第一回 宵の闇

 出された酒が、酷く薄いものだった。

 半分以上は水だろう。そうやって量を誤魔化しているのだ。

 平山清記は、板場にいる主人に一瞥をくれたが、六十を越えた歯抜けの老爺ろうやは、何食わぬ顔をして包丁を動かしている。


(米が無いというのは判るが)


 飢饉とまで言わないが、作柄が良いとも言えない。米価が値上がりし、こうした不正が起きているのだ。

 飢饉が起きれば、この比ではない。記録でしか知らないが、享保の御代に起きた飢饉では、多くの者が餓死し、打ち壊しも起こったという。


(それに比べれば可愛いものだな)


 米が手に入らないわけではない。多少高いが、銭で買える範囲でもある。

 平山清記ひらやま せいきは、湯呑の酒に落としていた視線を上げた。

 客は、自分の他に地の者と見られる町人が三人と、長脇差を抱えた渡世人が一人。座敷席は無く、土間だけの店内である。客が十人も入れば、満員になる小さな店だ。

 夜須藩城下から北陸へ向かう、関陸街道かんりくかいどう沿いにある宿場。小竹宿。地名で言えば、佐與郡という。その居酒屋である。屋号は、〔六造ろくぞう〕と、所々破れた提灯に記されていた。六蔵とは、老爺の名前なのだろう。


(久々に来たが、変わったものだ……)


 かつて、この小竹宿には旅籠が十五軒ほど建ち並び、籠の中の女郎が騒がしい傾城街けいせいがいとして栄えていた。

 しかし、十数年ほど前に、夜須藩首席家老の犬山梅岳いぬやま ばいがくが、藩主・栄生利永さこう としながの意を汲み、城下に吉原町という大きな岡場所を設けた事で往年の活気は失われ、今は百姓を相手に細々と商売を続けている。一応、飯盛女はいるにはいるが、城下では売れる玉ではないという話だった。


(この酒が、小竹の現状を如実に語っているのかもしれぬな)


 そう思いながら、清記は二杯目を飲み干したが、その冷たさに思わず喉が鳴った。水で薄めた酒でも、この溽暑じょくしょには恵みの甘露だと、身体が感じているのだ。

 朝から日差しが強かった。昼過ぎになると、にわかに雲が広がって蒸すようになり、肌を舐めつけるような熱気は不快感しかなかった。

 清記は三杯目の薄い酒も空にすると、猪口を箸に持ち替えた。

 肴は、焼き茄子である。胡麻と大葉が乗っている。これは旨かった。冷えた茄子の冷感と、大葉の味が合うのだ。粗悪な酒の割りに、料理は確かな事に、清記は驚いた。すると、板場から老爺が得意げな顔をこちらに向けた。清記は、それに肩を竦めて応え、四杯目の酒を胃に流し込んだ。


(薄いだけに、いつまでも酔えそうにない)


 だが、喉の渇きを潤す事は出来た。

 酒は好きではない。かと言って嫌いでもなかった。出されれば飲むという程度だが、この暑さが酒を求めた。

 老爺が傍に来た。


「浪人かい?」


 その言葉には、相手が二本差しである事への遠慮は無い。歯は抜け、老いさらばえてはいるが、度胸はありそうだった。


「そう見えるか?」

「いや、見えねぇな。浪人の風体はしているが、お前さんには隠しきれない品というものがある。だから声を掛けたのだがね」


 清記は鼻を鳴らした。


「仕事でしてんだろ、そんな恰好をよ」


 見抜かれた。が、清記は気にしなかった。変装は苦手で、そもそも騙し通せるとは思っていなかった。


「当たりだろう?」

「さぁ、どうだろう」


 図星だった。人を斬る、御手先役としての、いつものお役目。その為に、薄汚れた着流しと落し差しという浪人の格好をしているのだ。


「何故、浪人の真似事を」

「好きでやっているだけだ」

「へぇ……。最近の侍は、よう判らんな」

「どうだ、一杯」


 猪口を差し出すと、老爺は僅かな笑みを見せて、それを受けた。


「景気は?」

「どうもこうも、もう駄目だね。手遅れだ、この小竹宿は」

「随分と悲観的だね」

「元々肥溜めみたいな宿だったんだ。城下に吉原町が出来て寂れたと思ったら、あいつらが来た」

圓通寺えんつうじの浪人の事か」

「そこまでは言いたくねぇな。こんな老いぼれでも命は惜しい」

「そうか」


 圓通寺には、杉崎孫兵衛すぎさき まごべえという男を中心にした浪人衆が巣食っている。その数は、六名。剣の腕前に物を言わせ、宿場内で傍若無人な振る舞いをし、逆らう者は容赦なく斬り捨てているらしい。

