参 涌蓋山に巣食う蛇
一 涌蓋山へ
†
「来たか」
太陽が中天を過ぎて少し、太郎は一日ぶりに宮原村に舞い戻ってきていた。庄屋屋敷の門を潜り、太郎を待ち受けていたのは腕を組んだ壮吉とぶっきらぼうな言葉である。太郎は背負子を降ろした――ずん、と重たい音がする。
「相変わらずすげぇ荷物だな。倉の方に運んでおくぞ」
壮吉の後ろから顔を見せた吾助の言葉に、太郎は曖昧に笑みを返す。実は殆ど間を置かずの宮原参りだったので、普段の半分ほどの量でも無いのだ。俵が一つ、小物を詰めた樽が一つしか括り付けられていない。
「それで、俺を呼んだのはなんだ。……こんなものまで持ってこい、だの物騒な話だが」
言いながら太郎は、樽の蓋を開けて中身から、一本の刀を抜き出した。父平蔵の遺した一振りである。
苗字帯刀は武家の特権であったが例外も少なくはなく、また護身武器に関してはある程度黙認されてもいた。太郎の場合も黙認されているわけであり、余り大っぴらにできないものなので樽に隠して運んできたのだ。
壮吉は顎で、屋敷の方へと促した。
「入れ。あまり他に聞かれたい話ではない」
訝しがりながらも太郎は頷き、屋敷の玄関を潜った。
「あ、おいちょっと待ってくれ……お、重ッ!?」
吾助の声を背後に、壮吉を追って太郎と壮吉は奥へと進んで行った。
「……そんなことが」
座敷で太郎を待っていたのは神妙な顔をした信吉である。壮吉と共に部屋へと入った太郎に、信吉と壮吉は現在小国郷一帯で起こっている一連の失踪事件の話を語った。
「この一年で、そろそろ十人だ」
「貴様の住む田ノ原村も無関係ではないぞ。茅とか言う娘らしいがな」
「お茅が」
太郎はぐっと腹の底に湧き上がる熱い思いを感じた。その感情の名を、怒りという。
お茅は太郎も知った名前だった。働き者で良く田んぼに出ていた。確かに秋の頃から見かけない気がする。会えば挨拶する程度の間柄で、決して親しい訳ではない。が、お茅はただの村娘だ。何か悪いことをしたわけでもないのに攫われるなど、そんな理不尽な目にあっていいはずがない。
「お上は、こんな証拠不足では動いてくれないだろう。予て北の方を見て回る必要もあったところだ。太郎にはそれに同行し、俺の護衛をしてもらいたい。勿論、相応の謝礼も支払おう」
「判った。もし人攫いがいるのであればそれは俺も許せない。同行しよう」
その言葉に、信吉は僅かにほっとした表情を見せた。庄屋であっても彼も人の親である。決して体の強いとは言えない壮吉の連れ立ちに太郎が付いてくれるのであれば、なんと心強いことか。
そんな父親の表情を読み取って、壮吉は内心で面白くはないのだが顔には出さない。長年床に臥せる生活を続けていた壮吉を心配する親心なのは分かっている。だが感情が納得するかはまた別だ。未だに信吉にとって、壮吉はか弱い童のままであり、太郎の様に信を置いては貰えないのだ。
そんな心裡をおくびにも出さず、壮吉は立ち上がった。
「では、早速出るか。直ぐに準備するから、玄関で待っていろ」
言われて、太郎は玄関へと戻った。そこには裾を絡げて股引に脚絆姿の吾助が待っていた。太郎はと言えば、草履を履きなおすくらいしかすることが無い。
「おう来たか」
「ああ。……知らない内に、何か大変な事になっていたんだな」
声を潜める太郎に吾助が頷く。
「おう。俺もついさっき知らされたばかりだ。若い女ばかり攫うなんて許せねぇ話だ。絶対に見つけて助け出してやる」
吾助が顎で、脇に置いてある荷物の方を示した。行李の横に数打ち物だが、一本の刀がある。
「ああ、その意気だ」
吾助は体も大きく力持ち。島原にも行ったからいざとなっても物怖じしたりはしないだろう。そんな吾助が意気軒高とは心強い――
「そしていい感じに仲良くなった娘と祝言をだな……」
「あん?」
――と、思ったのに雲行きが怪しい。
「『吾助さん、助けてくれてどうもありがとう!』『わたし、とっても怖かったわ。でも吾助さんのお陰でもう安心ね』『へへ、良いってことよ。男として当然のことをしたまでさ』『きゃあ、かっこいい!』『ねぇ、吾助さん……お願いがあるのだけど』『何だい、子猫ちゃん』『私、とっても怖かったの……だから、お願い。これからもずっと私の傍にいてくれませんか』『おいおいそれって……参ったなァ』『あー、ずるい! 吾助さんは私と一緒になるのよ』『何言ってるの、あなたなんかじゃ吾助さんには釣り合わないわ!』『いいえ、吾助さんは私と一緒になるのよ!』『いいえ、私よ!』『私よね、吾助さん!』『ははは、喧嘩するもんじゃないよ子猫ちゃんたち。しかし俺の体は一つしかないし……どうしよう太郎!? 俺はどうすればいい!?」
「俺もお前をどうすればいいかと悩んでたところだよ」
不精髭の大男が、何が子猫ちゃんか。
そんな下らないやり取りをしているところ、廊下の奥からやってくる影があった。お里である。
「あらま太郎さん。来たと思ったら早速出る準備ですか。若様が北里村の方を見に行くって話ですが」
手には盆。握り飯と茶の入った湯飲みが乗っけてある。
吾助がぼそっと太郎に告げる。
「若様からは例の件はまだ他の奴らにゃ黙っとけ、ってな」
