第2話:Aパート
用意と朝飯のどちらも済ませた俺はそのまま家に出ることにした。
普段は今の時刻よりもだいぶ遅く家から出るのだが、今日はクソ天使にいつもよりも早く叩き起こされたことに加えて、クソ天使と同じ空間に必要もなくいることに耐えられなかったからだ。
心の平穏のためにもこのクソ天使とはなるべく距離を置こうと考えるのは当然の思考だろう。
玄関で靴を履く、俺の背後に気配がある。その相手は言うまでもなく天使である、この部屋には俺と天使の二人しかいないのだから。
このまま部屋に置いていくというのも大変不安ではあるのだが仕方のないことではある。
「おい、俺が帰るまでおとなしく――」
無駄ではあると思いながらも天使に注意をしようとした俺はそこで言葉が詰まる。
理由は言うまでもない、天使がそのまま俺に続いて部屋から出ようとしていたからだ。
天使との距離が近い、この狭い玄関ではただただ窮屈なだけである。
「もう、なにやってるんですか天春くん! 早く出てくださいよ!」
天使は天使で身勝手な不満を俺に対してぶつけてくる始末だ。
一瞬、俺はこいつがこのまま帰ってくれることを期待したがすぐさま思い直す。それはまずあり得ないだろう。
であれば、こいつがなにをするつもりなのかなど考えるまでもない。
俺は確認の意味を込めて最悪の予想を天使にぶつけてみることにする。
そして返ってきた言葉はおおよそそのとおりであったが、想定以上に俺の神経を逆なでするものであった。
「で、お前学校についてくるつもりなんだな」
「はい! 暇なので!」
こいつ今なんて言った? 暇と言ったか。
間違いなくこいつは暇だと言った、本当にふざけた奴である。
「おい、いま暇って言ったな? お前」
「あ、間違えました! 天春くんの手伝いをしようと思って!」
俺が追求すると天使は頭に自分で拳をこつんとぶつける仕草をしながらそう訂正してきた。
その様子に全く反省の色が見られなかったので俺はごく自然に拳を天使の頭に叩きつけてやることする。
これで大いに反省して欲しい、そして苦痛であれば俺の目の前から立ち去って欲しい。
「やめてくださいよ! そんなに殴られてしまうとこの私の優秀な頭脳が壊れてしまいます!」
「もう、お前の脳みそぶっ壊れてるだろう。あまり変わんねえだろ」
吐き捨てるように言う、心からの本心であった。
頭を擦る天使を放っておいて俺は学校へ向かうことにする。
いつまでもこのクソ天使と話している場合ではない、時間に余裕があるとはいえ無駄にして良いわけではないのだから。
階段を降りるとそこに清水さんはいなかった、普段の時間なら掃除をしているのだがどうやらこの時間ではまだ部屋にいるらしい。
これは悪くないことかもしれない、と一瞬思ったがそれまで顔を合わせていたのに急にそれが無くなるというのはあまりに不自然すぎる。
それでもたまに早起きするくらいは気分転換として悪くはない。
学校へと向かう道すがらのクソ天使は俺に嫌がらせのつもりなのだろう、今日の意気込みはどうだ、とかなにか作戦はあるのかだとかを執拗に聞いてきた。
当然、俺としてはそんなものはどちらもないに等しい。ヒントなんてものは昨夜もらった清水さんのアドバイスくらいのものである。
貰ったアドバイスは相手を褒めること、真剣であること、勢いが重要であること。以上の三つである。
クソ天使を適当にあしらっているとやがて、部活動の朝練による喧騒が段々聞こえてくる。
すると隣を歩くクソ天使は俺から一歩遠ざかるように離れた。
その行為に俺はこのクソ天使が新しい嫌がらせを思いついたのだろうかと思い、思わず身構える。
「では、私はここで! 学校には興味がありますがさすがに部外者なので自重します!」
なんということだろうか、どうやらこいつは学校までは侵蝕してこないらしい。
これで学校生活における俺の心の平穏は保たれそうである、非常に喜ばしい。
だがそれも一瞬のことだった、どうやら世の中そんなに甘くはないらしい。
「遠巻きから天春くんを見守っております! 何かあれば直ちに駆けつけるつもりでいますのでご安心を!」
どうやらクソ天使は校内であっても機会があれば出現してくるつもりらしい。
一度、平穏への期待を持ってしまったがゆえにその反動は中々に辛いものがあった。
「いや、マジで駆けつけなくていい。そのままどこかに消えてくれ」
