第4話:Aパート
午後の授業は午前と同じように瞬く間に終わり、気がつけば放課後。
帰りのホームルームが七瀬は終わると帰り支度を素早く終わらせて教室から出ていってしまう。
その時の俺はそれを見送ることしかできなかった。
たとえ引き止めたとしても未だに俺は打開策を思いついてはおらず引き止めたとしても何が出来るとは思えなかったからだ。
それに七瀬はバイトの前に夕飯の支度をするのに忙しいのだろう。
そう考えるとますます俺は七瀬を引き止める気がなくなっていく。
これではいけない、と俺自身はこんな状態の自分に警告をしている。
だがどうにも理性と感情の自分が剥離しているため気合を入れ直すこともままならないでいた。
一体、俺はどうしたいのだろうか。俺はそんなことをつい考えてしまい、帰り支度をする手が止まっていた。
そんな状態だったからだろう、俺はそれに反応するのに少し遅れてしまう。
「よ、天春。今日暇か?」
俺に声をかけてきたのは近くの席の後藤だった。
返答をどうしようかと俺は迷う。
用があるかと言えばないのだが、かと言って余裕があるかどうかと言えば全く無い。
断ろうかと考えたが一日近く考えて打開策は未だに思いついていない、であれば付き合ってもいいかもしれない。
それに早くに帰ってクソ天使が待ち構えていると思えば直帰する気は皆無である。
役に立つことを言うのならば付き合う気も起きるが、昨夜の奴を考えれば難しい。
第一、今日で死ぬかもしれないのだ。最後の日にはこんな事をしてもいいだろう。
「特に急ぎのようはないな、どこ行くんだ?」
「ま、適当に遊び歩こうじゃないか」
そう気楽そうに言う後藤だった。
俺は相変わらず何も考えていない適当なやつだと思ったが、頭を回転させ続けて疲れている今の相手にはちょうどいい相手である。
そんなことを考えつつ俺は支度を済ませて後藤の後を追う。
そしてやってきたのは駅前の繁華街だった。
駅前は適度に飲食店や本屋、カラオケを始めとした学生御用達の施設が並んでおり遊ぶのなら定番のスポットである。
そして当然のことではあるがその分教師たちの目に付きやすく、羽目をはずした奴は翌日学校で呼び出されるのは言うまでもない。
「さて、どこで遊ぶ? 天春」
「……そんなこと言ってもな」
と、いきなり俺に振られても困ってしまう。後藤の方から誘ってきたのだから俺に聞くな。
とはいえそのまま返すわけにもいかない、俺は少し考えてからそうだと思い出す。
「そうだ、本屋寄ってもいいか? 新しい参考書が欲しかったんだ」
「え、お前。ここでそれ買うの? まぁ、いいけど」
「いいだろ、別に」
と、後藤に返して俺は本屋に入っていく。
ここ最近はずっと試練とやらで何処かへ飛んでいたことであったが勉強こそが学生の本分なのである、この試練をクリアしても生活は続くのだ。
だが、と俺の冷静な部分が言ってくる。しかし参考書を買ったところで今日中に試練を達成しなければ意味はない、と。
俺はそれを頭から追い出そうとする、既にそれだけを考えているこの時点で思考が行き詰まってしまってるのだ。
であれば頭の回りを少しはよくしておきたいと考えてのことである。
リフレッシュできるか出来るかは微妙なところであるが、天使が来る以前の日常を過ごそうと努力してみる他ない。
店内を見回して参考書コーナーへと俺は足を運ぶ。
適当に参考書を開き、品定めをしていく内に俺は自然とそれを手に取る。
それは七瀬が使っていた参考書。中を見れば昨日の勉強会で七瀬に出してもらった問題が幾つか並んでいる。
解説を読めば要点がまとめられており分かりやすい良い参考書だった。
俺はその参考書を買うことを決めてふと考える。
何を思って七瀬はこの参考書を選んだのだろうか。
七瀬はあまり自由に出来るほど恵まれているわけではないと思う、ならば一冊ずつ比べて慎重に買ったのだろう。
失敗をしないためには当然の行為である、俺もそうして参考書を選ぶ。
だがそれでも俺のそれと七瀬のそれは違うようにも思える。
その感覚は何かと俺が考えようとしたその時だった、後藤が俺に声をかけてくる。
「なぁ、天春って七瀬と付き合ってんの?」
「……まぁな、付き合ってるよ」
俺は答えを返すのに少しの時間を要した。
後藤の質問は極めて単純明快なそれであり、答えもそれだけに単純なものだったはずなのに俺はすぐに返すことができなかった。
その答えに後藤は驚いた顔をする。
「マジだったのか……それにしても意外だな」
「意外って何がだよ」
