第2話:Cパート
「えっと……その、天春くんの付き合ってくれって」
「……多分、七瀬の想像通りだと思う。いわゆる彼氏とか彼女っていう奴だ」
困った顔をした七瀬は俺に確認を求めてくる、俺はそれに応じた。
俺は七瀬の今の表情を見て清水さんに言われた、相手が困っていたら諦めろというアドバイスを思い出してしまう。
ここで退くべきかどうか、これ以上はまずいのではないかという不安が脳裏をよぎる。
そして体の心臓の辺りが急激に冷えるような感覚が襲ってくる、酷く気持ちが悪い。
「うぅ、ん。そ、その……そういうの急に言われても……」
俺の付き合って欲しいという要求を正しく理解した七瀬はますます困惑する。
それもそうだろう、急いでいる時にわざわざこんな事を言ってくるのだ。それも今朝まではあまり話をしなかったクラスメイトが。
俺が七瀬の立場であればまず不審に思い、上手くやり過ごそうとするだろう。
だが、俺と七瀬は違う。七瀬はこんな状況でも、自分が困ることになってもそうはしなかった。
「えっと……考えたいから、その、返事は明日とか、明後日とかじゃだめ?」
七瀬は真剣に考えて、そう答えてくる。責任感がある七瀬なりに考えてのことだろう。
急いでいる、しかし真面目な話である。ならば真剣に考えたいと。分かる話である。
しかし俺はそれを飲むことは出来ない、このまま返事を持ち越しにすれば俺はあのクソ天使により殺されるのだ。
なのではっきりと告げる、いま返事が欲しいと。
「悪い、七瀬。いま、返事が欲しい」
図々しいにも程がある言葉であると自覚している、言葉を吐くとより心臓の鼓動が早く、強くなっていく。
限界以上に踏み込んでいる感覚があった。奈落へと突き進んでいくような、そんな破滅的なものを近くに感じる。
怖かった。これが漠然と迫る死によるものなのか、焦燥感によるものなのか、七瀬に断られることによるものなのか判別がつかないが俺の体を恐怖が満たす。
「……その」
七瀬は考えるように言葉を紡ごうとする。どう答えるか、どうしようか悩んでいるようだった。
俺は七瀬が、七瀬自身がその答えを出すよりも前にもう一度、七瀬に要求する。
畳み掛けるように、それ以外を考えないようにと願いながら、俺は言う。
「もう一度言う。七瀬、俺と付き合ってくれ」
手にじっとりと嫌な汗が浮かぶのを感じる、俺は少しでも弱いところが見えないようにと無意識に冷たくなった指先を握りしめてしまう。
少しでも恐怖に抗うように、強く歯噛みをする。
七瀬が言葉を発するまでの間、それはおそらく短い時間だったのだろうがとても長く感じた。
まるで拷問を受けているようだった、これならば当たり障りのない会話をすることのほうがどれだけ楽なことだろうか。
俺は七瀬に早く答えを言って欲しいと思う、そして同時に言わないで欲しいとも思う。
続きを聞くことが恐ろしかった。だが時間が止まることはない、七瀬は再び口を開いて、言葉を口にする。
「……その、私と付き合ったとしてもあまり時間取れないと思う」
そう言う七瀬は恐る恐るといった感じだった、言葉を選んで自分の事情を話し出す。
この流れは非常にまずい、と俺の頭脳が事態に警鐘を鳴らす。
どうする、このままでは断られてしまうだろう。
「私、時間があればバイトか勉強ばかりだし」
かと言ってここで七瀬の話を遮る訳にはいかない。
先に俺が話を聞かない態度を示せばいくら七瀬でも同じように対応してくるだろう。
だから俺は七瀬が話してる間に考えるしかなかった、七瀬が続けてくるだろう結論にどう対応するか。
しかしその時間は考えを巡らすにはあまりにも短かった。
「えっと、それにあんまり奈月達とも遊べてないくらいで……だから」
ついに七瀬は付き合えないと言おうとする。
それに俺ははい、そうですかと引き下がることなど出来ない。
考えなどまとまらない、ならば言うしかないどれほど無様であっても言わなければならない。
だから俺は縋るように、七瀬にもう一度言うしかなかった。
遮ってはいけないと考えていたはずだったが、俺は逸る気持ちを抑えきれずに言葉にしてしまう。
「それでも構わない、俺は……七瀬と付き合いたい」
その言葉は懇願していると言ってもいいほどだった。俺は言ってから、しまったと後悔する。
だがいくら後悔しても時が巻き戻ることはない、俺は自分の迂闊を呪った。
