第6話 新会長の受難~今日もまた泣く~

 雨が続く時期なんてのは、毎年何度か訪れる。

 時には局地的な水害が発生するほどの時もあるが、ここのところは降ったりやんだり――商業区にとってもそれは同じで、噴水から常時水を得られるここにおいて、水不足はまずない。ないが、それでも雨がなければ心配にもなるし、続けば被害も出る。

 そして、それは大工仕事だとて同じだった。

 夜のうちから雨が上がったのを、夜間定期巡回中に知った俺は、風の動きを読んで、早朝四時から制服ではなくつなぎに着替えていた。

 まだ誰も起きていない時間に寮を出る。外の世界もまた、妙な静寂に包まれている。

 夜の気配と、朝の気配は似ているようで違う。

 人が乱した空気を、ゆっくりと落ち着かせるのが夜。舞い上がった埃が、時間をかけてゆっくりと落ちるのと、少し似ている。であればこそ朝は、まるで雪原の早朝のよう、誰の足跡もない白色の世界に似ていた。

 既に道路が乾いており、空気に湿度をそれほど感じない。やや速足に向かったのは、新築の工事現場だ。

 外観だけは、ほぼ完成と呼んでも良いくらいには出来上がっている木造家屋、二階建て。ここが新しい寮になることは聞いているが――そこに。

「棟梁」

「おはようさん、エル。やっぱり来たか」

「昨夜、雨が上がったからな……」

 空を見上げれば、雲が少なく、風によって流されている。それなりに強い風も時折吹く――が。

「今日は持つか」

「ああ、今日中なら、なんとかな。そっちの〝乾き〟はどうだ?」

「まあ……なんとかなるだろう。エル、悪いが付き合え」

「そのつもりで来た。俺は物好きだからな」

 まだ出勤時間前なのに、俺たちは準備を始める。これからは〝塗り〟の作業だ、今日中に終わらせなくてはいけない。雨の合間を縫ってでもやらなければ、腐敗の危険性が上がる。

 俺たちを含めて六名が揃った頃には準備が整っており、独特の緊張感を孕んでの作業が始まった。

 大工連中でも、この作業ができる人間は限られる。本来ならば外部の俺になんかに、やらせない方が良いのだけれど、この手の仕事に関しての実績もあるため、明日は雨かもしれない、なんて状況ならば、手伝うこともあるわけだ。

 高いところから、低い場所へ。上手く手分けをしながら、まずは防腐処理剤を刷毛はけを使って塗る。目残しと呼ばれる、塗り残しがあっては大問題であるし、それでいて極力、均一に塗っていかないと、液剤が足りなくなる。普段は怒鳴りあいも続く現場が、この作業の間だけは本当に静かになるのが特徴的だ。

 それが終われば、五分から十五分ほどの間休憩。その間に飲み物を口にして、次は防腐剤が乾いた上に、コーティング剤で防腐剤の耐久性を上げる。そして、今度は外観を綺麗に見せる塗料、これは場所によって色を変えて塗り、更にそれが乾いてからは、最後のコーティング。

 全体を四度にわたって塗る作業だ、六人がかりとはいえ、高所作業もあって、どれほど手早くやったところで時間はかかる――が。

 最後の塗りを終えて乾きを待つようになった十四時、俺たちは遅めの昼食をとることになった。

 適当に腰かけ、弁当を手にして、誰もが見上げるのは空で、その次に家屋だった。

 早く済ませなくてはならない作業なのに、どうしたって完全に乾かないと次の作業ができない。気が急くと失敗するし、疲労を感じても効率が落ちる。我慢が必要な仕事というのは、それだけで難易度が高い。

 だがまあ、最後のコーティングを終えてからは、最低一時間の乾燥時間を置いてからの確認だ。お預け状態だったので、弁当は余計に美味く感じる。

「しかしまあ、エルは物好きだな? 朝から待機してるし」

「ん、ああ、どうせ眠れないからって夜間巡回もしてるし、お前らより気付くのが早いんだよ。棟梁と違って鼻が利くわけじゃねえさ」

「棟梁と比べるなよ……そもそも経験からして違うんだから」

 精神的にも疲れる仕事というのもあって、弁当は二つほどぺろりと平らげる。野郎なんてそんなものだ。

 昼寝の時間もあって、一時間と少しあと、塗りの最終チェックを行う。まずは自分がやったところ、続いて他人がやった場所、つまり建物の全域。そして内部からの浸食チェック――ミスがあっても、この段階ならある程度、挽回ができる。だがその仕事は責任者である棟梁の仕事だ。

