第九回 男と見込んで(後編)
山賊を迎え撃つ準備は、殆ど終わっていた。
女や子どもは北の洞窟への避難していて、
「こういう世界があったとはな」
「今度は、平穏な時に行きたいものですな、東馬殿」
「ああ、その通り。若い女も少ない。いても、誰かの女房だ」
「おっと、珍しがって勝手に歩き回るんじゃねぇぜ」
先導する牟呂四が振り返り、白い歯を見せた。
「何故だい?」
「あちこち罠だらけだからさ」
その時、背後で悲鳴が聞こえた。振り返ると、廉平がぽっかりと開いた穴の前で尻餅をついていた。
「だから言わんこっちゃねぇ」
「ひゃぁ、こいつは危なねぇ……」
廉平が青ざめた顔をしいている。何しろ、穴の底には糞を塗りたくった竹槍が、待ち構えていたからだ。
東馬が苦笑しながら歩み寄り、腰を抜かした廉平を引き起してやった。
「おいおい、お前さん目尾組だろうに」
「面目ございやせん」
その様子を、陣内が驚いた様子で眺めていた。
「あの二人は、一度組んでいるんだ。大和様が賊に襲われた時にな」
「そうなのか……」
東馬は身分に対して、良くも悪くも無頓着だ。だから、陣内だけでなく軽輩の廉平とも気軽に接している。一方の陣内はそうではない。東馬には気を使い、廉平には勢威を張る所がある。此処までに道程でそれがよく見えたが、仕方がない事だと、清記は思う事にした。
陣内が普通であり、東馬がおかしいのだ。上に媚び、下へは尊大に構える。それが武士の作法であり、特に夜須藩はその傾向が強い。東馬が無頓着なのは、名門故の余裕さと長い旅の経験があったからだ。ましてや陣内は、万事序列を気にする役所務めなのである。
それから清記は、夫雄や共に戦う男衆に東馬ら三人を引き合わせると、起居する為の小屋を一つ与えられた。廉平は、
「早速ですが、あっしは物見に行ってきやす」
と、若い山人を連れて偵察に出た。昨日、遠野がいよいよ夜須藩領に入ったという報せを受けての事だった。
その夜は、牟呂四の妻の与鵙が拵えた夕餉を摂った。
山菜で炊いた飯に、野鳥の塩焼き。それに味噌汁が付いている。それを
「山菜にしても、野鳥にしても、これが何なのか何一つ判らん。だが、旨いな」
東馬は酒も飲んでいないのに、妙に陽気だった。そして、飯の食い方は性格に似谷わず上品である。そこ辺りは、名門の御曹司という所だろう。その横では、獣肉好きの陣内が無心で野鳥を頬張っている。口の周りを脂でてからせて、器用に骨を焚き火の中に吐き出すのだ。
「陣内は見かけによらず、旨そうな喰いっぷりだ」
「いやはや。東馬殿、私はこれに目が無くて」
「酒がありゃ最高なのだがな」
「ええ」
全てを平らげた陣内は、名残惜しそうに指についた脂を舐めている。東馬がその様子に笑い、清記も釣られて笑った。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌朝、廉平が若者を連れて戻って来た。
「
全員が集まった夫雄の小屋で、若者が言った。
「で、生き残りは?」
牟呂四が訊いた。
「一人だけ。でも、此処へ運ぶ途中で死にました」
「皆殺しにしやがったか」
若者の話によれば、この
「山賊の数はどうだった?」
「三十三」
夫雄の問いに、今度は廉平が答えた。
「あっし一人で後を追いやした。何処で野営しているかも掴んでおりやす」
「そうか。で、どうだった?」
話し合いを主導しているのは、牟呂四だった。夫雄はそれを黙って聞いている。
「だが、飛び道具は持っておりやせん。刀や槍だけでさ。ただ、殺しに慣れておりやすね」
殺しに慣れている。その言葉に動揺が走ったが、夫雄が片手を挙げて鎮めた。
「恐れるな。こちらには名うての剣客がいる。それに我らの弓は、誰にも避けられぬぞ」
清記は頷き、地図を広げた。
その地図に碁石を置いて説明した。味方は白で、敵は黒。自分達は
「とりあえず、俺達は駆け回って斬りまくればいいわけか」
東馬は嬉々として呟いた。どうも、この状況を楽しみにしている風もある。一方の陣内は、やや緊張気味だ。そこがどうも気になる。
