第4話:戦え!愛の試練!

第4話:アバン

 天使は結局、俺の部屋へと戻ってくることはなかった。

 このまま帰って来ずに試練が有耶無耶となってしまえば楽だなと俺が考えた直後、何者からか電話がかかってくる。

 俺はそれに嫌な予感を覚えつつも出る、これが架空請求の方であって欲しいと思ったのは生まれて初めてだろう。

 しかし電話の声はあのクソ天使だった、どうやら試練が有耶無耶になることはないらしい。


「天春くん! なにかいい案は浮かびましたか? 浮かんでも浮かばなくても今日が試練の最終日、がんばってくださいね!」

「おい、お前! 待てよ!」


 俺の引き止める声は全く無視され、最後に「判定機はちゃんと持っててくださいね!」と言うだけ言って天使は通話を切ってくる。

 気分が重くなる。逃げることは出来ないと確定した。

 俺は一晩考え続けて全く休めてはいないがそれでも学校へと行くことにする、何も手立てはなくとも七瀬と会えるチャンスだけは無駄には出来ない、

 何かの拍子で状況が打開できるかもしれない。しかしそれを期待するのは難しいとも思っている。


 俺は手早く準備を済ませ、簡単な朝食を食べてから部屋を出る。

 部屋の鍵を閉めて俺はアパートの階段を降りる。そのまま学校に向かおうとする途中、ふと清水さんの部屋が視界に入った。

 そこで俺は清水さんからアドバイスを貰おうか考えてみる。


 タイムリミットがあと僅か、チャンスもあるかどうか分からない無策のまま挑むのは自殺行為もいいところだ。

 清水さんに相談することで俺の試練達成の可能性が上がることは確かだろう。

 だがそれは難しいと言える。理由はいくつかあるがその一つとして清水さんが朝の掃除に出てくる頃は俺は遅刻しかねないからだ。

 遅刻と命など比べるべくもないのだが試練を乗り越えた後も俺には生活がある、理由なき遅刻をすればそれこそあの地獄のような生活が待っているのだ。

 とはいえ試練をクリアしない限りその先も糞もないのもだが、難しい問題である。


 それに無理をして清水さんに話を聞こうにも俺の遅刻を清水さんは良しとしないだろう。

 無論、今から清水さんの部屋に押しかけて相談することも可能だろうがやはり時間がないため相談しても効果を見込めないとも思う。

 以上の理由から清水さんに相談することを断念して俺は学校へと向かう。




 学校に着いた後も俺はずっと試練の打開策を模索していた。

 あのクソ天使は『足りない』と言っていた、その言葉を素直に受け取るとしてそれは何なのだろうか。


 おそらくそれは七瀬自身にある問題なのかもしれない、そこまでは既に思い至っている。

 確かに七瀬は中々遊ぶ時間も取れなかったり母親もいないなどの問題を抱えているとも言える。

 だが、実際にはそれなりに友人はいるし、バイト先での人間関係も良好であり、父親との仲も悪くはない。

 どれも問題といえるほどものではなく決定打に欠けているのだ。

 他に強いていえば寂しいのかもしれないがそれが問題だったのならば昨日のデートで判定機が反応しているはずである。


 だから分からない、どうすれば七瀬は心から笑顔になるのだろうか。


「天春くん、大丈夫?」


 俺が思考に行き詰まっていると誰かが俺に声をかけてきた。

 そちらの方を見ればその人物は七瀬だった、悩んでいる俺を慮って話しかけてきたのだろうか。

 ふと時間を見れば既に午前中の授業は終わっており、昼休みに入っていた。


「いや、ちょっと考え事をしてただけだから」


 大丈夫だ、と俺は続けようとしたがそこで一つ考える。

 この状況で上手く立ち回り、七瀬からそれを聞き出してみるのはどうだろうか。

 咄嗟にこんなことを思いつく自分が嫌になるが、そうも言ってられない。やらなければ死ぬのだから。


「七瀬、ちょっと相談があるんだけど……一緒に昼取れるか?」

「うん、大丈夫だよ。ちょっと待ってて」


 俺の急な提案に快諾してくれた七瀬は一度俺から離れて用意を始める。

 その際、七瀬が友人達となにやら楽しそうに話しているのを確認すると俺も昼食の用意を始める。とはいっても事前に買っておいた惣菜パンを持っていくだけなのだが。

 あまりよくないとは思うがこんな状況である。今の俺にとても弁当を用意する気も起きないし、かと言って学食でものを食べるほどの気力すら湧いてこない。

 そんなことを俺が考えていると七瀬は手荷物を持って戻ってくる。


「おまたせ、天春くんっ」


 戻ってきた七瀬はなにやらいたずらを思いついたような子供のように楽しそうな期待に満ちた表情をしていた。

