二 田崎刑部


 †


 太郎に真っ先に襲い掛かったのは、最も近くに立っていた男――すなわち、田崎刑部であった。右腕を失い、それでも残った左腕で殴りかかる。


 太郎はそれを剣の柄で弾いて、空いた顔を切り裂こうとしたところで動きを止める。


「お前っ……吾助!?」


「そういう名前らしいな、この身体はっ!」


 刑部は太郎を蹴った反動で後ろに下がった。空いた空間に他の男たちが入ってくる。

 突き出される槍や刀剣を太郎は弾きながら、叫んだ。


「吾助……じゃないのか、お前」


「忘れたとは悲しいじゃないか……くく、島原でお前の父親を刺し殺してやったというのに。仇の顔を忘れるとは、太郎といったか、貴様も薄情だな」


 なに、と太郎が顔を顰めた。 

 同時にかかってきた男の攻撃を力任せに弾いた。金属同士の硬い音――は、しない。男が手にしていた刀は半ばから斬り飛ばされていたからだ。それも、音すらなく。武器としての格が、全く違う――がら空きとなった肩口に、太郎は剣を叩き込んだ。

 絶叫とともに、左の肩が空に舞う。


 刑部が、太郎に向かって自分の頭を掴んでみせる。

 それを捩じり後ろに引っ張る。力任せに――ごきり、と骨が鳴る音がして、太郎は目を細めた。吾助ではないと言え、同じ顔した人物が自分の首を不自然な方向に捩じるのを見て不快感を覚えない筈も無い。

 が、その感情は更に強い不快感で塗り替えられることになった。


 もう一つの顔が、後頭部の位置に存在していたのである。

 それは確かに、太郎の知った顔であった。島原の原城で父平蔵を殺し、先日この地で吾助が差し違えたはずの人物である。


「……きさま」


「……田崎刑部という。森宗意軒様第一の弟子だ。直ぐに父親と同じ場所に送ってやるから、その首を差し出すが良い」


 言うが早いか、刑部は地に落ちた仲間の左腕を太郎に向かって蹴り飛ばした。その腕は見る見るうちに黒い大蛇となって、太郎に襲い掛かる。


「っ!」


 咄嗟の出来事ではあったが、太郎はそれに反応することができた。大口を開いて太郎に首を突き立てんと襲い来るその黒い蛇の口を横薙ぎに一閃。背中と腹で上下に分割する。真っ黒な血を撒き散らし、大蛇は地面に落ちた――が。


「太郎! 斬るだけじゃ駄目だ、こいつら再生する――焼き払な!!」


 お里を庇って後ろに下がったお紅が、黒衣の男を全力でぶん殴りながら叫んだ。殴られた男は重たい音と共に岸壁に叩きつけられた。

 見れば、たった今切り裂いたハズの大蛇は地面をのたくり、しかし未だ死んではいない。傷を癒し頭と腹を再生させて二体に増えた蛇が、再び太郎に向かって襲い来る。


「きュええエえげえけええ゛え゛え゛い゛い゛」


 そしてその蛇になった左腕の持ち主が軋むような不快な悲鳴を上げて、『左腕』で殴りかかって来た。手にした宝剣で受けると、今度はガチンと金属同士をぶつけ合うような硬い音が響いた。ほんの数瞬で再生した腕が、硬質な黒い鱗でびっしりと覆われていた。


「おああああああっ!」


 裂帛の気合を込めて、太郎は剣を振るった。舞い散る朱色の焔。黒衣の男は両手を切り落とされるも、首を伸ばして太郎に向かう――その首が根元から音を立てて鱗に塗れた。次の瞬間、頭まで鱗に覆われた……いや、首より先が黒蛇そのものに変わり、太郎に向かってずるりと伸びる。


「せいっ!」


 一閃。

 しかし太郎は、全力を込めた一撃で敵の捨て身の攻撃をかわした。交差の一瞬、左の頬に鋭い痛みが走り、赤い血が迸った。が、太郎の一撃は頭から腹まで、縦一文字に切り裂き、――そして返す刀で首を断ち切る。その断面の全てから真っ赤な炎が噴き出し、一気に燃え上がった。


