曩祖八幡宮奉納試合

<あらすじ>

曩祖八幡宮建立五百年を祝う大祭。その記念として開催された奉納試合は、藩主御一門衆も上覧する大々的なものになった。

内住郡代官であり御手先役でもある平山悌蔵の嫡子・平山清記は、父には内緒でこの試合に出場した。しかし結果は、二回戦であえなく敗北。

そして決勝に残ったのは、自らを破った「あの」奥寺東馬だった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 おろしが吹いていた。

 背後に聳える、竜王山から吹き下ろす滑降風である。

 竜王颪と、近郷の者が呼ぶそれは、身を切るように冷たかった。もうすぐ、冬が来る。竜王颪は、その合図でもある。

 曩祖八幡宮のうそはちまんぐう。その境内である。平山清記は、陽に焼けた精悍な武士同士の対峙を、試合場の端に設けられた御座席から眺めていた。

 互いに素面、素籠手。得物は竹刀である。

 曩祖八幡宮建立五百年を祝う、大祭の奉納試合だ。藩主家一門衆も御上覧の、勝ち抜き戦でもある。

 朝から重く低い雲が空を覆っているが、午後を過ぎた今も、雨は降り切れないでいる。

 その下で行われる試合も、天気のように息苦しいものだった。

 対峙しているのは、奥寺東馬おくでら とうま山岸卯兵やまぎし うひょうという二人の武士である。奥寺東馬は、中老を務める奥寺大和おくでら やまとの嫡子であり、山岸卯兵は無足組むそくぐみに属する下士。


(さて、どうなるか)


 どちらも、中々の試合を繰り広げ決勝まで辿り着いていた。東馬も山岸も、外連味の無い正統派な剣を使う。言わば、似た者同士の立ち合いだった。


(出来れば、奥寺が勝つ方がいいのだが)


 そうすれば、俺の心も救われるというものだ。

 清記は、二回戦で東馬と対戦し敗れていた。長い対峙の末に、小手を打たれたのだ。

 いつどう打たれたのか。清記は気付かなかった。ただ立会人の旗は上がり、不思議な事に竹刀は地に転がっていた。


(情けない……)


 負けた事も、東馬が勝てばいいと思う事も。

 自らの力量を試そうと、意気揚々と参加した試合だった。

 父には、


「竹刀遊びなんぞ、何の役にも立たん。止めとけ」


 と、言われて反対されたが、それを押し切っての参加だった。

 それだけに、情けない。父に合わせる顔も無い。

 清記は、自らの剣に自信を持っていた。幼き頃より、血反吐を吐くような修行を重ねた。人も斬った。そうして得た、絶妙の剣だと自負していたのだ。道場剣法なぞに負けない、とも。

 念真流ねんしんりゅう。先祖代々平山家の血脈に受け継がれてきた剣である。それは、誇りでもあった。

 それが通じなかった。敗れたのは技ではなく、自分の力量。そう思っても、心は深く沈んだ。

 強い風が、再び吹いた。二人が頭に巻いた、純白の鉢巻が靡いている。

 二人共、背が高い。ただ東馬に比べ、山岸は太くもあった。体格で戦うわけではないが、力勝負になった時はそれが有利に働く事もある。

 対峙は続いていた。

 観客は溢れんばかりだが、曩祖八幡宮の境内は、水を打ったかのように静まりかえっている。皆が息を呑んでいるのだ。


(来るか)


 微かだが、氣が膨れたのを清記は感じた。

 先に動いたのは、東馬だった。

 気勢からの連撃。流れるような攻めだった。正統の壱刀流らしい攻めである。山岸はそれを躱し、防ぎ、弾きながら、何とか反撃の機会を伺っている。

 山岸は甲軍流こうぐんりゅう。守りに強い流派とされている。いつ返しが来るか。清記は、そう読んでいた。山岸の顔にも余裕がある。そのはずだった。

 立会人が、赤い旗を上げた。

 東馬の竹刀が、山岸の左肩を打っていた。その瞬間を、清記は見て取れなかった。東馬の連撃が、甲軍流の厚い壁を打ち破っていたのだ。

 歓声が挙がった。清記は勝負を見届けると、腰を上げた。


(流石は、奥寺東馬と言うべきだな)


 計り知れない剣を使う。そして、優勝者に負けたとなれば、多少の面目も立つ。

 またそのような事を考えている自分に苦笑しながら、境内から延びる長い階段を一人ぽつぽつ下った。

 階段脇、そして降りた所には奉納試合でひと稼ぎをしようとした出店が、最後のかき入れを狙って声を張り上げている。


「ほう。その様子じゃ負けたのう」


 声を変えられたのは、掛け茶屋の前だった。人の往来は激しい。見物人が一斉に帰り出したのだ。


「おい、清記。此処じゃて」


 振り向くと、総白髪の老爺が茶を啜っていた。父の悌蔵ていぞうだった。


「斯様な所で、竹刀遊びなんぞしおってからに」

「父上……」

「犬山梅岳様の別邸に呼ばれての。その帰りじゃ」

「私は」

「子供の遊びが、どうなったかなぞ聞きとうないわ」


 と、悌蔵は立ち上がり、清記に頬を寄せた。


「新たなお役目じゃ。仁保郡で一揆の機運がある。百姓を使嗾する義民とやらを討てとな」

「……」

「何をぼさっとしておるのだ。ほら、早う行くぞ、放蕩息子めが。我らのお役目は竹刀遊びではないというのに、判らん奴じゃ、全く」


 清記は唸るような返事で応え、年々小さくなる父の背を追った。


<了>

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天暗の星~念真流寂滅抄~ 筑前助広 @chikuzen

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