 それは七瀬の荷物がなにか関係しているのだろうか、俺は七瀬の方を見る。それは一人分の弁当にしてはやけに大きい。

 その事に僅かな俺は疑問を覚えたが、それよりも七瀬との会話で打開策を見つけることが思考の大部分を占めていたため深く考えようとは思わなかった。


「じゃあ中庭に行くか、七瀬」

「うんっ」


 七瀬と連れ立って俺は中庭へと向かう。

 中庭は土曜日とは違って人で賑わっていた。月曜の今日は全校生徒が登校してるのだからそれも当然の話である。

 仕方がないとはいえ人気が多いのは正直言って避けたかった。

 なぜならあまり人が多いところでは込み入った話をするのは難しいからだ。

 とはいえそれでも教室でするよりは遥かにマシであり、他に場所も思いつかないためここで妥協するしかなかった。


 適当な場所を見つけ、コンビニ袋から惣菜パンを出して昼食というにはお粗末ではあるがその体を俺が整えようとした時だった。

 七瀬がなにやら俺に差し出してくる、見ればそれは弁当箱だ。


「あ、話の前にこれ……良かったらだけど」

「……弁当だよな、俺にくれるのか?」


 俺は確認のために聞くと、七瀬は頷いて答える。その顔は仄かに赤らんでいた。

 差し出された弁当箱を俺は受け取るが、その内心は困惑の感情が強い。

 なぜなら七瀬から弁当を貰うような理由を殆ど思いつかないからだ。

 そんな俺の様子を察したのか七瀬は慌てて理由を話し始める。


「この間、晩御飯手伝ってくれたのにあんまり勉強できなかったから……そのお詫びというか何というか」


 最後の方はなんというかあまり言葉にならずにもごもごしながら七瀬は言う。

 そうは言うが俺の方こそあの時は晩飯を一緒に食べたし、そもそも俺の我儘のようなものである。

 そんなに気にしなくてよかったのにと思う反面、そこまで気を使わせていたのかと俺は気付く。

 なるほど、これを引け目に感じていたのだとしたら心からとはいかないだろう。


 などと俺は七瀬の事を考えているとどうやら話には続きがあるらしく、七瀬は「それに」と言葉を繋げる。


「今日もその惣菜パンだったりすると……その気になっちゃって」


 そう言った七瀬は恥ずかしそうに視線をそらす、お節介であると思っているのだろう。

 俺としては正直なところこれはありがたい話であり、喜ばしいことである。

 だが何故か俺は胸が詰まるように苦しく感じる。


 この苦痛がなんに由来しているのかを考えている余裕はない、下手に考えを止めればそれで終わりだ。

 俺は無理矢理にでも無視することに決めて、七瀬に感謝の言葉を告げる。


「ありがとな、七瀬。ありがたく貰っとく」

「……えへへ、どういたしまして」


 七瀬はそう言って笑いかけてくる、俺はそれを直視できずにいた。

 制服のポケットに入れている判定機に注意を傾けてみるがそれでも反応はない。

 この事実に俺はある種の苛立ちを覚える。

 これでいいだろう、これ以上になにが必要なのだろうか。

 そう俺の思考が怒りの方へ意識が沈みつつあった時だった、遮るように七瀬から声がかけられる。


「それで天春くん、相談っていうのはなに?」


 そのおかげで俺は僅かながら冷静さを取り戻すことが出来た。

 俺は何回か深く呼吸をすることで心を落ち着かせようと努力する。

 その結果、先程の衝動的な怒りは引いていくらか物事を考える余裕が生まれた。

 そして何を言うべきか、用意していた言葉を思い出してそれを七瀬に尋ねることにする。


「こんなの聞くのって野暮だと思ってるんだが……七瀬、昨日は楽しかったか?」

「えっと、うん……楽しかったよ」


 七瀬は一瞬面を食らったような顔をするが、真面目に考え始める。

 そして昨日の事を思い出すように七瀬は答える。その表情は柔らかい笑みを浮かべていた。

 言葉通りそれは七瀬にとって楽しいものだっただろうことが窺える。

 とても聞いている俺を慮って世辞を言っているようには見えなかった。


「そっか……そうだよな」


 俺はそう呟くことしかできなかった。

 確かに七瀬は若干の引け目のようなものを感じていたとはいえ、昨日の事を楽しかったと思っていることは確実である。

 万が一があるかと思って確認してみたのだが、その結果は予想通りだった。


 俺はそう判断して次はどうしようかと考えようとするが、上手く頭が回らない。

 どうやら俺はこの事実にかなり重い気分になっているらしい、それに引きづられて頭が働かないのだろう。