 夜須藩は、浪人の流入を禁じている。見つけ次第、斬っても罪にならないという事にされていた。そのうち、町年寄や庄屋など身許確かな引受人がいれば浪人の定住も許されるようになったが、寛永年間の頃には餓えた浪人が藩士によって数多く斬られたという。そうして藩士は実戦の経験を積み、当時の藩庁も腕磨きの為に、浪人狩りを奨励していた。

 しかし、宝暦となった今はそうする者はいない。むしろ、凶悪化した浪人に対して、城下に踏み込まない限りは見て見ぬ振りをしている。何とも情けない話だが、戦乱が遠くなり真剣を満足に抜けない武士が大半の昨今では仕方のない話だ。

 杉崎孫兵衛も凶悪化した浪人の一人で、彼ら一党を残らず始末する事が、清記に課せられた御手先役おてさきやくとしての役目だった。

 平山家は、御手先役と呼ばれる藩の刺客を務めている。藩主・栄生利永、或いは代理となる執政府から、斬れと命じられれば斬るだけの刀として、代々存在してきたのだ。

 斬る相手は、多岐に渡る。凶悪な罪人や、幕府や藩に逆らう叛徒だけでなく、政争に絡んだ暗殺まで行う。その中には、女や子供も当然いた。

 兎角、剣を使う役目だった。その為に平山家歴代の当主は、念真流という夜須藩お留め流を修め、その宗家でもあり続けている。今の当主は父であるが、高齢の為に嫡男の清記が代行していた。


「お前さん、何が目的か知らんが早く立ち去った方がいい。十日前に、役人を引き連れた〔やっとう〕使いが、呆気なく殺されたばかりだからな」

「へぇ」


 野村重太郎のむら じゅうたろうが率いた一隊の事だ。討伐隊の指図役を務めた野村は、城下で伊武派壱刀流の道場をしている剣客である。直接面識はないが、その剣名は耳にしていた。

 また、野村は犬山梅岳の派閥に加わっており、討伐は梅岳の命を受けての事だったという。だが野村は、武運拙く杉崎一人に返り討ちされ、いよいよ御手先役の出番になったという次第だった。


「命は大事にしろ。まだ若いんだろう?」

「まぁ」

「早く出ちまうこった、こんな宿場」


 老爺は小声で吐き捨てた。

 この宿場に住む者にとって、圓通寺に巣食う浪人は触れてはいけないものなのだろう。主人はそれ以上語らず、板場に戻った。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 店を出た。陽が傾いていた。通行人の姿も無く、宿場内の商店は片付けの準備に掛かっている。

 傍に、襤褸ボロを纏った乞食が寄ってきた。糞尿と汗が混じったような、饐えた悪臭を放っている。

 清記は黙って、家屋の陰に逸れた。乞食もその後を追う。


廉平れんぺいです」


 乞食は、清記の足元に膝を着いて言った。


「流石の変装だな。私はすぐに見破られてしまった」

「これが飯の種ですから」


 廉平は、そう言うと低く抑えた声で笑った。


「杉崎孫兵衛は、圓通寺にいますぜ」

「手下共もか?」

「ええ。博打の真っ最中でさ」


 廉平は〔目尾組しゃかのおぐみ〕という夜須藩の忍びで、主に情報収集などで御手先役を助ける役目を主にしている。歳は二十六と同じ歳で、一緒に仕事をするのは今年で三年目だった。


「中々の手練れなようで。旦那なら心配は無用だと思いますが」

「野村重太郎を討ったほどらしいな」

「野村は竹刀だけの男ですよ。旦那とは違いますや」

「手厳しい批評だ」

「へへ」

「あと、杉崎をったら、その足で宿場を出て下さい。あの浪人共、意外と人望もありましてね。何をされるか判りませんぜ」

「ああ」


 杉崎一党は傍若無人ではあるが、その一方で宿場を外敵から守ってもいるのだ。無法の下で、ある種の秩序が保たれているのである。だからとて、それを藩として見過ごすわけはいかない。

 廉平とはそこで別れ、清記は宿場の外れにある圓通寺まで歩いた。遠くで、ひぐらしが鳴いている。この時分になれば、盆地特有の暑さも幾分かマシになる。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 圓通寺の山門が見えてきた。

 禅宗の寺院であるが、住持じゅうじを杉崎一党に殺されて以降は、朽ち果てて廃寺同然となっている。


「圓通寺の浪人を、一人残らずせ」


 そう、父の悌蔵ていぞうに命じられた。夏の陽が盛りの午後の事である。その声を耳に蘇らせ、清記は一つ頷いた。


(斯様な者共を野放しにしておいては、御家の為にもならん)


 勿論、御家が守るべき領民の為にも。

 山門を潜り、境内に入った。枯山水の庭。荒れに荒れている。さらに、至る所に動物と思わしき骨が落ちていた。生臭を禁じる聖域で、鳥獣の類を口にしているのだろう。犬のものもある。最近食べたのか、頭部と剥いだ皮が塀の側に捨ててあった。

