最終話:Bパート

 翌日の朝、俺はいつものように起きて学校へ行くことにした。

 もう休む理由はどこにもないし、無駄に学校を休めばその分授業に遅れてしまう。進学クラスでそれは致命的だ。

 それに理由もなく休み続ければあのクソみたいな親が口出しをしてくると考えると普通に登校するべきである。


 だが以上の理由は俺にとっては小さいもので、俺の一番のモチベーションは七瀬の存在だ。

 余りに恥ずかしいと自分で思ってはいるが、会って話がしたいという感情は事実なのだから仕方がない。


 そして支度をすませた俺は部屋を出て、アパートの階段を降りる。

 するとそこにそいつは待ち構えていた。天使だった。


「おはようございます、天春くん。試練クリアおめでとうございます」


 天使は既に無駄に俺を煽るような振る舞いをせずにそれを伝えてくる。

 その態度は俺にとっては違和感の塊でしかないため妙な気持ちの悪さを感じて背筋が寒くなる。

 しかしそうも言ってられはしない、俺は天使に話があるのだから。


「朝っぱらからお前の顔を見たくはなかったんだが……まぁ、いいや。俺もお前に話があったところだ」


 そうして俺が話を切り出すと天使も俺は何かを言ってくるかは想定していたらしい。

 今まで俺が突っかかってきた事もあり先に終わらせようと話を譲ろうとする。


「話ですか、なんでしょう。聞きますよ、お先にどうぞ」


「いや、先にお前からでいい。どうせあるんだろ、次のやつが」


 だが俺はそれを譲り返した。その理由は俺の話が天使がこれからしてくるだろう、次に出される試練の話に繋がるからだ。

 それに俺がする話は出来ることなら不意を打つような形が望ましいということもある。


 天使は俺の様子に少し驚くような素振りを見せてから頷く、先に話を試練を伝える気になったようだ。

 それからメッセージカードを懐から取り出して、俺の様子を伺ってくる。


「流石に四度目となれば天春くんも十分に覚悟ができているようですね……では読み上げさせて――」


「それだ、俺の話っていうのは」


 そうして天使がメッセージを読み上げようとした瞬間に俺は待ったをかける。

 次に天使がなにを言うのか俺は察しがついていた、それも考えてのことだ。

 天使は待ったをかけた俺を訝しそうに見てから、そのままの態勢で俺に確認してくる。


「それ、とは試練のことですか? 何度もいいますが受けないことは出来ませんよ」


「そうだろうな。だけど、もういらない」


 そう言って俺は天使が持っていたメッセージカードを奪いとる。

 天使はそれに抵抗することも慌てることもなかったためあっさりと上手くいった。


 ――そして俺はそのままメッセージカードを破り捨てる。


 メッセージカードは持った感触通りにそれは普通の紙となにも変わらなかった、いとも簡単に破ることが出来た。

 天使はそれを見て、憤慨するわけでも悲嘆するでも笑うでもなくただ俺に言う。


「……いいんですか、破いてしまって。 もうどうすればいいのか分かりませんよ」


 天使が口にしたのは後戻りは出来ない、これからはもう何時死ぬかもしれないという警告だった。

 以前の俺だったらそれに恐怖してこんなことはできなかっただろう、だが今は違う。

 それは俺が七瀬に抱く想いがこの天使が考える愛だと確信してるからではない、むしろその逆だと言ってもいいだろう。


「いいんだよこれで。昨日、俺はやり直そうって決めたんだ」


 そう言って俺は目を瞑り、昨日のことを思い出す。

 七瀬から告白をされて、それを受け止めて、抱きしめて俺はそう決意したのだから。

 試練ではなく自分の意志で一緒にいようと、やり直そうと。


「もう誰かに強制されたり、道を用意されたくはない。それを誰かに間違っているとか決められたくはない。自分で考えて、七瀬と一緒にいたい」


 天使に俺はそう言い切る、これが俺の出した答えだった。

 もう俺の七瀬への想いを否定される訳にはいかない。俺は七瀬が好きだ、誰にも否定はさせない。

 それに今の俺には何かを強要される暇なんてない、七瀬と一緒したいことなんてありすぎるほどだ。

 しかし、俺の意志を伝えてもなお天使は念押しするようにそれを尋ねてくる。


「もしそれが間違っていてそれで死んだとしても、いいんですか?」


「そんなのは知った事か。言っておくが、お前が俺を殺しに来たら全力で抵抗してやる、今の俺は昨日までの俺とは半端じゃなく強いぞ」


 天使が聞いたのは後悔しないのか、ということだ。そんなものするつもりはない。

 だから返す、言葉通りの意味を乗せて天使に向かって言い返す。

 なにがきても全力で俺はそれに抵抗するだろう、殺されればそれは俺の間違いを認めることになる。それだけはしたくはない。


「それに、だ。お前の言うことが全部本当で、それが寿命だって言うんならそれが分かること自体がおかしいだろ。俺は後悔しないように七瀬と向き合う、それで死んだとしたらお前のほうが間違っている」


