みんなのために

セレネは一人、屋上にいた。

(お養父さま……)

自分が、預けられた子だというのは知っていた。だが、子供のいない養父母はセレネをじつの娘のように可愛がってくれた。いずれは、お嫁に行くこともあったかもしれない。けれど、こんな終わりが待っていようとは思わなかった。養父を失った義母は、今ごろどうしているのだろうか。

ポケットから、ペンダントを取り出す。


「セレネ、これを」


クレスが渡そうとしているそれに、思わずたじろいだ。

「血は、綺麗に拭きとったよ。大丈夫」

受け取るのはためらいがある。

それを見つめたまま動けずにいるセレネの手を、クレスが強引に取った。

「ねえ、セレネ」

ペンダントごと自分の手を包む彼の手は温かい。

「もし君がこれを怖いと思っているなら……。これにはザンビア神官の最後の温もりが宿っていると、そう考えてくれないかな?」

「最後の……温もり?」

ペンダントにはめ込まれた宝石は、緑。そして、これをくるんだ養父の赤。

その強烈なコントラストに眩暈がしそうだ。


「血というのはね。生きていないと、流せないものだから」


そう言った彼のオレンジ色の瞳は、そのとき、確かに蔭を含んでいた。


「……」

いまセレネの手の中にある緑色の宝石には、養父が流した血はもう見る影もない。だが、彼の言うとおり、この宝石には確かに養父の温もりが宿っているような気がした。

何と言っても、幼いセレネの手を引いてくれた養父の手が最後まで握りしめていたのだから。

(お養父様……)

いつの頃からか呼ばなくなった呼び方で、語りかけてみる。


お養父様は、何を知っていらしたの?

どうして殺されてしまったの?

そして、わたしは何者なの?


突然、王女様だなんて言われてもわからない。

これから先、わたしはどうしたらいいの?


セレネは強くペンダントを握りしめた。


(お願い!! 教えて! お養父様……!)


「ここにいたのか」

ふいに、声が聞こえた。振りかえると、そこにはケイトがいた。


「探したぞ」


そう言う彼の息はわずかに弾んでいる。

(わたしのために……)

そんなに一生懸命になってくれたのかと胸をつかれるような思いがした。でも、どう答えていいかわからない。今のセレネには無言で彼から目を逸らすという、傍から見れば少し冷たい態度をとるのが精いっぱいだった。

ケイトが隣に並んだ。

「あ、えっと、その、そのだな。ジルの言ったことは気にするな。あいつは……ちょっと、あの、頭の使いすぎで今日はちょっとおかしいんだ!」

セレネはくすりと笑った。

(おかしいのは、あなたでしょう)

今夜だって、いきなり夕飯の手伝いをはりきって。はりきりすぎて、しまいにロッディに追い出されてたのに。

思い出したら、またおかしくなって。気がついたときには、セレネはくすくすと笑っていた。

「お? おお、いいぞ! その笑顔!」

笑顔が大きくなったのが、自分でもはっきりとわかった。

(ちょっと変だけど、なんだか憎めない人)

悲しみでぎゅっとなっていた心が、少しだけ綻んだ。

「……お父さまのこと」

「ん?」

「心配ですね」

「う、……うん」

一瞬弱気になったケイトだったが、次の瞬間にはもう胸を張っていた。

「だがまあ、父なら大丈夫だ!」

彼の「ふんっ」という横顔を見つめ、思う。


もし、ジルさんの言うとおり、わたしが王女さまのふりをしたら、この人のお父さまも無事に帰ってくるのかしら。


養父の最期が脳裏を過ぎった。背筋が一瞬、寒くなり、血の気が引いた。

ケイトの、端正な横顔を見る。


――みんなのためだ。


ジルの声が聞こえた。


「――少し、風が出てきましたね」

セレネは言った。

「う、うん? あ、ああ」

「戻りましょうか」

「お、おう!」

から元気を出しながら、ケイトがついてくる。まだみんなは食堂にいる。みな、固唾を飲んで、セレネの言葉を待っている。

息を一つ、吸いこんだ。

大きな声で、セレネは言った。


「わたし、王女様やります」


一瞬、場が静まり返った。

「そうか! やってくれるか!」

真っ先に喜びの声をあげたのは、ジルだった。

「ほ、本当にいいのか?」

おろおろしたケイトに、笑顔で言う。

「はい!」

アーウィリドが、彼にしては珍しいことに、にやりと笑って言った。

「よろしくな。――セレネ王女」

「やめて下さい」

くすぐったそうに笑うセレネを見ながら、ケイトは思う。

(華奢な体……。眩しい笑顔。彼女はどこを見ても、普通の少女なのに)


なぜ、彼女が。


ケイトはひっそりとこぶしを握りしめた。

ジルだけが、それをこっそりと見ていた。

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