第五幕:天国で泣いてる

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 2032年、1月22日。

 僕こと風村吹葵は35歳になり、そして一児の父になっていた。

 といっても、家庭は持っていないし、結婚もしていない。



 ……そう説明すると大体「こいつ一体何を」という目線を向けられるので、

説明にも慣れてしまった。


 こういう形式で子供を持つに至ったのは、清楓さやか――娘の母親からの提案である。

 曰く、子供は欲しいが、結婚はしたくない。

 自分が他人に注げる時間は、すべて子供だけに注ぎたい。

 だからそういう『契約』で子供を作らないか、と。



 ……そう説明すると今度は「そいつは災難な」という目線を向けられるので、

補足説明にも慣れている。


 よく誤解を受けるのだが、僕は清楓の母といがみ合っている訳ではないし、馬鹿にされているでもない。きわめて対等で、互いを尊重できる関係だ。そうでなければ、そもそも子供を作ろうとも思わないだろう。

 それに、清楓だって基本は娘の母親の家にいるが、そもそも主に世話をするのは

ナニー(長期契約のベビーシッターみたいなものだ)だし、僕だって会おうと思えばおよそいつでも会いに行くことができる。もちろんあちらにも都合があるから普通は事前に連絡するが、それは社会人としての基本だ。



 確かに、清楓の母と僕との間に愛に類する感情はないだろう。父親と母親は夫婦である、という常識に、僕らの関係は真っ向から反対するものだ。

 しかし僕らは有形の契約と無形の信頼によって結びつけられ、互いに一切気負う

ことなく、清楓という自分の子供に愛情を注ぐことができている。

 家族を体験として能率的に行うための制度と言っても良いこの形は、アメリカから入ってきて、近年日本でもじりじり広まってきているものだ。

 古い上司や父さんは良い顔をしなかったが、ま、新しいことというのは押し並べてそんなものである。




 ……それでも、たまに不思議に思う。


 子供を作る前、契約を固めた時、

「それにあなた、誰か本当に好きな人が、他にいるでしょう」

 そういう風に彼女に言われて、否定しなかったことを。



 そんな相手、まったく覚えがないというのに。




◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇




 僕はその公園に足を踏み入れた。

 川近くの急勾配に作られたそこは、二つの小さな公園が階段によって接続された

変わった公園だ。その階段からは、海と空と水平線を一望できる。絶景ポイントだ。

 大学生の頃、気に入ってたまに足を運んでいた。そして最近も、仕事で訪問する

介護施設と介助用品メーカーの近くにあるので、たまに足を伸ばしている。



「ふー……」

 階段を何段か降ったところに座り込み、戸籍管理システムが見直され厳密化される、などというニュースを携帯電話で読みながら、近くのコンビニで買った肉まんを

頬張る。

 スーツ姿でこんなことをするのは随分マナーが悪いが、それを見咎める人もそうはいるまい。今この公園にいるのは、僕ともう一人、ブランコを漕いでいた女の子だけのはずだ。

(……そういえば、ここのブランコは変わらないな)

 上腕ほどの長さの鉄棒を繋いだブランコだ。ある時期にそこら中の公園から遊具が撤去され、それから徹底的に安全配慮を行った新世代遊具が国の後押しを受けて売り出された、なんてニュースを、何年か前に見た気がする。

 この公園の利用者がおおらかなのか、誰も興味を持っていないのか。


(変わらない、か)

 思い返せば、大学生の頃とは色々と変わったものだ。この肉まんだってこんなに

肉汁溢れる感じはしなかったし、ニュースを見ている携帯電話だって、昔はスマートフォンと呼ばれていた。

 今は違う。プレートフォンと呼ばれるこいつは手のひらサイズの透明なアクリル板のような外見で、かつてのスマートフォンを遥かに超えるスペックと機能を持つ。

まあ、20世紀生まれの僕はスマートフォンの存在感ある持ち味に慣れてしまっているから、厚手のケースなどを着けてスマートフォンと同じように使っているのだが。



 だが、変わらないものもある。

 たとえば地形。この場所から見える、海と空と水平線。

 時刻はもう夕方で、赤橙の太陽が少しずつ海へ沈んでいく光景。



 そう、今はまだ夕方だけれど。

「…………」

 財布から取り出した写真。

 裏面に、何故だか『絶対に捨てるな』『死ぬまで持っていろ』と僕の筆跡で

書かれた、一枚の写真。

 朝焼けの空を背景に黒髪をなびかせて幸せそうに笑う、見知らぬ女性の写真。

 美しく、喜びに溢れた一枚。


 朝と夕の変わりさえあれど、今ここから見える風景と、写真の女性の背景は、全く同じものだ。

 変わらないものがある。僕の記憶の中に、この女性の存在は欠片だって存在しないのに、この場所から見える景色は変わらない。



 ……なら、この場所に来るたびに、僕の胸に疼く感情は。

 歓喜のような、決意のような高揚感は。

 失望のような、後悔のような無力感は。

 相反する感情がい交ぜになったような、不合理な感情は――

 これは、変わった結果のものなのだろうか。

 変わらずにあった結果のものなのだろうか。




「すみません」

「え?」


 唐突に、頭上から声をかけられた。

 振り向く。声の主は、ジーンズを履いてダッフルコートを羽織り、時代錯誤な

キャップを被った女の子だった。

 さっき、ブランコを漕いでいた少女だ。10歳くらいだろうか。

 彼女は片手をポケットに手を突っ込み、もう片手で何かを持って、振り向いた僕の顔をしげしげと見ている。



「……分かりづらい」

「ええと、どうかしたのかな」

「確認させてください。カザムラ、スイキ、ですね?」

 突然にフルネームを呼ばれて、少し驚く。こんな歳の子と接点があっただろうか。

「……もしかして、娘の友達かな?」

「子供がいるんですか」

「え、ああ。違うんだね」

「ええ。違いますが……なるほど」

 少女は階段を降りながら、手に持っている何か……恐らくは、写真だ。写真と

僕の顔を見比べている。


「……すみません。私はどうも、人の顔を見比べるのが苦手で」

「うん」

「これは、あなたですね?」


 そう言って突きつけてきた写真を見て、僕はぎょっとした。

 僕の寝顔だ。いや、僕は自分で自分の寝顔を見たことはないが、鏡で見る僕の顔を寝かせたら多分こうなるだろうな、という寝顔だった。

 白いソファのようなものに、自分の腕を枕にして眠っている。今の僕より少し……いやかなり若い。


「やはり、そのようですね」

 僕の呆然とした沈黙を見て、少女はそう結論づけた。その足元の段に座り込む。

視線の高さが、ちょうど同じくらいになった。

「……君は、一体」

三井みつい弥奈子やなこと名乗っていますが、この名前は正直好きじゃありません。『』だなんて、名付けた人の品性を疑います」

 その表情に揺らぎはない。子供なのに、大人めいたすまし顔で、彼女は続ける。

「ですが、私には母から授かった真実の名前があります。みだりに人に明かすなと

教えられましたが、母もあなたになら許すでしょう。いえ、私にとっては、本当の母ではないのですが」



 少女は名乗る。

「アオイとお呼びください。これが、母、クレンに拾われた私の名前です」

「……アオイというのか」

 アオイ。そしてクレン。

 やはり聞き覚えはない。

「ええ。ちなみにこのアオイは、あなたの名前、スイキ吹葵の『』が由来です」


 そして、何一つ事態を把握できない僕へ、彼女は変わらぬ無表情でこう言った。

「今日は、答え合わせに参りました。母の人生の答え合わせに」

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