「そうですか。なら、私はここでお別れですね」


 俺はトドメとばかりに絶対に間違わないと絶対の自信を持って天使に告げた。

 天使は俺の様子を見て呆れ果てたのか観念したのか、別れの言葉で返す。


「そこまで言うんですから、私が何も言わなくても頑張れるでしょう。頑張ってください、天春くん」


 そして天使はそんな俺の決意を尊重して、おそらくはそのままの意味で激励をしてきた。

 小馬鹿にするわけではない、ただ純粋に俺のこれから行く未来を応援するかのように。

 俺はまさか天使がそんな事を言ってくるとは、何を言おうかわからなくなってしまう。

 考えた結果、俺は応援してくれるのならばそれには応えなければいけないだろうと判断して、それを言うことにした。


「……ま、ここまでこれたのにはお前というクソ存在があってってことは認めてやるよ。すげえ嫌だけど」


 俺は天使に向かってかろうじて感謝の気持ちが伝わる程度にそれを言う。その口調は嫌々といったものだ。

 天使がいたからこそこう思えるようになったと認めるのは癪だったが、それは事実でもある。

 しかしかといってそれを手放しにありがとうと言えるような関係でもないためそのような口調になるのは仕方のないことだろう。

 天使もそれはわかってるのだろう、気にしてはいないだろう。そもそもそれでこいつが堪えると思ってはいない。


 これで話すことがなくなったと俺が思った時、天使は何かを思い出したように話しかけてくる。


「でも、そうですね……最後に言わせてもらいますけど」


 天使は小さく咳払いするようにして言葉を切る。

 そして天使は少しだけ以前のような口調で、俺を小馬鹿にするかのようなトーンでそれを言った。


「駄目になったかどうかずっと見張ってますから、がんばってくださいよ。天春くん」


「じゃあ、精々見張ってろ。お前が砂糖吐くくらい見せつけてやるからよ」


 俺がそう言うと天使は静かに笑った。

 既に雰囲気は戻っており、天使の笑顔は今まで俺に見せてきたものとは違う、はじめて見せた自己申告の天使に相応しいもの。

 そして俺がまばたきをした次の瞬間にははじめからいなかったかのように姿を消していた。


 結局、天使がどういう存在だったのかは分からない。

 あいつが本当に自己申告通りに天使で、本当に主、あるいは神とやらの命令で来たのかもしれないしそうでないのかもしれない。

 その目的も、本当のところは何を考えて俺に試練をけしかけたのも説明される機会はないだろう。


 だがそれでいいと、俺は思った。


 あの天使がどんな思惑で動き、そこにどんな真実があろうと俺には関係がない話である。

 俺にとって腹立たしく、はた迷惑な存在だということにはもう変わらない。

 それ以上でもそれ以下でもない、それだけで十分だ。



----



「士郎くん、おはよう。今日は学校に行って大丈夫?」


 天使がいなくなった後も俺が立ち尽くしていたら声がかけられた。それは清水さんだった。

 数日ぶりに顔を合わせることになり、色々と以前の自分に思うところがあったと思うと気恥ずかしいような感覚を覚える。

 しかしそれに囚われることもないだろう、それを恥と思うのならばやり直せばいいだけの話だ。


「おはようございます、清水さん。大分調子が戻りましたから、逆に絶好調ですよ」


 清水さんに俺はそう軽口を叩いて返す。

 今はこの間まで俺の中にあった対人関係における苦行のような感覚は消え失せていた。

 それは俺が自分自身を自覚して七瀬に受け止めてもらったおかげだろうか、無駄に見栄を張ることを止めたせいだと思う。

 その返しに清水さんは一瞬だけ驚いたような顔をしてから。


「そう、じゃあいってらっしゃい」


 笑って俺を学校へ送り出してくれた。

 それに俺は当たり前に、自然に挨拶を返す。


「はい、行ってきます」


  俺の一日はそうして始まった、新しい俺の第一歩が。

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