第九回 男と見込んで(前編)

「相変わらず、物好きな奴だ」


 山人やまうどに迫った危機と、守る為に戦う事を告げると、悌蔵がそう言った。

 建花寺村の、代官所に併設した屋敷である。その隠居所を兼ねた離れの一間で、父は三十路を越えた女に、肩を揉ませていた。

 女は父の情婦で、この村の百姓である。二年前に夫を亡くし、二人の子どもを抱えて往生していた所を、父に見初みそめられ妾となったのだ。

 悪い女とは思わないが、美しいとも思えなかった。ししが付き過ぎていて、肌も黒い。父は何処に惚れたのか? と疑問であるが、少なくとも継室のちぞいを気取る事も無く、普段は百姓家に住んでいるので、それ以上は気にならない存在だった。


「山人の危機もですが、山賊が内住郡に侵入する事は看過出来ません」


 清記は、女に目も向けず言った。

 女が遠慮して去ろうとしたが、悌蔵は袖を掴んで押し止めた。


「今度は腰じゃ」


 と、俯せになり腰を一つ叩く。女は清記に苦笑いを見せて頭を下げると、悌蔵の腰に指を這わせた。


「まぁ、清記よ」

「はい」

「これからの平山家は、お前のものなのだ。好きにせい」

「よろしいのですか?」

「構わん」

「では、好きにいたします」


 離れを出ると、三郎助が待っていた。母屋に戻りながら、この小太りの執事にも同じ事を伝えた。


「素晴らしい事です。流石は清記様。山人の事まで考えておられるとは」

「世辞はいい。それにこれは、私の誇りの問題でもある」

「なるほど。私もお供して加勢をと言いたい所ですが、残念ながらそっちの方はからっきしでして」


 三郎助は恥ずかしそうに、鬢を指で掻いた。三郎助の腕など、最初から当てにしていない。そもそも、小太りの体型は戦う者のそれではないのは、一目瞭然である。


「お前に、荒事の期待はしていない。それより、得意分野で頼みたい事があるのだ」

「そう言われたら悲しいですが、何なりと」

「蔵の武具を運び出して欲しい」


 清記は耳に顔を寄せて言った。


「何ですと?」

「いいか、秘密裏に運ぶのだぞ」

「さては、山賊相手に一合戦ひとあわせするつもりですな」


 三郎助が嬉々とした顔をしている。


「そうだ。その為の武具が必要だ。重苦しい甲冑はいらん。刀、槍、弓、それと籠手や膝当ての類ぐらいだな、必要なものは」

「判りました。人も選びましょう。で、何処に運べば?」

「それは、追って知らせる。頼むぞ」


 清記は厩から愛馬を牽かせ、村を出た。出てすぐの地蔵尊では、山人の若者が一人待っていた。里人の恰好をしているが、牟呂四が付けた連絡役である。


「武具は手配した。集落ムレに運び入れる算段をしていてくれと、伝えてくれんか?」

「判りました」

「あと、加勢を何人か頼むつもりでいる。俺が見込んだ者だから、心配するなとも伝えて欲しい」

「加勢ですか?」


 若者が表情を曇らせた。里人を信用していないのだ。


「相手は三十。味方は多い方がいい」


 山人は頷き、駆け去って行った。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 清記は馬で駆け、穂波郡の赤江村へ向かった。

 赤江村には穂波代官所があり、規模こそ建花寺村に劣るが、農村ながら武士の姿もあり、一種の城下町を形成していた。

 此処に、親友の武富陣内がいる。元は、御蔵奉行組頭であったが、穂波郡代官である藤河雅楽ふじかわ うたに見込まれ、筆頭与力に抜擢されたのだ。

 組屋敷を訪ねたが留守で、清記は代官所へ向かった。

 陣内は、道場で汗を流していた。下役相手に、剣術の稽古をしているらしい。


(技は鈍っていないようだ)


