第4話:Cパート

 ――天使に三度目の試練を言い渡されてから六日が過ぎた。

 今は最終日の朝、決断の日である。


 ベッドから起き上がって俺は深く呼吸をして精神を落ち着けようとする。

 決断の日だからだろうか、俺はその数回の呼吸の間に今までの事を思い出し始める。


 突然、天使を名乗る女が現れたこと。

 達成しなければ死ぬという試練を無理やりやらされたこと。

 清水さんにどうしたらいいか相談したこと。

 それで七瀬と付き合うことになったこと。

 七瀬の家に上がったこと。

 そして公園で見た七瀬の笑顔のこと。


 それは期間にして二週間にも満たない短い間だったが、随分と昔のことのように感じる。

 思い出すとともに俺は決意を堅くする、やはり俺はこうするしかない。

 既に答えは決まっていた。

 この六日間それをずっと考えてきた、そして導き出した答えは余りに順当なもの。


 決断するよりもまず先に俺は後藤に電話をかけることにした。

 これは事前準備というべきか、その後のためというべきか、今の俺にどちらのほうに重きをおいているのかは分からない。

 だがどちらにしても必要なことであることは確かだと思う。自分でどうにか出来ることは自分でやるべきだ。

 数度のコール音の後、後藤本人が出てくる。まだ眠いのだろうか声色は心もとなく感じるが今はそれを信じるしかない。


「後藤。ちょっと風邪引いたみたいだから今日は学校休む」


 俺は若干の演技を交えながら用意していた台詞を後藤に伝える。

 こんなことを頼むのははじめてのことだが不審な点はなかったと思う、それにそうだと感じていても特に追求することはないだろう。

 その予想通り後藤は特に追求することはなかった、そして病人に対しての決まり文句のような言葉をかけてくる。


「分かった。体、大事にしろよ」

「ありがとな」


 俺は後藤に礼を言って通話を切る、これ以上準備することなどなかった。

 後は七瀬に電話をかけて、を伝えるだけだ。

 続けて携帯を操作して七瀬のアドレスを開く、俺はこのまま通話をするだけのところで――一瞬、操作が止まる。


 生まれた僅かな逡巡の内に俺はここ六日間の七瀬を思い出す。

 あの夜から七瀬は変わったように思う、公園で俺にあの笑顔を向けた時から。

 具体的になにがどう変わったのかは分からない、だからそう思うのは俺の錯覚なのかもしれない。いや、ただの錯覚なのだろう。

 だがそれでも俺には七瀬がとても暖かく、眩しい存在のように思える。


 それはただ六日間の間、悩む俺に七瀬が付き添ってくれたからそう感じるのかもしれない。

 今回の試練は俺がどう決断するかの話でしかない、そんな俺に七瀬は七瀬なりに力になってくれようとした。

 それは俺が零す愚痴を聞いてくれたり、元気が出るように振る舞ってくれたり。

 とてもありがたいと思った、嬉しかった。

 だがそれ以上に――辛かった。

 そうしてくれる七瀬の優しさが、俺の罪悪感を強めていく。


 だから俺が出せる答えはそれしかなかった。

 深く息を吐いて決意を堅める、七瀬の番号にコールする。そしてコール音が数度もしない内に七瀬と繋がった。

 決意は堅めていたが、いざその時が来るとものを考えることが難しくなってしまう。

 しかし無言でいると不審に思われるだろう、そうなれば七瀬は俺のことを心配するかもしれない。心配はなるべくかけたくはない。


「……七瀬」


 そしてなんとか出せた言葉がこれだ。

 自分の耳で聞いたそれはいつもの調子とはほど遠いものだと分かる、これではいけないと思うがどうすればいいのか分からなかった。

 ならばこのまま用件を済ませるしかない、一つ考えることが減ったと思えばいいだろう。


「えっと……おはよう、天春くん」


 そしてやはりというべきか七瀬は俺の調子がおかしい事に気付いたらしく一瞬だけ戸惑ってから挨拶をする。

 俺は七瀬に変に気を回して責任を感じて欲しくないと思う、それと同時にそれは難しいだろうなとも。

 だったら手早くそれを伝えようと努力しなければならないだろう。


「……ああ、おはよう」


 七瀬に俺は挨拶を返す、挨拶というよりも相槌に近かった。

 耳に届くそれはまたしても力がない、いつも通りに振る舞うことは諦めているがそれにしても酷いものだと思う。

 やると決めていてもこの先の事、数分もしない内に訪れるその時を思うと気が重くなってしまうのだろう。

 だが、それは俺が受けるべき罰そのものだ、逃げることはもう出来ない。


「天春くんが朝から電話なんてはじめてだよね、何かあった?」


 その俺の声の覇気の無さで七瀬は俺がおかしいことを確信したようだった、その声は俺の事を気遣うものである。

 七瀬の声は俺を案じているような、心配しているそれである。

 気遣ってくれる七瀬の気持ちは今の俺にはとても苦しいものだった、罪悪感で胸が締め付けられる。

 しかしそれで止めるわけにはいかない、決断しなければいけない。


「ああ、それだけどな……その……話がある」


