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話を聞き終えたあと、ほっと溜息をついたのはロッディだった。
「――そうかい。ま、買い出しを先に済ませておいて良かったよ」
思わず、ずっこけそうになった。こんな話を聞いておいて、感想がそれなのか。
「だって、大事なことですから」
ジルの気持ちを汲み取ったのか、ロッディが真剣な顔で言った。
「我々は、寡兵なのです。これからとる道がどうであれ、行く手を阻む強敵よりも、求めた援助をためらう第三者の方に、より注意を払わなければなりません」
ジルは、心のどこかで事態を楽観視していた自分に気づいた。そして、同時に慄いた。
これが、闘い。傭兵たちの、生きるための闘い。
兵の戦とは、また話が違うのだ。
「――で、リッド。エリー」
ロッディが、エリクシルに目を向けた。
「わたしたちは、これからどうする? いや、どうしたい?」
エリクシルは、すぐには答えなかった。ややって、彼は言った。
「――ぼくの考えたことに、基本、変更はありません。――ただ」
エリクシルの赤い瞳が、ジルとケイトを見た。
「いくつか、お二人に確かめておきたいことがあるのです」
「確かめたいこと?」
ケイトが呻くように答える。
「……なんだ?」
「あなた方は、本当はどういう命令を受けて、ぼくたちの元に現れたのでしょう」
「……は?」
質問の意図を計りかねたケイトに、畳み掛けるようにエリクシルは言った。
「あなた方が、敵か味方か。この場ではっきりさせておきたいのです」
今度は、ジルが呻くはめとなった。
「さっきも言った通り、ぼくの基本方針に変更はありません。アーウィリドを、ガルディアンに渡したくない。これは、ぼくのみならず、傭兵団みんなの気持ちでもあります。しかし、ぼくは軍師です。軍師として、ぼくは勝ち目のない戦にみなを挑ませるわけにはいかない。できるだけ正確な情報が欲しい。特に、悪い方の情報が。しかし、それは当然、あなた方に、それまでの味方を裏切らせることになる」
「……」
「ですからいま、お二人の率直な気持ちを聞いておきたいのです」
聞いてどうするつもりだ。――とは、聞かなかった。
エリクシル自身が言ったとおり、彼の基本方針に変更はない。
リッドを守る。
そのためなら、あの小さな手をこの場で汚すことも、きっと彼は厭わない。
ジルは、腹を括った。
「……何が聞きたい?」
「ジル!」
「俺の知っている限りのことで良ければ、俺が話そう」
だから、ケイトには。
みなまで言わずとも、エリクシルはわかってくれたようだった。
「わかりました。では、ジル殿。まずは、我々が置かれている状況から整理をしましょう。そもそも、あなたがたはどういう命令を受けたのでしょう?」
「最初に言ったとおりだ。レグルス傭兵団団長、レグルス・フォスの息子、アーウィリドを連れて来い。理由は、ガルディアンがセディ殿の即位を後押しする理由がそれだから」
「ジル!」
ケイトの抗議に構わず、二人は話を続ける。
「理由は?」
「聞かなかった。その必要もないと思った」
「わかりました」
眼光鋭くなったエリクシルの次の質問は。
「ジル殿。あなたはそれを、正式な命令だと感じましたか?」
なかなか鋭いものだった。
ジルは一旦沈黙し、ケイトを見た。ひどく、不安そうな顔をしている。ジルは目を伏せ、彼の顔を見ないようにした。
「――命令が正式であるかどうかの判断を下すのは、小官の仕事ではない。――だが、正式な召喚状もなしにというのは、多少、違和感を感じた。こいつと二人きりというのもな」
「つまり、不自然だとは思ったが、引き受けたというわけですね」
「不自然ではあったが、不当だとは思わなかったのでな」
二人の間に、静かに火花が散る。周りにいる連中も、一切言葉を発しない。
先に矛をおさめたのは、エリクシルだった。
「わかりました」
ロッディがほっと肩を下ろすのが見えた。
「では次に、いまの王室内の状況です」
「さすがに、そこまで詳しいことは俺にはわからん」
ジルは本気で困って言ったが、エリクシルの返答は意外なものだった。
「ここで最初の質問に戻ります。ぼくが聞きたいのは、お二人はつまるところ、セディ殿か、ペルダン公爵か。どちらに王冠が渡った方が国のためになると考えているのか、というところなんです」
