第4話:Bパート

 あの後泣きはらした七瀬を一人帰す訳にもいかず、俺は七瀬を家へと送り届けることにした。

 最初、それを七瀬は遠慮したが俺が退くつもりがなことを悟ると了承してくれた。

 そして俺は七瀬を家に送り届けた。その別れ際、七瀬は俺に向かって声をかける。


「色々、その今日はごめんね。恥ずかしいところいっぱい見せちゃった」


 そう困ったように笑いながら言う七瀬、その顔は赤い。

 自分で思い返して相当、恥ずかしい姿を見せてしまったと思っているようだ。

 それでも言葉が言いよどむことはない、恥ずかしさよりも伝えたい事が勝っているのだろう。


「本当にありがとう、天春くん。また、あした」


 七瀬は俺にまっすぐに微笑んでそう言った。

 精一杯の気持ちを伝えようと七瀬は俺にまっすぐに俺に向き合ってくる。

 俺はそれに「また、あした」とオウムように返すことしかできなかった。



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 俺は七瀬と別れて帰路についた。

 判定機が反応した以上、試練は終わった。

 この先の試練の可能性があるとはいえ目下の問題が解消されたのにもかかわらず、家路を歩く俺の足取りは重い。

 気を抜けば立ち止まってしまい、もう歩けなくなるのではないかと思うほどに。


 そうして俺が歩いていると、どこかで見たことのある人物が視界に入る。

 辺りは暗く、街灯も心もとないため詳しくは分からない、だが俺はそれに不吉なものを感じた。

 その人物はこちらに手を上げて駆け寄ってくるため、ようやく判別がつく。それは約一日ぶりであろう天使その人だった。

 駆け寄ってくる天使の表情は俺の内心とは全くの逆位置にあるであろう、悩み一つない笑顔。


「いやー、やりましたね! 天春くん、試練達成ですよ! おめでとうございます!」


 そう天使は俺を労ってくるが今の俺に天使に構っている余裕などなかった。

 天使に向かって何を返すわけでもなく、俺は素通りしようとする。

 だが天使はそんな俺を意にも介さずに隣を歩いて訝しげに尋ねてくる。


「おや、なのに随分と浮かない顔をしてますね。どうしました? 天春くん」

「うるせえよ」


 俺は尋ねてきた天使にそれだけ言って話を打ち切ろうとする。

 何も話したくはない。こいつだけに限ったことじゃなく、今日はもう誰とも話したくはなかった。

 しかしそれでも天使は諦めずに俺に話しかけてこようとする。

 それを俺は鬱陶しいと怒鳴って黙らせようかと思ったが、それを実行するよりも先に天使の口から出てきたその言葉によってそれは中断される。


「つれないですね、天春くん。そろそろ本気になっちゃいました?」


 本気になっちゃいました? というその言葉を聞いた瞬間、俺は心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。

