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 クレン曰く、赤の人の一族に伝わる技は、大きく分けて三つになるという。


 一つは『赤の武器』。白の獣を効率よく倒すための、赤い光を帯びた武器。

 クレンは相変わらず棘のようなものしか作れないが、熟練すればまるで剣や槍の

ような立派なものも作れるらしい。

 そして同時に、赤の人にとっては爪や牙の延長であり、これで殺した相手の

縁を喰うことで、エネルギーにすることができる。


 もう一つが『滑空』。

 文字通り、空を滑る。

 跳躍によって最初の勢いをつけさえできれば、後はほとんど思うままに、空中を

移動できるのだという。

「重力との縁を切って、空を飛ぶ……みたいなものかな」

 クレンはこんな説明をしていたが、同時に首を傾げていたので、彼女自身にも

あまり詳しいところは分かっていないのだろう。

 計算したところ、直進状態なら時速100kmを超えるらしく(この計算結果には

クレンも非常に驚いていた)、彼女は遠征の時などもこれを使って移動している。

 ただし、これをしている最中は結構集中力がいるので、滑空しながら戦ったりするのはかなり難しいとか。


 最後の一つは……まあ、後にしよう。



 僕とクレンは『滑空』で、夜の空を文字通り滑っていた。

 街並みを眼下に、暗く、けれど星や街灯に照らされた夜の中を、落ちるように

進んでいく。

 滑り出したばかりならともかく、こうして高速で直進している間は、さすがに何も喋ることはできない。悲鳴くらいならあげられることは身をもって体験済みだが、

意味のある言葉を口にしてクレンに伝達することは不可能である。



「……二人でこんなに遠くまで来たのは初めてだね」

 鉄塔の作業足場で、何度めかの休憩。リュックに入れておいたコンビニスイーツと温かい紅茶を口にしながら、クレンは足場に腰掛け、足をぷらぷらとしていた。

「あの辺りだ」

 僕はスマートフォン(母さんに頭を下げ、小遣いの減額と引き換えに新調した)で開いた地図サイトを見つつ、向かう先を指差す。

「何が?」

「県境。あそこから先が静岡だよ。それで浜名湖があって、浜松だと思う」

「そっか……あんまり意識したことなかったな」



 全滅させられた赤の人の一族は、聞く所によると東北地方のどこか……恐らくは

宮城か岩手の辺りに住んでいたのだという。

 大きな屋敷に住む本家を中心に、分家の家が点在して、皆で協力して赤の人として鍛錬を重ねつつ、日本各地へ文字通り飛び、白の獣を駆逐してきた。

 それが八ヶ月前に白の信奉者たちに滅ぼされて、クレンは一人本家から逃げ延び、ひたすらに飛び続けたのだとか。



「まあ、県境と言っても見える訳じゃないから」

「んー……ちょっと、見せて」

 クレンが立ち上がり、僕のスマホを覗き込む。そして県境の方を見た。

「どうやって分かるの?」

「周りの地形を見て……ほら、右側。川、見える? 大体あれに沿う感じ」

「ああ、なるほど」

 画面と地形を熱心に見比べるクレン。


「……別に、分からなくても支障はないけどね」

 苦笑しつつスマホを引っ込めると、そうだけど、とクレンはぼやく。

「吹葵が見てるもの、分かりたいと思って」

 言ってから少し照れくさくなったようで、クレンは休憩のために広げた荷物を

片付け始めた。


 もちろん、僕も同じである。

 同じ気持ちで、同じように恥ずかしいことだった。




◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇




 赤の人の第三の能力は『えにしぎ』。

 人、あるいは白の獣の気配を、それに伴う縁の匂いを嗅ぐことで察知することが

できるのだという。

 曰く、交友の多い人や都会は縁の匂いが強く、交友の少ない人や山中は縁の匂いが

薄い。白の獣は自分の周りの縁を全て喰うので、不自然に縁の匂いがなく、近付けばすぐに分かるのだという。


