第3話:Aパート

「七瀬、ちょっと昼空いているか?」


 翌日、学校に登校した俺がまず最初にすることは七瀬を昼食に誘う事だった。

 勿論、ただ七瀬と一緒に昼食を食べたいというわけではない。その目的は七瀬にデートの約束を取り付けることである。

 教室で約束を取り付けようとすればできるだろうがそれはなるべく避けたかった。


 その理由は非常に単純なものだ。邪魔が入ってほしくない、ただそれだけである。

 なにしろ七瀬は忙しい、少し親しくすればこのくらいは簡単に分かることだろう。

 俺とのデートの約束は確実に七瀬の負担になることは目に見えて明らかであり、それが一ヶ月後の予定を決めるのならともかく明日明後日にしなければならないだからどこからどう見ても負担以外の何物でもない。

 当然、七瀬も簡単に頷くことは出来ないだろう、となればそこからはやや強引に説得を試みることになる。 

 ここで問題は七瀬という人物は人から好かれており、付き合いが悪くとも友人がいるのだ。強引な説得をしようとすれば神谷辺りから横やりが入る可能性が高い。


「七瀬が良ければ一緒に昼を食いたいと思ってるんだけど、どうだろう」

「天春くん? えっと……」


 俺の提案に考え込む七瀬、どうするのか迷っているようだった。

 おそらくいつもは友人と交流する形で七瀬は昼食を取っているのだろう。そこに俺が割り込んでくるのだ、昨日のこともあり迷うのも無理は話である。


 しかし七瀬が良ければなどと自分から言っているが、俺としてはやや強引であっても七瀬を昼食に誘いたいと思っている。

 俺の事情としてはデートの約束を取り付ける確率を少しでもあげたいのだ。もちろん七瀬に嫌われでもしたら本末転倒であるため、七瀬の事情を考慮はするがそれでも俺の事情を優先したいと思っている。

 なので七瀬に先に答えを出されるわけにはいかない、それが否定的なものであったのなら食い下がることは難しい。ここは教室である。

 先程のデートの約束を取り付ける時にした危惧がここでも適応する可能性は十分にあるのだ。

 よって七瀬が答えを出すよりも先手を打たなければならないだろう、それは幸か不幸かどうすればいいのか俺はそれを既に考えついてあった。

 あまり使いたいものではないが背に腹は変えられない。


「その、付き合ったんだからこういうのはどうかと思ったんだが」


 実際に口にしてみたが想像以上に自己嫌悪の感情が俺を襲った。本当にクソみたいな言葉である。

 自分の都合をさも相手の為を思ってと誤魔化すような言葉だ、俺が言われたならばふざけるなと思っただろう。実際これは天使の試練への物言いと同じである、あのクソ天使と同じことを俺がしているかと思うと本当に嫌になる。

 そして言われた七瀬はなるほど、という顔をして納得したようだった。


「あ……それもそうだね。うん、いいよ」


 七瀬は俺に笑ってそう言ってくる、付き合ったのだからと俺が言ったせいか少しだけ頬が赤く見える。

 俺は七瀬に昼休みに中庭で、と伝えて七瀬から離れることにした。

 七瀬の方を横目で見やると七瀬は神谷たちに何やら謝っている様子だった。

 俺はそれについてなるべく考えないように努めることにした。命に替えられないのだから仕方ない、と割り切ることにする。


 そして午前の授業が始まる。授業の内容はあまり頭に入らなかった。



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 午前中の授業が終わり、昼休みの時間になると俺と七瀬は約束通り中庭へと向かう。

