第1話:Bパート

 自分を天使だという、女の言葉に俺はまず困惑した。天使? この女は何を言っているのだろうか。

 試験の疲れが予想以上に俺の中にあったらしい。それほど根を詰めたつもりもないだがこんな幻覚、幻聴を体験することになるとは。

 とりあえず引き返して、玄関ドアを閉めて深呼吸。精神を落ち着かせ、表札をきちんと確認する。

 表札の名前は天春士郎。やはり間違いなく俺の部屋である。

 これで大丈夫だろう。客観的に状況を観察し、冷静になっていれば幻覚を見ることはあるまい。

 そう俺は判断してもう一度、目の前のドアを開ける。


「あ、どうしたんですか? 天春くん。ドアを開けたり閉めたりして、行儀が悪いですよ!」


 しかしそんな俺の行動は無駄だったようだ、自称天使の女は俺の部屋に居座り続けている。

 しかも不法侵入している自分を棚上げして、俺に行儀などを説く始末である。


「お前、一体何なんだ? 不法侵入だぞ」

「さっき天使って言ったじゃないですか、天春くん。それに犯罪者呼ばわりとは随分ですね」

「いや、呼ばわりじゃなくて実際犯罪者だからな?」

「いやいや、これは全然問題ありませんから! 主的には許容範囲内、つまりはセーフです!」


 などと俺の指摘に対して訳の分からない自分ルールで返してくる自称天使。

 明らかに話が通じない存在であり、こうやって狂人が家に押し入り悲惨な事件が起きたりするのだろう。

 今のところはこちらに危害を加えてくる様子はない。ここは物理的距離をとり然るべき法的機関に対処を委ねるのが最善だろう。

 しかし外で掃除していた清水さんはこいつの侵入に気づかなかったのだろうかという疑問も同時に思い浮かんでくる。


「おおっと、いけません。早く本題に入らなければ……天春くん、それで話なのですが――」


 自称天使が話を始めようとしたところ、俺はもう一度外へ出ようとする。

 俺は目の前の自称天使に悟られまいと一歩後ろへ下がるだけだった、しかし下がった俺の背中に硬い感触がぶつかる。

 いつの間にか扉が閉まっていた。それどころか気づけば半身は外へ出ていたはずの俺の体も何故か玄関で立ち尽くしている状態である。この不可解な現象に俺は困惑する。

 しかし、俺はそれを追求するよりも先に外に出る事を試みる。だがドアは何故か開かない。

 鍵を確認する、鍵はかかってない。それなのにどれほど力を入れてもドアが開く様子はない、何が起こっている。


「今回、あなたにビッグでグレートなチャンスが与えられました!」

「おい、待て」


 前には自称天使、後ろには何故か開くことの出来ないドア。

 こうなれば俺に出来ることは自称天使に問いかけることしか出来なかった、直接的な行動はリスクが大きすぎるとの判断だ。

 しかし、この自称天使は俺の待て、という言葉を無視して胡散臭い広告のような台詞を続けてくる。


「冴えないあなたも今回のプロジェクトに参加すればあら不思議! 今までの灰色の日々とさようなら!」

「待てって言ってんだろ! おい、人の話聞け!」

「さあ、この話を逃す手は――ってもうなんですか、人の話の腰を折って! 人の話は最後まで聞きましょうと教わらなかったのですか!」


