐性はわからないが、けれどでも、仮に〝会長になった者は皆呪われる〟と、そんな現実が三度も続いていたのならば、わたくしはきっと、会長になど、なろうとすら思わなかったはずで。

『だから、彼は面白いし、怖い。現場の見解を持ちながらも、僕たちの立場を理解しているからね。まあ、どうであれ、調査は許可されているから、メニも楽しむといい。役所が開くのは八時以降だから、そのくらいからね』

「ええ、わかりましたわ」

 そう答えれば、通話は切れ、わたくしは皮張りのソファの背もたれに躰を預けると、天井を見上げた。

 今、思い出した。

 伯父さまではなく、ほかの理事の方が数人一緒に、会食をした時に、出ていた言葉。

 あなたと年齢はそう変わりませんよと、苦笑していた、その人物を。


 ――触れられざる者イントッカービレ


 そう、呼んでいた。



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