「いやぁ、そこまで七瀬のことが好きになるってことがだよ。今までそういう節を見せなかったからさ」
そう言いながら後藤は参考書を物色し始めている。
後藤がそう思うのも無理はないだろう、七瀬と俺が付き合う事になったのは好意云々という話ではないのだから。
彼女が出来なければ死ぬという訳の分からない状況に流されてのことだ。
俺がそう状況を正しく認識すると、ふっと昨日の一緒に夕食を取った時の、昼休みの時の七瀬を思い出してしまう。
その瞬間、どうしようもなく嫌な感情が俺の中に流れこんでくる。
しかしそれに囚われてはいけない、俺はなんとかといった体で後藤の疑問に答えを返す。
「……まぁな、そういうのは基本的に唐突なものだろ」
「そういうものかね」
後藤は特に気にすることもなく返してくる。
そんな後藤とは反対に俺の内心は最悪と言ってもいいような状態だった。
自分で言っておいて殺したくなるような言葉だと思う、必要だから始めたのにあたかもそうだと見せかける自分が嫌になる。
俺がそんな自己嫌悪に襲われていると後藤はとんでもないことを、しかしそれはある種当然の事を言ってきた。
「ま、でも長く続くといいな」
後藤はそう俺に言ってレジへと向かう、眼鏡にかなったものを見つけられたのだろう。
しかし俺はその言葉を聞いて動けなくなっていた。
試練をこなすだけで精一杯でとてもその先について考える余裕がなかったから見落としていたそれ。
この試練をすべて終えたとして俺はどうするのだろう。
試練がなくなれば七瀬と付き合う必要はなくなる、ということは俺は七瀬と別れてもなにも問題はないのだ。
「…………」
俺はじっと選んだ参考書を見る、七瀬が使っていた参考書。
しかしそれをいくら見ても俺はその答えを出すことができなかった。
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俺は自分の部屋へと戻ってきても悩んでいた。
あの後も後藤といくらか遊び歩いたが気分転換にはならなかった。
後藤が無意識に言っただろう、その言葉が未だに頭から離れないでいる。
この試練が終わったら俺と七瀬はどうなっているのだろう。
未だに試練が終わっていないのにそんなことで悩むのはおかしいとは分かっている。
だが、それでも頭から離れずにそればかりを考えてしまう。
部屋には俺以外に誰もいない。
あの天使は部屋に戻って来てはいない、このまま顔を出さないつもりだろうか。
今のこの時間だけは試練などはじめから無かったかのように元の時間に戻っているように感じる。
しかしそれはただの錯覚だととポケットの中に入れてある判定機がそう物語っていた。
そして俺は腹の音が鳴ることでかなりの時間が経過していたことに気づく。
ふと時計を見れば時刻は九時を回っており、夕食を食べることも忘れていたようだ。
俺は立ち上がり、外に出る用意をする。
しかしそれは外食をするためでも夕飯をするためでもない、最後の勝負に出るためである。
この先をどうするかの答えは出ていない、しかしやるしかないのだ。答えを見つけるためにも生き延びる必要がある。
まず家を出た俺は駅近くのコンビニで買い物を済ませることにした。買った品物は弁当ではなく、どれも簡単に食べられるものばかり。
その後、俺は家へと帰らずに七瀬のバイト先であるマックへと向かう。
俺は昼休みの時の七瀬を思い出していた、七瀬のバイトは確か十時頃に上がるとのことだったか。
あの時はただの苦し紛れの話題逸らしで思わぬ反応により調子が崩されることになったが、不幸中の幸いと言うべきだろうかこうして最後のチャンスとして見出すことが出来ている。
勿論、その時の七瀬の予定通りだったらの話になるのだが。
多少の不安はあるがこれで駄目ならば腹をくくり死を覚悟するしかない。
七瀬のバイト先に俺が着く頃に店から七瀬が出てくるのが見える、ちょうどいい頃に着いたようだ。
結局、打開策などまるで思いつかなかった。完全に出たとこ勝負である。
俺はできるだけ偶然あった体を振る舞いつつ七瀬に話しかける、どうしても不自然ではあるが仕方ないと割り切るしかない。
「よ。七瀬、お疲れ」
「……天春くん、どうしてここに?」
七瀬は当然のごとく思う疑問だろう、だがそれは十分に予想できる質問である。
だから俺は手に持っていた買い物袋を少し掲げるようにして用意していた言い訳を言う。
「ちょっと夜食を買いにな。それで折角だから途中まで一緒にどうかって」
「えっと……うん、いいよ」
七瀬は少し悩んだようにしてから承諾する、ここまでは想定どおりと言えよう。