「――そこぉ!」


 その燃え盛る仲間の死体の影から、刑部が太郎に向かって飛びかかった。苦無のようなものを投擲し、鋭い爪の生えた新たな右腕で太郎の心臓目がけて刺突を繰り出す。同時に一歩引いて機を窺っていた槍の男が、太郎の脚を狙った一撃を放った。


 不動明王の力を借りたからか、今の太郎には放たれた攻撃の全てが目に映っていた。投擲された苦無は三。槍と爪の刺突攻撃。同時にかわすのは無理と判断し、後ろに下がろうとした――その足が、動かない。

 黒い靄から生まれた蛇が絡み合い、太い綱の様になって太郎の脚に巻き付いたのだ。


 避けられない――と、太郎が怪我を覚悟した瞬間視界全体が真っ赤な炎に包まれた。


 上空から、竜体である伽羅がその口から勢いよく火炎を吐いたのである。炎は足元の靄から生まれた蛇たちを一瞬で焼き滅ぼした。飛んでくる苦無も吹き飛ばし、槍の男も巻き込まれて全身を火達磨にして地面に転がる。


『油断するな、太郎』


「……ああ、助けてくれてありがとう」


 でもできれば次は、自分は巻き込まない方法で頼む、とは言えなかったが。伽羅は不動明王の眷属。その超常的な力は、不動明王の力を纏っている今の太郎を護りこそすれ傷つけることはないのだ。だが、人間突然炎に巻かれれば多少は慌てるのが普通である。せめて次は一声かけて欲しい。


 伽羅が、大きく息を吸う。それだけで周囲の空気が巻き上げられて突風となった。放たれる大放焔。辺り一帯を大きく焼き払って、地面をのたうつ黒蛇どもを焼き尽くす。


 見れば槍の男は真っ黒に焦げ付いていた。その背中がぎしばきりと音を立てて割れて、仲から人の大きさを超える程の大蛇が生まれようとしている――太郎はそれに飛びかかり、降魔の三鈷剣で一刀両断に切り捨てた。脱皮したばかりの大蛇は、人であった頃の焦げた皮とともに跡形もなく燃え尽きる。

 

 そこに三度、刑部が太郎に襲い掛かった。

 両腕――いや全身の殆どを黒蛇の鱗に覆われた刑部が、凶爪を振るう。太郎も負けじと剣を振るった。


 竜の息吹を受けて黒蛇たちが燃える。

 そのど真ん中で、太郎と刑部が切り結んだ。


「太郎! 貴様は島原で殺しておくべきだった! 今となっては心から後悔しているぞ!」

「そうかい、俺はお前らの邪魔が出来て、心から嬉しく思うがな!!」


 互いに殺意を込めて至近距離で睨みあい、全力の一撃を放った。特に刑部のそれは憎悪そのものを込めたかのような重さを孕んでいる。


 ぶつかり合った反動で、二人の位置が離れた。


 隙を見つけて伽羅が刑部を打とうと尻尾を振るうが、刑部は察知して地面を転がって裂けた。一方の太郎の元にも別の黒衣の男が襲い掛かってきて、太郎はそれを殴り飛ばし――そして刑部に向かって踏み込む。


 刑部の両手には鋼よりも硬く鋭い爪が長く伸びている。それを人外の膂力で縦横に振るった。太郎は死を孕んだ凶爪を手にする降魔の独鈷剣で迎撃する。黒と朱の火花が周囲に飛び散った。


 互いに位置を入れ替わり、斬撃を応酬する。硬い金属同士がぶつかり合い、軋みあう音、空気を切り裂く音、飛び散る火花と赤い血、そして黒い血――。


 押し込まれて、爪の先が太郎の肩を抉った。浅い。痛みを無視して切り返す。火花と共に刑部の鱗が飛び散った。脛を打たれる。脇を切り裂く。毒液を撒かれて、神剣の炎で浄化する!


