第6話 リボーの法則

 伝助じいさんは、このところだいぶ痴呆ちほうが進んできたようである。ついさっき食べた食事のことまで忘れてしまうことがあるほどだ。


 ところが不思議なことに、何故か昔のことはよく覚えている。

 昔はこの空き地でよく皆んなと野球をやったとか、あの道端には大きな柿木があって、その柿を盗ろうとしたらその家のじいさんに追いかけられたとか・・・

 伝助じいさんがそうやって懐かしそうに思い出を話すときは、いつもきまって薄っすらとその目に涙を浮かべるのである。


 ついこの間も、急に老人仲間の良夫じいさんに食って掛かった。良夫じいさんとは幼馴染で、近くの養老院で共に生活をしている。


 「良夫、あの時に貸した金を返してもらわねば、わしは死んでも死にきれん・・・」


 良夫じいさんが驚きながら聞き返す。

 「伝助さんや、それはいつのことを言っているんじゃ。わしはお前さんからお金を借りた覚えなんて・・・」

 良夫じいさんがすべてを語り終わらぬうちに、伝助じいさんが割って入る。

 「小学校五年生の時じゃ。ベーゴマ買うって言うて、五円貸したじゃろうが・・・」


 「小学校五年生?・・・」

 さすがに、これには良夫じいさんも反論のしようがない。

 それでもおそらくは本当のことなのであろう。それが証拠に、伝助じいさんはまたもやその目に涙をいっぱいに溜めている。


 「分かった、わかった」

 良夫じいさんは、財布から十円玉を一つつまみ取ると、それを彼に手渡す。伝助じいさんは、ニコリとほほ笑む。



 「ところで、伝助さんや・・・」

 「何じゃ?・・・」

 「さっき、養老院の売店で煙草を買う時に立て替えた五百円なあ。あれ、返してもらってもよいかねえ?・・・」


 伝助じいさんは、遠くを見るような顔付をする。

 「はて、何のことかさっぱり覚えておらんなあ・・・」



【リボーの法則】

進行性痴呆症において現れる症状で、遠い昔の記憶は保存されているのに対して、つい最近の記憶は失われる傾向にあるという法則。


 

 

 

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