 と、そんな折であった。


「たのもー! ですわ! 石橋エルスはいらっしゃいますの!?」


 甲高い声が聞こえれば、数人がそちらに顔を向けるが、俺は自分の仕事を続ける。

「いないと言っておいてくれ。めそめそ泣き出したら顔を出す」

「おう。――いるぞメソ子!」

「おう、じゃねえだろ……」

 飛び降りができる高さであっても、きちんと順序よく迂回して降りるのは、仕事をする身にとって当然のことだ。いわば一つの配慮でもあるが――。

 現場の出入り口付近に、メニミィは両手を腰に当てた仁王立ちで待っていた。やや髪が乱れており、小綺麗だったはずの服にも、やや汚れが目立つ。普段は隠しているはずの赤い鱗のある珍しい色合いの尻尾が、スカートの中から、でろんと姿を見せていた。

「なんだメソ子、ついに仕事の邪魔をしたくなったのか……?」

「わたくしはそんな変質者ではありませんわ。いいですの、石橋エルス」

「よくねえから後にしてくれ。じゃあ元気で」

「待ちなさい! ともかく、こちらが差し入れの飲料と食べ物ですわ……」

「ああそう」

 まあ、そろそろチェックも終わるし、十六時も近いので終業前には丁度良いか。

 各自、仕事が終わってやってきたので、中身を渡す。棟梁は最後のチェック中らしいが、構わないとの返事があった。

「お、気が利くじゃねえかメソ子、夕食前に軽く食べられて良いね」

「おいメソ子、仁王立ちしてないで座ったらどうだ? それとも竜ってのは、尻尾も足として数えるもんか?」

「うるさいですわ! まったくもう、どこに行ってもメソ子、メソ子と……! 一体これはどういうことですの石橋エルス!」

「それはお前が、自宅に帰って今日の失敗はどうして起きたんだと反省する時、お気に入りの抱き枕に顔をうずめて、めそめそ泣きだすから――って、キョウが言ってたからメソ子だ」


「キョウ――!! あなた何を口走りやがってますの――!?」


 どういう関係だと聞いたら、幼馴染みたいなものと、キョウは言っていたが。

「元気がいいなあ、おい」

「棟梁、どうだ?」

「――ま、及第点だ。朝からありがとな、エル」

「おう」

「あなた、朝から手伝ってましたの……?」

「そういうお前は、朝から便所でがんばってたのか?」

「違いますわよ! いいですの、石橋エルス」

「フルネームで呼ぶなよ……こっちが可愛い愛称で呼んでやってんのに」

「不本意ですわ! わたくしは朝から役所に向かうところから始まり、あちこちにたらい回しですのよ!? これは一体どういうことですの、説明を求めますわ!」

「へえ、最初はどこ行ったんだ」

「飲食店ですわ……書類を渡そうと思ったら、忙しい時間だから手を貸せと、やったこともない接客ですのよ? 注文をとって、それを厨房に通して、料理を運んで、テーブルの片付け……まったく、わけがわかりませんわ」

「今まで、やってもらう側だったお前は、やっている側のことをちっとも考えてなかったことが証明されたな」

「ははは、ガキならそんなもんさ、そう言うなよエル。んでメソ子、それが終わったら?」

「書類を渡したら、次は荷物を持って配送業者のところですわ。今度は仕分けを手伝えと言われて、大変でしたわ……手が遅い、頭を使え、さんざんでしたのよ」

「あー、ありゃ結構面倒なんだよなあ。他人の動きを見ながら、邪魔をしないようにしつつ、手元のものをどこにやるのか、邪魔にならないための順序なんかを考えながら、それでいて速度が重要ってな」

「それが終わったら、今度は庭師の業者に……もう、本当になんなんですの? 現場にいる人に差し入れだって、わたくしが運搬ですわよ? でもそこでようやく、石橋エルスの話を聞きましたの」

「おい、だからいい加減、フルネームはやめろメソ子」

「あなた、一体何をしてますの……?」

「なにって。見ての通り今日は大工の手伝いだが」

「リンゴの木について聞きましてよ」

「ああそう」

「おうそれだ、ははは、瑞枝みずえばあさんがえらく元気になっててなあ、ちょい様子見に行ったら、まだ十年は大丈夫だってな。ありゃあ嬉しかった……」

「お前は涙もろいからな」

「棟梁、そりゃねえぜ……」

「で?」

「なんですの?」

「だから、それからどうしたんだって話だ」

「あ、ええ、庭師の方と話をしてから、一緒に昼食をしたあと、またあちこちに行っていいように使われて、ようやく、そう、先ほどあなたの居場所を知って、ここに来たのですわ」

