第3話:Bパート
時計を見ると時刻はそろそろ家を出る時間に近づいていた。
七瀬と約束した時間は午後六時、今から出れば遅れることはないだろう。
連絡先と住所は七瀬から教えてもらっているし、準備段階での不安はないと言ってもいいい。
問題は家で遊ぶというのをデートというには若干の不安に感じているが、あの後に自分なりに調べたが家デートと言うのは割りと一般的らしい。
高校生の使える資金を考えると納得する話である、清水さんのアドバイスは間違っていないようだった。
俺は勉強道具一式と七瀬への土産というほどではないが俺が作ったおかずを鞄に詰めて立ち上がる。
そして俺が玄関に向かうとそこにはクソ天使がいた、非常に邪魔である。
「いやー、天春くんがデート出来ることになってよかったですね! 私は信じていましたよ!」
しかしクソ天使は俺のことなど知るかと言わんばかりに感動している様子を装いながら俺にそんなことをほざいてくる。
素直に受け取るならば賞賛やそれに類するニュアンスの言葉なのだが、これを言ってる相手はクソ天使なのである。言われてる俺の感想としては舐められている以外には受け取ることはできなかった。
これを清水さん辺りに言われていたらありがとうございますと返していただろうから、やはり日頃の行いというものは大切なものであると実感する。
昨日からこの調子で俺につきまとってくるのだ、その都度どついているのだが一向に止める気配がない辺り流石はクソ天使と言ったところである。
俺は出来るだけクソ天使と言葉をかわさないようにクソ天使の横を通り抜けようととするがそうはさせないと引き止めてくる。
「あ、待ってください!天春くん! 判定機は持ちましたか?」
「うるせぇな、持ってるよ」
余り持っていたくはないがこれの反応次第で成功か失敗かを判定されるというのだから持たざるをえない。
確かめる術はないので爆弾ではないことを祈ろう、神も天使もクソだと分かっているため正確には安全であって欲しいという願望なのだが。
俺はクソ天使に見せつけるように上着のポケットから出して判定機を取り出す。
天使は俺が持っていることを確認すると満足そうに頷く、しかしそれと同時に深い溜め息をついた。いきなり何なのだろうか。
「今回、私は誠に誠に残念ながらこっそり伺うことが出来ません! なので判定機を持っていないと判定できません! 分かりましたか?」
そして吐いてきた台詞がこれである、言葉だけで見ると判定機は重要アイテムであることを念押ししているがそれに込められた感情がダダ漏れである。
察するところそれは俺を面白おかしく観察できないことが悔しくて仕方がないと言ったところだろうか、相変わらず人を舐め腐っている奴だ。
「本当に残念だ、残念すぎてありがたいくらいだ。それと邪魔だ」
ごく自然な成り行きで怒りを覚えた俺はそう吐き捨てつつ、このクソ天使に制裁を与えることでそれを発散させことにした。
あまりに自然すぎて異論を挟む余地はないだろう。
「あ! 酷いこと言いますね、天春くん! それと気軽に叩かないでくださいよ!」
制裁を食らった天使は抗議してくるが、知ったことではない。そもそも舐めてきたこいつが悪いのだから。
そして天使はようやく道を譲る、家をでるのにも一苦労である。
「そうだ! 天春くん」
と靴を履いて外に出ようとした俺をクソ天使が引き止めてくる。
いい加減にしろと思いつつも、こいつからは逃げられない。飽きるまで付き合うしかないのである。
俺は渋々クソ天使になんだよ、と聞き返す。どうせろくでもないことだろう。
「いい雰囲気になってしまっても十八禁的な行いは謹んでくださいね!」
「うるせえ! ぶっ殺すぞ!」
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教えてもらった住所にあったのは古びたアパート。
俺の住んでいるアパートもそれなりに古いと感じる事はあるがここはそれ以上だった。本当にここに住んでいるのかと疑いたくなるくらいだ。
しかし、七瀬の普段の様子を見る限りそうだと思わせないのは相当、努力しているのだろうと思う。
そして俺は七瀬の部屋の前に立つ。呼び鈴を押せば七瀬が出てくるだろうという状態だ。
家を出る前に非常にくだらないことがあったが、もうそれを引きずるわけにはいかない。
ここからは気を引き締めて取り掛からなければならないだろう、ここでの失敗は死に繋がる。実質ここが最初で最後のチャンスと言ってもいいだろう。