 俺は天使にそれを悟られないように少し呼吸を整えながら答えを考える。

 もしもそれを天使に悟られてしまえば完全に俺自身が行き詰まってしまう、その予感があった。

 可能な限り俺はいつも通りに、この天使に当たり前のように返答することに努力する。


「なに言ってんだよ、お前……俺はこのクソみたいな試練にずっと本気で付き合ってんだろ」


 そして俺はやっとの思いでそう返す事が出来たが、天使に対してそれは意味を成さなかった。

 天使は溜息混じりに俺の言葉を否定し、そしてそれを言う。破滅の予感がする。


「ああ、そっちじゃなくてですね……って、わざわざ言わなくても気づいていてますよね?」

「ッ!!」


 その瞬間、俺は本気で天使に向かって拳を振り抜く。今まで振るってきたものとは違う、本気の一撃だ。

 これは何かを考えてのことではなく、さながら反射のようなものだった。まるで超えてはいけない一線に対しての防衛本能に基づくような。

 しかしそれは空を切ることになる。拳を振るった先に天使の姿はなかった。


「危ないですね、天春くん。 暴力はいけませんよ!」


 そして。俺の背後から聞こえてくる天使の声。それは俺がいつも制裁を振るった時に言ってくるそれと同じトーンだった。

 いつもと同じだっただからだろうか、俺に少しだけ自分を見つめ直す余裕が生まれる。

 俺は反射的に殴りたくなる欲求を抑えて、吐き捨てるように言う。


「……お前、ふざけるなよ」

「天春くんから見てどうだったかは分からないですが、私はふざけてませんよ。本気です」


 いつもと同じ調子で答えるクソ天使。

 全くふざけた奴だと思う。だが本気と言ったのならば俺はそれを問わずにはいられなかった。


「お前は……こうなるってこと分かっていたのか」


 俺は天使に向かって確認の意味を込めて問う、もう俺は自分の中にあるを誤魔化すことは出来なくなっている。

 もうの答えに気づいてしまったし、それに天使に目を逸らさないように自覚させられてしまった。

 そもそもいつまでも誤魔化す事自体無理がある。


 の正体は七瀬の想いを弄ぶことのへの罪悪感だ。

 一歩、七瀬に踏み込む度にそれを感じていた。

 だが、仕方がないからと言って気づかないようにしていたのがだった。

 その結果が今の俺だ。俺は七瀬への罪悪感で押しつぶされつつある。

 罪の意識が胸を締め上げ、死にたくなる。とても苦しく、とても辛いものだ。


 だから俺が確認しようと思ったのはどうしようもない“それ”のやり場を求めてのことだった。

 これを天使がはじめから仕組んでいたのならば、まだ俺は救いようがある。


「私には今の天春くんがどんな気持ちなのかは分かりませんし、状況がどう変わっていくかについても分かりませんでしたよ」


 しかし、そんな俺のことなど知るかとばかりに天使は答えた。それもいつもと同じ、こいつは俺の状況など考えない言葉。 

 そして天使は遠慮などはなく、ただそうだと事実を告げるようにそれを言う。


「ですからこれは天春くんが選択した結果です」


 そう断言する天使、全ては俺の選択の結果だと。

 七瀬を巻き込み、七瀬の秘密を暴き立て、七瀬の大切な部分へ土足で上がり込み、そして七瀬の宝物を盗み見たのは俺のせいだと。

 当然、俺は納得することなど出来ない――それにもとより納得する気もない。


 だから俺はその不満を天使に向かってぶちまける、お前が悪いと。

 おそらく傍から見れば恥も外聞もないだろうが俺にそれを気にする余裕はなかった。


「なにが選択した結果だ、俺はお前に脅迫されてただけだ! 俺に選択肢なんてなかった!」

「そうですね、それはそうだったかも知れません」


 天使は涼しい顔でそうせざるを得なかったことを肯定した。

 それを確認できた事により、そうせざるを得なかったからそうしてしまったと俺の中で逃げ道が見つかる。僅かながら罪悪感が和らぐ。

 しかしそれも一瞬の事だった、天使が次の言葉を続けるまでの間。

 そして天使はそれを言った、俺にとって完膚なきまでに逃げ場のない言葉を。


「ですがそれにかについては強制してはいませんよ、私は」


 嫌々ながら始めたのは、嫌々ながら七瀬と付き合うことに決めたのは俺だと天使は告げる。

 確かにそう決めたのは俺である。七瀬と付き合うことを決めたことなんてただその可能性が高そうだからという打算でしかなかったのはどうしようもない事実だ。

 だがそれでも俺は言わざるを得ない、それは詭弁だと。

 こんな無理やり命をかけられるような状況でそれでも前向きに向き合える奴なんている訳がないと。


「……そんなのはただの詭弁だ、俺に悪いところなんてない」


 俺はそれを天使に向かって告げた。

 だが俺の耳に届いたその言葉は本当に自分が言ったのか疑わしくなるほど弱々しいものだった。

 それを聞いた天使は少し考えてから――笑顔を俺に向ける。俺はとても嫌な予感がした。


「でしたらで良いじゃないですか? 天春くんが何故そんな顔をしているのか私には分かりませんが、で納得出来るのなら」

「………クソッ!」


 悪くないのなら、本気でそう思えるのならこの罪悪感を放り出してもいいと天使は言う。この罪悪感は天使の与り知らないものであり、俺が勝手に感じているものなのだから、とも。

