5
「半年で、八人」
吐き出された数字が多いか少ないか。僕はなんとも判断できない。一人や二人ではないだろうと思っていたが。
ただ、クレンさんが決意と共にそれを口にしたのは事実だった。
「私は、殺して、その人の縁を食べて、エネルギーにした」
「……その人の縁を食べると、どうなるの?」
「その人に関係する全ての人の記憶から、その人のことが消える。ああ、赤の人の
記憶からは、消えないんだけど」
「記録とかは?」
「物理的なものは……残る」
なるほど。
時計を見る。ちょうど夕方のワイドショーをやっていそうな時間だ。
僕は一つ思い当たることがあって、テレビの電源を点けた。
『各地で発見される「カラ戸籍」。問われる自治体の管理体制』
存在しない人物が、まるで生きていたような活動の痕跡を残している事件。
しばらく『ニセ戸籍事件』と呼ばれていたそれは、各地で似たようなケースが
見つかるにつれて『カラ戸籍問題』と名前を変えていた。
手段も目的も不明とされているこの事件だが――
「これも、クレンさんが」
「違うの!!」
反論は思いの外大声だった。クレンさんは立ち上がり、僕の方へ体を乗り出す。
「これはっ……ううん。確かにこの中に、私が殺した相手は……いる。絶対にいると思う。だけど、違うの」
「何がだよ」
口を開いて、自分の声が存外に荒っぽくなっていることに少し驚いた。
「成長した白の獣は、人を襲って食べるの」
クレンさんの弁明は続く。
「『幼体』は自分に関わる縁だけを食べてる。それが育って『亜成体』になると、
人間を襲って、食べて、その人に繋がる縁すべてをエネルギーにするようになる」
「……」
クレンさんみたいに、という言葉が喉元まで出かかったが、口にするのはやめた。それを言っても、混ぜっ返すだけだ。
「食べられた人間のことは、みんな忘れてしまって、それでああいう事件になる……その通りよ。赤の人はそれを防ぐために、白の獣を殺すの。赤の武器を使って、白の獣を殺して、そのエネルギーでまた赤の武器を作って、殺す。今まで、今までずっとそうだった。だからこんな事件も起こらなかった。こんな風に、テレビのニュースになることだってなかったの……!」
堰を切ったように流れ出るクレンさんの言葉を、僕はなるだけ冷静に聞き、
理解できるように努めた。そしてまた、新たな疑問を投げる。
「今まで?」
「……半年前」
クレンさんは両手をテーブルにつき、じっとその表面を見つめている。奥歯を
噛み締め、苦しげな、悔しげな表情で。
「赤の人の一族ははめられた。『白の信奉者』――いろんな理由で白の獣を崇拝する人たちの策略で、日本中の白の獣と相打ちにさせられて、全滅した」
一族。信奉者。全滅。
ほんの一言で済ませられてしまったが、多分、今の話はものすごく大きな話であるはずで、だからこそ現実感がなかった。
「生き残ったのは、たぶん私だけ。白の獣もほとんど全滅したけれど、あいつらは
どこからでも現れるから……それが最近、亜成体まで成長して、事件を起こしてる」
「市役所から連絡があった時はびっくりしましたね。えっ、ほんとに! って」
テレビから加工された音声が流れてくる。
「うちは昔から父親がいないんです。なのに、ずっと昔からここにいて、母と
結婚届まで出てるとかって。ええ、もちろん母は知りませんよ。こういう情報が、
詐欺にも使われるとか。不気味です……」
――それらしい写真も見つかったとか。
「そうなんですよ! わざわざニセの写真を作って、家の中に侵入して、アルバムに挟んでおくとか、信じられません。一体、何が目的で」
――本当はいらっしゃったんじゃないですか?