 能力というより感覚の話であり、これを聞いても僕は、それはすごい、と頷くしかできないが、クレンの縁嗅ぎが本物であることは、この二ヶ月で理解している。

 路地裏の物陰だろうが、樹の上だろうが、瓦礫の下だろうが、上空だろうが。

 縁喰いの存在があれば必ず嗅ぎ当てることができた。



 それは今夜も同じだった。


 浜名湖沿いの道路上にて。

 シカのように枝分かれした角を持つ白いブタの群れに、赤い棘が降り注ぐ。

 群れたブタの動きは意外と早い。だが、クレンはその動きを先読みして、素早く

棘を撃ち込む。

 偏差射撃というやつだ。こういう撃ち方をすると大体当たるし、仮に当たらずとも敵は怯えて足を止める。棘自体の破壊力で突き刺さった地面を揺らして壊すのも、

また足止めになったりする。

 二月の始め頃に、僕がクレンの幼体狩りを見て提案した撃ち方だった。


「はい、全滅」

 一頭残らず白の獣を狩って、彼女は僕が待つ近くの小屋の屋根の上に着地した。

「今の、結構大きかったけど」

「あれも幼体。亜成体は、目が赤いから」

「だよね」


 クレンがまた僕の手を握る。

「匂いの弱さ的に、亜成体のすみかは近いと思う」

「分かった。指示とかあれば、すぐに言って。絶対に聞くから」

「……うん」

 緩やかな速度で滑空を始める。会話ができるくらいの速度だ。だから僕は聞いた。


「気がかりでも?」

「……たぶん、数が多い」

 クレンの横顔は真剣そのものだ。

「この辺り、あまり人がいないからだと思うけど……それでも、薄すぎる気がして」

「住宅地じゃなくて、観光地って感じだけど、それでも?」

 自然公園にゴルフ場、高そうなホテルなんかが見られる場所だ。

「それでも。幼体が群れてるだけじゃ、こうはならない」

「……その、エネルギーっていうのは、どうなんだっけ」

「五体は殺せる。複数いることも、想定はしてるから」


「なら、大丈夫」

 クレンを励ますように、僕は頷く。クレンは頷き返した。

「もちろん、大丈夫。だけど、もしきついなってなったら、吹葵を安全な所まで

連れて行って、そこで待っててもらうから」

「わかってるよ。言われた通りにする」

「ん……っ、ごめん、離さないで!」



 突然のことだった。

 緩やかな速度での滑空は急に角度を変え、落ちる以上の速度で地表に向かった。

手を引かれるしかない僕はがくんと段打つ。

「な」

「ごめん……!」

 クレンさんはすぐに速度を緩め、地面に立った。僕もなんとか足に地をつき、

さっきまで飛んでいた場所を見上げる。

 白い鳥のようだった。しかし、頭が違う。鳥ではない、だろうか。少なくとも

クチバシはないように見えた。


「……また、ブタ?」

 もっとよく見ようとした僕の視界で、その白の獣は眼を赤く光らせた。

「……亜成体!」

 敵意と共に、赤眼はこちらを見下ろしてくる。



 鳥の亜成体は立ったままの態勢で急降下してきた。クレンはすぐに五指の合間に

四本の赤棘を作り出し、それを投げる。命中したのはうち二本。命中の瞬間を

見定める動体視力はないが、赤い光の尾を引いて飛んでいく棘の数を見れば、

命中した数は分かる。

 だが、鳥の亜成体はそのまま地上のクレンに向けて鉤爪を振り下ろしてきた。

翼を広げた姿は、人間の大きさと遜色ないくらいだ。クレンは最低限の動きで躱し、また棘を投げる。至近距離からの攻撃を受け、鳥の亜成体は衝撃を逃がすように

後ろへと飛んだ。


 こういう時、狙われるのはクレンで、僕は無視される。

 あの日の白い六足の犬もそうだったが、基本的に白の獣は赤の人を敵視している。両者の戦いの歴史は長く、赤の武器の恐怖は白の獣の本能に刻まれているのだ。

 僕のようなただの人間をエサとする白の獣としても、天敵たる赤の人がいては、

おちおち食事もできないということだろう。



 クレンと鳥の亜成体の戦いは、ほどなく決着がついた。

 といっても、クレンの方に負傷はない。どうやら先手を取れたのた大きかった

ようで、鳥の亜成体の動きは目に見えて鈍っていた。

 やがて攻撃の手を止め、鳥の亜成体はその場から退散しようとする。それを見た