「問題は、ここからです。遠野らを、どう
「それは、我々に任せてもらおう」
と、夫雄が言った。既に人選は終え、合図を出すだけらしい。
「しかし、案内役は危険です。命を落とす危険も」
「構わん。本人が志願した事だ」
夫雄はそれ以上何も言わず、清記も訊かなかった。
「廉平殿。賊の居場所を教えていただけるかな?」
「へぇ、よござんす」
話し合いは暫く続いた。散会になった後、廉平は夫雄と牟呂四に残された。賊の居場所を教えるのだろう。
東馬は外で刀を振ると言って出掛けたが、陣内は小屋に帰って暫く寝ると言った。
清記は罠の見取り図を片手に
「よう、清記」
小屋の前で東馬に、声を掛けられた。どうやら抜刀をしていたようだ。
「どうだ、一手」
「遠慮します。東馬殿とは本気になりそうですから」
「へっ、違いないな」
小屋の戸を開けると、陣内が背を向けて横になっていた。
(陣内……)
その肩が微かに震えているのを見て、清記は誘った事に後悔を覚えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
山賊の姿が確認出来た。
渓流の対岸。その様子を、清記は牟呂四と藪に隠れて見ていた。
「あれが、遠野だ」
牟呂四が指差したのは、赤い陣羽織を羽織った、長身の男だった。顔の半分は、髭で覆われている。
その側には、一人の
「牟呂四、あれ」
清記はまさかと思い、牟呂四に訊いた。
「親父さ、俺の」
「やはり。お前の父上が名乗りを」
「死病に犯されていた。だからだろうな」
「そうか」
「何も言うなよ、清記。親父は男なんだ。その覚悟を、俺は支持するし、誇りにしてぇ」
「……ならば、勝たねばならぬな」
「ああ」
「よし、用意をするぞ。女達をまず逃がしてくれ」
小屋に戻ると、東馬と陣内が待っていた。既に籠手や脛当て、鉢金で武装し、着物の袖は襷掛けで絞っている。廉平は、既に外で待機しているらしい。
「来たか」
清記は頷くと、東馬は水を口に含んで刀に吹きかけた。
「腕が鳴るな」
「遠野は赤い陣羽織で、髭面だ」
「よしきた」
東馬は嬉々として、外に出た。残された陣内の表情は、やはり浮かない。
(無理もない。こんな合戦のような戦いの前は、誰だってそうなろう……)
だが、陣内にも戦ってもらわなければ、勝利も難しくなる。それほどの腕が、陣内にはあるのだ。
「清記。人を斬ったのは初めてじゃないが、どうしてか緊張してやがる」
「……」
「情けないな」
そう言った陣内の頬を、清記は思いっきり張り倒した。二発。態勢を崩した陣内は、頬を抑えて立ち上がると、表情を綻ばせた。
「痛いぜ、糞野郎」
「目が覚めたようだな」
「ああ、悪い。すまんな」
外に出た。
(どうやら、東馬は本当の斬り合いを知っているらしい)
真剣ならば東馬に勝てると思っていたが、どうもそうでないかもしれない。
清記は梯子を伝って、小屋の屋根へと登った。即席の物見櫓である。
(来たか)
渓流に掛かった吊り橋を、山賊が渡ってくる。ここで吊り橋を落とすという意見もあったが、それでは水に流されるだけで、始末する事は出来ない。未来へ禍根を残さない為に、ここで鏖殺するしないのだ。
先頭は、牟呂四の父。遠野は手下に守られるようにして、真ん中にいる。
一人、また一人と吊り橋を通過していく。清記の鼓動が脈打った。開戦の合図を委ねられているのだ。
全員が渡り切った。清記は迷わず手を挙げた。
その瞬間だった。吊り橋が落ち、矢が四方から放たれた。手下が倒れる。その中で遠野の刀が一閃し、牟呂四の父の首が飛んだ。
「掛かれ」
叫んだ。そして、扶桑正宗を抜き払い、屋根から飛び降りた。
山賊が駆けて来る。目の前。しかし、その姿は不意に消えた。そこは落とし穴で、竹槍に串刺しになっていた。
他にも、網に釣り上げられて矢を射込まれたり、丸太に身体を打たれたりと、山人の罠は想像以上だった。
清記は、そうした罠から逃れた者を、一人ずつ斬り倒した。陣内もそうで、落ち着いて確実に仕留めている。一番抵抗が厳しい所には、東馬がいた。刀を代えながら勇躍している。その見事な太刀筋はまるで道場の稽古のようで、乱戦にあっても息は挙がっていない。