小さく頷いて返す太郎。確かに、こんな田舎で人攫いが跋扈しているかもしれないなど、言い広めて良い事ではない。尤も壮吉の北里村への視察というのも、本来の目的の一つであって嘘でも何でもない。
「ああ。俺もそれに一緒に行けと言われたんだ」
太郎の傍に座ったお里が盆を差し出した。
「お昼、まだでしょう。食べて行ってくださいな」
「かたじけない」
答えて太郎は、握り飯を掴み、頬張る。ふわりとした香気が口いっぱいに広がった。
「これ、中は味噌か。焼いてあるな」
「はい。刻み葱と和えて、軽く焼くと香りが良くなるのです。奥様に教えてもらったんです。お口に合えばよいのですが」
「いや美味いよこれ。どんどん食べたくなる……ん?」
一つ目をぺろりと平らげ二つ目に手を伸ばそうとした時、太郎は自分に注がれる視線を感じた。吾助のものである。
「なんだよ吾助。そんなに見られると食べ辛いんだが」
じっとりした視線の吾助は、そのままお里を見た。
「……お里よォ。俺に握り飯作ってくれる時、味噌焼くとかそんな手の込んだことしてくれたこと、無いよな」
「そうでしたっけ? 気のせいだと思いますけど」
「ふーん。じゃあ今度、俺にもそれ、作ってくれ」
「えっめんどく――はい承りました」
「今めんどくさいって言わなかった?」
「言ってません」
「言ったよね?」
「言ってません」「言った」「言ってません」「言った」「言ってません」「言っ
た」「言ってません」「言った」「言いました」「言ったません」「言った」「言ってませ……ありゃ? 言って、言った、……言ったますん?」
なんだそりゃ。
「言ってませんってきのせーきのせー。吾助さんのきのせーですってば」
言った言ってないと言いあう二人を見て、茶を啜る太郎が、
「……お前ら仲良いな」
「あ、やっぱそう思「あらやだ太郎さんきのせーです。きのせーきのせー、あらやだもう二人揃ってきのせーばっかり。やだやだ。春の陽気のせいかしら」
そう捲し立てたお里が、太郎にずいっと顔を近づけた。
「気のせいですからね? ほんとですよ」
「お、おう」
「わたしと吾助さんは仲良くありません」
「お里!?」
叫ぶ吾助をお里は完全に無視し、繰り返す。
「わたしと、吾助さんは、仲良くなんて、ありません」
「わかった。お里と吾助は仲良くない」
よくわからないが目だけが全く笑っていない笑顔、そしてふわりと届く香りに思わずどきりとする。そんな太郎の顔を見て、お里は満足したようににこりと微笑んだ。
やっぱり俺だけ扱いが違うくないか、と吾助が小首を傾げたところに、奥から支度を済ませた壮吉が信吉を連れてやってきた。
「待たせた。行くとするか」
草鞋の紐を締め直し、太郎は立ち上がる。
門までお里とお慶、そして信吉が見送りへとやってきた。
「太郎。これを」
信吉が、太郎に空の背負子を差し出した。太郎が田ノ原村から背負ってきて、荷物を全て降ろした背負子である。
「これは? 預かってくれるのでは?」
「いや、まあそうなのだが」
言いにくそうにしている信吉だが、
「ふん。必ず必要になる時が来る……忌々しいことだがな」
と、壮吉は確信に満ちた声で断言した。
それはもしや、例の件に関わることだろうか。真剣な眼差しで太郎は背負い子を受け取った。
「どうせ俺のことだ。途中でへばるに決まっているからな。その時は頼んだ」
「へばったお前を俺が背負うのかよ!」
「身体が弱いことにかけては一家言あるぞ」
「何を自信満々に……」
「勿論謝礼に上乗せする」
「ぐっ……」
そう言われては太郎とて断り辛い。正義を成したいと思う気持ちに偽りあるわけではないが、生活に余裕がないのもまた事実なのである。
「若様、へばる気満々じゃねぇですかい」
吾助がニヤニヤしながら茶々を入れた。しかし壮吉は全く気にする素振りも見せずに答える。
「見栄を張ったところで事実は変わらないのでな。何、そう大した距離では無いから心配するな。一里くらいは何とか歩いて見せる」
宮原村から北里村の辺りまで、ざっと四里ほどである。
「歩く距離の方が大したことないのかよ」
「いいからさっさと行くぞ、二人とも」
笠を被りながら、壮吉が歩き出す――と、ふと歩みを止めて振り返った。視線を真っ直ぐお里に向けて、言葉を投げ掛ける。
「お里。帰ってきたら俺と一緒になってくれ」
「えっ、は? 一緒って――え、ちょ、えっ、へっ?」
言われた当人も、周りの皆も、壮吉が何を言っているのか即座には理解しかねた。唯一、壮吉だけが平静である――いや、誰も気が付かなかったが、僅かに頬に赤みが刺していた。
「流石に直ぐ祝言という訳にはいかん。今年の秋の収穫が終わったら、だな。――では行くぞ」
と、笠を目深に被りなおして一人歩き出す。
「お、おいちょっと待て。待てって若様! おーい!」
それを見て、目を丸くしていた太郎と吾助が混乱しながら壮吉の背中を追いかけだした。
後に残された信吉夫婦はお里の顔を見ると、彼女は鯉の様に口をパクパクさせて言葉を失っていた。
「えっと……、ど、どうしましょうあなた」
「ど、どうするも何も……どうしようお前」
後に残った三人は、しばらくの間そこに固まって突っ立っていた。
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