「だから、そんなくたびれた服なわけか。似合ってるぞメソ子」

「似合ってますの? だいたい、こうなったのはあなたが原因じゃないのかしら?」

「責任転嫁すんな。めそめそ泣いてるお前は、そのくらいの服の方がお似合いだ」

「こいつ口が悪いですわ!」

「褒めたのに何故怒る……?」

「あなた、それ本気で言っているのなら、女に対する扱いを覚えた方がいいですわ」

「本当に駄目なのかどうか、確かめさせてやるから、今夜は俺のベッドに来いよ」

「なんでそうなりますの!?」

 あ、顔を赤くしてる。こいつあんま免疫ねえな……。

「……よし、今日はご苦労だったなエル。もういいぞ」

「おう、片付けは頼んだ。行くぜメソ子」

「どこにですの?」

「うちの寮だ。変な意味じゃなく、シャワーくらい浴びたいだろ……近いから来い」

「……わかりましたわ」

 素直なものだ。

「それで、あなたは大工仕事を手伝って、報酬を貰っていますの?」

「あ? 昼飯は食ったし、今も軽く食べられた。――充分な報酬だ。お前だって、飯を奢ってもらっただろ」

「それだけではありませんの……?」

「そう思うなら、お前がいつか報酬を支払う側になった時に、料金を上乗せしろ。だがそれは現実的に不可能だ――経営面でのコストを考慮すれば、支払う金銭の上限は見えてくる。で、あちこち見まわって仕事を手伝ったお前に、俺はこう問いかけるわけだ。――で? お前はいくら貰えば満足する?」

「それは……」

「専門に仕事をしているから、慣れてる? そんな馬鹿なことを言うなよ、メニミィ。そこまでするのに、どんだけ苦労したかを考えることが、今のお前ならできるはずだ。で? 何ができそうな仕事はあったか?」

「ううん、難しいですわ。実は少し、落ち込んでますのよ? わたくし、こんなに何もできなかったんだって、思いましたもの」

「今日もベッドで泣きそうだな、メソ子」

「その呼び方、やめてくださいません……?」

「きちんと対峙して、連中に認められりゃ、名前で呼ばれるようになる。簡単なルールだ、せいぜい努力しろ。俺が小僧って呼ばれなくなるのにも、一年くらいかかったからな」

「そう、ですの?」

「実力主義の世界だからな。怒鳴られるぶんならまだいいし、馬鹿な失敗をすれば殴られる。一つの失敗で危うくなる、理事連中とは違うにせよ――ないがしろにはすべきじゃない」

