第20話 これから続く二日目の昼

 刀の基本は、正眼せいがんである。

 正面に切っ先を向け、両手で持つ。それを頭上まで振り上げて、踏み込みと共に膝を曲げ、腰を落とすようにして引き、斬る。いわゆる、腰を入れると言うのだが――抜打ち、いわゆる居合いの場合はそもそも片手で扱うわけで。

 力ではなく技術を要する。

 一見、ただ刀を振っているように見えても、そこには細かい技の積み重ねがあり、結果として居合いが完成しているに過ぎない。

 これまでを大前提とした場合――つまり俺程度の、居合いが使えるレベルになってしまえば、今度は速度を追うことになるのだが、実は速度を上げる鍛錬というのは、簡単だ。

 簡単にできる。

 こう表現すれば語弊もあるが、つまり、やることが単純で、抜いて斬る速度と同じ速度で、納刀をするだけなのだ。

 初めてやった時は、刀を持つ腕がすぐ痛くなるような、ゆっくりとした速度で、それこそ切っ先の止め位置、そこから鞘の入り口に先端が入るまでを、じっくり目で追いながらやったものだ。それを続ければ、速度は必ず上がる。

 滞在期間はまだ決まっていないが、せいぜい五日。メニミィは小太刀の基本すら、覚えられないだろう。天才的な才能があり、適合した者であっても、小太刀が扱えるなんて胸を張れるのは、一年が過ぎてからだ。数日、数ヶ月では話にならない。

 ならば。

 どこまで面倒を見るのかが、俺にとっての問題だ。

 メニが、何を求めるのかも。

 あるいは――俺が何を目指すのか。

「……」

 やれやれと、吐息を落とす。座りながらこっちを見ていたククルクへ躰を向けて。

「動くなよ、ククルク」

「なんやの?」

 午前中の魔術講座でかなり頭を痛くしていたが、だいぶ収まったらしく、長めの休憩とばかりに俺の鍛錬を見ていたが、それを標的として。

 二度。

 もちろん当たらないように配慮した居合い。

「見えたか?」

「見えたけど対応はできへんなあ」

「親父なんかは三連くらい、平気でやってたんだけどな。技もある程度は見せてもらったが、あまりできるやつはない」

「技もあるんか?」

「もちろんだ。つっても、あの親父だって完璧にできるとは、一言も。真似事だと笑っていた」

 肩の力を抜くよう躰を震わせ、左手で柄尻を押さえる。今は抜かないと示す行為だ。

「それで? 頭を使った次は躰を使うか?」

「あんたとか?」

「ほかに誰がいる?」

「嫌や。正面からやったって、何一つ届く気がせえへん……」

「――はは、実力差があると、痛感したか? 残念ながら現実は、そうでもねえよ」

 しゃがみ込んで影からタオルを取り出した俺は首にかけ、額を拭う。

「真面目に殺し合いをした場合、お前には準備が必要で、俺には必要ない。だがそいつは、逆を言えば準備をしなけりゃ殺し合いなんかしねえと、そういうことになる」

「糸を張って、うちのフィールドを作って?」

「そうだ。もちろんその場合の攻略法も俺は持ってるし、考えてはいるが、それを上回ることも可能だろう。ただ、更に逆を言えば? 俺は準備をさせる前に殺しちまおうと、そうなるわけだ」

「ヴェネッサにもよう言われたわ。うちには想像力が足りてへんって」

「瞬間的な戦闘においては、決定力が物を言う。そもそも、自分の命を対価にする短時間の仕事なら、それで良かった。けどそれは、綱渡りだろ」

「せやな。一度で使い切りを前提で、二度目はいらへんかったんやろな。変わろう思ってても、うちは昔のまんまや……」

「変わりたいか?」

「当たり前やろ」

「じゃ、時間はかかるが一つ方法を教えてやる。筋トレをやれ」

「筋トレ? そら……ええけど」

「二分だ、ククルク。腕立て用意」

 時計を見て、うつ伏せになったククルクが両手で支えるのを確認して。

「そのまま動くな」

 ひょいと岩棚を降りて、下のベースから竹に入った水を一つ飲み、メニミィがボールと遊んで――いや、遊ばれているのを見てから、また上へ戻る。残念ながら雨はもう上がってしまっていた。

「二分、やめていいぞ。――どうだ?」

「どうって、こんくらいなら疲れもせえへん」

「だろうな。だったら二分間の戦闘だって、そう疲れもしないだろ」

「……は?」

「おかしなことを言ってるように聞こえるかもしれないが、なんだよ。確かに、二分間の戦闘は、熟練者にとって長い。だが熟練者は、そもそも二分間も動かねえんだよ。それこそ、一撃で終わる」