 斬り、振るい、裂いて、受ける。

 掴み、殴り、打って、避ける。


「どうして! 貴様は! 我らの邪魔を……邪魔をするなぁぁっ!」

「お前こそ! どうして宗意軒に従っている!」

「宗意軒様こそ、俺の救世主であるからだ――おおおおっ!!」


 雄叫びを上げた瞬間、刑部の身体に黒い靄が纏わりつき、深く強く染み渡った。

 嫌な予感がして、太郎はその身を強引に捩る。

 ざくり、と太郎の脇腹を切り裂く感触。視界の端に映る、刑部の左の脇下に三本目の腕。

 

「ギッ、ぎッ、たろっ……殺っ……すッ!」


 黒い鱗が、二重に三重に刑部の全身へと生えていく。四本目、五本目の腕を生やし、既に両足は飾りとなって蛇の如き下半身となっている。その刑部が執拗に太郎に向かって襲い来る。


「そこまでして――人の姿を捨ててまで、お前はっ!!」


 最早人としての意識をまともに保っているとも言い難い、刑部の意識。残っているのは、眼前にいる存在を破壊したいという欲求と、森宗意軒という老人に対する狂信的な忠誠である。


 刑部の突進を、太郎は飛び退いて避けた。

 刑部は勢い余ったまま戦場を突っ走り、壁際でお里を庇っているお紅――ではなく、それと相対していた男の一人、つまり味方に殴りかかる。


「なん……ぐばッ!?」


 三つの握り拳が男の頭を粉砕し、二本の腕の爪が背中を叩き切り、三本の爪がその身体を串刺しにして、ばらばらに引き裂いた。


 咄嗟の事に、お紅とお里、そしてもう一人お紅と戦っていた男は動けない。


「お……ご……うぼっ」


 八つ裂きにされた男は既に人として絶命していたが、地獄の悪魔王と契約したその身は既に手の施し様がない程穢れ呪われている。地面に落ちた肉片が、腕が、腸が、姿を変えて大小様々な黒蛇へと変化して血の海の中をのたくった。


 人であることをやめてしまった刑部が、吠えた。


 田崎刑部――幼名を重吉。

 天草にあって、姓を許される豪農の生まれであった。多くの小作農を従え家は裕福であったが、二十年前に両親は殺されることになった。その財を賊に狙われたのではない。殺したのは、関が原以後その戦功以て天草一帯を与えられた唐津藩藩主である寺沢広高である。


 切支丹の危険性を危惧していた寺沢広高は極端な増税政策を敷き、本来の倍以上の年貢を取り立てた。多くの小作農を抱える田崎家に掛かる税は莫大なものになった。このままでは田崎家のみならず天草一帯の人々が困窮することになると考えた重吉の父は、懇意にしていた地元の豪族に相談を持ち掛けた。

 そのことが、寺沢広高の耳に入った。


 天草支配に神経質になっていた広高は刑部の両親を捕らえ、拷問の末に殺した。

 身分の低い百姓が、藩主の政策に文句を言ったとされたのである。藩政において家老であっても藩主の行いに対し諫言するのは、場合によっては切腹を覚悟しなければならない。豪農程度であるならば、尚更だ。


 ズタズタになった両親の遺体に縋り付いて幼い重吉は泣いた。それが彼の原風景となっている。家長を失い、半ば乗っ取り同然に田崎の家財は分家に奪われた。行き場を失った重吉を保護してくれたのが、天草の片隅に移り住んでいた森宗意軒である。生きる知恵と力、知識、切支丹の教え、どうして父母が死ななければならなかったのか――全てを教えてくれた大恩ある人物である。

 