俺は七瀬の様子を恐る恐る伺う、もう打つ手はないこれ以上食い下がっても意味は無いだろう。
これ以上はもう時間を理由に話を打ち切ってくるからだ。
「……」
俺の言葉を受けて七瀬は何も言うことができなかったようだ。
七瀬はひとつ大きく深呼吸する。
そして何かを決断したかのように俺に向き合い、口を開く。
「えっと……その……よ、よろしくお願いします」
かしこまったようにして七瀬はそう答えてくれた。
七瀬自身も恥ずかしいのだろう、その顔は赤くなっている。
しかし俺は待ち望んでいたはずの言葉を聞けたはずなのに、それを上手く飲み込めずにいた。
本当にこれはそういうことなのだろうか、などと疑ってしまう。
勉強をせずにテストに挑んで満点をとったような気分である。いや、ようなではなくそのものである。
だからつい確認してしまう、そうなのかと。
「……これはOKってことか?」
「う、うん。そういうことだけど……」
七瀬は答えた、そういうことだと。
また、確認してくる俺に七瀬は戸惑ってしまう、それも無理はない。
そうして欲しいと言われたことをそのまま返したら、その相手は信じられずに問い返してくるのだから。
ともあれ俺はどうやら、七瀬と付き合ってもらえることになったらしい。
あのクソ天使がいないため、これがどう判定されるのかは分からない。
だが俺はやれることをやり、それが上手くいったのだ。
そのことを実感した俺は思わず長い溜息を吐いてしまう、後からどっと疲労が押し寄せてくる。緊張が解けたせいだろう。
そんな状態だったからだろうか俺は七瀬にこんなことを言っていた。
「ありがとな、七瀬」
当たり前の感謝の言葉。
なんの意図もなく、ただ伝えたいがために贈る言葉。
――それは正直な偽りのない俺の本心だった。
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あれから七瀬はバイト先に向かった。
俺はと言えばそのまま七瀬の当番を代わり、こうして掃除をしている。
他の掃除当番に向かってゴミを捨ててくると告げて、教室を出る。ふと時計を目にすると十六時五十九分だった。
俺は階段を降りて、ゴミ捨て場へと向かう。
そして階段を下りた先にそいつは現れた、クソ天使である。
「ぱんぱかぱーん! おめでとうございまーす!!」
勢い良く、階段脇から飛び出してくるクソ天使。
だが俺は今度は驚くことはなかった、時間を先に確認していたことからだ。
俺はタイムリミットにはこのクソ天使が現れるだろうことを予測していた、おかげで今度は無様を晒さずに済んだのだ。
「天春くん、よく試練を乗り越えましたね! おめでとうございます!」
クソ天使は例の玩具じみた機械、カップル判定機とやらを取り出してそんなことを言ってくる。
カップル判定機はピコピコと安い電子音をならして、その液晶にはカップルセイリツと表示していた。
全くつくづくふざけている、と思うが内心安堵していた。どうやらなんとかなったらしい。
であれば次に確認することはこのクソ天使が今後どうする気なのかである。
「これでで試練は終わったわけだが……テメーはどうする気なんだ?」
「どうする、とは?」
「このまま俺の目の前から消えるかどうかって話だよ」
訳がわからないとばかりに首を傾げるクソ天使にはっきりと俺は告げた、俺の目の前から消えるのかどうかを。
俺としてはこのままクソ天使が消えて欲しいのだがやはりと言うべきかそうはならないようである。
クソ天使は心外であると言わんばかりに反論してくる。
「なに言ってるんですか、天春くん! これで終わりなわけないじゃないですか、むしろ今がスタートですよ!」
俺が予想した最悪の予想通りの言葉をこのクソ天使は言ってくる。
それを覚悟していた俺は天使の言葉にうんざりしつつも聞き流すことに決めようとした。
しかしこの後に天使が続けた言葉は俺にとってあまりにも理解の出来るものではなく、聞き流す事をやめさせるものだった。
「何を勘違いしているのかよく分かりませんがこれ天春くんの問題ですからね!」
「はぁ?」
何を言っているんだこいつは、という意味を込めて俺はクソ天使に疑問符をぶつける。
このクソ天使のことなどほとんど理解できるものではないのだが、それでも訳の分からない理屈であった。
何が俺の問題だ、俺に問題などある訳がない。
だがクソ天使は俺のことなどお構いなしに言葉を続けてくる。