 だから参考にはならない。

「静的な運動を基準にして、二分という区切りを染み込ませろ。変な言い方だが、そうすりゃ二分間の全力戦闘をしたって、余力が作れる。つまり――」

「体力不足を解消せえ、簡単に言うとこうやな?」

「そういうことだ。実際にそこらは、ガキの頃にやったっきりだろ」

「何事も基礎か」

「地道な一歩だけどな。身体抑制をしながら戦闘するより、よっぽど現実的だろ。使い切っちまう癖は、そこからどうするかだ」

「本音を聞きたいんやけど、どうにかなると思うんか?」

「……、どういう仕組みかわかるか?」

「わからん。ヴェネッサは、魔術をもっと知ればどうにかなる、そう言われた」

「ま、そうだな。実際には脳のリミッターが問題になってんだよ」

「あれやろ? 普通の人なら止まるいうことやろ?」

「簡単なのが、反射動作の抑制だな。熱いものに触れた時、人は反射的に手を引っ込める。熱いと感じる前にだ。針を手のひらに刺すのでもいい――だが、お前はそのまま突き刺すことができる。極端なことを言えば、骨折したって、

「意思の問題とは違うんやな?」

「違うとは言わねえが、感じないようにできてるというか……。痛みや怖さの感覚が極端に低いし、そのための対策を全部除外してる。それを元に戻すのはほぼ不可能だが、術式によって新しく似たようなものを構築することは可能だ」

「うーん……」

 悩む気持ちも、わからんでもないな。

 実際に、二分間とはいえ、二分ぎりぎりまで粘って殺せない相手の方が、こいつらにとっては少ないだろう。ただ、その少ない例外が目の前に現れた瞬間に負け、つまり自分が殺される現実は、異族狩りを抜けたククルクにとって、真っ先に除外しておきたい可能性だ。

 二分やって、無理なら逃げる。

 わかりやすいが、そんな現実はほぼない。その時には死んでいる。

「簡単な解決方法なんぞ落ちちゃいねえよ」

「せやな」

「で、お前はここでのんびりしてていいのか?」

「うちの目を気にする男じゃないやろ」

「まあな」

「……ああ、そや、寮対抗戦」

「なんだ」

 今度は居合いの構えから入り、そこから動かない。動きを馴染ませたいのなら、まずは不動も馴染ませるべきだ。

「参加したの初めてやったろ? あんたやなく、ほかのも」

「そうだが」

「裏対抗戦、誘われてるんとちゃうか?」

「あー、忘れてた。そういやそうだな。ありゃ丁寧な説明がないだろ」

「最近は初回に限り、説明する場合もあるで?」

「なんだ、馬鹿以外も集まるようにはなったのか……」

 学生に限らず、夜間に行われる戦闘形式の裏トーナメントは、寮対抗戦に出るような連中よりもむしろ、模範的ではない学生たちが多くおり、いわゆる実戦形式だ。卒業前の半年になれば、現場に出る前に裏トーナメントで現実を知るのも、よくあることで。

「俺は黙認してたが、お前はどうして知ってるんだ?」

「こっそりやってても、巡回中に見つけるやろ。それとうちの診療所、夜間に担ぎ込む馬鹿がおんねん」

「なるほどな」

 裏とはいえ、何も非合法がまかり通っているわけではない。ないが、認知されていないことは事実だ。それに、今のプリ子やモー子くらいの実力者なら、山ほどいる。

 ……はて。

 プリ子は確か、称号持ちだったような気もするが、まあいいか。

「良い相手に当たれば、勉強になるだろ。異族狩りも隠れ蓑にするくらいだからな」

「――」

 言えば、息を飲むようにして動きを止めたククルクは、何かを言おうとしてから、軽く吐息をして肩の力を抜く。

「いちいち、反応しとったら、あかんなあ」

「いい心掛けだ。俺の知り合いも結構いるし、俺の住む寮だから、殺されることはねえだろ」

「……一応、聞いておくんやけど」

「あ?」

「メニミィが誘われたらどないしとったん?」

「俺に話を通させて、丁寧にお断りだ」

「……甘くないか?」

「あいつはまだ、型もついてない。余計な戦闘をしても成長はするだろうが、雑になりがちだち、すぐ頭打ちになる。一年くらいは戦闘をせずに、基礎を徹底させた方が良い。その方が多くのものを吸収する」