 中庭へと向かう途中、俺の横を歩いている七瀬は少しだけ緊張しているようだった。


「悪いな、七瀬付き合わせて……っていうのも変な感じだな」


 中庭の適当な場所に腰を落ち着けてコンビニ袋を広げて七瀬に言う。

 対する七瀬は弁当箱を持って俺の隣に座っている、のだが少しばかり距離がある。

 土曜日であるため中庭にはあまり生徒がいない。それもそのはずで今日学校に登校しているのは進学クラスの生徒だけなのだから。

 俺達の通う学校では進学クラスのみ土曜日に特別授業が行われているのである。

 普段はそれをやや億劫に思うのだが、今の俺としてはこの状況はありがたいものであった。


「そう、だね。私達付き合ってる……んだよね」

「とはいえなんか変な感覚だな、やっぱり」


 そう言ってくる七瀬の顔は少し赤かった、昨日の今日であり朝から俺が積極的に昼食に誘っているのだ。

 七瀬が俺を意識するというのは理解できない話ではない。

 そして緊張もしているのだろう、弁当箱を開く指先が少し震えていた。


 では俺はというと七瀬と違い付き合うと言ってもなにかが変わったわけではない。

 ただ今の気分は朝の件は未だに俺の中でしこりを残している、あまり気持ちのいいものではなかった。

 とはいえその気持ちに囚われ続けるわけにはいかない、俺にはやらなければいけないことがあるのだから。

 しかし本題に入る前に場を暖める必要がある、目についたそれを話題として切り出してみる。


「七瀬のその弁当って手作りか?」

「うん、そう。お父さんの毎日作ってるからそのついでで」


 俺の質問に七瀬は答える、照れくさいのだろうか頬を掻いている。

 しかし、毎日父親の弁当を作っているか。と買った惣菜パンを食いながら俺は考える。

 この辺りのことを七瀬の事情から深く考えるとあまり家庭環境に触れるのはよくないだろうなと思う。

 七瀬に関する事ならこの先のことを考えると知りたいと思うが、それでも人の込み入った事情に興味本位で聞き出すというのはいくらなんでも図々しいにも程がある。

 俺がそんな事を考えていると七瀬は話の矛先を俺へと向けてくる。話をそういう方向に持っていかれると恥ずかしいのだろうか。


「天春くんはいつもそういうの食べてるの?」

「俺は気分で学食だったり、自分で弁当作ったりだな」

「へぇ、ちょっと意外かも。天春くんってそういうのやらないと思ってた」


 俺がそう答えに少し意外そうな顔を七瀬はする。その気持ちは分からなくもない。

 高校生男子が自分で料理することを珍しく思うのも無理はない話である。

 俺も一人暮らしをしなければ自分から家事などしようとは思わないので殆どの男子高校生はそうなのだろうと思う。


「必要だからな、一通り自分で出来ないとやっていけないし」

「あ……えっと、その余計なこと聞いちゃった?」


 俺の答えに七瀬は少し表情を曇らせる。余計な事を言ってしまったと思ったのだろうか、不安そうな顔でこちらを見ている。

 俺としては七瀬にネガティブな印象を持たれてしまうと試練達成が困難になってしまう、目標が笑顔にしろというのだからそれは避けたい。

 なので七瀬を適当に誤魔化すことにした、出来るだけ軽く大したことではないかのように振る舞う。


「ああ、そんなんじゃないぞ。親に無理言って俺が一人暮らししてるってだけの話だよ」

「あ、そうなんだ」


 俺の判断が功を奏したのか七瀬はほっと安心したようだ。それを見て俺も安心をする。

 実際のところ俺の言ったことは概ね間違いではないがそれを詳しく話そうとすると俺としては軽いものではなくなってしまう。

 下手にその辺りを追求される前に話題を遡ることで話を切り替える。


「しかし父親の分を毎日作ってるのか、結構手間だろ?」

「うん、でももう慣れちゃったし」


 なんでもないとばかりに笑って言う七瀬、やはり照れくさいのだろう顔が少し赤くなっている。