 そんな重吉――刑部にとって、天草での一揆は夢への第一歩であった。

 父と母を襤褸雑巾のようにして殺してくれた、唐津藩の兵たちを同じように殺し尽くす――そんな夢だ。

 その為に知識と力を師匠である森宗意軒から学んだ。

 時期を待ち、人々が限界を迎えるまで二十年もの間待った。時には人々を励まして回り、廃れかけていた切支丹の教えを森宗意軒と共に広めなおし、隠れミサを開いたりもした。


 全ては限界まで貯める為。

 人々の鬱憤が限界を迎え、大爆発を起こすまで。


「タアアアアァァアアアaaaaAAAaaAaaロrROォオオオOooooOOOOOOオオオ」


 人の意識すら失った刑部が太郎に向かって襲い来る。

 三本の左腕を伸ばし、その指の一本一本が大蛇となって、太郎に向かって飛び出した。長い牙を持つ黒蛇――致死の毒を湛えている。


「そこまで……俺が憎いか!!」


 飛びかかる蛇を次々と太郎は切り捨てた。炎を纏った神剣が虚空に複雑な斬線を描き、切り捨てられた蛇たちが激しく燃え上がって火の粉が舞う。その煌めく浄化の炎の中で、太郎が叫んだ。


 ああ、憎いともさ。

 人としての意識が残っていたら、刑部はそう答えたかも知れない。


 刑部にとって、天草の人々の苦しみなどどうでもよかった。正しい事をしたはずの父と母の仇さえ取れれば、それで良かった。唐津藩の出城である富岡城の攻防戦で、刑部は多くの藩兵を手に掛けた。全身血塗れになって、彼は父母の仇を討った――はずだった。


 だが、まだ足りない。

 父母の命を奪った寺沢広高は島原の乱が起こる前年、没していた。だがその子堅高は未だ健在である。広高を殺すことができなかった代わりに、堅高を殺さねばならない。天草は地獄の有様で、父母を始め多くの人々が拷問までされたのに、彼らが治める唐津藩は豊かで広高は名君と名高い。ならば天草以上のぐちゃぐちゃの地獄にして滅ぼさねばならないのだ。


 そのための悪鬼王青焔魔の召喚。その暁には、唐津のみならず九州の悉く――否、日ノ本の悉くが地獄に沈む。ついに刑部の願いは叶うのだ。

 その総仕上げの日というのに、太郎という邪魔が入った。二匹の竜というオマケつきで。


 これで憎くないはずがない。

 その全ての憎悪を込めて、刑部は太郎に躍りかかった。


「おおおおおおおおお――――――ッ!!」


 太郎が叫び、刑部であったモノを迎え撃った。

 人外の咆哮と、裂帛の雄叫び。


 蛇が、牙が、爪が、毒が、四腕の右腕がそれぞれの形の死を伴って太郎の命を狙う。

 太郎は瞬間を見極め、ありったけの力を剣に込めた。踏み込みと同時に神の剣を切り上げ、振り下ろす。


 互いに背を向けた状態で動きを止めた両者。


 四本の右腕が宙を舞い、地に落ちる。――それを合図にしたかのように、右肩から断たれた刑部の左半身がずれて、割れて、倒れた。その断面から神火が巻き起こり、浄化の炎が人でなくなった者の身体を焼き清めていく。

 炎は刑部の身体のみならず、流れ出た血、周囲に漂う靄、黒蛇にまで炎は燃え広がる。今や白岩の広場は猛火の海である。


 田崎刑部であった、歪な黒蛇の身体はあっという間に炎に飲まれ、灰すら残ることなく焼き尽くされた。その人生の殆どを世の破滅の為に過ごした人物の、何も残らない最期であった。


『太郎、見事である!』


 竜の伽羅が太郎を称賛した。

 太郎は頬を伝う血を拭って、伽羅に笑みを見せてやる。激闘を制した太郎の身体は、纏っている赤土色の法衣もその下の身体も所々切り裂かれ、抉られていた。一歩間違えれば致命傷になっていたかも知れない傷が幾つもある。


 そして、邪気を浄化する炎を背景に、太郎は辺りを見回した。


 悠然と宙を舞う伽羅。

 足元に二人の黒衣の男を縛り上げ転がしているお紅。

 太郎の方を見て頬を染めているお里。

 

 そして――黒衣の男たち全てを失って尚、悠然としている半人半蛇の老人――森宗意軒。


 太郎は再び、降魔の独鈷剣を森宗意軒に向かって突き付けた。


「――さぁ、お前で最後だ。覚悟しろ、森宗意軒!!」

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