 怒鳴りつけるように話をさえぎってようやく自称天使はこちらへと注意を向けてきた。

 もちろんただではなく、説教付きである。

 目の前のこの自称天使がなんらかの手段でこのような状況を引き起こしてる。


「お前、俺に何をした? 後、ドアが開かないのもお前のせいか」

「そうですね、そうしないと天春くん。私の話聞こうともしませんし」

「なにやったんだ」

「こう、空間をちょちょいといじって閉じちゃいました」


 なにやら両手の人差し指を使ってジェスチャーをしながら答えてくる自称天使。

 その動作がこの自称天使のちょちょいという感覚の表示なのだろうがこちらとしては意味がわからない。

 これでわかったのはこの自称天使がなんらかの手段を使って俺を監禁していることだけだ。

 次に俺が取るべきことは一つ、外から助けを呼ぶことである。速やかに携帯電話を取り出して警察へと電話をかける。

 すると程なくして呼び出し音が途切れ、繋がる。


「もしもし。警察ですか? いま、家に不審者が上がり込んでいて――」


 繋がった先にまず事態をわかりやすく告げる、次に詳細な情報で補足しようとする。

 既に警察にする話の内容は組み立て済みである、あとはそれにそって話すだけだった。

 しかしそれも無駄な努力になってしまう。何故ならば繋がった先は警察ではなかったのだから。


「はい! こちら天使です! 目の前の彼女は極めて善良であり、あなたの助けになってくれるでしょう。なのでご安心ください!」


 という女の声が何故か携帯電話から聞こえてくる、またそれとは別に肉声が近くからも同じ言葉が聞こえてくる。

 俺が自称天使の方へ視線を向けると自称天使は親指と小指以外を奇妙に握った手を自身の耳に当てていた。


「それと彼女の話をよく聞きましょう! きっとそれは天春くんにっとて素晴らしい――って、いきなり切らないでくださいよ!」


 思わず、通話を切っていた。途中までスピーカーから自称天使の声が聞こえていた辺り、本当にアレで通話をジャックしていたようだ。

 全く、ふざけた存在だ。こんな存在を相手に抵抗は無駄であると判断するしかない、これ以上はただただ時間と労力の無駄だろう。

 話を聞くだけ聞いて速やかにお帰り願うことに決めた、完全に投げやりな態度ではあると思うがこんな理不尽を前にしてどう対処しろというのだろう。


「……で、俺に話って何だよ。」

「ようやく、こちらの話を聞いてくださる姿勢になりましたね! 良いでしょう、心の広い天使である私は許します。感謝してくださいね!」


 こちらに厚かましく要求してくる、天使を自称する女。こいつへの対応を変える必要がある。

 その態度は世間一般的なイメージとは離れているが、この既に何らかの超常現象を引き起こしていると思われるためその力は間違いなく本物だろう。

 俺はこいつの正体が何であれ、自身の紹介に則って天使と呼ぶことに決めた。下手に意地を張ると面倒な事が起きるかもしれないからだ。

 しかし。天使に対しては下手な考えは無意味だと実感済み、下手な考えは無意味だとはいえ――せめて精神的には楽になりたい、自分にとって自然な状態で対応するのがベストだろう。