 だが俺がそうしようとも既に逃げ道はすべて塞がれており、どこにも見つかりはしない。一体どこへこの罪悪感を押し付ければいいのだろう。

 それでも、と俺は自分は悪くないと棚上げしようと逃避を試みるが無駄なことだった。

 俺にそんなことが最初から出来るのならばこうして罪悪感に苦しんでいないだろう。

 だから俺は自分の罪と否応なしに向き合わざるを得ない、自分が招いた逃れることの出来ない罪に。


「天春くんがいま何かに苦しんでいるとしたらそれは天春くん自身の問題です。たとえそれが主から課された試練が始まりだったとしても、です。」


 念押しするように天使は俺に言ってくる。

 逃げ場を失った俺は天使に何も言えなかった、何かを言い返すべきだと思うのに言葉が出てこない。

 先日までなら、受け流していただろう言葉が重くのしかかってくる。


「それにはじめに試練を言い渡した時と二つ目の試練を言い渡した時に言ったじゃないですか。そもそもこれは天春くんの問題だって」

「この……クソ天使が」


 天使が二度目の余計な念押しをすることによって俺はやっと不平不満を吐き出す事が出来た。

 だがそれ以上、俺の言葉が続くことはなかった。言うべきことが、言わなければならない言葉が見つからないからだ。


「他になにか私に言いたいことは……どうやらないようですね。これでようやく本題に入れます」


 天使は俺に続く言葉がないと確認してからそう言った。

 本題という言葉に俺は不穏なものを感じる、もう俺にとしては十分過ぎる話はしているはずだ。これ以上になにが必要なのだろうか。

 そう考えていることが顔に出ていたのだろうか、天使は困ったような顔をしてから本題を切り出してくる。


「もう、天春くん。とぼけたりしなくていいんですよ! 次の試練です!」

「……次の試練?」


 俺は天使の言葉をオウム返ししていた。

 わざわざ聞き返すほど難しい話ではないのに俺はそうした、そうせざるを得なかった。その言葉を理解したくなかったからだ。

 既に俺は限界を迎えている、これ以上俺に何をさせようと思うのか。考えたくもなかった。


「そうです、次の試練ですよ! まさかこれで終わったとは思ってませんよね!」


 しかし天使はそれを許さない、俺に次を要求してくる。

 もう俺に試練をやり過ごして天使への逆襲のチャンスを虎視眈々と狙う気力はなくなっていた。

 そして試練をやり過ごす、などと考えていた俺を思い出してますます自分自身を許せなくなる。

 俺はどこまで七瀬という人間を馬鹿にしていたのだろうか。どれだけ酷い真似をしていたのだろうか。

 クソ野郎以外の何物でもない、本物のクソは俺だ。


 自分を許せないと思う俺と、逃げ出したいと思う自分がせめぎ合う。

 だからかなりの気力を振り絞ることでようやくその言葉を吐き出すことが出来た。


「……まだやらなくちゃいけないのか?」


 不平不満の意味ではなく、懇願するかのような思いで口にした言葉だった。

 死にたくないという気持ちは当然ある、しかしそれを口にした時の感情はそれ以外のものによるものだ。

 それは俺は純粋にこの試練を続けたくはないというものであり、七瀬を関わらせたくはないというものだった。


「それを決めるのは天春くんです。生きたいと思うのならば試練に挑まなくてはいけません、死にたいのであれば挑まなくて結構ですよ」


 だが天使はきっぱりとそう言い切る。

 生きたければ試練をやるしかない、やりたくなければ死ぬしかない。その二択しかあり得ない、と。

 何を言っても覆らないことは決まっている、今更それを覆すのならここまで俺に試練をやらせないだろう。

 だから俺は何も言う言葉がなかった、ただ黙っていることしか出来ない。


「言いたいことがそれだけなら、遠慮なく読み上げさせていただきます」


 そして天使は小さく咳払いして厳かにそれを読み上げる。


『一週間後の十七時までに彼女と共にあり続けることを決められなければ――天春士郎は死ぬ運命にあり』


 ――これが新たな試練。俺の次のタイムリミット、目標。

 試練が始まった時の、三日前の時点での俺だったのならば簡単だったと思うのだろう。

 しかし、今の俺にとっては最悪の試練そのものだった。

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