番外編 ロッディ美形伝説

「ネコを捕まえます」


 軍師殿は、いきなりのたもうた。

「ネコ?」

 ジルの問いかけに、エリクシルはこくんとうなづく。

「この先にあるお屋敷の飼い猫が、タンスの上から降りて来なくなったそうなので、それを捕まえて降ろします」

 ジルは少しの間考えて、言った。

「……それは、傭兵団の仕事なのか?」

 エリクシルの返答は、はっきりしたものだった。


「お金がいいんです」


「……わかった。協力しよう」

 この傭兵団に厄介になって、一ヶ月。早くもジルは毎月の給金が保証されていたわが身がどんなにありがたかったか、身に染みてわかるようになり始めていた。

 ――なのに。

「俺は行かんぞ!」

 自分の立場をいまだ弁えぬ我が友人は、腕を組んでふんぞり返りながら、いつもの調子でそう言った。

「わかった、わかった」

 軍から一時離れているとはいえ、ジルの仕事がこの世間知らずのお坊ちゃまの面倒を見ることに変わりはない。――そもそも。

「ええ。騒がしすぎるあなたに、こんな仕事は向きません。最初から期待していないので、お気遣いなく。セレネと一緒にお留守番していて下さい」

「……」

 軍師殿の言うとおり、期待してない。それでも、強く誘われずにあからさまにがっかりした様子の相棒を放っておくことなどできない。「まあまあ」とジルは言った。

「お前が出るまでもない。まあ、セレネ君の淹れてくれたお茶でも飲みながら、待っていてくれ」

 ジルとしては、セレネに好意を抱き始めている友人に気をきかせたつもりだったのだが、意外なことにケイトは飛び上がった。

「な、何を言う! 王女殿下にそんなことをさせられるものか! 俺が淹れる!」

 まだセレネが王女と決まったわけではない。

 それに、彼はお茶など淹れたことがない。

 きっぱりと、ジルは言った。

「やめておけ。まずいに決まっている」

 これ以上慰めようもない。友人の肩をぽんと叩いて、ジルはエリクシルとともに部屋を出た。


 さて、問題の依頼だが、少し珍しい組み合わせとなった。

 まず、依頼をとってきたエリクシル。ジル。そして、ロッディの末の弟のフェルマークである。ちなみに彼の兄二人とアーウィリドは別の仕事。クレスは教会。そしてクレイグは、いつもの通り酒場。いつもはフェルマークの仕事はクレイグが酔いつぶれ次第、連絡に走ることなのだが、たまには自分も依頼のお手伝いをしてみたいとのことで、ついてきたのだ。

「大きなお屋敷だねえ」

 フェルマークが、辺りを見回しながら感心したように言った。

「ねえ、ジルさんとケイトさんのお屋敷もおっきい?」

 どうやら、仕事の手伝いがしたいというのは言い訳で、彼は王都の騎士様の私生活に興味があるらしい。子どもらしい無邪気な好奇心に思わず笑顔を浮かべながらも、ちょっといじわるしたい気持ちになって、ジルはこう言った。

「さあ。どうだろうな」

「えーっ。教えてよ!」

「フェル、お屋敷の中では静かに」

 エリクシルがひとさし指を唇に押し当てる。

「ご、ごめんなさい」

 小さい子どもの方が大人で、大きい子どもの方が子どもで。

 この逆転劇が、またおかしい。

 ジルは声を立てて笑った。


「お待たせいたしました」


 聞こえてきた声に、背筋を伸ばす。


「当家の女主人にございます」

「……」

 隣にいるフェルマークの目が、大きく見開いた。こっそりと彼は耳打ちしてくる。

「すごく大きなおばさんだねえ」

 確かに、横幅だけならフェルマークが二人は入りそうだ。縦は、ジルより頭二つ分どころか、フェルマークより小さいくらいだが。

「カミラ・ボークよ」

「ポーク?」

 これはまた、体を表した名だ。

 ジルが自身の聞き間違いに気づいたのは、夫人が眉を吊り上げてからのことだった。この手のご夫人の御多分にもれず、耳は確からしい彼女は不快を露に訂正をしてくる。

「ボークよ、ボーク」

「失礼いたしました。ご夫人」

 許しを乞う気持ちをこめながら、差し出されたごつい指輪だらけの手にキスをする。足元からの、『なにやってんですか』という視線が痛い。我ながら客商売にはつくづく向かないと、ジルは思った。

「ところで、ご依頼の件ですが……」

 途端に夫人の顔色が塗り替わった。心配そのものの顔で、夫人は両手を胸の前で組んで訴える。

「そうよ! あたしのかわいい、エンジェルちゃん!」

「エンジェル……」

 今度は聞きまちがいではない。ジルは早くも嫌な予感がしてきた。

 ふと、後ろにいる執事に目をやる。そういえば、顏中にいくつか細いひっかき傷が見えるような。

「エンジェル様はこちらです。ご案内いたしましょう」


 三人が案内された部屋は二階。ちょうど、応接室の上にある部屋だった。

 ここは、『エンジェル様』専用のお部屋らしい。フェルマークが目を丸くして、呟いた。

「すごい贅沢なネコちゃんだね。ぼく、傭兵団に入るまで一人部屋なんか持ったことなかった」

 俺も同じだ、とはジルは言わなかった。

「どうぞ」

 執事殿はやはり部屋には入って来なかった。

 ばたんと閉まってしまったドアを心細い気持ちで見たあと、ジルはタンスを見上げる。


 そこに、『エンジェル』はいた。


「うわー……。かわいいけど、かわいくない……」

 妙な感想だが、合ってるとジルは思った。

 体型はジルの予想に反して女主人とは真逆だが、ふっくらした体は柔らかそうで、毎日丁寧にブラッシングされているのだろう、毛並みはつやつやだった。そして、意外なことに不細工でもない。――だが。


