最終話:掴め!愛の恋人!
最終話:アバン
これでいいのか――これでいいに決まっている。
それ以外に答えがあるのだろうか。
「これでいいんだよ、俺は七瀬の気持ちを弄んだクソ野郎だ」
天使の問いに俺は何も飾らずに打ち明けた。
この天使の前では意味が無いことは分かっているし、自分自身を誤魔化すことももう出来ないのだから飾る理由はどこにもない。
そうして自分の口から出てくる言葉がどこかすっきりしたものであることを俺は自分の耳で聞いて気付く。
俺は思わず笑ってしまった。
罪悪感に押しつぶされて、クソ野郎であると認めて、真人間であることを諦めた途端に今まで息苦しいと感じていた世界から解放されたような感覚があるのだ。
それを俺はクソ野郎が真人間のふりをして生きるのだから随分と息苦しいはずだ、と自分がいかに無理をしていたかを理解する。
同時にやはり俺のようなクソ野郎は生きる価値などなかったとも言える。
この世界に適応出来ていないのだ、淘汰されて当然だろう。
何故こんなことに気づかなかったのかと俺は自分の頭の悪さを笑う。
俺はそのまま起き上がり、天使と向き合った。
「散々、女を弄んで最後に天の裁きで死ぬ。笑えるくらいお似合いの結末だろ?」
天使に同意を求めるように俺は言った。
いつもならば小馬鹿にして俺を笑う天使だったが、俺が向き合っている今の天使はそうはしなかった。
俺の同意を求めるようなそれに答えはせず、俺をただ無感情に見つめ返すだけである。
天使のその姿に俺はそれに思い至る、それと同時に腹立たしさを覚える。
だから俺は更に天使に食い下がろうとする、自分を自分で嘲笑う。
「どうした。最初に生きる価値がないって言ったのはお前だろ、それがこうして死ぬんだ。お前の正しさが証明されたんだぞ?」
俺の死を説明した天使に向かってそれが正しかったのだと、俺は天使に同意を求めようとする。
天使がそういった以上否定は出来ないだろう、なんらかの反応はあるはずだと判断してのことだ。
どうやらその考えはどうやら正解だったようである、天使は諦めたようにして口を開く。
「そうですね、私は最初に天春くんにそう言いました。天春くんが死ぬのは天春くんが生きる価値なしと定められたからだと」
天使は俺のそれを肯定する、その声色は昨日までのそれとは違うものだった。
だが俺の苛立ちはそれだけでは治まらない、いやこいつの声を聞いて更に膨れ上がったと言ってもいい。
理由は分かっている、それにこの苛立ちは八つ当たりのようなものだということも。
「だったらもっと誇らしく言えよ。いつものお前ならそう言うだろ、俺を馬鹿にして」
俺は天使に要求する。いつもらしくしろ、と。
つまるところ俺はこいつがそれを貫こうとしなかったことに腹立っていた。
先程の七瀬の事が尾を引いていることは間違いない、だからこそそう強く思うのだろう。
やるなら最後までそれをしろ、途中でやめて上がろうとするな。
「もうその必要はないですから。……天春くんもそれが分かっていて言っているんでしょう?」
天使はそれを理解しつつも、俺の要求を拒否する。
そして俺はやっぱりそうだったかと、天使の言葉でそれを確信する。
それとは今までやけに俺に突っかかってくるこの天使の態度はわざとそういった風に振る舞っていたことである。
なぜこいつがわざわざそれをしたか、その理由を俺は思い至っていた、天使の様子を見る限り正解と見ていいだろう。
その目的は非常に単純だ、俺との心理的な距離を詰めることである。
こいつが俺という人間をどう認識しているか分からないが、俺自身は俺を人付き合いにおいて距離を必ずおいて接することを心がけていた。
そのため俺は会話する際に人との距離感を計算するようにしていた、だから勢いで会話をすることなどこの天使が現れるまでは記憶にない。
こいつの目的通り、天使は俺の悪感情を煽り、そう言った精神的な距離感を取っ払った。
散々、つきまとった理由もそれを繰り返させることで俺が七瀬に距離を置かないようにさせるためか、あるいは俺が感情を表に出させやすくするための練習か。そのどちらでもあるのだろう。
元々俺自身人付き合いは最小限に留めているくらいである。事実、俺は天使のその企みは成功した。
また、悪感情を煽る理由は単純にそのほうが簡単だからという他にないだろう。
人に好かれるよりも嫌われる方があまりに簡単なのはわざわざ言うまでもない。
それがこの天使が俺に取ってきた態度の意味だ。
そのことに気付いて理解した以上、俺の前にそれは意味をなさない。