 陣内の鋭い竹刀裁きを目にし、清記は頷いた。

 陣内は、光当流の免許持ちである。何度か対戦し負けた事は無いが、簡単に倒した事も無い。いつも接戦である。しかも、実戦で人を斬った経験もある。

 助っ人をと思って、まず浮かんだのが陣内だった。


「よう、久し振りだな」


 稽古が終わると、汗を拭いながら陣内が寄って来た。


「筆頭与力様が剣術の稽古か」

「非番なんだよ、今日は。それにな、先月この穂波に賊が現れた。うちのもんはろくに戦えず、俺一人で往生したんだ。それでこうして稽古をしているんだよ」

「穂波も大変だな」

「お互い様さ。で、どうしたのだ、突然」

「話がある」


 清記が声を潜めて言うと、陣内は場所を変えると言った。

 屋敷に移動した。

 代官所の側である。陣内の妻は城下にいて、老婆を世話役に雇っているだけらしい。


「お前の腕を貸してくれ」


 茶を運んできた陣内が座ると、清記は頭を下げた。


「俺の腕と言ったのか?」


 陣内が驚いた顔で訊いた。


「そうだ」

「珍しいな、お前が俺を頼るなど。まぁ理由を聞かせてくれよ」

「ああ」


 清記は、夫雄の話をそのまま語った。山人の暮らしを守る為、夜須藩に賊を流入させぬ為に戦って欲しいと。


「そうか、山人か」

「藩庁に申し出た所で、動くまい。だから、やろうと私は決めた」

「そうだな。よかろう、お前と俺の仲だ。俺も戦うぞ」


 陣内は二つ返事で承知した。


「いいのか? 報酬は無いぞ。必要だというのなら、俺が用意するが」

「そんなものはいらん。俺を見くびるなよ、清記」

「……」

「お前はな、俺の友達なのだ。親友だ、親友。その為には、俺は苦労も厭わん。これが貸しとも思わんぞ。貸しと言えば、お前は俺の婚儀に大金を包んでくれた。それに俺は何も報えていないのだしな。それにだ、清記。内住が乱れれば、この穂波もいずれ乱れる。そうなれば、これも仕事の内って事になる」

「すまん」


 陣内が肩を叩いた。これから、藤河雅楽に会って不在の許可を取るという。藤河は折り目正しい武士で、清記も尊敬する代官だ。漢学者としても名高いが、堅苦しい所もある。


「ああ見えても、義侠心は篤い所もあるんだよ、藤河様は」


 陣内は、許可が下りない事は無いと言って代官所へ行き、その通りになって戻って来た。


「な、言ったろう?」

「藤河殿には礼を言わねばな」

「存分に武士の責務を果たせ、とよ」


 清記は、何やら嬉しい気持ちになった。江戸藩邸では嫌な思いばかりだった。犬山梅岳が仕切る国元も、腐敗に満ちている。そうした夜須藩にあって、藤河のように気骨ある武士の存在は貴重だった。


「それより、今日は泊まるんだろう?」

「ああ。お前がよければ」

「なら、泊まれよ。酒を飲もう、久し振りにな。飲みながら軍議だ」


 すぐに酒が用意された。肴は、猪肉の鍋だった。この辺りにも、山人が獣肉を売りに来るらしい。

 これから、どうするのか? 陣内はそれを訊いた。


目尾組しゃかのおぐみにいる男を誘う」


 清記は、次に廉平に声を掛けるつもりだった。廉平は目尾組の忍びで、御手先役絡み以外の事でも、銭次第では手を貸してくれる。今回はいつも以上の銭を払うつもりだった。


「目尾組と言えば、隠密だろ? 知り合いなのか?」

「まぁ、父の筋でね」

「へぇ」


 と、頷きながら、陣内は鍋の中で滾る猪肉に箸を伸ばした。醤油と砂糖で甘辛く煮込まれている。猪肉の他には、豆腐と山菜の類だ。


「そうか。悌蔵殿はそうした付き合いがありそうだな」

「長く仕えていると、そうした人脈が出来るらしい」


 陣内は、御手先役をしている事について知らない。それはつまり、自分を偽っているのと等しく、その自分を親友と慕ってくれる陣内に対して、清記には忸怩たる思いがある。いつか打ち明けたい。その時、陣内は何と言うだろうか。

