三 太郎の大相撲

  



「力持ちとは聞いていましたが、ここまでとは。重くはないですか」


「いや、全く。むしろ羽か何かのように軽いくらいだ」


「あら太郎さんは意外とお上手なのですね」


 お紅さんの住む滝壺から半刻ほど。


 太郎は背負い子に乗せた荷物にさらにお里を乗せて街道を歩いていた。

 荷物に腰かけて太郎の肩に足を乗せている状態である。彼女を乗せた背負い子を軽々と背負って立ちあがった時お里は幼い子どものようにはしゃいだ。普段より高く不安定な位置に持ち上げられて怖がるかと思ったが、それよりも見晴らしの良さに足をばたつかせて喜んだくらいである。


「そうか、親父殿が」


「ええ。まぁ、仕方ありません」


 つい先日まで冬で、道は雪に閉ざされていた。往来が全く無い訳ではないが、どうしても少なくなる。そうなれば物流が滞るのは当然なのだが、同じく滞るものがある。様々な報せだ。


 こんな田舎なので、娯楽なんて限られている。その中でも近隣の村の出来事の噂は貴重な物だった。親類縁者の近況を伝え聞くこともある。


 それが滞っていたため、太郎はお里の父親が肺の病で亡くなったことを知らなかった。


「伏せていたとは聞いていたが……そうか。ご愁傷様です」


「いえ。覚悟はしていましたから」


 顔は見えないが、言葉に重たい色が混じる。口調ほど彼女も平気であるというわけではないだろう。


 お里の父親は、一昨年の暮れの辺りから体の不調を覚えていたのだという。太郎たちが島原にいた頃の話だ。一年かけて病は体を蝕み、去年初雪が降った日に息を引き取った。


 お里の母親も、既に故人である。

 彼女は父までも喪いたくない一心で高価な薬を買い求めたが、願いは届くことはなかった。残ったのはがらんどうの小さな家と畑、そして十両もの借金である。


 そんな大金を一体誰が貸してくれたのかと考えて、太郎は自分が知る限りもい当たるのが一人しかいないことに気が付く。


「ああ、だから宮原村の庄屋様のところに奉公に出ているのか」


「はい。いわゆる借金のかたに、という奴です」


 この山菜も返済の足しにしようと思って採ってきたんですよ、と抱えている籠を揺らしてお里は笑った。


 太郎には今彼女はどんな顔をしているのか見えない。けれど、それが口調の軽さよりもはるかに重たい色を帯びているのだろうな、と思った。

 

 お里と荷物を背負って街道を行く。


 次第に道は坂よりも平坦が多くなってきた。木々に囲まれた場所よりも、開けた田畑もだ。百姓たちが、野良仕事に精を出している――大荷物と娘一人を背負った太郎を見て、ぎょっとしていたが。


 そしてやがて、田畑に囲まれた村が見えてきた。村といっても、太郎の田ノ原村やお里の小田村よりも明らかに広く、大きい。家屋の数、煮炊きに上る湯気の多さ。


 田ノ原村を含む周囲一帯を合わせて、小国郷と呼ばれる。その中心となるのが太郎が目的地としているこの宮原村だった。


 宮原村の庄屋は同時に周囲一帯の村落の庄屋も任じられていた為、宮原村はこの地域の流通と政治における中心部ともなっていた。村で出来た作物を売り、村では手に入らない金物を買ったり修理してもらったりまた別の物を買って来るのが、太郎の背負う役目であった。


 その宮原村に、ついた。



  †



 宮原村の中心に、一際大きな屋敷があった。

 庄屋屋敷である。春先の宮原参りは、まずはここに挨拶に来なければ始まらない。村の長老から預かった帳面もある。そこに書かれている数字によって、納める年貢が決まるのだ。