 とはいえなんでもないわけではないだろう。バイトに勉強、それもトップを維持しながらやっているのだ、いくら慣れていても疲れるに違いない。

 しかし話題としてはこれ以上掘り下げるのは危険な気はする、どうしてもネガティブな面に足を突っ込まざるをえないような話になりかねないからだ。

 十分場は温まったような気配はある、前フリの世間話はこのくらいでいいだろう。

 そう判断した俺は本題を切り出すことにした。


「それでだな、七瀬」

「なに? 天春くん」


 手で口元を隠しながら聞き返してくる七瀬。七瀬は俺が何か言おうとしていることを察して弁当を食べるのを中断する。

 その様子に俺は緊張してしまう、自然な流れでいうよりもこちらの方が相手への印象が強くなるので都合がいいのではあるが。

 しかし怖じ気ついては進まない、俺は意を決して本題を言う。


「放課後空いてるか? その、参考書やっててわからないところがあってさ」


 上手く切り出せたと思う、昨日の朝のこともあり勉強という口実は七瀬にとってこの誘いは自然な方に入るだろう。

 しかし勝負はこれからである、これで素直に行ければいいがその望みは薄い。


「その……ごめんね、今日も帰ったらすぐにバイトで、夜も遅くて……」


 俺の予想通りと言うべきか七瀬は申し訳なさそうに断る、この様子では今日は無理だということは分かる。

 なら明日はどうだろうか、何しろ期限は今日が無理だとすると残り二日となのだ。しつこいと思われても可能な限りは打診してみるしかない。

 いざとなれば次の手段を考えなければならないだろうが、余りそれは考えたくはない。


「バイトなら仕方がないな……明日はどうだ?」

「その、明日もバイトで帰るのが夕方の五時ぐらいになっちゃうから」


 想像以上に厳しかいと言わざるをえない、この調子だと月曜日もバイトなのだろう。そうすればデートという手段は実行不可能になるだろう。

 しかし、夕方の五時である。無理を通せる可能性は十分にあるが、判断に厳しい。

 まず俺がバイトで疲れているのに勉強を教えてくれなど言われたらふざけるなと思うだろう。

 七瀬は俺ではないがそれでもかなり厳しい。相手の気持ちを考えるようにとのアドバイスをもらったがこの場合はどうするべきだろうか。

 この場は諦めた方が良いのは確実だ、しかしこの後の展開を考えればそれが必ずしも正解とは限らないだろう。

 デートという手段以外になにか手が思い浮かぶ保証はどこにもないのだから。


「七瀬……その、大変だってことは分かるけど付き合ってくれないか?」

「えっと……」


 七瀬は困ったような顔をするが、それでもと俺は続ける。


「バイト帰りで疲れてるって事は分かってるけど七瀬に頼みたい。俺に手伝えることはなんだって手伝うから」


 俺からも迷惑をかけるのだからなにかを提供する意志を見せる。

 はっきり言ってあまりいい方法ではないと思うが、こうなった以上は勢いで押し切るしかないだろう。

 これで駄目だったのなら引き下がるしかない。だが出来ることは出来るだけ、やれることはやれるだけやっておきたい。


「その……天春くんなら私が教えなくても大丈夫だよ。だから、ごめんね」


 と七瀬は七瀬なりに考えた結果俺を諦めさせようとする、常識的に考えてかなり厳しいのだろう。

 俺の力になれないことを申し訳ないと思っているのだろうか七瀬は心苦しそうである。

 その顔を見ると俺は居心地が悪くなる、これ以上は無理だと俺の冷静な部分が警鐘を鳴らす。

 ここまでだ、諦めて次の手を探すしかない。と俺は判断を下そうとする。


 しかし、その時だった。俺はここから一つ出来ることを思いついてしまう。

 勢いでは押し通すことは無理であり、これ以上は逆効果であるならば別のアプローチしかない。

 当然、俺が思いついたのはそのアプローチの方法だ、だがそれを言って良いのかと思ってしまう。

 しかし迷う時間はない。やるしかない、やらなければそれだけ死ぬ確率が高くなるのだから。