ただ、牟呂四は絶叫を挙げ、
(あいつめ、弓で戦えと言っただろうに……)
親父を殺されたのだ。無理もないと思ったが、山賊に押し込まれた所で清記は落鳳で斬り倒し、牟呂四を殴りつけた。
「馬鹿野郎。親父の命を無駄にするな」
その顔は返り血で真っ赤だった。清記は牟呂四を引き起こすと、遠野を探した。
「ぬしが大将首か」
声を変えられた。山伏の姿をした男だった。
「俺は、
「ほう、念真流の名を知っておるのか」
「我が師が、念真流に敗れた。まさか、此処で相見えようとはな」
義文が、正眼に構えた。放つ氣からそこそこ出来るように思える。だが、それはそこそこに過ぎない。
清記は跳躍する気配をみせた。義文の顔が綻ぶ。やはり、念真流を知っていて待ち構えていたようだ。しかし、清記はそのまま踏み込むと、胴を抜いて返す刀で首を刎ねた。
「遠野」
清記は叫んだ。そして、赤い陣羽織を探す。
山賊の抵抗は弱まっていた。吊り橋が落とされ、頑強な抵抗をしていたが、脱出路が見つかると、我先にと逃げようとする。
だが、それも罠だった。逃げ道とされた道の先は断崖で、そこには廉平と山人の男衆が待っているのだ。
遠野。あの男を斬らねば、本当の勝利ではないのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
夫雄の小屋の裏手。
そこで、遠野は東馬と対峙していた。
互いに、正眼。遠野の切っ先がやや下がっているぐらいの違いしかない。
「どうやら、俺が当たりを引いたようだ」
清記に気付いた東馬が、横目にして言った。
二人の氣。その圧力は、半端なものではなかった。見ているだけでも、膝が竦む。故に、誰もこの立ち合いを邪魔しようとはしないのだろう。
清記は、ただ勝負の行方を見守った。二人で仕掛ける手もあるが、もしそんな事をすれば、東馬に失望されるだろう。
(勝負を見守る他に術はない)
不意に動いた。潮合いはまだ、と思っていたので、清記も虚を突かれた格好になった。
仕掛けたのは東馬だった。初太刀。それが空を斬った。そして、遠野の返し。
東馬が跳び退く。と、同時に前に出た。
交錯。
風が止み、時が止まった。
先に倒れたのは、東馬だった。膝から崩れ落ちる。それに続くように、遠野が左の肩口から脇腹にかけて、その身体が二つになった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「東馬殿」
清記は、慌てて駆け寄った。
東馬が息を止めていたかのように、吹き返した。着物の前が切り裂かれ、傷は薄皮一枚だった。
紙一重の勝負。息をするのも忘れていたのだろう。今は肩で息をしている。
「強い。強い男だったよ」
「肌に粟が立つような勝負でした」
「ああ。世の中にはまだまだ強い奴がいるなぁ、清記よ」
清記が頷き、東馬を起こしてやった。
「清記」
「何でしょう?」
「これは大きな貸しだ。一生をかけて返すほどの。何しろ死ぬところだったからな」
「はい」
「では、その貸しを返してもらうぞ」
「無理な事もありますよ」
「無理ではない。むしろ、お前は喜ぶ」
清記は目を白黒させた。何を言い出すのか見当もつかない。
「志月を妻にしろ」
「なんと」
「志月を妻にしろと言った」
「それは出来ません。私が良くても、志月殿が」
「志月はお前に惚れている。そして、お前も志月に惚れている。それで何の差し障りがあるというのだ」
「……」
「男と見込んだ。俺はこの戦いを通じて、お前を見ていた。それで、お前なら妹を任せられると思った。男と見込んだのだ。頼むよ」
清記は、ただ呆然としていた。
志月は好きだ。妻に迎えたい。だが、自分が人並みの幸せなど無縁だと思っていたのだ。
遠くで歓声が挙がった。どうやら山賊を殲滅したようだ。泣くような、牟呂四の咆哮も聞こえた。
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