 出来もしない事を、何度か考えた事がある。御手先役は藩の秘密。打ち明ける事は御法度なのだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 廉平は、出来高払いでと言った。

 城下にある、廉平の長屋である。


「賊は三十以上なんでしょう? あっしは怖がりなんで、逃げるかもしれねぇですから。もし、あっしが存分に働いた時は、その銭はいただきやすよ」


 そう言って、廉平は加わった。

 加勢は二人。他に顔は浮かばなかった。家人に命じれば参加するだろうが、意に反するような事はしたくない。

 三郎助が、武具の運び出しが終わったと報告に現れた。山人が数名、山裾まで降りて来て受け取ったそうだ。


「しかし、悌蔵様の耳には入っているようです」

「何か言われたか?」

「いや、それが何も」


 そう言って、三郎助が笑った。


「鼻を鳴らしただけで。どうこう言っても、我が子は可愛いのでしょう」

「そんなものか」


 集落ムレへ向かう約束の日になった。

 清記は牟呂四と、弥陀山みださんの麓に広がるかやの森の入口で待ち合わせをしていた。


「加勢は二人か」


 牟呂四は、陣内と廉平を一瞥して言った。


「友達が少ないな、お前は」

「そう言うなよ。この二人は私の親友で、腕は立つ」

「そうか。俺と清記は友だ。友の友も、友だ」


 そう言って、牟呂四は笑顔を見せて挨拶を交わした。

 陣内は山人の集落ムレへ行った事はないらしく、楽しみにしていた。廉平は相変わらず飄々としている。


「おい、あれ」


 出発しようとした時、陣内が清記の袖を引いた。

 背後に、武士の姿。その顔を認め、清記は言葉を失った。

 現れたのは、奥寺東馬だったのだ。

 勿論、今回の件で声を掛けてはいない。


「よかった。間に合わないかと思ったぜ」


 陣内や廉平も驚いている。事情を知らない牟呂四だけが、腕を組んで見守っている。


「建花寺村に行ったが、もう出発した後だったんでね。この場所は執事に聞いた」

「どうして、東馬殿が?」


 陣内が口を挟んだ。


「親父に聞いたんだ。お前さん達が山人の為、領民の為に戦うから加勢してやれと」

「大和様が」

「清記の親父さんに聞いたそうだ。まぁ、襲われた時に助けてもらった恩を返すつもりだろうよ。兎に角、俺はお前に加勢すると決めた」


 何故、父が? それを問う前に、東馬が清記に顔を寄せた。


「志月からの伝言だ。武士の役目を果たして、無事に戻って来いと」


 志月。その名に反応した清記が近付けた顔を見返すと、東馬は白い歯を見せ闊達に笑った。

 志月らしい伝言だった。そして、内心で清記は頷いた。これは武士の役目を果たす為の戦いなのだと。


「それにしても、友達甲斐がないな。俺に声を掛けぬとは」

「申し訳ありません。この戦いは分が悪いと申しますか」

「なら、尚更ではないか」


 東馬は、壱刀流を使う剣客。竹刀だが、自分にも勝った事もある。その男の加勢は、本当に有難い。


「満足な報酬はありませんよ」

「銭はいらん。だが、貸しにしておこう。親父はお前に借りはあるが、それは親父だけのもので、俺の借りじゃないからな」

「まぁ、そうですね」

「大きな貸しだぞ、これは」


 それから、東馬は全員と挨拶を交わした。

 男と見込んで、選んだ三人。牟呂四は満足そうに頷き、進発した。

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