「やめてください! あのねえ、本当にその人がいたら、私たちだけじゃなくて、
近所の人とか、知ってるはずでしょう? 誰も知らないんですよ! いる訳が
ないじゃないですか! 薄気味悪いとしか言えないですよね……」
「……一族があった頃は、こうならなかった」
クレンさんがぽつりと漏らす。
「白の獣は幼体の内に倒される。万一白の獣に食われた人が出たら、痕跡は他の人に気取られないようになくす手はずが整ってた」
なるほど。だから今までこんな事態は起こらなかったし、そしてだからこそ、
今こんなに大きなニュースになっているという訳だ。
「……それで、目撃者を殺す理由は?」
「そこから『白の信奉者』に、まだ生き残りがいるってことがバレたら……私が、
殺されるから。そうしたら、白の獣が野放しになる」
「『白の信奉者』っていうのは、どこにいるんだ」
「……分からない。分からないから、目撃されないようにしてきたし、目撃されたら殺すようにしてた」
僕は一口、啜るようにオレンジジュースを飲む。
縁喰い、白の獣、赤の人。
白の信奉者、一族の全滅、カラ戸籍問題。
まだ完全に理解できているとは思えないが、なんとなく状況は掴めてきた。
目撃されたら殺すというクレンさんのやり方は、乱暴でひどい、許されないことだと思うが、彼女の語る経緯が本当なら、少しは気持ちが分かるかもしれない。
情状酌量というやつだ。
法律を厳密に言うならそれは僕が決めるべきことではないのかもしれないが、
そんなことを言ったらそもそも彼女を裁ける人間は誰もいない。
だからこそ一つ、疑問が湧く。
「なら、結局どうして僕は生きてるんだ」
クレンさんが顔を上げた。僕はテレビを見ながら、空になったカップを弄ぶ。
「なんで昨日、君は僕のベッドで寝てて、僕はその時殺されなかったんだ」
「……ベッドで寝てたのは」
蚊の鳴くような声。
「縁を食べた人の部屋って、色々都合が良いから。家族もその人のことと一緒にその部屋のことまで忘れてしまう。だから、殺した人の部屋を借りて、しばらく生活
して、少ししたら全部壊すのは、いつものこと」
ちゃんとしたベッドで寝られるに越したことはないもんね、と漏らすクレンさん。
「で、なんで僕は殺されてない」
「……殺そうとしたよ」
「でも、殺せなかった」
クレンさんの返事は、あまりに弱々しかった。
「顔を合わせて、話しかけてくれて、私に触れてくれた人のこと」
発言と同じように、その理由は、あまりに弱々しくて、
「知らない私のこと、拒んだりしないで、目の前で平気で寝たりする人……たった
それだけ。たったそれだけなのに、私……私」
その声も姿も、またあまりに弱々しく。
「……殺せなかったの」
しばらくリビングには、テレビの音だけが流れていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……ごめん」
陽が沈みきった頃。
靴を履くクレンさんの背中を、僕は玄関先で見ていた。
その印象は、家に上げた時とはずいぶん違っていた。クレンさんはもう少し
落ち着きがあって大人っぽい女の子だと思っていたが、話しているうちにどんどん
感情的で淋しがりな素が見えてきたような、そんな気分だった。
「なんだか、みっともない所見せちゃった」
そしてクレンさん自身にも、その自覚はあったようだ。
「……これから、どうするんだ?」
「公園の樹の上に、寝袋を置いてるの。そこで少し寝る。で、日付が変わったら
行動開始」
とんとん、とつま先で地面を叩く。
「白の獣も、夜は寝る。それを探して、寝込みを襲って、殺す。それである程度
力が貯まったら、ニュースでやってた所に行く」
ニュースでやっていた所。確か今日のは、神戸でのことだった。
「亜成体がいて、人に危害を加えてるはずだから。絶対に殺さないと」
クレンさんは扉を開き、振り返った。
「今日はありがとう。みっともない所、見せちゃったけど……久しぶりに誰かと
たくさん話ができて、やっぱり嬉しかった」
「……なら、良かった……いや、良かったのかは分からないけど」
僕は少しこめかみを掻いて、でも迷わず言葉を続ける。
「色々納得できたのは、良かった」
「ん」
彼女の口元には、きっと安堵の笑みが浮かんでいたと思う。
「もう、来ないから。お母さんに、よろしく伝えておいてくれる?」
それから続いた言葉も、そう唐突なものでもなかったと思う。
「そうしたら、私のことも忘れて。ごめんなさい、関わってしまって」
「最初からそのつもりだったのか?」