「俺は……出来るだけ七瀬と一緒にいたい。だから勉強を教えてもらうっていうのは、口実だ」


 そう言った、言ってしまった。

 なにかとんでもないことをしてしまったのではないかという後悔が俺を襲う、理由は分からないが何故かそんな気がするのだ。

 しかしとれる手段をこれしか思い浮かばない以上、そうするしかなかったのは事実である。

 これは仕方のないことだ、と俺は迫りくる後悔の念をねじ伏せようとする。自身を無理矢理にでも納得させる。

 言ってしまったものは巻き戻すことは出来ない、ならば今は先に進むしかない。


「七瀬……だめか?」

「あ、あの、その……えっと……」


 俺が最後に確認とばかりに問うと七瀬は困惑していた。

 何を言っているのか理解できないという風に弁当箱を意味もなく箸でつついている。

 それから胸に手をあてて自身を落ち着けようとすると、段々とその顔が赤くなっていく。


「えっと、ごめんね。その私、鈍くて」


 それからやっとのことで七瀬はそう言った、どうやら先程の俺の言葉の意味を理解できたのだろう。

 慌てているのと羞恥からだろうかその顔は赤く染まりきっていた。

 それから七瀬は少しだけ考えてから、俺に向けて言う。


「あ、あのっ……天春くんがそこまで言ってくれるなら。……その、いいよ」


 七瀬は言葉を紡ぐ最中に何回か考えるようにして、そう言い切る。

 どうやら俺はデートの約束を取り付ける事ができたようだ。


「……OKってことか?」

「う、うん。その一、二時間くらいしか出来ないけど……それでもいいなら」


 念のため確認のために七瀬に聞いてみると、七瀬は赤い顔で答える。

 まずは第一関門突破したと言えるが安堵するにはまだ早いだろう。これはまだ準備段階なのだから。

 俺は頭のなかで気を緩めないように意識してから七瀬に礼を言う。


「良いって、それでも十分すぎるくらいだ。ありがとな七瀬」

「う、うん……」


 七瀬は頷くのもやっとという様子だった。

 色々と考えることもあるのだろう、随分無理をさせてしまったと思う。

 しかしデートすると決まり、やることはとりあえずのところ勉強ということも決まっているのだが肝心の場所をどこにするかはまだだった。

 決めるのならば早いことに越したことはない、七瀬には悪いとは思うがもう少しだけ付き合ってもらう。


「それでどこでやることにする」

「……」


 そう俺が聞くと何故か七瀬は俯いてしまう、既に耳まで真っ赤といった感じである。

 どういうことだろうか、と俺が考えるとその答えは簡単に思い浮かぶ。

 夕方にバイトから帰ってきて、七瀬は家事をしている。その二つを結べば七瀬がどこを指定したいのか容易に察することが出来る。

 これは普通に考えれば分かる話だ、俺も気を引き締めようとしても浮かれていたのだろう。迂闊だったと思う。

 七瀬には言い辛いことなので俺がそれを言うことにする。


「……七瀬の家で、大丈夫か?」

「う、うん……いい、よ」


 俺がどこまで常識的な女性の感性を持ち合わせているかは定かではないが、昨日今日付き合い始めた男を自分から家に上げることを口にするのは憚られるだろう。

 一応、勉強するという名目はつけてあるが俺自身がそれをただのふりであると言ってしまっているのだ、それは口に出せないだろう。

 しかし、七瀬の事情を考えるとどうしても自分の家を選択せざるを得ない、つまりはそういう話だ。

 七瀬に無理を押し付けている分、俺がそれを配慮するべきだったと反省しなければならない。


 ――ともあれ、こうして俺は明日七瀬の家に行くことになってしまった。

 七瀬の家庭環境に触れることは避けたいと思っているのだがこうなれば覚悟を決めるしかない。もう後には引けないのだから。

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