「……天春くんそれで悩んでたの?」


 俺の様子に不安を感じたのだろうか、七瀬はそんなことを聞いてきた。

 しかしそれに対し俺は本当に昨日のことが楽しいのかどうか確認していたなどとは七瀬に言えるはずもない。それらしいことを言って誤魔化すことしか出来ないのだ。

 そう考えて俺は返す言葉を考えようとする。

 するとますます俺の頭の回転が鈍くなっていくのを感じる。ダメだ、何が原因なのだろうか。


「悩んでいた、というかああいうのははじめてだったんでちょっと自信がなくてな。それでって感じだ」


 実際の時間としてはそれほどかかったわけではない。

 しかしそれでもやっとといった感じで俺は七瀬に返す事が出来た、上手くそれらしい事を言えたと思う。

 だがそれはやはり取り繕うことに精一杯で深く考えたものではなかった。俺はすぐに後悔する。


「ごめんね天春くん、不安にさせちゃって」


 七瀬が申し訳なさそうにそう言うのを見た瞬間、俺はしまったと思った。

 これは俺の問題であり七瀬が謝ることではない。

 しかし七瀬はこうして気を回して無駄な責任感を持つような人間である。

 その事は分かっていたはずなのに、頭がうまく回っていない証拠だ。

 俺は状況をリセットするべく強引だと思いながらも話題を変えようと話を切り出す。


「それより七瀬の方こそなにか悩み事とかはないのか?」


 これは予め、七瀬に確認しておこうと思っていたことである。

 本来ならばここまで直接的にではなくオブラートに包んで聞く予定であった。


「私? ううん、ないよ。 勉強もバイトも順風満帆って感じだしっ」

「……そうか」


 七瀬は不審には捉えず、自然に返してくれたのは幸いではあった。

 しかし試練の壁となっている何かを引き出すことはできなかった。

 ここで更に追求することも考えたが、既に答えは返ってきている。それを否定してまで問い質すのはいくらなんでも無理が過ぎると思う。

 無理をすることは必要だと思うがそれで関係が破綻してしまっては元も子もない。


 これ以上は無理だと俺は諦めて話題を変えるべきだと判断した。

 では次は何を聞くべきかと俺は考え、七瀬のバイトが思い浮かぶ。

 俺にとって殆ど情報のない話題である、選択として悪くはないだろう。


「七瀬は今日もバイトか?」

「うん、放課後から夜の十時くらいまでの予定。……ごめんね、その、付き合ってるのに」


 しかし先程のことが尾を引いているのか、申し訳なさそうに俺に謝る七瀬。

 どうやら未だに頭の回転が鈍いままのようだ、裏目ばかりを引いてしまう。

 一瞬、七瀬に返答しようかどうか迷ってしまうが変に拗らせたらそれこそ目がなくなってしまう。

 俺は弁解するべく頭を回す、今の自分の状態を考えると不安ではあるがやるしかない。


「いや、いいよ。俺もそれは分かってて七瀬に頼んだし。だから七瀬が謝ることなんてない」


 そもそも俺が七瀬に頼んだことであり七瀬が謝る必要なんてどこにもないことだ、だから俺はそれをハッキリと言った。

 余裕がなかったからか、あまりにも自分の感情そのままに言っていたことに気付く。

 そう思うとどうしようもない気恥ずかしさが俺を襲う。

 俺はそれを誤魔化そうと言葉をつなげようとする、特に他意はなくそれだけの言葉だった。


「あと帰り遅いんだろ。あんまり暗いところ一人でいるなよ」

「……ありがと、天春くん」


 しかし七瀬はついでのつもりで言ったそれに礼を言ってきた。

 今の七瀬はどんな顔をしているのだろうか。

 しかし俺は七瀬の顔をまともに見ることができないでいるため分からない。

 ダメだ、何をやっても調子が狂ってしまう。

 俺はこれを空腹のせいだと判断して、食事をすることを提案する。


「そろそろ食べようか、そろそろ腹が限界だ」

「そうだね、いただきます」


 俺は弁当を開く。中は色彩鮮やかなおかずが詰められており、見るからに美味しそうだった。

 ふと七瀬の弁当の方を見ると中身は同じだ、当然こんなことは分かりきっていることなのになぜだか顔が熱くなる。


 ここ数日の間に自分のことなのに分からないことが随分と多くなっている。

 問題を棚上げするばかりで答えは一つも出ていない。

 俺は一体どうしたというのだろうか。


 そう考えながら七瀬の弁当を食べる。

 七瀬の弁当は俺の想像以上に美味しいと思った。

 想像した通りの味であるはずなのに、何故かそう思ったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る