しかしこの後が問題である、ここから俺は起死回生の一手を見出さなければならない。
とにかく俺はできるだけ七瀬に話しかけることにする、裏目を引いたとしても関係はない。
今の状況を超えられなければどうせ死ぬのだから。
「そういやこうして一緒に歩くってことはなかったな」
七瀬と一緒に歩く内に俺は自然とそんなことを零した。
まだ付き合って三日しか経っておらず、そもそもそんな機会自体が全く無かったため当然のことではある。
だからだろうか、こうして同じようなペースで歩みを一緒にするというのはとても不思議に思えてしまう。
「……そうだね。色々とごめんね、付き合ってるのに」
「そんなことはないって、俺の方こそ七瀬に無理に付き合わせてるんだから。 まぁ、どっちもどっちってことで許して欲しい」
申し訳なさそうに、困ったように笑いながら言う七瀬に、俺は出来るだけ軽く冗談めいたように返す。上手く返せたと我ながら思う。
とはいえ何回か同じ目にあっているのだからそろそろ対応出来るようにならなければ間抜けもいいところだ。
七瀬の表情が明るくなる、どうやら功を奏したようである。
「ふふっ……うん、わかった。それならそういうことにしよっ、おあいこ」
そういって笑う七瀬。その足取りは少しだけ軽くなったように見えた。
俺は今度こそ目を逸らさずに七瀬の笑顔を受け止める。
胸が軋みを上げるのを感じるが俺はそれを無視して次の話題を考えようとしたその時だった。
七瀬は「ねぇ、天春くん」と俺に声をかけてくる、なんだろうか。
「その、天春くんっていつもなにしてるのかなって」
などとすこしだけ顔を赤らめて七瀬は聞いてきた。
そういえば俺は七瀬に聞くばかりで自分のことなんてろくに話してなかったなと思い出す。
「勉強、それに家事だよ。七瀬ほどじゃないけど」
俺はごく自然にそう七瀬に答えた、なにも不自然なところはなかったと思う。
それに、と俺は言葉を続ける。
「たまに息抜きで遊ぶ、くらいかな。基本的にはそんなところだ」
息抜き、とはいっても殆ど付き合い上のものではあるのだが。
面倒とは思いながらも人付き合いをしなければならないというのは俺にとっては息の詰まるもの、と考えた時だった。
では今日の後藤の誘いを受けたのはどうだったのか。
昼休みの時の七瀬と昼食を取った時はどうだったのか。
昨日の七瀬の家に行った時はどうだったのか。
――それは息苦しいものだったのかと考えてしまう。
しかし、これを深く考えている余裕はない。思考から外して七瀬の様子を見る。
「……そっか」
と七瀬は少しだけ笑う、それは少し寂しそうなもののように俺には見えた。
それを俺がどう判断したのか俺自身分からない、でもなにか言わなければいけないような衝動が内側から生まれる。
「七瀬、昼には言えなかったけど何かあったら……いや、何もなくても遠慮なく言ってくれ」
だからだろうか、俺は七瀬にこんなことを言っていた。
あまりに衝動的で考えもなかったため当然、俺は焦ることになる。
だが一度言葉にしたのなら最後まで言い切るべきだろう、俺はとにかく思いついたままにそれを口にして何かを手放さないようにと必死に言葉を紡いだ。
「本当に今更なんだけど……親とか友達に中々言えないことでも聞くから。その、彼氏ってそういうもののような気がするし。だからなんでも言ってくれ」
最後の方になると妙な気恥ずかしさが生まれてしまい、気がつけば照れ隠しのような言葉で締めていた。
少し冷静になれば俺が必死に紡いだ言葉はごくありきたりの誰にでも思いつくようなもののように思える。
事実そうなのだろう、逆に今の今までこんなことを言わなかったことのほうがどうかしているのかもしれない。
そんなことを俺が考えていると七瀬の様子がおかしいことに気付く。
「……七瀬?」
俺がそう聞いて、七瀬の様子を伺う。すると七瀬の瞳から涙が溢れていた。
激しく泣く訳ではなく、気がついたら溢れていたというような風を思わせる。
それを見た俺は激しく動揺する。勢いに任せた結果、俺はとんでもないことをしてしまったのかと。
「……ごめんね、天春くん。その、急に泣いて」
七瀬は目尻を拭いながらそう言ってくる。
俺は狼狽えながらもなんとか状況を判断しようと努力するが、全く訳が分からない。
とりあえず落ち着けるような場所はないかと探して、近くに公園を見つける。
幸いにも人は居なかった、俺はそちらで腰を下ろそうと七瀬に提案した。
「その、七瀬。とりあえず、あそこで落ち着こう」
「……うん」
