二 太郎の悩みと壮吉の悩み

 

 †


 朝になった。


 山奥川沿いの田ノ原村に比べれば、幾分温かいなと太郎は思いながら、障子を開ける。東の空が朝焼けに輝いているが、そんな爽やかな空気も、今は目に痛いばかりである。


 結局、一晩中眠れなかった。


 ゴロゴロと布団の上を転がり、厠に行ったり、信吉の置いて行った酒を飲み干してみたりしたのだが、ついに眠気はやってきてくれなかった。頭が重たく、働きが鈍いのが良く分かる。


 眠れなかった理由ばかりは考えなくとも分かる。昨晩聞かされた話のあれこれだ。


 小西行長という大名。天草の切支丹たち。下平博之という人物。父、平蔵のこと。島原のこと。森宗意軒という謎の老人の行方。


 それらがぐるぐると頭の中を巡り続け、泡沫の如く浮いては消え、浮いては消え。


 深い溜息をついて縁側に腰掛ける。

 結局、つまり、どういうことだ?

 

 太郎に、学はない。

 父平蔵から簡単な読み書きを習いはした。考えてみればただの百姓である筈の父が、誰かに読み書きを教えることができるほど精通しているという時点で不思議であるのだが、それでも複雑な漢字や言い回しとなると理解できない物の方が多い。

 

 そんな自分があれこれ頭を使ったところで知れたもの、というわけだ。

 

 平蔵がその下平某であり、小西行長の家臣であったとして、それが知れただけでは意味がなかった。いや、そもそもそれを知って自分が何をしたいのかが分からないのだ。

 

 昇る朝日を前に、太郎はため息を繰り返す。

 

 太郎の気持など知らず、小屋から鶏が鳴くのが聞こえた。

 すると、ぎしりと床を鳴らしてやってくる者がいた。お里である。口に手を当てて、欠伸を噛み殺している。


「……おはよう、お里さん」


「あらま太郎さん。おはようございます。……どうしましたこんな早くから。お客様なのですから、もっと寝ていれば宜しいのに」


「考え事をしていたら、変に頭が冴えてしまってな。何か眠れなくなってしまった」


「それはそれは。是非とも私と替っていただきたい位です。私もう眠くて眠くて」


 と、再び欠伸をする。


「そう言えば、足はもう大丈夫なのか」


「ええ。どういうわけか、もう全く」


 言って裾をひっぱり、素足を太郎に晒して見せた。

 お里の言うとおりあんなに赤く腫れていた足首は、すっきりとしている。


「女将さんの言うことには、お紅さんに診て貰った怪我はとても治りが早いようで」


 そんな簡単に済ませて良いことなのだろうか。太郎は昨日、あの滝でお里の足を見せられた時、もしかしたら骨にひびが入っているかもとまで思ったというのに。それとも単に太郎の見立て違いだっただけだろうか。


「なんにせよ治ったというなら重畳なことだ」


 そう言って、太郎は視線を遠い空に戻す。

 会話はそれで終わりとばかりに自分の思考に沈む太郎を、お里は少しばかり眺め、


「太郎さん。せっかくなんで、私の仕事を手伝って下さいません?」


「へ?」


「ほら私、昨日足やっちゃったじゃないですかー。もう痛くて痛くて足を床に付けられないほどなんですよほらほら」


 と、片足立ちして、左足をぷらぷらさせてみる。


「いやさっきもう大丈夫って……それに、足、逆だろ。捻ったの」


 無言でお里は左足で立ち、右足をぷらぷらさせる。


「ということでですね。親切な太郎さんは私の手伝いをしてくれることになるのですよ」


「いや俺の話聞けよ! ってか足逆ってのは嘘だよ!」


 きょとんとしたお里は、また右足で立って、


「そんな、太郎さん。女を騙すなんて、悪い人だわ」


「おいこら」


「そんな極悪人の太郎さんに、阿蘇の盆地の如く心が広く滔々と流れる小田川の如く慈愛に充ち溢れた私が罪の償い肩を教えて進ぜましょう。それは私の仕事を手伝うことです。では先ずは水汲みから。台所の甕を一杯にしないと駄目なんですよね。あれがまた大変で。足痛いと尚更ですよねぇ。ほらほら行きますよ」


「引っ張るな……っておい、普通に歩いてるじゃねーか!」


「やだなぁ気のせいですってきのせーきのせー。太郎さん意外と目が悪いんですね。あーいたいわー。足いたいわー。あー誰か水汲み手伝ってくれないかなー」


 ちらっちらっ。


「こっち見んな引っ張んな!」


 そんな調子で太郎は引っ張られて行って、村の中央にある井戸で水汲みを手伝わされ、なぜかそのまま鶏の餌やりと小屋掃除、洗濯の手伝い、果ては、


「……なんでお前、俺の代わりに薪割りやってんの」


 首を傾げる吾助に、勢いよく斧を振り下ろす太郎が「知るか!」と返す。ぱっかーんと良い音がして、薪が真っ二つになって転がった。


「太郎さん、そろそろ休憩いかがですか」


 と、そんな太郎に声がかけられる。振り向けばお里が居た。手にする盆に、急須と握り飯が載せてある。


「ああ、ありがとう……?」


 吾助に斧を渡しながら太郎は首を傾げる。

 縁側に腰を下ろして、湯飲みを手にお里が淹れてくれた茶を啜る。朝から動き回って汗をかいた。温かなお茶が喉を通り、すきっ腹に染み渡る。ふと気が付けば太陽は高くに昇っていて、ようやく太郎は我に返る。