「教えた先から覚えとるんは、見とってようわかるけど」

「つい、余計なことまで教えたくなるもんだ。とはいっても、俺はあまり教えるのが上手くはない」

 今も、ヴェネッサが丁寧に教えていることだろう。

「何がちゃうん?」

「きちんと修めているかどうか、だな。俺が我流ってわけじゃなく、途中からは模索してた時期があったから、どう教えるべきか迷うわけだ。教えるなら、失敗はまずいだろ」

 俺じゃなく、相手の失敗になるのだから。

「いずれ、抜かされるぞ、ククルク」

「うちらの完成が早すぎやから?」

「それを完成だと思ってる段階で、だ。ヴェネみたいな化け物も世の中にはいるが――そういうあいつだって、自分より強いやつを知ってるさ。その上で、殺し合いなら実力差は小さいと言うのは勝手だ」

「それ以外で負けるのを認めとるだけやな」

「こっちの背中を見てるヤツがいる以上、間抜けはさらすなよ」

「せやな」

 どうせしばらくは鍛錬ばかりだ――が。

「暇なら飯でも取ってこい」

「あいよ」

 まだ、相手が必要な段階ではないのは、俺が情けないからだろうな。


 それは、封筒などではなく、丁寧に紙を折って作られたもので、中を開けば達筆で、時間と場所が記されていた。

 楼花ろうかプリフェと同行のもと、なんて一文を見つけたので、寮に帰って相談したのだが、同じものをプリフェも受け取っており、そこにはきちんと、シェリラ・リリズィと同行のもと、と一文があった。

 さて、差出人もよくわからないが、戦闘が可能な装備にて、という文字が不穏ではあったものの、どうすべきかを相談していたら、帰ってきていたギーギー・香苗かなえキョウが。

「案内するよ?」

 なんてことを言ったので、夜間であるものの、行ってみることにした。

 人気の少ない生産区の、鉄骨置き場。あちこちに好き勝手、十人ほどが座っていて、誰もかれも若い。こちらの来訪に気付いて視線を投げた数人の中の一人が、中央の広間に足を向けて出迎える。

「やあ、いらっしゃい――ここにキョウがいるのは聞いていないけど?」

「案内」

「参加表明じゃなく?」

「ちがう」

「それは――良かったと、安堵したのが七割、残り三割は残念がってるだろうね。君の席はまだあるし、奪いたい連中もそれなりにいるのに。まあいいや、とりあえずいらっしゃい、楼花さんと、シェリラさん。そしてようこそ、――裏対抗戦へ」

「はあ、どうも」

「っていうか、なに、なんなのキョウちゃん」

「知らんし」

「ははは、簡単に説明すると、寮対抗戦のように生ぬるい見世物ではなく、より実戦的な戦闘を目的とした、競い合いの場だよ。黙認はされてるけど、正式には存在しないから、まあ秘密にしておいて欲しい。楼花さんなら、見たことある顔もあるんじゃないかな?」

「ん……確かに、少しは」

「そして、同時にここは育成の場でもある。二人の戦闘はもう、表じゃ面白くもないだろう? だからこっちに誘ったわけだ。とはいえ、そのレベルは――こう言っては何だけど、二人がかりでも俺にさえ届かないね」

「おー」

「キョウ、茶化さないでくれ」

 ぱちぱちと両手を叩いたのを見て、彼は苦笑して手を振った。

「さて、じゃあ始めよう」

「始める? ……って、戦闘よね」

「シェリラさんの顔には、やってみたいって書いてあるよ」

「ちょっとリズ」

「だって面白そう! 寮対抗戦じゃ、なんかよくわからんうちに終わっちゃったし」

「若い子の特権だ、それが無謀でもね。――彼女たちに賭ける人は?」

 周囲への問いかけには、失笑が落ちた。誰も手を挙げない。

「うっわ、ちょっと頭にくるなーそれは」

 彼はロングソードを右手で引き抜き、片手で持つ。腰にはショートソードもあるが、そちらには手をかけず、肩を竦めた。

「エルスに怒られたくはないから、加減はするよ」

 二人の踏み込みはほぼ同時、正面から。移動の最中に剣を作ったプリフェとは違い、リリズィは接敵のぎりぎりまでショートソードを抜かなかった。

 居場所のスイッチ。

 残影シェイドを使った位置交換、つまり背後からのリリズィに、正面から挟み込むプリフェ。

 一歩、その踏み込みの強さはリリズィが強かった。

 振り下ろそう、そう思って剣を上げたプリフェは、そこで動きを止めたのだから、きちんと踏み込みが行えていない証左だ。何故って、簡単に止められたから。

 本来なら、リリズィのよう、踏み込んだものと同じだけの力を堪えるがめ、強引に力の制御をする。勢いで倒れそうな躰を、全身全霊で留め、奥歯を噛みしめて躰を強く震わせるよう、ぎりぎりのところで動きを止める――これが、踏み込みができている人間が、それを強制停止させた時によくある動作。