「……どこへ行っても、あなたの名前を聞きましたわ。そして、悪い話はありませんのよ?」

「どうだかな。やることもねえから、あちこち足を向けて手を貸してるだけだ」

「学園に来なさいな……」

「ここで得られる経験が、学園で受けられるならな。授業に金を払って、飯も出ないんじゃやる気も出ない」

「ご飯のためにやってますの……?」

「少なくとも腹が減って死ぬことはねえだろ。俺にとってはそれで生活できる」

「その感覚は、よくわかりませんわ……」

「……」

「なんですの?」

「いや、お前って思ったよりも素直だな」

「どう見えてましたの!?」

「それは聞かない方がいい。ほれここだ、来いよ」

「むう……」

 中に入ってすぐ、俺は声を上げる。

「おい寮母! 女を連れてきたからシャワーを貸してやってくれ! 泥臭い女を抱く趣味はねえ!」

「抱かれませんわよ!」

「……」

「な、なんですのじっと見て」

「お前、なんだかんだで胸は小さいな」

「よ――余計なお世話ですのよ!? なんて失礼な!」

「馬鹿、着替えの話だ」

 リビングに向かえば、レゾナルがいたので、背中を押すようにしてメニミィを任せる。

「リリは帰ってるか?」

「ええ。……あらら、確かに私の着替えじゃ、残念なことになるわねえ」

「この寮には失礼な人しかいませんの……?」

 さすがに俺もつなぎ姿でうろうろすると、汚れがあちこちつくので、一旦自室に戻って作務衣に着替える。寝巻としても使っているが、部屋着としてもこれが楽だ。

「――おい! いるかリリ!」

「……はあい! なあに先輩」

「メソ子が来たから、着替えを用意してやってくれ。すげーダッセェの」

 三階から、顔だけ見せたリリに言えば、どういうわけか不満そうな顔をした。

「なんだ? メソ子に貸すような服はないか?」

「ちがくて。あたし、そんなダッセェ服とか持ってない!」

「へえ? ――おいキョウ! 聞こえてるなら、とっととリリの部屋にあるダッセェ服を持って来い!」

「うんわかったー」

「わかるの!? ちょっ、キョウちゃん待って! どれがダサイのか教えて!」

 元気が良くて何よりだ。

 再び階下に降りた俺は、珈琲の用意を始める。まだ食事の準備が始まっていなかったのも幸いだ。

 なんで俺がこんなことを、とは思わない。

 面倒なのは確かだが、人の世話をするのは、嫌いじゃない。

 というか、ここらの巡回なんてのは、ロリ子はともかく、ほかの連中にもやらせている。現場経験は、何事においても有用であるというのも、俺の信条だ。

 ぽたぽたと、落ちる液体を眺めていれば、落ちる速度よりも落ち込んだリリズィが、とぼとぼと降りてきた。

「持ってきたぁ……」

「なに泣きそうな顔してんだ」

「ううう」

 冗談交じりだが、そんなダサイ服が本当にあったのかこいつは。

 脱衣所に衣類を置いてきたリリズィは、何故か俺の背後から抱き着いてきた。背丈の差が少ないことが露呈するから、やめて欲しいんだが……。

「せんぱぁい、キョウちゃんがいじめるー」

「あいつがサディストなのは今更だろ……」

 あれはあれで、ちょっと俺の影響もあるので強く言えないのだが。

「頭撫でてー」

「まったくお前は……」

 猫族は本当に、自分勝手だが人肌を欲しがる。ふらふらしてる時には一人で問題ないし、むしろ一人の方が良いと思っているくらいなのに、落ち込んだり甘えたい時には、誰かがいないと我慢ならない。

 忙しい時はこれ以上なく邪魔だが、断ったり後回しにすると、もっと面倒になる経験から、こういう時は素直に甘えさせてやれば、短い時間で済む。

 まあ、女に甘えられて嫌がる野郎も、そうはいない。時と場合を考えろとは思うが。

「……ん、珈琲ができた。そろそろ離れろ」

「もうちょいー」

「あらあら、仲が良いわねえ」

「今はちょっと、うっとうしい。レゾ、カップに注いでおいてくれ」

 ずるずると引きずるようにしてリビングに移動して、ソファに腰を下ろせば、改めて真横から腰に抱き着いてくる。たぶんもう、なんでくっついてきたのかも、覚えてないだろう。がりがりと頭を撫でてやれば――ひっかくに近いが――今にも眠りそうである。