俺は覚悟を決めて呼び鈴を鳴らす、すると 「はーい」 という声とともに七瀬が中から現れる。
「天春くん、その……いらっしゃい」
出てきた七瀬は夕食の準備の最中だったのだろう、エプロンをつけていた。
制服ではない七瀬を見るのはなんというか不思議な感じだった、はじめてみるのだから当然の話だとは思うのだが。
緊張しているためか恥ずかしいのか、おそらく両方だろうその顔は少しだけ赤くなっていた。
「ちょっと散らかっているかもしれないけど……あ、上がって」
おずおずといった感じで俺を家に上げる七瀬。
俺は 「お邪魔します」 と家に上がる時の定型句を言って中へと入る。
「……ここが七瀬の家か」
などと言って俺は部屋を見渡してしまう。
人の家をじろじろと観察するのは憚られることではあるが七瀬の家は狭く、軽く見るだけで大まかな様子が分かってしまうくらいだ。
寝室と居間なのだろう二部屋とキッチンの2K、家の中は整理整頓されており外観と違う印象を感じる。だいぶ綺麗だった。
キッチンは俺の予想通り夕食の用意を始めようとした感じである。
そして俺はそれを見つけてしまう、その可能性はあるかもしれないと思っていたが。
それは位牌だった、鈴もあった。近くに女性、七瀬の母親だろう人物が写った写真が置いてあり、位牌がその人物のものであると察することが出来る。
少し考えてから俺は七瀬に声をかける事した。
「なぁ、七瀬」
「なに? 天春くん」
「手、合わせてもいいか」
俺がそう言うと七瀬は少しだけ驚いた。
しかしそれはほんの短い時間だった、七瀬は優しい顔をして頷く。
その顔は俺の心をざわつかせる。
「あ……うん、いいよ。そうしてくれると多分、喜ぶから」
七瀬から許可を貰った俺は鈴を打ってから手を合わせる。
彼氏というのならば手を合わせるのは当然なのだろう、友人であってもこうするだろう。七瀬の事を想い、それをこの人物に伝えるために。
しかし俺は七瀬の事を特別好きだとは思ってはいない。必要だからそういう関係になり、そうなったからこうして手を合わせているだけなのだ。
七瀬の母親に伝えることなど何もない、こんなものはいわばパフォーマンスでしかなかった。
こんなことをしている自分が随分な糞野郎であると自覚してしまう、嫌な気分だ。
俺は深く息を吐いて精神を落ち着けようとする、自己嫌悪をしている暇はない。
そう気持ちを切り替えて、七瀬の方を向く。
そこにあるのはやはり夕食の準備である、元々俺にとっては勉強はただの口実にすぎない。となればこれを利用しない手はなかった。
「じゃあ、早速と言いたいところだけど……先に晩飯作ったほうが良いな。これ」
「ごめんね、ちょっとバタバタしてて」
昨日も遅くまで、今日も朝から夕方までバイトしていたのだから部屋の片付けくらいが限界だったのだろう。夕飯を作るまでは手が回らないのも無理はない。
恥ずかしそうに小さくなっている七瀬には悪いが俺にとってはありがたい話である。
俺は自分で考えておいてクソだと思いつつもそれを実行することにした、打てるべき手は打たなければならない。
「いいよ、帰ってきてまだ時間も経ってないんだろ? それなら押しかけた俺としては手伝わせてくれたほうが気が楽だ」
「えっと……じゃあ、お願いしちゃおうかな」
七瀬は遠慮しがちにそう言ってくる、しかしその表情は俺が手伝うと言ったことに対する感謝も伺えた。
それを見た俺は気分が重くなる、さっきのことが尾を引いているようだ。気持ちを切り替えなければと自分を戒めようとする。
話題を変えるために俺は鞄に詰めておいたものを取り出す、用意しておいたおかずである。
「あ、そうだ。七瀬」
「なに? 天春くん」
「これ、口にあうかどうかわからないけど。良かったら食べてくれ」
俺は七瀬におかずを詰めたタッパを渡す。なるべく気安く、受け取りやすく、無駄にならないものと考えてのことで選択したものである。
とは言え自信のほどは微妙だった、用意したは良いが余り出すつもりはなかったものなのだから。
味は問題ないと思うがそれを気に入るかどうかはまた別の話だ、男の手作り料理を女子が喜ぶかどうかは俺には判断がつかない。
俺は七瀬の様子を固唾を呑んで見守る。
「わぁ……」
七瀬はタッパに詰められたそれを受け取ると表情を綻ばせる。どうやら正解だったようだ。
それを確認すると俺はほっと胸を撫で下ろす。