 踏み込みの力を使って背後に飛ぶなんて、そんな余裕はない。踏み込みが完成して、その勢いを打ち消すのは、容易ではないのだ。

 だが、必要だった。

 それはそうだ。

「寮対抗戦を見てたよ。まあ、話の流れとしては当然だよね」

 ロングソードは正面、プリフェの喉元に。

 そしてショートソードは左手で抜かれ、逆手、背中を向けたまま背後に踏み込んだリリズィの喉元に、ある。

 ――今。

 まさに切っ先が触れている状態で、だ。

「一度やったことは二度、同じ相手に通用しない。寮対抗戦で見せた技なら、対策されるなんてのは当たり前だ。それをこうして見せるくらいには、手の内が少ないのか、それとも俺らを甘く見てるのか、定かじゃあないね……ああ、大丈夫だ。もう少しでも踏み込めば、手を離していたよ。怪我はするだろうけど」

 どさりと、背後に尻餅をつくよう、リリズィは倒れる。プリフェも一歩、距離を空ければ、もうそこに切っ先はなかった。

「言っておくが、次はないよ? ないというより、結果は同じだ。今の君たちではね。それでも続ける?」

「いいえ」

「今、ちょっと、躰動かない……」

「やれやれ、情けない。いや、ちゃんと実力差がわかったってことかな? まあいいや、今夜は挨拶だ。君たちの参加条件は、俺に勝つこと。そうしないと、いつまで経ってもここじゃ遊べないから、せいぜい鍛えておくことだ。俺の連絡先を渡しておくよ――楼花さんにしておくか」

「いいけれど……あなたは?」

「俺? 表でもスティングって通称で呼ばれてる。暗殺スタッブではなく一刺しスティングだ。――ああ、先に教えておこう。俺は遠距離の方が得意でね、接敵せずに済まそうなんて考えると、今回のよう寸止めができないから、間違いなく怪我をするよ」

「――学園では、実力を隠しているのね?」

「隠す? そんなことはないよ? ただ、相手に合わせてやってるだけだ。ここにいる連中は、そんな不器用に見える?」

「む……」

「にやにや笑いながら見てるようで、彼らも貪欲なのさ。相手から技を盗み、自分のものとして得ようとしてる。強い弱いなんて、彼らにとっては尺度の一つでしかない。必要なら、強い相手とだってやる。――ま、続けるなら、そのうちにわかるさ」

 吐息を一つ。片手を差し出して、リリズィを立たせる。

「じゃ、場所を譲ろう。今日は軽く観戦するといい」

 そして。

「どうするのかも、よく考えることだ。諦めたって俺らは笑わないけれど、就職先で笑われるのまでは、責任が取れないね」

 出てきたのは男が二人、背丈には少し差がある。

「ここでは、礼儀として戦闘前にどっちかに賭ける。小銭でいいよ、どうせ戻ってこない」

「え、戻らないの?」

「彼らのファイトマネーだ。そして、期待値であり、これも訓練の一種さ。勝つにせよ負けるにせよ、理由が出るようじゃないと話にならない。たとえば」

 二人が中央付近で対峙して、自然体のまま周囲を見る。

「俺は二人の以前を知っている。つまり、以前の戦闘からどういう成長をしたのかを、これから観ることができるわけだ。その成長の方向、錬度、そうしたものを評価して、勝つ方や勝って欲しい方に賭ける。今、二人はまだ戦闘をしていないね?」

「うん、いないね」

「フェリラさんなら、どちらが相手でも一歩目で首が飛んでるよ。二人は速度と、死角縫いのレベルを上げてきた。楼花さんなら、構える時間さえない。ただし、その二人が戦闘する場合、極端に動かないだろうね――さて、君たちには一体、?」

「なに言ってんのかよくわからないんだけど」

「体格の違いは有利不利を決めつけない。得物の違いも、種族の違いも、勝敗を左右しない。今ここで見て、勝敗を決められる何かがわからないなら――君たちは、初見の魔物に殺されて終わりだ。就職してすぐ死ぬ間抜けと同じだね」

「――」

「厳しいことを言うのねえ」

「いつだって現実は厳しいよ。相手を見抜けないなら、そこで終わりさ」

 楽しめばいいと、彼は笑う。

 それが人生だ、とは言わなかった。



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