「またまた~、こんな美少女に見つめられると緊張したり照れてしまうのはわかりますが! 遠慮はしないでくださいね!」
別に緊張などしていないし照れてもいない、それに遠慮などしていない。
この発言から推測するとこのクソ天使は俺の対応を全て自分の都合のいいように捻じ曲げているようである。
どうやらこいつの中では全て照れ隠しということになっているらしい、忌々しい。
「では、折をみて現れますので! 楽しみにしていてください!」
「マジで来るな」
それだけ吐き捨てると、俺はクソ天使と別れた。
そして一人で学校への道を歩き、校門をくぐって昇降口へと向かう。
なるほど、失われてその素晴らしさを噛みしめるというのはこういうことだったのかと感激してしまう。
あのクソ天使が横に居らず、俺の神経を逆撫でしないことがどれだけ尊いものであったか。
階段を上り、自分の教室が見える。
この時間は部活をやっている生徒くらいしか登校して来てはないだろう。
ならば僅かではあるが一人の時間を得られるはず、と思った俺はその時間で何をしようかと考える。そこで思い浮かんだのは昨日立てていた予定。
昨日立てていた予定では終わったテストの自己採点や甘かった部分の復習を行うつもりだったのだ。
それがあのクソ天使が現れたことによりそれらを行う気力など全く残らず、昨日は就寝することになってしまった。
一日怠ったからと言って致命的なことになるわけではないが、進学校の進学クラスに身をおいている俺としては自分の苦境を理由にしたくはない。
学業は一人暮らしの条件にも関わる問題である、出来なかったのならばどこかで穴埋めをするべきなのだ。
そう考えた俺は教室に入る、ここならばクソ天使の邪魔は入るまい。
すると室内には先客がいた、その人物は七瀬灯。七瀬は自分の机に教科書や参考書を広げて勉強をしている最中であった。
七瀬は俺に気がつくと、手を止めておはようと挨拶してくる、それに少し戸惑ってしまった俺は少し遅れて返す。
「天春くん今日は早いんだね、いつもはもう少し遅めじゃない?」
「今日はまぁ……目覚ましを間違えて早めにかけてしまったんで家でだらだら過ごすのもなんだからな」
真実ではないが大体の話の筋としては間違っていないことを七瀬に説明する。
あてが外れたなと思うが、しかし昨日からあてなど外れてばかりなのである。俺はもう考えることはよそうかとなどと思い始めてしまう。
頭が少し散漫になっている気がする、朝からあのクソ天使と話していたせいだろうか。
少しだけ深く呼吸をして気持ちを落ち着かせる、よく考えれば今の状況は都合がいいはずだ。
昨日と今では状況が違う、清水さんのアドバイスを思い返しつつ積極的にいかなければ。
「そっちこそ随分は早いんだな、いつもこの時間なのか?」
まずは軽い質問からだ、あまり気にして見ていたわけではないが俺には七瀬は結構友人関係が広いものに見えていた。
なので俺には七瀬は学校に来るのは友人と一緒だろうというという先入観があり、そこからの疑問である。
返しとしては悪くないはず、適当に思いついた質問でもないのだ。まず間違ってはいないだろう。
「うん。私、朝早く起きるから学校に早く来ちゃうんだよね。天春くんと同じでだらだらしちゃうのはなんか苦手で」
困ったように笑う七瀬。どうやら時間を持て余すという感覚が苦手なタイプらしい。
本人としてはもう少し時間に余裕を持てるようになりたいのだろうということを思わせる話し方である。
「それで学校に来たら部活動やっているわけでもないし、なら少しは勉強しようかなって」
「いい心がけだと思うよ、俺も見習わないとな」
「そんな大した事じゃないって」
七瀬は表情を綻ばせて、謙遜をする。どうやらこの方向性で間違ってないらしい。
反応は悪くないと思う、であればもう少し関係を深める努力をしてみてもいいはずだ。
であればここで提案すべきことは勉強である、元々一人でやる予定だったことだったが話の流れ的に乗っかっても不自然ではないはずだ。
それに学年トップである七瀬と勉強するというのはなにか俺にとってプラスになるだろう、そういった意味でも俺にとって価値のある提案である。
しかし断られたらそれまでの話、それはもう仕方ないと諦めるしかない。諦めるとしてある程度は粘る必要はあるが。
「なぁ、七瀬が良かったら俺に勉強教えてくれないか?」
「え、天春くんって誰かから教わるほど成績悪くなかったよね?」