「いやおかしいだろ。なんで俺朝飯も食わず働かされてんだよ!?」


「なんでって……働かざる者食うべからず、と」


「俺客じゃねぇの!?」


「一宿一飯の恩義というものがですね」


「だから食ってねえ!」


「でも泊まったじゃないですか」


「だから泊まっ……たけれども!」


「はい、お握りどうぞ」


「ありがとう……って、だからですねぇお里さ……むぐっ!?」


 叫んだところで、握り飯を口に押し込まれた。

 仕方なく受け取って、もっしゃもっしゃと頬張る。


「お味はいかがです?」


「……いい塩梅だ。美味い」


「女将さんの漬けた梅干しは美味しいですからねぇ」


 などと、とぼけたことを言う。

 彼女はチラリと太郎を見て、


「それで、どうです?」


 と尋ねた。


「どう、とは何が」


「何か、朝から何か難しい顔をして悩んでいたでしょう」


「それは……そうだが」


 言われて気が付く。

 あれだけ鬱々と頭の中にかかっていた靄が、すっきりと晴れている。勿論問題は何も片付いたわけではないのだが、気分が全く違ったものに変わっていた。


「亡くなった父が言っていました。悩むだけしかできない事だったら、悩む意味は無い。そんな時はとにかく体を動かす方が良い、って」


「……ああ、そうだな」


 ふふ、とお里は笑った。


「頬っぺた、米粒が付いてますよ」


 伸ばされた手、指が太郎の頬を撫でて米粒を摘まむ。お里はそれをぺろっと食べてしまった。その仕草に、太郎はどきりとする。いや、そもそもこうやって太郎にああだこうだと仕事をさせたのも、悩む太郎のことを思って――。


 そう思うと、太郎の心臓がどきりと跳ねる。


「なんか知らんが、太郎。お前、今、お里に巧い事丸め込まれようとしてないか?」


「……あっ」


 呆れたように、斧を杖代わりに吾助が言う。太郎がお里を見ると、すました顔で明後日を見ているお里である。


「ええ、ほんとお陰で捗りました。太郎さんには足を向けて眠れません」


 ぎゃーてーぎゃーてー、と適当な念仏を唱えながらお里は太郎に向って合掌する。


「お里ォ!?」


「きゃーッ」


 庭を駆け回る二人を見て、吾助は、


「お前ら仲良いな」


 と呆れながら呟き、巻き割を再開し始めた。



  †



 庭の方で、ぎゃいぎゃいと騒がしい。


 ちらりとそちらを見た壮吉は、しかし興味ないとばかりに手元の手紙に目をやった。向いに座る信吉も別の手紙を見ている。畳の上にはまた別の手紙や書付が散らばっていた。


「……なんだったら、お前も混ざってくればよかろ」


「冗談だったらもっと面白いことを言ってくれ、親父殿。興味ないな」


 壮吉は、太郎と同じ歳だった。


 が、生まれつき身体が弱かった。もしかしたら元服まで生きられないと信吉夫婦は何度も思ったくらいで、実際幼い壮吉は、一年の大半を寝て過ごしていたものだ。


 幸運にも壮吉は病魔に負けることなく成長することができた。その寝ている間、信吉は壮吉に読み物を沢山与えた。遊び盛りの育ち盛りの我が子が不憫だったからだ。暇つぶしにもなったし、何より書物は壮吉の性にあっていた。読み書き算術を覚え、取り合えず寝込むことも無くなった今、壮吉は自慢の跡取りである。 

 

 親としては――そう。例えば太郎のような頑丈な身体を持っていてくれれば尚言うことは無かったのだが、それを言うと壮吉は不機嫌になる。自覚があるのだろう。あれで太郎は頭が悪いわけではなく、壮吉がいくら願っても止まない物に恵まれた。それも判っているから、信吉は何も言わなかった。

 

 だが、今信吉が心配するべきは愛息の機嫌ではなかった。そも不機嫌と言えば、壮吉は大体不機嫌面をしている。


「どうだ、壮吉」


「……北で、二人」


 その言葉に、信吉は苦虫を嚙み潰したような顔をする。またか、という思いが去来する。


「これで、何人目だ……?」


「七人だな」


 散らかした書付を退けて、壮吉が地図を引っ張り出した。阿蘇の北側、小国郷の殆どを表したこの辺り一帯の地図だ。代々地域の庄屋を務める信吉の家なので、こういったものも自前で用意してあるのだ。これはその写しの一つである。