「御免」


「おう、どちら様かい」


 入口のところで声を掛けると、応じるものがいた。

 ひょいと生垣から顔を出したのは、強面の男だった。名を、吾助という。


「なんだ、太郎じゃねぇか。久しぶりだな」


「春の宮原参りに来たぞ。大荷物だ、門を開けてくれ」


「おう。確かに大荷物……」


 吾助は太郎の背負う荷物を見上げ、そこにちょこんと腰かけるお里と目が合って言葉を失った。


「はぁい」


 手を振るお里。手で顔を覆う吾助。


「……確かに大荷物だな」


「おう。途中で拾った」


「あら太郎さん。まるで私のことを犬か猫みたいに」


「文句があるなら、お紅さんのとこに戻てし来てもいいんだぞ」


「ここまで運んでいただき誠にありがとうございます太郎様」


「うむ、よきにはからえ」


「なにやってんだお前らは。ほら、はよ入れ」


 あきれ顔の吾助が、門扉を開いてくれた。


「すまんな」


「きゃー太郎さん、頭! ぶつかる! 先に降ろし……あいたァ!」


 騒々しくも、ようやくお里は、住まいに帰って来れた。




「あらまぁ、本当にひどく腫れてるわね。あなたなかなか帰ってこないから、心配してたのよ」


「申し訳ございません、奥さま」


「太郎さんもよく彼女を連れてきてくださったわ。ありがとうね」


「いや。ただのついででしたから」


 ついでで人間一人、山道越えて運べるものでもあるまいに、と当の運ばれたお里は思ったが口には出さない。

 二人とそんな会話を庄屋屋敷の縁側で交わすのは、宮原村庄屋の妻である、お慶である。お慶はお里の足元にしゃがみこんで、怪我の具合を見ていた。


 お里の足に巻いてある包帯を解くと、ふと、つんと青臭い香りが広がる。


「あら、これは……」


「お紅さんが薬草を揉み解したものを一緒に巻いてくれたんです。治りが早くなるからって」


「あらまぁ、それはよかったわね。あの方に治療していただいたのなら、心配することなんて何にもないわ」


 心からほっとしたように、お慶は微笑んだ。お里は不思議そうに首を傾げる。足を挫いた時、あまりの激痛に泣きそうになったのだ。真っ赤に腫れた足首を見て、これはきっと折れていると覚悟までしたのだ。


 そんなことを話すと、お慶はわかっているというように頷いた。


「貴女もお紅さんに診てもらった途端、痛みがずっと和らいだのでしょう。だから大丈夫よ」


 まるで確信しているかのように、彼女は言う。

 そしてお里はその通りの出来事、つまり山でお紅に拾われた直後から急に痛みが楽になったということがあった。それをまだ話してもいないのに言い当てられて驚く。


「やっぱりね。昔、私も似たようなことがあったのよ。酷い骨折だったのに、お紅さんに診てもらってたった三日ですっかり良くなっちゃった」


「三日!?」


 お慶がまだお里と同じ年頃の頃、暴れる馬にぶつかられて腕を折ったのだという。それで熱をだして寝込んだところ、たまたま村にいたお紅と伽羅の夫婦がやってきて診てくれたのだという。


 因みに二人が村にいたのは、その前夜に宴会があって、誰も呼んでいないのにいつの間にか参加していたからだった。


「それでお紅さんに診てもらったらね、すっと熱も引いて身体が楽になったの。で、三日も経った頃にはもう普段通りに生活してたわ」


「はぁ……」


 トンデモ話に、お里も太郎も開いた口が塞がらない。

 そこで太郎は、兼ねてからの疑問を尋ねた。


「あの夫婦は、一体何者なんですか? ずっと昔からあの二つ滝のほとりに住んでいると聞いていますが」


「んー、それがね。私にもよくわからないの。なにせ私のお母様が生まれた時には既にいた、と聞いているから」


「は……」


 お慶は確か、四十路を超えていたはずだと太郎は思う。そのお慶の母親が生まれた時には、となれば六十とか七十とか、そんな昔の話になるはずだ。


「あ、あの夫婦は一体何者なんですか……」


 今度は太郎と同じ質問を、太郎とは少し違う意味で尋ねるお里。

 そっと手を合わせて、お慶は南無南無と目を閉じて言った。


「さぁ。わからないけど……神様仏様お紅様、そんな感じじゃないかしら」


 あんぐりと開いた口の塞がらない太郎とお里は、互いに顔を見合わせることしかできなかった。


 と、そこに。


「太郎、待たせたな!」


 仕事を片付けた吾助がやってくる。後ろには村の若い者たちをぞろぞろと連

れている。そろそろ日も傾いてきて,今日の野良仕事は仕舞いで帰ってきたらしい。


ぐるんぐるんと腕を回し、四股など踏んで吾助は、


「今日こそ勝つからな!」


 と吠える。


「全く吾助も懲りない……おう、返り討ちにしてやる」


「がははは、ぬかせぃ!」


 仕方ない、と太郎は縁側を下りて吾助の方に。


「えっと、何がはじまるんですか?」


「ふふふ。吾助ったら、あの身体でしょう。村一番の力自慢なのよ」


 確かに、お里も初めて吾助に会った時まず思ったことが、大きい、であった。

 庄屋屋敷の裏庭の真ん中で睨みあう二人。

 人の多さが人を呼び、何だなんだと村の者たちが集まってきた。


「……なんじゃなんじゃ、この騒ぎは」


 そこにやってきたのは信吉という、小太りで小柄な男であった。彼こそがこの宮原村、そして一帯の庄屋役を細川藩により任されている男である。


「何かと思えばまたか、吾助。太郎が来るとすぐこれだ」


「信吉の旦那。今日こそ勝って見せまさぁ。というわけで行司をやってくれませんかねぇ」


 まったく、と渋い顔をする信吉だが、目が笑ってる。太郎に良いかと尋ねると、太郎も頷いた。太郎は年に数回、宮原村を訪れては庄屋屋敷に泊まるのだが、その度に吾助に相撲勝負を挑まれていた。最早恒例行事である。