すべてが終わりつつある今、それを振る舞う必要はどこにもない。
だから天使はそう振る舞うことを止めたのだ。
そして俺の要求を天使が拒否したため当然、苛立ちが治まることはない。
ならば少しでもそれを吐き出そうと思う、天使もそれを理解しているはずだ。
あるいはそうなることを見越して俺に問い詰められることで少しでも俺が死を選んだことへの罪悪感を軽くしようと思うのか。
それとも俺がそう思うことで吐き出すことを止めての期待してのことか。
考えても無駄だと判断する、俺は俺の感情のままにそうするべきだ。
そうして俺は天使に向かって吐き出す。
「俺の想像通りならお前は十分にやったよ。お前がああしなかったらここまで俺はこうはならなかっただろう、事がお前の思い通りに言った気分はどうだ?」
おどけたようにして俺はそう言った。
それは天使のその行いを努力を馬鹿にするかのようで、今の自分の無様さを嘲笑うようだった。
一度吐き出し始めるとそれは止まらなかった、俺は天使のことなど知らぬとばかりにそれをぶつける。
「どうだ、ここまで追い詰められた俺を見て満足したか? お前が言う主とやらの愛を知らないクソ野郎がこうして後悔している。痛快か」
ここまで吐き出してようやく俺は一息付いた、思いの丈をぶちまけたと言ってもいい。
すべて吐き出してから俺は思った。ようやくこの天使に一矢報いた、と。
もうすべてが終わり、意味のないことなのかもしれない。
それでもこいつに対して一矢を報いたことで何らかの達成感を覚える以上、何か意味があるのだろう。
「………」
ここまで言われても天使は何も言ってこなかった。
ただ俺をじっと見つめ返すだけでそれ以上のことはなにもしてこない。
本当に俺の恨み言を受け止めて、すべてを終わらせるつもりなのだろうか。
だとしたらそれで終わらすわけにはいかない、口を噤む天使に向かってまた恨み言を吐き捨てるように言う。
「なんか言ったらどうだ。それともお前、俺がこうして死ぬ事を決めた事に後悔でもしてんのか」
勿論、天使が後悔などしているはずがないだろう。俺はこいつにとって死んでもどうでもいいような存在だ。
しかしそれでも俺は言う、無理矢理にでもそちらの方に意識させようとする。
最後くらいはこいつに少しくらいは苦渋を舐めてほしかった、ここまで振り回した代償として。
「後悔するんだったら……俺なんかに構うんじゃねえよ。お前が来なかったら、俺はこんな気持ちで死ぬことはなかったんだよ」
こんな気持ちで、と。俺はこの言葉にどれだけの想いを込めただろうか。
今の俺の感情のみならず、つい先程七瀬に別れを告げた時それを始めとしたこの十日間のすべてを込めて口にした。
改めて思う、こんな状態になるくらいなら訳の分からないまま死んだほうが遥かにマシだったと。
ただ申し訳なかった、俺にめちゃくちゃにされた七瀬に対して思う。
それを受けてのことか、あるいはただ黙っていただけなのかどちらか分からないがようやく天使はその口を開いた。
「……後悔はしていません、私は私の出来ることを最大限やりましたから。ですが、そうですね……天春くん」
天使は静かにそれを言った、自分には恥じることなどないように。
そして天使は途中で何かを思い出したのか何かを口にしようとする。
「…………いえ、やめておきましょう。これは私が言うことじゃありません」
だがそれを途中で止め、天使は口にすることはなかった。
俺としては何を言ってこようがもう関係がないのでどうでもいいことではあるのだが、それはそれとして歯切れの悪さを感じる。
それは不愉快と差支えのない感情だ、俺は天使にどういうことなのかを尋ねる。
「なんだよ、言いたいことなら言っておけ。これが最後になるんだからな」
「心遣いありがとうございます、でもこれは私にはそれをいう資格はありませんから」
しかし天使はそれを固辞する、こいつがそうする以上無理に聞き出すことは出来ないだろう。
だがそれでも構わなかった、気分は良くはないがそれはもう今更の話でもある。
第一、もうすぐすべてが終わるのだ
「それでは天春くん。また後ほど、伺います」
そう天使が別れの言葉を告げて玄関へと向かう、俺は何も言わずにそれを見送ろうとする。
その時だった、俺の頭にある疑問が浮かぶ。
それはどうでもいいような湧いて出た疑問、それは聞いても聞かなくても何も変わらないだろう。
だからそれを聞いたのはなんとなくであり、それ以上の考えはなかった。
「ああ、そうだ。一つ確認したいことがあった。この試練……お前にとってなんの意味があったんだ」