ジルは目をぱちくりさせ、次に呻くように言った。
「正直、どっちも微妙だ」
「は? 何だ、そりゃ」
「そもそも、今回の王位継承問題は、王の御子以前に、四公同士の争いにある。そして、その発端となったのは……」
かなり気まずい。そう思いながら、ジルはクレイグに目を向けた。
「モールの、デューダルシュ侵攻だ」
モール。宗主国デューダルシュの北西に位置する、プーペたちの国家である。今から百年ほど前の帝国暦五〇九年サリ(三月)の月二十日。突如としてモール軍が国境線であるレテ川を越えてやって来た。デューダルシュの民、特に、貴族たちはあわてた。幾度かの小競り合いはあったものの、百万規模の侵攻は、帝国始まって以来初めてのこと。まして、戦闘民族と名高い民族の来襲である。しかも、平和を享受し続けてき政治家たちは、戦争の仕方も知らなかった。兵たちは善戦したものの、戦況は日に日に悪化の一途を辿った。あわてた貴族院たちは、兵を広く募った。彼らに勝ったら、いや、勝つまではいかなくても追い払ってくれたら、褒美は思いのままにとらせよう……。
そして、シムチエール建国のために八人の英雄を率いるアル・ベールが立つ。
彼は、モールからデューダルシュを守る代わりに、国が欲しいと言ったのだ。
プルミエ、プーペ、ユマン。人種に関わらず、誰もが暮らせる国を。
望みは叶えられた。そしてその瞬間、シムチエールは常に大きな問題を抱え続けることを宿命づけられたのである。
ローシレイ一世に与えられた土地は、さる地主貴族たちが治めていた土地をいくつか丸ごとという何とも荒っぽいものだった。彼らは宗主国デューダルシュのお墨付きをもらってその土地を治めていた、いわば『国王』たちなのだが、戦争が起こったために、それまで自分たちのものだった土地を、勝手に国土として提供すると言われたわけである。
これに対するデューダルシュの言い分は『帝国の一大事に駆けつけもしなかった地方領主たちの土地など、召し上げられても当然』という、一見正当なものだったが、そんな理屈が通るはずもない。一方、シムチエール建国のために戦い抜いた、十二英雄たちの中でも意見が割れ始めていた。建国の条件を吞んだのはデューダルシュなのだから、当然、デューダルシュ国内の領地を割譲すべきだ。いや、それより双方の間にデューダルシュが入って、解決を……。
いずれにしろ、デューダルシュの『土地は与えたのだから、土地内で作物を荒らす獣は土地の持ち主が責任をもって対処すべき』という姿勢は、ついぞ、変わらなかった。ここに、十五年に及ぶシムチエール統一戦争の火蓋が切って落とされることになる。戦いに疲れた十二英雄たちは一人抜け、二人抜け、戦争後、国に残ったのは結局、ユマンのローシレイ一世、ただ一人だった。
さて、建国から十五年。ようやく国王と認められたローシレイ一世の最初の仕事は、戦いの末に『忠誠を誓った』、もと『国王たち』の処遇だった。最初から主従を誓っていた近臣たちは全員極刑をもってのぞむようにと進言したが、ここでも宗主国デューダルシュの思惑が働いた。己の強さ以外何も持たないローシレイ一世は、デューダルシュからの『高貴なる身分の彼らにふさわしい、温情ある処置を』との嘆願の形をとった命令を、はねつけることができなかったのである。かくして、かつてシムチエールを治めていた貴族たちは『四公八侯』と呼ばれ、シムチエールは自らの胎内に蛇を飼うこととなる。
「けど、いくら四公だってみんなが王室の敵じゃねえだろうが」
現に、いま四公の筆頭たる大公は、前国王の従兄殿である。もっとも、これの愛人がいま王位継承で争っているセディ殿の母親なわけだが。それに建国当初からいち早くこれに従ったシェルシェール公爵家は、他ならぬもと王妃を推薦した家でもある。
「問題は、現王大后のご実家がペルダン公爵家であることだ。この家は、昔からカレイル公爵家とトレートル侯爵家とのつながりが深い。他の貴族に対しても、かなりの影響力がある」
東のトレートル。そして、西のカレイル。どちらも、統一戦争後期までローシレイ一世に抵抗を続けた家である。カレイルは、シムチエールの東、黄金海に浮かぶ小さな島だが、両家の地理的事情がとことんまで抗うことを許した。東のトレートルを制圧したかと思えば、西のカレイルが戦を起こす。西に戻れば、また東が蜂起すると言った具合で、ローシレイ一世はこの両家の制圧に最後の最後まで頭を悩ませるはめとなる。