「フーッ!」


 完全にご機嫌が悪い。

 何をされたのか、それとも、単に気に入らないことがあったのか。

 いずれにせよ、なだめないことには、降ろすことはおろか、触ることもさせてくれそうにない。


「では、まずぼくが」


 軍師殿が進み出た。猫と見つめ合う。

 ――そして。


「ゴロニャーン」


「……」

「ニャゴ、ニャゴニャゴ、ニャゴ」

(それは……猫語なのか?)

 エンジェルを見上げる。意外なことに、エリクシルを見ている。――そして。


「フアーゴ」


 欠伸一つののち、後ろ足で頭をかき始めた。

「……」

 軍師殿の後姿が、じゃっかん恥ずかしそうだ。

 うん。騎士の情けだ。見なかったことにする。

 ジルは思った。


「じゃあ、次はぼくね!」

 フェルマークが取り出したのは、小さなねずみのぬいぐるみがついた玩具だ。多分、この部屋にあったものだろう。


「猫ちゃーん、降りといでー」

 フェルマークの手の動きに合わせて、ねずみがふりふり。猫のおしりも、ふりふり。

(おっ、いけるか?)


 ――ばしっ。


 バカにすんじゃないよといわんばかりの猫パンチが炸裂した。

 棒の先にくっついていたねずみの頭が、哀れ、飛んでいく。


「……」

 一旦、休戦を申し出ることにする。

「どうする?」

「どうしよう」

 こちらが責めあぐねている間、敵大将、余裕の毛づくろいだ。


「こうなったら……」

「ええ。仕方ありません」

 黒い軍師とジルの意見が一致した。フェルマークも、決意を固めた顔をしている。

「ジル殿! 先鋒をお願います!」

「任せろ!」

 はりきって、タンスを揺する、ジル。

「ニャ?」

 猫が大きく目を見開く。

「ニャ、ニャニャニャ!」

 こらきれなくなったのか、敵大将がタンスから降りてきた。

「フェル!」

「うん!」

 そして、猫が落ち行き先には、フェルマーク。


 勝った!


 三人は思った。――しかし。


「ニャア!」


 敵は思いもよらぬ反撃に出た。フェルマークの額を足場に、ジャンプ!


「いたっ!」

「フェル!」

 そして、エリクシルの後頭部に攻撃。

「あたっ!」

「こら! 待て!」

 とどめに、ジルの顔を引っ掻いた。

「いたたた……」

 うめくジルを尻目に、猫は再びタンスの上へ。


 ふっ! 愚民どもが!!


 勝ち誇ったように、猫は悔しがる三人を見下ろしている。しかも、汚れた手足を綺麗になめなめするという余裕つきだ。

(猫のくせに、生意気な)

(かわいくない!)

(捕まえて、こづき回してやりたい)

 三人が少々大人気ない、そして、物騒なことを考えていたそのとき、すぐ外からこんな声が聞こえてきた。

「ここですか?」

「ええ」

 猫の耳が、ぴんと立つ。

 がちゃりとドアが開いた。

 猫が、狙い澄ましたように飛び降りた。


「お兄ちゃん! その猫、捕まえて!」


 フェルマークの叫びに、ロッディは驚いたように呟く。

「猫?」

 多分、猫は開いたドアの隙間を狙ったつもりだったのだろう。しかし、このときは目測を誤った。猫は、女なら一度は抱かれたい(その手の趣味の持ち主なら、撫でまわしたいと思うかもしれない)と思う、ロッディの胸へと飛び込む形になった。

「おっと」

 ボールのように弾む体を、抱き止める。

「ニャッ!」

 猫の目が、自分の邪魔をした人間と合った。


「……ニャ」


 猫の動きが止まる。微妙な間をどう埋めていいかわからないロッディは、とりあえず微笑んだ。


「にゃあ~❤」


 猫の瞳に、はっきりとハートマークが浮かび、三人に冷たい風が一陣吹いた。


「よしよし、よしよし」

 ロッディに抱かれた猫は、ゴロゴロと喉を鳴している。


 お前の美貌は、猫にまで有効なのか。


 白けた空気の中、まず言葉を発したのは、フェルマークだった。


「……仕事終わったし、ぼく、帰る」

「……そうですね」

「え? え?」

 事情の飲み込めていないロッディは、猫を抱いたまま、おろおろと出て行く二人を見守っている。ぴたりと、エリクシルが足を止めて言った。

「ロッディ。これから動物系と、女・子どもに関する依頼は、あなたにお願いすることにします」

「え? それって、ほとんど全部なんじゃ……」

「うん。ぼくからもお願い、お兄ちゃん」

「え? 何だい、お前まで。第一、この猫どうしたら……」

「この下の応接間にいるご夫人に渡してやってくれ。それで、依頼は完了だ」

 もっとも、猫とご夫人がロッディを離してくれるかどうかまでは、わからないが。


 こうして、三人の初仕事はまことに不本意な終わりを告げた。

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Tales of Algebras 第1章 幻の御子 竜堂 嵐 @crown-age2016

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