クレンはもちろん、

「逃がさない……!」

 地を蹴り、翔ぶ。滑空で一息に距離を詰めると、クレンは鳥の亜成体の上を取り、その体を捉えて、地面へ叩きつける。それがとどめだ。鳥の亜成体は力を失った。


「どう?」

 クレンが鳥の亜成体の首を掴んで、得意げに見せつけてくる。

「……鮮やかだね。すごい」

「ふふ……ねえ。これ何だと思う? 見たことない」

 鳥の亜成体を僕の方へ近づけるクレン。正直ちょっと抵抗があったが、僕も

気になっていたところだ。キイキイと高く小さい鳴き声を上げるその頭を見る。


「……ああ。もしかしてコウモリかも」

「コウモリ……コウモリの頭に、鳥の体?」

「近いんだか近くないんだか分からないな」

 コウモリの首から下だけを鳥にして、何の意味があるのか。

 ……いや、意味なんてないことは分かっている。白の獣の存在に、意味なんて。



 それからクレンは赤い棘を作り出し、その首筋に突き刺した。最後にキイイ、と

甲高く鳴いて、コウモリ頭の亜成体は消えていく。

「……鳴く?」

「え?」

 そして今更、その異常に気付いた。

 そいつは、鳴いていたのだ。白の獣は鳴かないのに。


「……あ」

 クレンも遅れて気付いたようだ。

「そういうこともあるんだね」

「うん……不思議。よく気付いたね」

 そう言ってクレンは僕の方を見て、



「…………」

 硬直する。

「……クレン?」

「……うそ」

 その表情は固い。僕を見る目は大きく見開かれ――いや、違う。見ているのは、

僕の後ろの方だ。


 僕は振り向く。



 渦を、巻いていた。

 浜名湖の湖面が、大きく渦を巻いている。いくつも車線がある交差点よりもさらに巨大な渦は、巨大さを更に増してゆく。


「まさか、あれも白の獣が」

「この気配……」


 僕と彼女は同じものを見ていたが、まだ何か違うと感じていた。

 認識しているものが違う。



「クレン」

「嘘。そんなの有り得ない。だって、あの日全部……」

 震えている。その声も、肩も。

 湖面の渦は大きさを増していく。ごうごうという音が、水しぶきが、こちらまで

届いてくる。

「どうしたんだ、クレン。あの渦は何?」

「確かに……何か変だって……でも……」

「……クレン!」


 僕は声を張り上げた。クレンはびくりと大きく震え、目の焦点が湖の方から

僕へと合わさった。

 そして、僕の手を固く握る。

「逃げなきゃ」

 言うや否や、空へ滑り出した。

「――成体が来る」




◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇




 幼体、亜成体と言うからには、成体もいるのだろう。

 あの話をしたのは、まだ一月だったと思う。


 亜成体となって直接人間を襲い、多くの縁を喰らうことで、白の獣は成体へと

成長を遂げる。

 成体となった白の獣は、新たに人間の身体的特徴を得るのだという。また、身体の中心に『心臓』を持ち、体表に血管のような赤く光るラインが走る。

 その赤い光には白の獣の傷を塞ぐ力があり、心臓を破壊しない限り、成体を倒す

ことは不可能なのだという。


 そして最大の特徴は、大きさ。亜成体から成体へ変化するにあたって、白の獣は

休眠状態に入る。その間に、個体によってまちまちだったサイズは、10メートルほどにまで成長するらしい。



 高い再生能力に、巨体を持つともなれば、活動には多大なエネルギーが必要となる。そのため普段は眠りに就いている。

 そして何らかのきっかけで目覚めれば、飢餓状態で暴れまわる。


「亜成体から成体に成長するまでは、20年かかるって言われてるの」

 そう語るクレンの顔色は、あまり良くなかった。

「半年前に、日本中の白の獣が……幼体から成体まで集結して、一族は滅ぼされた。その時、一族は何より優先して成体の白の獣を滅ぼしたから。私たちが成体に遭う

ことはないよ」


 今思えば、その言葉は、自分へ言い聞かせるためのものだったのか。




「……」