一応デパート辺りでそれなりに良いものを買うということも考えたのだが、それはそれで七瀬も引け目を感じる可能性があったため選択はしなかった。
目論見はほぼ全てうまく言ったといえる、ある一つの点を除いて。
「ありがとう、天春くんっ」
七瀬は喜んだ、俺の予想以上に。
感謝がいっぱいになったその顔を七瀬は俺に向けてくる。
俺は胸が苦しくなった。
「……そこまでのことじゃないから」
咄嗟に顔をそらしてしまう、七瀬には照れているからだと勘違いして欲しい。
想像以上に七瀬は喜んだという事実は俺にとって良い事のはずである。
それなのに何故か俺の気持ちは加速度的に沈んでいく、顔をそらした理由はその時の七瀬の顔を見ることができなかったからだ。
だめだ、冷静になりきれてない。泥沼に嵌ってしまったような感覚がある。
俺は状況を動かしてリセットしようと試みる、七瀬もいつまでもこうしているわけにもいかないだろう。
「じゃあ、七瀬始めるか。俺は何をしたら良い?」
「えっと……じゃあ、この野菜の下ごしらえをお願い」
適当な所に俺は腰を下ろして野菜の下ごしらえを始める。
俺は先程のこともあり、このまま黙々と七瀬の手伝いをするべきかと迷ってしまう。
しかし時間は有限である以上、やれることはやるべきだ。このまま野菜の皮むきをしていても試練は達成できない。
迷いを理性でねじ伏せて考える、出来るだけ七瀬との距離を近づけなければいけない。
となれば七瀬の事を教えてもらうというのはどうだろうか、親しくなるというのは情報の共有化と同義だと俺は思っている。
相手の事よりもまず自分から打ち明けるべきだという考えもあるが、それはいくらでも失敗を取り戻せる状況でのことだからだ。
試練の期限から逆算すると失敗すればそれを取り戻すことはほぼ不可能である、であえれば出来るだけ先に打ち明けてもらう方向に動きたい。
どの程度の情報を出してくるかでこちらもそれに合わせることが出来る、確実にここは積み重ねるべきだろう。
そう考えた俺の方向性は間違ってはいないはず。
まずは最初の話題振りである、ここは軽いところから行くべきだろう。
「……そういや、七瀬ってどこでバイトしてるんだ?」
七瀬と話をする度に出てくる要素だ、俺がこれを気にするというのは筋が通っていると思う。
広げやすい話題であり、重い話になる可能性はあまり高くはないだろう。
「えっと……駅の向こう側にあるマックだけど」
「あそこか……」
七瀬の言うところのマックを思い出す、駅向こうにあるハンバーガーチェーン店である。
しかしあそこは俺達の学校の生徒がよく顔をだすのではないか。
進学クラスの生徒は勉強をするのが本分であるバイトをしている生徒は殆どいない、それに七瀬は成績トップの成績特待生だ。
そのあたりなにか問題は起きていないのだろうか、と考えるがそれを言うべきか迷う。
下手に踏み込めば藪蛇になるだろう、それで場の空気が白けて七瀬との距離が開く可能性がある。そうなれば本末転倒だ。
だが仕事はどうだと聞いても距離を縮めることにはならないとも思う。あまりにも当たり障りがなさすぎる話題だ、情報としても価値が薄い。
他にバイト先の事情を聞いてもそれが下手になる可能性がある。どの道、話を広げるには踏み込まなければならないのだ。
野菜の皮むきをしながら考える、思考が行き詰まっている感覚がある。
別の視点から考えてみるのはどうだろう、七瀬という存在を軸にしてみるのだ。
七瀬という人間ならこういう状況は起こりうるのかと、考える。
答えは可能性は低いだ、そもそも問題が起きていればそういう事情はどこからか流れてくるものだ。
俺自身そういった事情に疎いのが不安ではあるが、そのような話は聞いたことはない。
後は決断だ。情報を得るのがメインではない、それを打ち明けさせることで親密になったと思わせるのが目的だ。ある程度の目処が立っているのならば地雷にはならないだろう。
「あそこって、うちの生徒が結構来ると思うんだけど大丈夫か?」
「大丈夫って?」
「いや、進学コースの奴ってバイトしないからさ。変に冷やかしとかされてないのかと」
俺は七瀬に聞く。
可能性は低いという結論を出したとはいえ、それを判断する情報の信頼性が低いのだ。正直なところ不安だった。
緊張する、七瀬の反応次第では急いで対応をしなければならない。失敗した場合の対応を考える。