「うるせぇ、さっさと話せって言ってんだよ」


 するとこのような態度になってしまうのは仕方のないことだと思う。こちらとしてはさっさと帰ってほしいのだから当然である。


「なんという暴言! よくありませんよ、そういう言葉遣いは。ほら、私の牛乳飲んでカルシウム取りましょう!」

「人の冷蔵庫勝手に開けんな! 後、それ俺の牛乳だからな!」

「あぁ……嘆かわしい」


 勝手に人の冷蔵庫から牛乳を取り出して勝手なことをほざいてくるこいつの精神はどうなってるのだろうか。

 完全に自分が正しいかのように振る舞っているあたりサイコパスなのだろうか。

 このまま続けると俺の精神の摩耗は加速度的に激しくなるだろう、そう判断した俺は話の続きを促すことにする。


「で、話だよ。なんの話だ」

「あ、そうですね。さっさとその話をしちゃいましょう」


 続きを促された天使はすっぱりと表情と共に意識を切り替えてきた。

 こうしてすっぱりと切り替えてくる辺り、わざわざ俺の精神を煽るためにあんな真似をして来たのだろうか。

 だとしたら大したものである。間違いなく人を苛つかせる天才だ。


 天使はこほんと演技っぽく咳をして本題へと入る雰囲気を演出する。

 そして最初に天使が口にした言葉はあまりに唐突なものだった。


「ではまず天春くん。あなたは明日の十七時に死にます」

「は?」


 聞き流せない言葉だった。俺が死ぬ?明日の十七時にだと。

 次の言葉は耳に入らない、思わず俺は話を遮る。


「いやいやいや、おい、ちょっと待て。こら」


 何しろ死亡予告、というよりも俺の感覚としては殺害予告である。

 それがどういった手段によって引き起こされるのかは不明だが、この天使はそれを実行できる能力があることは証明されてしまっている。

 遮られた天使は不服そうな表情をしてくるが関係ない、俺としては無視はできない話なのだから。


「何でしょう、これからサクサクっと説明しようと思ってたのに」

「死ぬと言われて聞き流せるか! 何で俺が死ぬことになってんだよ! 説明しろ!」

「えー、もう、仕方ないありませんねー」


 こちらの当然の説明要求に対して天使も必要があると判断したのだろう。

 天使は説明を一旦止めて、こちらへ俺が死ぬことについての説明を始めようとする。

 なおその態度は実に渋々と言った態度で俺としては非常に腹ただしいものだった。


「どうせ運命だからと言っても納得しないと思うので、なんでそういう運命になったか説明しましょう」


 聞き分けない子供に言い聞かせるような口調でそんな事を言ってくる

 その態度はまたも俺の神経を逆撫でてくるものである。

 しかし天使はそんな俺のささくれ立った精神をリセットしてしまう。


「天春くん、あなた。人付き合いが嫌いですね。というよりも人間が嫌いなんでしょう」


 その言葉に思わず俺は固まってしまう。

 今日までそれを他人に悟られないよう努力してきた、それなのに今日始めて会ったこいつにそれを見透かされしまった。

 その事実に対し俺は驚きを隠すことはできない、言葉を失ってしまう。


「そんな人間嫌いでどうしようもない天春くんはこれをなんとかしない限りこの先の人生で誰かを愛することは無いでしょう!」

「おい」


 だがそれも一瞬のことだった。

 続ける言葉は実に身勝手で失礼極まりない未来予想、これには俺も思わず反応せざるを得なかった。

 こいつはなにを勝手なことを言っているんだ。


「なので主的にはそんな人間は要りません! 愛なき人間に生きる価値なし!」

「おい、待て」


 そして締めくくられる天使の言葉、実にふざけた結論であった。なんなんだその話は。

 そんな判断を勝手に下された俺の奥からは怒りの感情が溢れてくるのも当然のことだろう。


「ということで天春くんの死の運命にはこんな背景があったわけです! どうですか、納得しましたか?」


 勿論、納得できる話ではないしこんな理屈で自分が死ぬことに関して納得できるやつはいないだろう。

 俺は全力でその結論に対し抗議を行う。


「するわけねぇだろ、クソ天使! なんなんだその理屈!」

「やめてください! たかだが人間が主の御意志を理解しようなどとは主への冒涜です! なのでその手の質問とかは受け付けません!」


 しかしクソ天使は無理やり俺の不満を黙殺しようとする。

 だが俺としても自分の預かり知らぬところかつ身勝手な理屈で存在価値を判断されているのだからたまったものではない。


 俺は天使に向かって睨みつける、すると何を思ったか天使笑みを浮かべだす。非常に不愉快な表情だ。何だその分かってますからという顔は。

 そして天使はこの瞬間を待っていたと言わんばかりに懐から手紙を取り出して、俺に向かって突きつけてくる。

 満面の笑みだった、こいつは何がそんなに楽しいのだろう。


「でもご安心ください! 主がお与えになられたこちらの試練さえクリアすれば死なないんですから!」


 ――以上が俺が神のメッセージカードを受け取った経緯である。まったく、ふざけた話だ。

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