「お風呂ありがとうござ……なにやってますの、石橋エルス」

「かまぼこみたいな目になってるぞ、メソ子。そのてるてる坊主みたいな服、この猫のだから感謝しろ」

「ええ、ありがとうございます、リズ」

「うんいいよメソ子先輩」

「あ、あなたまでそれを言いますの……!?」

「知り合いか、リリ」

「あ、うん。キョウちゃんの付き合いで」

 珈琲がやってきたので、襟首を掴んで引っぺがすが、文句は言わなかった。満足したらしい。

「んふー……で、どしたの先輩は」

「……あちこち、視察してましたのよ」

「新会長は大変だね、お疲れさま。どっちかっていうと、エルス先輩に関わったのが運の尽きっていうか、残念っていうか、今日も寝る時にめそめそ泣くんだろうなあ……」

「な、泣きませんわ!」

「じゃあ一緒に寝よっか?」

「…………、……遠慮しますわ」

 うん、そうだなリリ、こいつ泣くんだろうな。

「つーか、お前はよく誰かと一緒に寝てるよな」

「うん。一人だとどうしても、周囲を警戒しなくちゃいけないから。種族特有の性質かなー、とは思うけどさ」

「そうですわね。猫族はルームシェアをする子も少なくないですわ――キョウ! やっと出てきましたわね!? そこにお座りなさい!」

「あ、うん。うるさいよメソ子。……よいしょ」

「わたくしの膝の上に乗らないでくださいます!?」

「わがまま……」

「わたくし、そんなにおかしなこと言ってますの……?」

「ああ、ごめん、まだ泣かないで」

「泣いてませんわ!」

「よしよし。それでどうしたの、竜族のお偉いエリート様のメニ?」

「もう嫌ですわ……!」

 嫌だと言いながら、さっきのリリズィみたいにキョウの腰に抱き着いて、顔をうずめた。

「あ、やりすぎた。エルス先輩がいじめ過ぎたからじゃない……?」

「否定はしねえけどな。ロリ子とプリ子はどうした」

「今夜が楽しみだから寝るって言ってたから」

「ふうん」

「……? あれ? ちょっと待って先輩。私のこともモー子なのに、なんでキョウちゃんだけそう呼ばないの? いつから?」

「いつからも何も、キョウは最初からキョウのままだ」

「えー……? 釈然としないんだけど」

 異族狩りではないにせよ、キョウと俺の立場はそれなりに似ている。学園なんぞ通わなくてもやっていけるし、今日のメニミィのよう巡回したところで、それなりに対応できる。

 一人前だとは言わないにせよ、それに近い立場を、俺と出会った頃には持っていた。

 竜と人とのハーフとして生まれた苦労だと、そう言ってしまえば、それだけで済んでしまうのだが――簡単に言えば、盗賊だ。義賊とも呼ぶかもしれないが、似たようなものだろう。そして、ある宝石をキョウは探している。

 しばらくキョウが撫でていれば、やがて顔を上げたメニミィは目元を拭うと、珈琲に手を伸ばして、一口。

「あ、美味しいですわ……」

「そりゃどうも」

「これ、あなたが落としたんですの?」

「俺以外には淹れるヤツがいないからな。……ん、おいメソ子」

「なんですの……?」

「今夜、こっそり学園に忍び込んで闘技場使うから、気になるならお前も来い」

「――え? こっそり……なんですの!?」

「だから、忍び込むって言ってんだろうが」

「な、何のためにですの?」

「こっそり戦闘訓練だよ。安心しろ、バレなきゃ大丈夫だ」

「バレますわよ……」

「は? お前、今まで俺が週三くらいで使ってるの知ってたか?」

「――」

「あ、口開けた。私の時と同じ反応だ」

「無断使用に気が引けるなら、今回はお前が適当に許可取って、お前が使うことにしろ。新会長になって初めての仕事かもしれないぞ?」

「なんか……もう……どーでもよくなりましたわー。楼花ろうかさんを今、すごく尊敬しましたのよー」

「だから、お前の本来取るべき初動は、俺に対してと決めることなんだよ」

「今更遅いですわよ……」

「事前調査の大切さがわかって良かったな。あと、敵対せずにおいた俺に感謝しろ」

「もうそれでいいですわ……あ、寮対抗戦はどうなさいます? わたくしから言い出したことではありますが」

「参加するっ!」

「――と、リリが言ってるんだよ。プリフェもうちに来たし、断れそうにない。ただ、俺が直接出るかどうかは、状況次第だ」

「そうですのね……でもまだ、戦闘に関してはあなたの実力、半信半疑ですのよ?」

「安心しろ、それならこの寮の連中全員がそうだ。俺の戦闘なんか見たこともないし、こいつら相手に〝戦闘〟なんぞ、しなくてもいい」

「本気で言ってますの……?」

「だから、気になるなら今夜来い。一応、飯食った後の十九時くらいに向かうから」

「わかりましたわ……」

「……リリ、こいつ素直だな?」

「一定ラインを越えると、だいたいこう。可愛いでしょう」

「本気で涙を堪えてるロリ子とどっちが可愛い?」

「あ、うん」

「ちょっとそこで曖昧に頷くのやめてくださる!?」

 さっきからずっと頭を撫でられたままのお前が、何を言ってるんだ。情けない。

「ああ、そうだ、もう一つ」

「なんですの?」

「現在、地下区画への挑戦条件がどうなってるのか、調べておいてくれ」

「……ふう、それも、あなたの名前を出さない方が良いのでしょう?」

「それがお前のためだろうな。ちょっと賢くなったじゃないかメソ子、良い子だ」

「うるさいですわ……」

「じゃ、連絡して飯を食ってけよ、メソ子。使用許可なんぞ簡単に取れるだろ。俺は寝る」

「んふふふ、どうだい旦那、いい子がいるよう?」

「レゾは俺の趣味じゃねえよ、あんな年増」

 またキッチンから飛んできたお盆をキャッチした俺は、テーブルに置いて立ち上がった。

「夕食終わったら起こしてくれ。あー……じゃあメソ子、お前だ」

「わたくしですの!?」

「うちの夕食を食えるんだから、そんくらいしろ」

 というか、そもそも腹も減ってないんだがな。

 いやさすがに、神経を使う仕事は疲れる。ちょっと横になろう。メソ子の相手も疲れた。



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