「話をしたら、今までのことを隠せないとは思ってた。嘘は、つきたくないもの」
浮かべる笑みは、門灯の逆光で暗く見えた。
正直なところ――
それが良いと、僕は思っていた。
どんな経緯があれ、このクレンという女の子は人を殺している。
カラ戸籍問題のニュースを見れば分かる。それできっと、誰かが悲しんだりする
訳ではないのだろう。
しかし、実際に存在していた人が『記憶にない』『薄気味悪い』と、かつての
家族に語られる事態は、きっと悲しむよりも残酷なことだ。
そんなことをする奴と関わりたくない、というのは、自然な考えだ。
だが、彼女はそれを悪事と自覚し、彼女なりの仕方なさがあり、罪悪感があった。
もちろん、そんなことで罪が許される訳じゃない。やったことは変わらない。
けれど。
「……そう言わなくてもさ」
僕が彼女を遠ざける理由には、ならないだろう。
「来たければ、来なよ」
「え」
笑みが
「正直言って、人を殺したってことは、まあ……引くけど。悪いことだし、絶対に
取り返しの付かないことだし」
「…………」
「でも、仕方なかった……ってことなんだろ。一人で戦うためで、白の信奉者、とかいうやつに見つからないためでもあって」
「……そうだけど」
「だから、そこはまあ、置いておく。情状酌量ってのだよ」
僕はクレンさんを見た。彼女も、僕を見ている。
「家がなくて、一人で、こうやって喋る相手も、滅多にいないわけだろ」
「……うん」
「僕もさ、まあ……家はあるけど、ぼっちでさ。今は全然平気だけど、昔は色々と
つらくって。体育の時とかさ、何人組作ってー、とかいうのが本当に怖くって」
「ああ……あれ、いつも余る子、いたよね」
「そう。僕はそれだった。まあ今は、余りやすそうな奴に何人か目星をつけて、
体育の時間中はそいつから離れないようにしてるんだけど」
クレンさんがくすりと笑った。
そして、気付く。彼女、ちゃんと学校にも通っていたんだな。
だったら、淋しさもなおさらじゃないか。
「一人なのが、しんどいんなら」
「……うん」
「また来て良いよ」
「…………ほんとに?」
「僕のベッドだって使って良い。僕が寝るのは、真夜中の12時から朝の7時くらい
だから、それ以外の時間でなければ」
「……それ、助かる」
「来る時は窓から来てくれ。母さんにバレたら面倒だし……ああ、でも、たまになら夕飯とか食べていっても、良いだろうけど」
「……うん」
「僕はあまり、賑やかに喋るのは苦手だけど。まあ、話し相手になるくらいなら」
「…………うん」
相槌を打ちながら、クレンさんは震えていた。
涙をこらえる震えだ。
「……泣くなよ、玄関先で」
「うん……」
「母さんに見られたらことだ」
「うん……」
「おみやげのお菓子、母さんが好きな店のだった」
「……車の中で、っ、聞いた、から」
「母さんも気にいるよ」
「うん……っ」
彼女は僕にしがみついてくる。
玄関の上に立つ僕と、靴を履いた彼女とでは、普段は少ない身長差が広がって、
彼女は自分の頭を僕の胸に埋めていた。
ちょうど、彼女の棘に付けられた傷の上辺りだ。
声を上げず、だけど涙の温かい感触が、伝わってくる。押し付けられる胸の重く
柔らかい感触よりも、そちらの方がずっと気にかかった。
「一つだけ」
「……何?」
クレンさんは僕の胸に顔を埋めたまま聞き返してくる。
「もう、人間相手にそれを使うのは、やめてくれよ」
「うん……」
「それはやっぱり、悪いことだと思う。白の信奉者、っていうのが不安なのも、
分かるには分かるけどさ」
「……分かった。そうする」
「もし次やったら、それこそ縁切りだ」
「もう、絶対にしない」
クレンさんは離れ、目元を拭い、顔を上げた。
もう涙を流してはいなかったが、目元も鼻も少しだけ赤かった。そしてその表情はどきりとするくらいに安らかな笑みで、僕は慌てて目を逸らし、言い足した。
「言っとくけど、なんでも許す訳じゃないからな。僕の言うことは聞いてくれよ」
「お母さんに勘繰られないように、でしょ?」
「あとスマホやコートの弁償とか……色々ある」
意識の奥底から掘り出した問題を付け足しても、
「うん」
クレンさんは変わらず笑っていた。釣られるように、僕も少し笑った。
「止めてくれて、ありがとう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2014年、1月24日、夜。
こうして、僕と彼女の関係は、始まった。
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