「それはその通りなんだが、たまには誰かと勉強するのもいい経験になると思って」
などという俺のこの時の心中は不安で満たされたかのような状態であった。
言うまでもなく昨日、クソ天使が現れてからと言うものあてがことごとく外れているのだ、これで不安にならない人間はいないだろう。
これで断られたら一つのチャンスを失うことになる。それはいただけないし、そしてなによりこれより粘るにはどうしたらいいか正直分からなかった。
少しの間、考え込む七瀬の態度が酷くもどかしい。
「そっか、ならはやくやろっか! 天春くん机くっつけてくれる?」
七瀬は俺の提案を了承してくれたようで、俺に準備を促してくる。
俺はそれにほっと安堵の溜息をついてしまう、随分と不安だったようだ。
とはいえ賭けにはかったのだ、七瀬に「お、おう」などという間抜けな返事をしたことも気にするものでもないだろう。
ではさっさと用意をして勉強会を始めよう。
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「七瀬……お前、本当に頭いいな……」
「え? そ、そうかな~、そんなことないよ」
勉強会が一段落した頃、俺はそんなことを呟いてしまう。
その言葉に七瀬は照れているのか、顔を少しだけ赤らめて謙遜などをしてしいたが、俺は別に褒めようとして褒めたわけではない。思わず口をついて出た言葉であった。
七瀬と勉強をして分かったことであるが、七瀬はとにかく要点を掴んで、それを自分の中にうまく飲み込めている。
そしてこれは七瀬の人間関係の付き合い方にも通じているのかもしれないな、などと思ってしまう。
つまり非常に噛み砕いて言うと七瀬の教え方はとても上手く、分かりやすいものだった。こちらが理解し辛い部分でも何故それが理解を妨げているのかを上手く言語化して自覚させてくれるのだ。七瀬が頭がいいのも納得せざるを得ない。
そんな思考の深みに埋没しかけていた俺であったが、それを打ち切ったのは突然、七瀬に投げかけられた挨拶だった。
俺が声のした法を向けばそこにいたのはクラスメイトの神谷奈月。こいつも七瀬灯の友達だったか。
「あ、おはよー灯。……って、天春も一緒なの? 珍しいね」
「おはよー、奈月」
周りを見れば教室には結構な生徒が入ってきていた、時間をみればもう少しすれば部活動をしている生徒がやってくる。
となれば今の状況を変にとられ、余計な横槍が入る可能性もあるだろう。
そう考えた俺は勉強会を中断することを七瀬に伝える、時間的にも切り上げるにはいい頃である。
「おっと、そろそろどかないと邪魔みたいだ。……ありがとうな七瀬」
「ううん、こっちこそ天春くんと勉強できて良かったよ」
くっつけていた机をもとに戻して自分の筆記用具をはじめとした勉強道具をまとめ、席を立つ。
席から離れれば七瀬とその友人である神谷が談笑を始めだす。
完全に俺の居場所はなくなったと分かる、であれば速やかに撤退するほうが賢明である。
席についた俺は先程まで使っていた勉強道具を机の中に入れ、一息をつく。
するとそれを見計らったかのように近くの席である後藤がおはようと挨拶してくる、それに俺も挨拶を返す。
「天春。誰かと勉強ってお前にしては珍しいな」
先程まで七瀬と勉強をしていた俺が珍しかったのだろう、後藤はそんなことを言ってきた。
その後藤の言葉に俺は内心で頷き、それはそうだろうと肯定する。
十七時までに彼女を作らなければ死ぬと言われなければやらないことだろうと自分でも自覚している。
今まで俺は誰かの感情を損ねないようにとはしてきたが、好感を得ようなどとは思わなかったのだから。
とはいえこれをそのまま後藤に返すのは論外である、真意を捻じ曲げて誤魔化すことにする。
「珍しく朝早くに学校に来たからな、やることもないしそういうこともあるだろ」
「そんなもんかね」
担任の田島が教室に入ってきたのをみてそんなもんだよ、と後藤に返して話を切る。
一日の出だしとしてはまずまずのスタートといえるだろう、後はこの調子でうまく距離を詰めていければいい。
すると俺が狙うべき相手は必然的に七瀬になるのだろう、先程までの状況から考えればそうなる。
――しかしそれは俺にとってあまり現実感がなく、非現実的なものに感じられるのだった。
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