それはこの天使がどうして試練などをわざわざ俺に持ちかけ、振り回したかという動機だ。
俺が死ぬ事情、主とやらの事情はこいつは話したがそれに関しては聞いたことがなかった。
俺が死んだところでこいつになにも不都合は起きないと言った。
それなら俺がただ死ぬことを放置していても問題はないだろう。
俺の振るった暴力がどれだけ堪えたかは分からないが、さほど効果はなくとも気分くらいは悪くなるはずだ。
あの振る舞いをすればそれが振るわれることくらいは分かるだろう、それなのにどうしてそこまでして試練とやらにこいつが関わったのか。
天使はその答えを言うのに少しばかりの時間をかけた。
それは長いとは言えないが、沈黙としては十分過ぎる時間だっただろう。
「……ああ、それですか。仕事だからですよ、仕事。それ以上でもそれ以下でもありません」
そして天使はそう言った、仕事だと。
こいつがそう言う以上、これより先を聞き出すことはできない事は経験上理解している。
本当に天使の言う通り仕事だったのか、それともなにかあったのかは分からない。だがそれ以上を知ることが出来ない俺としてはこの答えで納得するしかなかった。
とはいえそれもどうでもいいことである、そもそもがただなんとなくそう言えばという感覚で問いかけた話なのだから。
「そうかよ、じゃあもう行っていいぞ。俺としては今やってくれても構わないけど」
「まだ期限は残ってますから、それでは失礼します」
聞くことを聞いた俺はそう天使に告げる、もう話すことはない。
ついでにさっさと殺してくれるように天使に頼んでみるがそれは断られる。試練のルールを守るというスタンスは変わらないようだ。
俺としては今でも数時間後でも死ぬことには変わりないのだ。だったらさっさとやってもらいたい、それが正直な気持ちだったのだが。
互いに話すことはもうない、俺は今度こそ部屋から出ていく天使を見送る。
ドアノブを回す音、ドアが開く音、それから静かにドアが閉められる音。
もう部屋には俺しかいない、後はその時を待つだけだ。
時計を見れば今の時刻はようやく八時を過ぎた頃、十七時まではあと九時間近くある。
俺はなにかしようかと考えようとするが、すぐにそれを打ち切った。
どうせ残り九時間しかない、何をやっても中途半端であるし死んだら全てに意味は無い。
俺はベッドに倒れ込んで惰眠を貪ることに決めた。
ただ無為に時間を潰すだけ潰して死ぬ。
クソ野郎の俺らしい時間の使い方だと思った。
瞼を閉じると俺の意識はたちまち闇の中へと埋没していく。
その最中に俺はようやく実感する――ああ、ようやく楽になれる、と。
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それから何時間が経ったのだろうか、俺は意識を覚醒させる。
目覚めは自然としたものではなく、外的な要因によってもたらされたものだ。
それは無機質なチャイム音、俺の部屋のものだ。
清水さんだろうか、と寝ぼけた頭で俺は考える。
俺が学校へ行っていないことにどこかで気付いたのかもしれない、清水さんならそれで俺を訪ねてくることは納得できる話だ。
しかし俺は呼び出しに応じるつもりはなかった、そのままベッドの中へ潜り込む。
時間をを見ればもう十六時を過ぎている、もうすぐ俺が死ぬのも近い。それに清水さんを巻き込むことは出来ない。
そこで俺は失敗したなと思う、ここで俺が死ねば大家さんで管理人の清水さんに迷惑がかかってしまう。
最後まで見通しの甘い男だ、俺は自嘲する。
もう今更どこかで野垂れ死ぬ事はできないだろう、どこで死ぬかは決めていない。移動中に殺されでもしたら大惨事だ。
俺は清水さんに申し訳ない、と思いながらもう一度寝ることに決めた。次に目覚めることはもうないはずだ。
疲れはまだ取れていない、すぐにまた眠りに落ちることが出来るだろう。
だがそれは出来なかった。玄関から聞こえる声によって俺の意識が本格的に覚醒してしまう。
胸の動悸が激しくなる、呼吸が荒くなる。頭は何故と、どうしてと考える。
しかし答えは出ない、ただ焦燥感に似た何かが俺をかき乱す。
そしてもう一度、外から部屋の中へ声がかけられた。
「――天春くん、いる?」
――その声は七瀬のものだった。
もう二度と聞かないだろうと、もう二度と会わないだろうと思っていた七瀬が外にいた。
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