 不意に、庫裡の戸が開いた。赤ら顔の若い浪人が出てきた。清記は、佩刀・扶桑正宗ふそうまさむねに手を伸ばし、駆け出していた。


「何者」


 最後まで言わせなかった。首筋から斬り下ろす。手応えだけで、致命傷を負わせたと判った。一人目、と清記は心中で呟いた。

 脇を通り過ぎ、庫裡に入った。浪人がいた。土間に置かれたかめの水を、柄杓で飲んでいる所だった。


「なんだ、てめ」


 慌てて向き直る浪人を、清記は下から斬り上げた。二つになった柄杓ひしゃくと腕が宙を舞う。更に、返す刀で袈裟斬りにした。

 二人目。あとは四人。内心でそう数えた。

 土足のまま上がり、戸を蹴破った。三つの顔がこちらを向いた。褌だけの半裸姿だ。よく見ると、女もいた。婀娜あだっぽい、女郎風の女。四人は、噎せ返るような部屋で、博打に興じている。


「何奴」


 三人が刀を引き寄せる。それとほぼ同時に、清記は飛び込んでいた。横になっていた浪人の喉仏に、刀を突き立てる。右足で胸を押さえで抜くと、血が吹きだした。

 傍の男。刀を抜く所だった。刀を横薙ぎに一閃させた。首が落ちたのは、立ち上がてからだった。

 最後の一人は、既に抜いていた。女の首を掴むと、咄嗟に盾にした。


「動くな。動くと、この女が死ぬぞ」

「私は一向に構わぬが」


 女が、悲鳴にも似た罵声を口にした。ろくでなし、とも言っている。


「構わんだと? 女の命がどうなっても知らんというのか?」

「生憎、女を助けろとは言われていないのでね」

「鬼か、貴様は」

「自分でも判らんよ」

「糞が」


 その時、浪人が女を突き飛ばした。思わず、女の身体を受け止める。その奥。上段に構える姿が見えた。清記は、女を抱えながらその一撃を右手一本で弾くと、その剣勢を往なし、浪人の体勢が崩れた一瞬を突いて、頭蓋を片手で両断した。


「片手間で人を殺すか」


 奥の部屋から、嘲笑混じりの声がした。振り向くと、長身の色白い顔がそこにあった。着流し姿の、浪人。歳は四十手前という所であろう。この男が、杉崎孫兵衛だろうか。

 清記は女を離すと、行けと目で合図をした。浪人の仲間に女がいるとは聞いていない。おそらく、無理矢理に連れて来られたのであろう。


「面白いね。こうも容易く人を殺せる人間は、そうそういるものではないよ」

「杉崎孫兵衛殿とお見受けする」

「ああ、そうだよ」

「探していた。斬らせていただく」

「理由は?」

「命令以上の理由はない」

「そうか。……では、お相手しよう。表でいいかな?」


 清記は頷き、杉崎に促され境内に出た。足場は砂利。枯山水の名物であるが、荒らされていて砂紋はない。

 杉崎が正対に立つと、ゆっくり抜刀した。刀は長く、厚みがある。それを、正眼に構えた。清記は下段である。

 杉崎との距離は、三歩半。潮合いを待った。手練れである事は、伝わる氣で判る。他の五人とは段違いだ。

 杉崎が、気勢を挙げた。前に出る。その気配を見せた時、清記の方から踏み出していた。

 眼前に刃。この三歩半の距離の間で、待ち伏せをしていたのだ。

 踏み出しながらも、清記は鼻先で見切り、躱した。更に追撃が来た。これも躱し、清記は苦し紛れに突きを放ったが、虚しく空を切った。

 立ち位置が、入れ替わっていた。杉崎は髭面に笑みを浮かべている。清記は、頬に伝う汗を感じた。


「念真流だろうか?」


 杉崎が言った。


「知っているのか」

「俺の父が、念真流と縁があった。傍で見ていたのを覚えている。今は故あって浪々の身だが、我が家は代々伊達公の傍近く仕えていた」

「なるほど」


 清記には知らない話である。父か、今は亡き祖父の代の話であろう。伊達といえば、東北最大の雄藩・黒河藩主家である。そこで、何かの役目に従事していたのかもしれない。


「見せてもらう、念真流を」


 再びの対峙になった。

 清記は正眼、杉崎は上段に構えを変えている。

 潮合いは、既に満ちていた。あとは、切っ掛けである。

 宵の闇。夜気を含んだ、風が吹く。杉崎の眼。諦めの色が浮かんでいた。何を諦めているのか。そう思った瞬間には、清記は跳躍していた。

 落鳳。

 鳳凰が、地に落ちる姿に例えられた、念真流の秘奥。扶桑正宗を、渾身の力で振り下ろす。着地した時には、杉崎は肩口から腰に掛けて血が迸り、そして倒れた。

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