 しばらくの滑空で、僕らは随分古い建屋たてやの屋根に着地した。

 時間にすればそう長くはなかったが、とにかく速く、直線的な滑空だった。

それなりの距離が稼げているだろう。


「……クレン」

 何を言うかまとまってなんていなかったが、僕は声をかけた。

「これから、どうしようか」

 間抜けな問いかけだった。いや、卑怯な問いかけだった。

 どうするにしたって、僕は主体に成り得ないのに。


「どうするって」

 クレンの横顔は、見たことがないくらいに張り詰めている。目は見開かれていて、それでもぱちぱちと頻繁に瞬いて、唇を噛み、落ち着きなく手を弄っていた。

 それでも、クレンは躊躇なく戦うだろうと、僕は脳天気に思っていた。



「……無理」

 だから、その言葉が彼女の口から出たとき、耳を疑った。

「成体には、勝てない。私なんかじゃ、あんな……」

「勝てない、って」


「だって」

 クレンは僕を見る。その瞳は落ち着きなく震えていた。

「白の獣の成体は……一族の熟練した戦士でも、一人じゃ相手しちゃ駄目だって。

基本は三人一組。守りに優れた二人が気を引いて、攻めに優れたもう一人が心臓を

破壊する。そうしないと、永遠に倒せない」


「……じゃあ、どうするのさ」

 また、間抜けで卑怯な問い方をした。でも、僕にできるのはこれだけだ。

 クレンが無理だと言って、じゃあしょうがないと言って逃げ出しては、何一つ

解決しない。

「ここで逃げたら、どうにもならないじゃないか。放って置いたらまた寝付いて

くれるのか? 仮にそうだとしても、きっと犠牲が出る」

 クレンが奥歯を食いしばった。遊ばせていた手で、ぎゅっと自分の服の裾を握る。……二ヶ月も一緒にいたんだ。彼女が苛立っていることは、よく分かった。

 きっと、喉元まで出かかっている言葉をぎりぎりで押さえ込んでいるんだろう。

『どうせ吹葵は戦わないのに』と。



 そう思えたから、むしろ覚悟は決まった。

「クレン。確かに、今までクレンは成体を倒した事はないかもしれないけど……」

 怯える彼女の背中を押す。

 無責任でも、無神経でも、そうするしかない。

「亜成体なら、今までにも倒してきた。ちょっと大きくなったくらい何だ。成体も

クレンならやれる」

「……そんなこと言ったって」

「エネルギーには余裕があるんだろ?」

「吹葵」


 失望したようなクレンの目が苦しい。だが、僕は続ける。

「一緒に考えよう。僕だって……クレンの戦いはそれなりに見てたし、それに、

クレンだって」

 彼女の言葉を思い出しながら、苦し紛れに言葉をつなげる。

「赤の人の一族、なんだろう。今まで白の獣もたくさん狩ってきたんだ。熟練の人と同じくらい、いや、それ以上に戦える――」



「――違う」

 だが、それは間違いだった。

 避けようのない間違いだった。

「私、違うの」

「……え?」


 クレンは俯く。彼女の失望は、もはや僕には向けられていなかった。



「赤の人としての力が一番成長するのは、十代の間。十五歳にでもなれば、赤の人の一族なら、心臓を貫くための槍くらいは作れるようになってる。だからこそ、心臓を持つ成体だって倒せる」

 クレンは自分の手を見つめ、そこに赤い棘を生成する。

 手のひらに収まるほどの、小さな棘。


「クレン、何を言って」

「赤の人の一族は全滅した。白の信奉者は、一族がすべて集まる祝いの場で、食事に毒を混ぜて、白の獣をけしかけた」

「でも、君はそこから生き延びて……」

「……お祝いの食事を食べる立場じゃなかったもの」


 湖の方から、ごうごうと大量の水が荒れ狂う音が聞こえてくる。


「私は族の教導一門主宰の娘、四宮しのみや優凪ゆうなの付き人。赤の武器も、滑空も、縁嗅ぎも、すべて優凪さまが手慰みに教えてくださったもの」

 クレンは自嘲めいて笑っていた。

「……正当な鍛錬を経ていない赤の武器に、心臓を壊す力は、ない」



「私に成体は殺せない」

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