 一歩、踏み込んだような感覚。もう退くことは出来ないだろう、しかしもとよりそのつもりはない。

 後はを言葉にするだけだった。

 そして俺は言おうとするが、喉がこわばりどうしても音にならない。


「……天春くん?」


 そうして俺が言いよどんでいる内に七瀬はもう一度俺に何かあったかという意味を含んで聞いてくる。俺を心配しているそれだ。

 足踏みをすればするほど俺の傷は深くなっていく、だから一刻もはやく終わらせるしかない。

 それが俺のためであり、七瀬のためだと思っているのならなおさらだ。

 だから俺はをついに言った。


「……七瀬、別れよう」


 出てきたのは別れの言葉。これが俺の答えだ。

 やはり間違っていたのだろうと思う、俺はやはり自分を許すことが出来なかった。

 自分の命惜しさに、人の大切なものへ土足で踏み入り、暴き立て、弄ぶようなクソ野郎は死んで当然だと思う。

 あの天使が言うことをそのまま受け取るのは癪だが、それは事実と認めるしかない。

 最初から真剣に七瀬を向き合っていればよかったのだ。


「え、天春くん……どういうこと?」


 俺の突然の話に混乱する七瀬、自分でもこれがいきなりの話であることは自覚している。

 これは俺が中々決断できずにそれを先延ばしにしていた結果だ、そうするべきだったのならもっと早くにそういう雰囲気を作り始めなければいけなかったということは分かっている。

 しかし進んだ時は戻ることはない。無理矢理にでも終わらせなければいけない。


 不幸中の幸いと言うべきか俺が決断した頃にはもう行動を起こす時間はなかったが、それでも考えるだけの時間は残っていた。

 だからこうして七瀬が俺に理由を聞き返してくることも分かっていて、その答えも用意している。

 用意していたを言う、最後になるだろうその痛みの覚悟は出来ている。

 それが俺が感じた中で一番の苦痛になるだろうことも理解している。


「……ただの遊びだったんだよ、今まで告白してデートしてっていうのはさ。七瀬を騙してどこまで付き合ってくれるかっていう賭けをやってたんだよ、暇だったからな」


 俺は罪悪感で心が引き裂かれる痛みを味わいながらを言った、これで仕上げが完了する。

 用意していたは七瀬に出来るだけ愛想をつかされるように言葉を選んだつもりだった。言った後、俺はあることに気付きどこかおかしく思う。

 告白して、デートして、七瀬がどこまで付き合うかを試す。

 そんなのは俺が実際に七瀬に対してやった事だった。最初から言葉を選ぶ必要などなく、事実を伝えればよかったのだ。

 笑うしかない、俺は飾るまでもないクソ野郎だったのだから。


「だけどそれも飽きた、だからこれで別れようって話になるわけだ。納得したか、七瀬」


「――――」


 電話越しから七瀬が声を失っているのが分かる。

 既に俺は自分の内心を分析することはできなかった。

 何処かで笑いたくなっている自分がいて、泣きたくなっている自分がいて、怒らずにはいられない自分がごちゃ混ぜになっている。

 感情の渦に体が耐えきれないのか今にも吐きそうだった。胃の中がぐるぐるとかき回されているかのようで気持ちが悪い。


 だがここでそれに屈するわけにはいかない、最後までやりきらなければ意味がない。

 最初からクソ野郎だったならば最後までクソ野郎を貫き通さなければならないだろう、それすらも出来ないのであれば本当に救いようのクズだ。

 第一、俺という男はクソ野郎なのだからそれを気にするなんておかしい。良心などが残ってるのならこのまま潰れて消えてしまえばいい。

 そして七瀬という人間を知っている者にこの事が広まれば俺が守ってきた周囲に対してのイメージが壊れ、評判が地に落ちるだろう。それももう関係はない。

 どうせ死ぬのだから、どんなに傷ついたとしても関係がない。これで終わるのだから。


「…………」


 その沈黙はどちらでもない両方のものだ。

 俺は受話器に耳をすませ、七瀬が何も言ってこないことを確認すると通話を切る。そしてそのまま携帯の電源を落とした。


 これならば流石の七瀬も俺に怒り、憎んで自分を責めることはしないはずだ。

 問題は七瀬がそれで人間不信になってしまう可能性があるということだが、それも俺のようなクソ野郎に本気で好きになることなどありえないだろう。

 七瀬は犬に噛まれたと思って忘れるに違いない。……そうでないと困る。


 深く息を吐くと、どっと疲れが押し寄せてくるのが分かる。

 だが同時に俺の中に安堵するような気持ちも生まれる、全て終わったからだろうか。

 そのまま俺は身を投げ出すようにベッドに倒れ込み、横になる。

 後は終わるその時まで惰眠を貪ればいいだけだ、とそう思い実行しようとしたその時だった。


「本当にそれでいいんですか?」


 ――何時からいたのだろうか、そいつは俺の側に立っていた。俺を見下ろす天使がいた。

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