 壮吉が、地図に何かを書き込んでいく。


 ……いくつかの村で、若い女が行方不明になる事件が頻発している。


 最初は、五月頃のことだった。


 それから二か月後にも、一人居なくなっている。

 最初は事故か何かかと思われた。或いは年頃の娘だったので、若い男と駆け落ちでもしたのかと、そんな下世話な噂が立っていた。


 しかし、それがぽつぽつと続けば話は変わってくる。


 貧困した末の口減らしだろうか。

 否。行方不明になった娘の中に、年老いて寝たきりになった祖父と暮らす者もいた。それを差し置き、年若く働き手として期待できる者を捨てる理由がない。


 人買いだろうか。

 しかし口減らし同様困窮していない家の者までいなくなっている。それが理由に考えにくい。


 となると、神隠しでなければ人攫いとしか思えなかった。

 半年で五人。小国郷から十代半ばの若い少女ばかりいなくなっている。


 だが、それを信吉がお上に書状を認め送ったところで返事は無かった。握り潰されたのだと信吉は思っている。


 ……そうでなくとも、現在この肥後国細川藩の財政は最悪に近い状況である。

 島原で起きたあの最悪の一揆から、まだ一年しか経っていない。実際に鎮圧軍に参加した太郎や吾助にとってはもう一年、という思いだろうが、幕府方とその最前線を担当した細川藩にとって、まだ一年しか経っていないのだ。 


 天草の切支丹の殆どが、あの一揆に参加している。そして帰ってこなかった。

 それはつまり、税収がごっそりと無くなったのと等しい。減ったのではない、一揆に参加した人数分,丸々無くなったのだ。畑を耕す人間が居なくなったのだから、現時点で回復する見込みは立っていない。


 また、幕府軍として細川藩からも出兵している。太郎や吾助はそれに参加し、壮吉は病弱を理由に参加しなかった訳だが、冬の時期から春先にかけて、これまた二万人以上の若い男――つまり働き手が拘束されていた。当然その分畑仕事に皺が寄り、秋の収穫に影響があった。


 戦費として莫大な臨時出費もあった。それらを補填しなければならないため、これから数年間は増税されることも決まっているのである。


 そういった諸々のため、細川藩としてそんな農村の娘が何人か居なくなったことなど、気にかけてはいられないというのが実情なのである。


 信吉のそんな思いを知ってか知らずか、壮吉は地図に何かを書付た。


「北里、……と、西里で二人ずつ」


 トン、と地図を指さす。


「親父殿。これは、うちだけということはないのではないか」 


「うちだけ……とは?」


「見てくれ。北里と西里のほうで二人ずつが居なくなっている。この宮原では一人。僅かにだが、偏ってないか」


 むむ、と腕を組む信吉。


「偶然ではないか?」


「かもしれない。が、偶然でないと俺は思う」


「その心は」


「この辺りだ」


 す、と指で新しく指し示すのは、山である。


「涌蓋山か」


「ああ。国境だ」


 もし、この行方不明が事故ではなく拐しであり、同じ輩によるものであればどこかに根城があるはずだ。


 涌蓋山は人里からも離れ、木々深く、そして何より豊後との国境にある。細川、大友のどちらから追われるにしても逃げ隠れしやすい位置にある。また島原の乱から僅か一年というこの時期、細川藩は財政的にも政情的にも派兵しにくいという事情もある。そうでなくとも国境に兵を出すというのは、余計な誤解を招きやすい行為だ。


 それらの事情を鑑みれば、細川藩が事態を積極的に調査しようとするとは思えない。


 そもそも、この一連の行方不明事件に犯人がいるのかも不明なのだ。そんな不確かなことにお上は動いてくれないだろう。


「時間が無いのう」


「…………」


 もう少しで、雪も融け切ることだろう。

 そうなれば本格的な春の作付の季節となる。上がった年貢に、どこも人手不足だ。事態を究明するのであれば、もう動かなければならない。放置すれば半年後の秋、収穫が終わるまで待たねばならないのだ。


 腕組みして思案に耽る壮吉は、やがて口を開いた。


「俺が行く」


「壮吉、それは」


「証拠が見つかれば良い。盗賊なり人攫いなりがいると証拠が見つかれば、細川様

も動いてくれることだろう」


「しかし……何もお前自身が行かずとも」


「流石に別に独りで行くつもりはない。だが小国郷でこの事態を把握しているのは俺と親父殿だけだ。他の者では指揮が執れない。ついでに北里の方を見て回る良い機会でもある」


 壮吉の言い分に信吉は頷かざるを得ない。後継ぎである壮吉に、いずれそれをさせようと考えていた所だ。


「絶対に無理をするでないぞ。吾助は、連れて行け」


 吾助は思慮が浅いが、あれで分別はある。力も強いので荒事になっても心強いだろう。 


「そうだな。あと何人か……」


 再び思案する壮吉の耳に、庭の方から再び賑やかな声が届いた。ふと思いつく。口をへの字に少し考えるが、それは自分の感情さえ無視すれば妙案である。背に腹は代えられないと、壮吉は思い切る。


「太郎を連れていくか」


 郷一番の力自慢、大人三人がかりの相撲に勝つ男である。

 信吉に否は無かった。


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