 わいわいと騒がしい人垣の向こうで対峙する太郎と吾助を見て、お慶が隣のお里に尋ねた。


「どちらが勝つと思います?」


「そんな、それは……吾助さんじゃ」


 二人の位置からでは、人が邪魔で太郎の姿はちらりとしかみえない。が、吾助はその体格から頭一つ分太郎よりも背が高い。肩幅も、胸板の厚みも太郎よりあるから、重さからしてもう太郎の倍ほどもあると思えた。


 どちらが勝つかはさておき、勝って欲しいのがどっちかと言えば、また違うのだけど、などとちらりとお里は思ったりする。なにせ先ほどここまで担いで運んでもらうという恩があるので、応援するならば吾助よりは太郎となるのも心情だというものだ。


 そんなお里の心を知ってか知らずか、お慶は微笑むばかりである。


 そんな観客の思惑など知ったことかと俄か力士の二人である。


「……よし、両者見合って見合ってぇ……」


 信吉の行司に、腰を落として見合う二人。

 ……太郎と吾助、二人の拳が地を叩く。


「発気良い、残った!」


 同時に、二人は動いた。ゴツ、という鈍い音が響く――人間同士がぶつかり合っ

たとは思えない音だ。


「おおっ!」


 野次馬たちがその光景に沸いた。

 あまりにも体格の違う二人。立ち合いを制したのは小柄な太郎の方だ。ぶつかり合って跳ね返り、体を起したのは吾助である。太郎はそのまま懐に入り込んで、まわし代りに腰帯びを取った。


「ふぬっ! なんのこれしき!」


 しかし敵も然る者、宮原村の力自慢吾助である。長躯長身を活かし、太郎の背中越しに帯に手をかけた。力が拮抗し、動かなくなる。

 両者互いにここが踏ん張りどころ。


「おおすげぇ、吾助と互角だぞ」


「はぁ流石は太郎どんじゃなあ」


「残った残った! 残った残った!」


 観客と行事の声だけが聞こえる中、必死の形相で押し合う二人。動いていないように見えて、互いの隙を探し出そうと静かな攻防が続いていた。

 そんな状況も長くは続かない。顔を真っ赤にした吾助が勝負に出た。


「ふん……ぬぅぅぅッ!」


 全霊を籠めて太郎をうっちゃろうと体を傾けた瞬間、太郎の眼がぎらりと光る。


「どっ……せぇぇぇええい!」


「おおおおおっ!」


 観客たちが沸いた。

 明らかに小兵の太郎が、倍も重さのあろうかという大男を抱え上げたからである。こうなってはどんな怪力自慢であってももうどうしようもない。じたばたと足をばたつかせて足掻くばかりである。


「ふっ……ふっ……ほいっ」


 吾助を抱え上げた太郎はうっちゃるのではなく、なんとそのまま歩き出した。二歩三歩と進んで観客たちの輪を割って、そこに吾助を下ろす。土俵があったわけではないが、勝敗は誰の目にも明らかだった。


「ひがぁ~しぃ~、田ノ原太郎左衛門の勝ちにござ~るぅ~。決まり手は吊り出し、あ、吊り出しぃ~」


 信吉も調子に乗って、どっちが東かもよくわからないのにそんなことを言う。ふうっ、と尊居した太郎が立ち上がり、腕に力瘤を作って見せた。


「すげぇ、流石太郎だな!」


「いよっ、大横綱!」


「おう太郎、次は俺だ。積年の恨みここで晴らしてくれる」


「馬鹿お前が勝てるかよ。ここは俺の出番だな」


「たろう~すもうしよう~」


 と、湧きあがって興奮する観客たち。吾助も含めてもう一戦、我も我もと若いも老いも、子どもたちまで名乗り出る。


「わかった、わかったから。順番にだな!」


 結局太郎は、何番も相撲を取ってその全てに勝った。次から次にかかってくるものだから最後の方はしっちゃかめっちゃかで、最後は吾助含め五人がかりでようやく連勝記録も止まった次第。なお、なぜか行司役の信吉も二回ほど寄り切られていたとか。


 そんな埃まみれで笑い合う人々の輪の中心にいる太郎を見る三人がいた。 


 一人は信吉の妻、お慶である。彼女は太郎ではなく、太郎を見るお里を見ていた。そのお里はというと、


「……すごい、太郎さん……」


 と頬を赤く染めている。


 そしてもう一人はというと、いつの間にか縁側に出てきた痩躯の若者。信吉とお慶の一人息子の、壮吉であった。


「……ふん」


 彼は賑わう庭の人々、そして頬を染めるお里を一瞥すると面白くなさそうに鼻をならして、踵を返した奥へと引っ込んで行った。

 





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