「あ、ううん! そんなことないよ、ありがとう天春くん。心配してくれて」
「いや、まぁ……そういうことがなければ良いんだけど」
しかしそれは杞憂に終わった、七瀬は自分の事を心配してくれたことが嬉しいようでその声は優しいものだった。
杞憂に終わったことは幸いなことだった。
七瀬との距離がすこし縮まったように思えるのも良いことだ。
物事が上手く進んでいるのは確かだ。しかしそれがすごく居心地が悪く感じる。
考えることが多いせいか思考がよくない方へと向いてしまう。
少しでも気を紛らわせるために次の野菜を手に取ろうとするが手が中空を切る。
どうやら下ごしらえは終わったらしい。元々そんなに量は多くなかったのだ、集中すればこんなものだろう。
「あ、もう大丈夫だから。ごめんね、座って待ってくれるかな」
「分かった」
下ごしらえが終わったことに気づいた七瀬は俺にそう言った。
手伝えることがなくなった俺は少し頭を休ませようと思い、何も考えないようにする。
なにしろ試練が始まってからずっと頭を使っているようなものだったのだからそろそろ限界だろう。
そうして何も考えないようすると耳に届くのはキッチンの調理する音。
それにつられて目を動かせば目にうつるのは後ろ姿の七瀬。
やがて鼻をくすぐるのは家の中に漂う夕食の匂い。
時間の流れが緩やかに感じられる。
そういえばと俺は気付く、こんな穏やかな時間ははじめてだった。
今は一人暮らしで何をするにも自分でやらなければならない、それ以前の俺がいた家では心を休める時すらなかった。
時間について考えたためか、俺はふと時間が気になり時計の方を見る。時刻は十九時を過ぎていた。
それを確認した俺はあることが頭に浮かびそれをそのまま口にした、何も考えずに言った。
「なぁ、七瀬。親父さんは大体どのくらいに帰ってくるんだ?」
「お父さん? お父さんが帰ってくるのは大体……」
七瀬はそれに答えようと考えた時だった、何かに気がつき一気に顔が赤くなる。
それを見た俺は一体何がどうしたのだろうかと困惑する。
「どうした? 顔が赤いぞ」
言ってから俺は気付いた、迂闊に程があるだろう。
若い男女が今は家に二人きりなのだ、それを考えればどう捉えられるかは難しくない。
俺は慌てて七瀬の誤解を解こうとする、やはり気を緩めてはいけなかったと後悔する。
「ああ、いや。変な勘違いするなよ、別にそういう意味じゃないからな?」
「あ、うん。その、本当にごめんね!」
「今のは俺が悪かった、すまない」
俺が謝ると、七瀬もそういった意味ではないことを理解してくれたようだ。
七瀬は数回深呼吸して自分を落ち着かせようとする。
「お父さんが帰ってくるのは十時くらいだよ。いつも遅くまで働いてて」
「そうか」
そして七瀬は俺の質問に答える、その声は少しだけ寂しそうなものに思えた。
俺はそれについて何か考えようとしたが、疲れた今の頭ではまとまるものもまとまらないだろうと判断し止めることにした。
「……っと。うん、これでよし」
七瀬は頷いて火を止める、どうやら調理が終わったようだ。
つけていたエプロンを外して、そこが定位置なのだろう冷蔵庫の横にかける。
「待たせちゃってごめんね」
「いや、別にいいよ。無理言って来てるのは俺の方だし」
「それじゃあ……」
七瀬が続きを言いかけたところできゅうといった音が鳴る。その音源は七瀬の腹だった。
時間もちょうどいい頃合いだし、七瀬は一日中バイトしていた上に家事までやっているのだ。腹も減っているだろう。
腹の虫が鳴いた七瀬の顔はみるみる羞恥で真っ赤に染まっていく。
「うぅ……ごめん……」
「もう晩飯時だしな、バイトしてきたんなら仕方ない」
気にするなという風に俺は謝っている七瀬に言う。
七瀬は夕食をとるとして、さて俺はどうしたものかと考え始めた時だった。
赤い顔をした七瀬が俺に向かってなにかを聞こうとしていた。
「えっと……天春くん、食べていく?」
その七瀬を見て、俺は先程の寂しそうな顔をした七瀬を思い出す。
思い出したのならば、取るべき選択は一つしかなかった。間違いなくそれが正解なのだろう。
「それじゃあ、いただこうかな」
俺がそう答えると、七瀬は嬉しそうに笑った。
――これで正解だ、何も問題はない。全ては順調だと思う。
だが俺の心は底のない深みに向かっていくようだった。
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