「なるほど。それで、グラモーレス公爵夫人というか、ポーヴル家はガルディアンに後ろ盾を頼んだというわけですね」
「その辺の事情についてはわからん。が、可能性は高いだろう」
「どういうことだ? エリー」
アーウィリドが説明を求めた。
「要は、兵力差です。ポーヴル公爵家はとにかくとして、温厚で知られるシェルシェール家は、当代当主が病弱なことも手伝って、戦に関して頼れる味方ではない。翻って、トレートル家とカレイル公は根っからの武闘派。加えて、王室以上に彼らの権威には遥かに正統性がある。前王に対しての忠誠はとにかく、寄らば大樹の陰に空気が染まっていくのは、時間の問題です。だから、古くからの同盟を頼りにすることにした」
「ま、ガルディアンとこちら、どちらが話を持ちかけたのかは、よくわからんがな」
というか、今となってはどうでもいい問題だ。経緯はとにかく、シムチエールが同盟国とは言え、外国の干渉を許したことは大きな問題である。アレクセイが王位を継ぐかどうかはとにかく、いずれ、これにも対処しなければならなくなることは明白だろう。
「そこまでの話は、わかりました。しかし、ぼくには一つ、わからないことがあります」
「何だ?」
「ポーヴル大公であらせられるブラドー卿が、なぜご自分の王位継承権を主張なさらないのかと言うことです」
「……」
さすがに、それはジルにも答えられなかった。
確かに、ポーヴル公爵ブラドー・セドリックは、血の正当性から言っても、十分に王の資質と資格を兼ね備えている。それがなぜ、自分のもと愛人が生んだ王の子という曖昧なところに頼ろうとするのか。
「ま、その辺の真意を探るところはぼくの本意ではありませんし、ぼくの指針になんら影響を及ぼすことでもありません」
「で、エリー。結局、オレたちはこれからどうするんだ?」
「はい。そのことですが……」
エリクシルが、セレネを見た。
「神官殿は、最後にこう仰いました。『あなたこそ、我が国の……』と」
「……それって」
ロッディの顔が険しくなった。
「ええ。ぼくはセレネこそ前王の遺児、つまり、王女なのだと考えます」
沈黙が降りた。
「リッドとセレネは同い年。御子が男児か女児かはっきりしない以上、可能性は十分あります」
「……しかし」
正直、彼女が王女という証は、どこにもない。
「ですから、少し発想を変えようと思います」
「――え?」
「我々はこれより、宗主国デューダルシュに向かいます」
思いも寄らない言葉がエリクシルから発せられた。
「!? なに?!」
「そして、セレネを正式に第一王位継承者として認めてもらい、書状をしたためてもらうのです。“これ以後の王位継承権について、デューダルシュは一切関与をしない”と」
「ちょっと、待てくれ!」
ジルは思わず大声をあげた。
下手をしたら、何の縁もゆかりもない少女が王位に就くことになる。大体、デューダルシュに行ったところで、女帝に繋がるコネなど、誰も持っていない。
ジルの考えを読んだのか、エリクシルが言った。
「大丈夫。一応、あてはありますから」
エリクシルの視線の先には、クレイグがいる。
彼は不承不承といった感じで、うなずいた。
「まあな」
この男? この男が皇室に、一体何の縁やゆかりがあると言うのだろうか。
「し、しかしな……」
例えそれで、デューダルシュのお墨付きをもらえたとしても、王族たる証拠も持たない少女が突然王族だと名乗りをあげるだけでも大問題だ。下手をすれば、今以上に国が混乱する可能性がある。
「ですから」
うんざりしたように、エリクシルは言った。
「ですから、お墨付きをもらうだけもらって、次にセレネはアレクセイ殿下でも誰でもよい、みなが納得する王に王位を譲ると、そう言えばいいのです」
「……あ」
確かに、それで筋は通る。通るが――。
「わ、わたし、できません!」
悲鳴のような叫びが、耳をつんざいた。
「わ、わたしが王女様だなんて! そ、それに、神官様も亡くなられたばかりなのに……!」
ジルははっと現実に返った。