「私は天春くんの死について私は天春くんに愛がないから主は死を定めたと説明しました!」
確かにそれはこいつから聞いた。こいつの言う神曰く、俺は愛のない人間なのだとだから生きる価値が無いとも。
しかしそんなものはこいつらの物差しで勝手に決められたものである。
今までそれで生きてきてなんの支障もなかったのだ、それになんの問題があるのだろうか。
だがそう主張しても無意味ということも分かっている、こいつの中ではそうなっているのだから。
「つまり天春くんに愛がなければまた死は定められてしまいます! そうなれば新しい試練が現れるのも当然でしょう! それに私は試練がこれきりとは一言も言ってません!」
何も恥じることなどないことのようにクソ天使は言い切る。
こいつの中では筋の通っている話のなのだろう、しかしまともな人間である俺としては到底納得の出来るものではない。
これも俺の納得など意味もない、こいつの中ではそうなっているのだから俺が何を言おうと覆りはしない。
「そんな気はしてたが最悪だな。言っても無駄だろうが一応言っとくけどこちらの試練をクリアしたら死なないって言ったじゃねえか」
これらはある程度予想できた事態だった、だから俺は激昂することはなかった。
しかしそれでも腹立たしい話には変わりなく、俺の内心はとても穏やかなものとは程遠いものだった。
だから無駄と思いつつも俺は追求せざるを得なかった、試練をクリアしたのなら死なないと言ったことに。
俺はクソ天使に精一杯の嫌味をこめてそう言ってやることにした。
「何言ってるんですか天春くん! 今、天春くん生きてるじゃないですか!」
「は?」
しかし俺の追求に天使は俺が生きているという当然の事実をさもおかしいことのように言い出した。
こいつは何を言ってるんだ、俺がいま生きていることが異常とでも言いたいのだろうか。
実際、そう言っているのだろう。この天使の目にある自信はやはり揺らぐことはなかった。
「本当はもう死んでるんですよ! それがまだ生きているというのがどういうことか分かってください! 試練をクリアしたから死ななかったんですよ!」
「こ、こいつ……」
そしてクソ天使は大真面目にそんな事を主張している。
いまこうして俺が生きていられるのは試練を乗り越えたからだと、ふざけているのにも程がある。
俺は天使を睨みつける、しかし天使は俺の視線など意にも介していないようだった。
しかし、かと言って俺は天使を睨むことは止めない。天使の背後にあるワックス塗りたてという注意の張り紙が目に入る。
それほどまで今日一日は消耗したのだ。
このクソ天使の言葉にその通りだなと聞き流す余裕はなかった、無駄だと分かっているのに。
そうして俺は天使を睨み、天使はそれを意にも介さないという状態のままそう短くはない時間が経った。
結局、先に折れたのは俺だった。ごみ捨ての途中なのだからいつまでもこうしているわけにもいかなかったからだ。
俺は天使に話の先を促すことにした。
「ああ、もういいや……で、新しい試練ってなんだ」
こうして俺が生きていることが超常的ななにかの作用によってであるとクソ天使は主張している、そのスタンスは最初に俺に死を告げたものと変わらない。
であれば試練をクリアしなければ俺はこの天使によって殺されるのも変わらないからだ。
試練とやらを提示してくるのならそれに乗るしかない、根本的な解決を見つける間まで付き合うしかない。
「お、やる気があることは素晴らしいですね! ということでこちらが新しい試練となります、どうぞ天春くん!」
俺の考えを誤解したままクソ天使は満足そうに頷いて、例のメッセージカードを提示してくる。
それははじめにクソ天使が俺に渡したメッセージカードと同じだった。
開けばそこにはあの時の、俺が先程クリアした試練が書かれている。
『明日の十七時までに彼女が出来なければ――天春士郎は死ぬ運命にあり』
それを見た俺はクソ天使に間違ってるぞと言おうとする。言おうとしたその時だった。
メッセージカードに書かれた文字がぐにゃりと歪み新たな文章を形作ったのだ。
『三日後の24時までに彼女を心から笑わせなければ――天春士郎は死ぬ運命にあり』
それが現れた文章であり新たな試練。俺の次のタイムリミット、目標だった。
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