七瀬は頷いて俺に続いてきてくれた、そして俺も七瀬もベンチに腰をかける。
俺は何を聞こうかと迷ってから、ストレートに聞くことに決めた。
なんで急に泣き出したのか、と。
「七瀬、何で急に……その、泣いたんだ?」
「えっと、ね……その」
七瀬は何かを言おうとするが涙はとめどなくぽろぽろと溢れてくる。
拭っても、拭ってもそれは溢れ出てきて止まることを知らない。
俺はそれを黙って七瀬が続きを言うまで待っていた、正しく言うのならそれを見ていることしかできなかった。
それだけ俺にとって七瀬が涙を流す姿は衝撃的であり、想像することのできないものだったからだ
しばらく公園には七瀬が押し殺している鳴き声と、鼻をすする音だけが響くことになった。
やがて長くはない時間が経った後、公園に静寂が戻ってくる。
ようやく治まったらしい、七瀬はゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着かようとしているようだ。
そして七瀬は俺に「ごめんね」と謝ってから言葉を続ける。
「……聞いてくれる? 天春くん」
俺はそれに頷いて答える、それを七瀬は確認するとぽつぽつと俺に向かって話し始める。
七瀬の話は家事の事、勉強の事、バイトの事であり、七瀬を取り巻いているすべてのことだった。
それらの事に七瀬は申し訳なさそうに、しかし切実にそれを零した。
――辛い、と。
「こんなの、言ってもしょうがないって分かってる……でも、それでもね。そう思っちゃう時があるの」
そう言う七瀬の気持ちは今、どうなっているのだろうか。
自分を浅ましいと思っているのか、情けないと思っているのか。
俺はそれを考えてみたが、上手く想像することはできなかった。
「誰が悪いってわけじゃないし、みんな一生懸命だし。みんな良くしてくれるのは分かってる……」
七瀬の言うとおりそれら自体には全く問題がなく、全てが上手く回っているのだろう。
だからだろう、それを辛いとは誰にも話すことはできなかった。
「全部、私からはじめたことだからこんなこと言う資格はないっていうのも分かってる……それでも、そう思っちゃうの」
家事も勉強もバイトもすべて誰かから強制されたわけではなく、自分から父親の負担を減らすために始めたこと。
誰かに辛いと話せば、七瀬の事を分かっている人間は止めてもいいと言うに違いない。
それだけ頑張っている事を七瀬を知っている人は理解している。
しかしそれを七瀬自身が許すかと言えばそうではない、そもそもそうでなければここまで溜め込んではいないはずだ。
もとより自分から始めたことだからこそ止めることは出来ない、自分から始めたことだから辛いとも言えない。
だからそれらはそうやって吐き出すことも許されずに溜まり続けていった。
それに第一誰かに言ったところでそれが解消されるわけでもない。
言われた方もどうしようもないがゆえに困るだけだ、ならば言わないほうがいいだろう。
そんな真綿で首を閉められるかのような閉塞感が七瀬の悩みだったのだろうと思う。
なにか大きな障害ではなく、ただ心の奥底で溜まっていくだけの不満。
俺は只々、聞くことに徹することにした。そうすることしか他に出来なかった。
短くない時間をかけて七瀬はそれを全て吐き出した。
そして七瀬はポツリと呟く、その表情は穏やかなものへと変わっている。
「……こんなこと話したのはじめて」
その時の七瀬の顔は一般的にいえば酷いものだったのだろう。
涙を流し続けて目は赤く染まり、目尻は涙を拭い続けた結果赤くなっている。
「変な話しちゃってごめんね……でも、聞いてくれてすごく楽になれた」
七瀬は恥ずかしそうにそう言って笑う。
自分の恥ずかしい部分を曝け出してしまったと思っているのだろう、耳まで赤くなっている。
しかしそれでも目を逸らさずに七瀬は俺の方を見つめてくる。
「ありがとう」
七瀬はまっすぐに俺に向かって笑いかけた。
俺はそれを真っ直ぐに受け止めてしまう、目を背けることは出来ずにいた。
俺はなにかとても大切な宝物を受け取ってしまったような気になってしまう。
とても俺には勿体無いなにか、分不相応な価値のあるそれ。
俺がそんな気持ちになってしまうほど、その時の七瀬の笑顔は愛おしかった。
――そして服に忍ばせていた判定機が電子音を響かせる。
第二の試練はここに達成された。
あまりに安い電子音は福音のようだった。
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