そうだ。近頃、異常なこと続きで忘れていたが、彼女は民間人。しかも、普通の少女なのだ。人が、しかも自分にとって育ての親にあたる人が突然、しかも目の前で殺されたばかりなのに、その悲しみに浸る暇もなくそんなことを言われても、混乱するばかりに違いない。
「気持ちはわかります。しかし、神官様が亡くなった以上、あなたに帰る場所は――」
「おい! もうやめろ!」
見かねたのか、ケイトが叫んだ。
エリクシルは何か言いたげに、しかし、結局は口を噤んだ。
セレネの嗚咽が、悲しく響く。
「……セレネ君」
ジルがゆっくりと口を開く。
「どうしてもいやだと言うなら仕方ないが……。先ほどの軍師殿の提案、考えてみてはもらえないだろうか」
驚きの視線がジルへと集中する。
「おい! ジル!」
親友の非難は理解できる。けれど、ジルは続けた。
「無論、王子にしろ、王女にしろ、王の御子は探す。そんなものがいると仮定しての話だがな。だが、何の手がかりもない以上、捜索は難航するだろうし、その間にアレクセイ殿が王と認められてしまったら、元も子もない」
「うっ……」
「少し状況を甘く見ていたが、王宮の人事権はもはやグラモーレス公爵夫人の一手に握られていると見て、まちがいない。もはや、王宮内の事情は我々ではどうしようもない」
ジルはセレネに向き直る。
「国の内乱は、我々の望むところではない。自分たちのことばかりを主張して申し訳ないが、みんなのためと思って、この大任、引き受けてはもらえないか?」
「……みんなのため」
ジルは、はっとした。ジルにしてみれば何気なく発した言葉が、セレネの心を動かした。彼女の優しさを利用しようとする己の悪を自覚しながらなお、ジルは言った。
「そう。みんなのためだ」
セレネは涙を拭き、蚊の鳴くような小さな声で言った。
「……少し、考えさせて下さい」
「――わかりました」
ばたんと扉が閉じて、足音が遠ざかっていく。
ケイトは一瞬迷いを見せて、結局彼女の後を追った。
彼の足音までもが遠ざかるのを見計らって、ロッディが口を開く。
「――いいのかい?」
語りかけた相手は、エリクシルだ。
「どうせ嘘かもしれないなら、いっそリッドが王子様でも、わたしはいいと思うけど」
エリクシルはあっさり首を横に振った。
「リッドは強すぎて、逆に退位が認められにくくなるでしょう。――それに」
「それに?」
「リッドが前王の遺児でないことは、誰よりもこのぼくがよく知ってますから」
「そうかい。わかったよ」
ジルはその時、大切なことの気づいた。
今の今まで、アーウィリド本人に対して、ガルディアンが身柄を求める理由を求めてきた。だが、それこそが大きな間違いだったのではないか。もしかして、アーウィリドがガルディアンに狙われるに足る理由を、この小さな軍師こそが知っているのではないか――。
もしかして、アーウィリドがガルディアンに狙われる理由を、エリクシルは知っているのではないか。だとしたら――。
「――何でしょう?」
「……いや」
お互いに、脛に傷持つ身だ。今は藪蛇になるだけだろう。
ジルは、自分の疑問を今はそっと胸にしまうことにした。
「――で、これから俺たちはどうする?」
「ぼくは、やはりセレネは王女なのだと思います。ただ……」
「証拠がない」
ジルの言葉に、エリクシルは大きく頷いた。
「ですから、デューダルシュへ向かう道すがら、当時のことを知っていそうな人物にセレネを会わせてみようかと考えているんです」
ロッディがあごに手をやる。
「当時のことを知っていそうな人物……」
「一人はすでに先代騎士団長扱いされてるカレン卿。次に、解任されたかまではわかりませんが、副騎士団長のグリーン伯。あとはもと宰相カリオス卿です。特に後の二人は、内部調査委員会の立ち上げに携わっている。王室事情についても、かなりの情報を握っている可能性があります」
問題は誰に会うかだが、エリクシルの中ですでに腹は決まっているようだ。
「最有力候補はカリオス卿です。すでに引退されて隠棲生活を送っておいでのはずなので、彼に会うことを第一目標に据えたいと思います」
「それもこれも、セレネが承知してくれなければ始まらないけどね」
ロッディのひとことで、再び一同は沈黙に包まれた。
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