戦闘前の……
「一つ出ましたタレウサギ~。月に誘われよいよいと~」
晴れ渡った空のもと、能天気な唄が流れていく。足が止まって、つま先がきゅっともと来た方向を向く。それに合わせて唄が変わった。
「あっ、ここ掘れワンワン。ここ掘れワンワン」
「あの……副隊長殿」
「なんだ? よかったら、お前も歌うか?」
「いえ、遠慮します。それに、いまは昼です」
兵士の控えめな拒否と訂正に気を悪くした風もなく、マシューズは唄を続ける。
「あっ、ここ掘れここ掘れ、たんと掘れ」
作業を見守る兵士の足に土がかかった。眉を顰めて足下を見る。かけた張本人は「プッ?」と鳴いて兵士を見上げた。
「副隊長殿、これは一体何をやってるんでありますか?」
戸惑いは隠しようがない。足元には、何匹ものタレウサギ――正式名は、召喚魔獣のムーン・ドレイドという――が、ひたすら自分と同じ色の土を、あっちこっち掘り返している。
「ほいほい、かわいいタレウサギちゃん。まだ休んじゃいけないよ」
兵士を見上げたまま動かなくなってしまったタレウサギに、マシューズが注意を与える。タレウサギはおとなしく、再び穴を掘り始めた。
「副隊長殿!」
「うん」
マシューズがやっと足を止める。
「簡単に言うと、罠」
「罠?」
「はい、お前らはそれを敷く」
あわてて、掘られた穴の上に、土のついた草を敷いていく。
「ほい。タレウサギちゃんたち、ご苦労さん」
マシューズが指を鳴らすと、タレウサギたちの下に魔法陣が現れ、彼らはそれに吸い込まれて消えた。
兵士は首を傾げた。
タレウサギ、つまり、ムーン・ドレイドはそれほど力のある魔獣ではない。彼らの特技と言えば、さっきやってたように穴を掘ることくらいなのだが。
「これでは、落とし穴には……」
「うん。だからまあ、引っかかったらラッキーくらいなものかな」
「は?」
「ま、あんまり深く掘っちゃうと、怪我させちゃうかもしれないしね」
兵士の耳に、ドドドドという馬の足音が聞こえてきた。
ジルの手が、革手袋をきゅっと嵌め直す。
「準備はいいですか?」
エリクシルの言葉に、ハルベルトを持ったジェスが、「おう!」と元気のいい声を上げた。今日この日、彼は正式に傭兵としてデビューすることが決まったのだ。ロッディが、苦い顔で釘を刺す。
「張り切るのはいいけど、落馬だけはするんじゃないよ。もしそうなっても、兄さん、お前を助けないからね」
「ええ! そんな!」
ロッディとマドンナは、いつも通り隊の戦闘へと向かう。
隣に、今日はジルが並んだ。もちろん、今日もエリクシルつきだ。
「――それで大丈夫か?」
鎧を着たジルと違い、ロッディは胸にアーマープレートと、手足に篭手しかつけていない。これから中央突破を図るのには、少々防御が心元ない気がしたが、彼はいつも通りの様子で言った。
「わたしに、重さは足枷でしかありませんから」
「……」
それだけ、自信があるということだろうか。沈黙しているジルに。
「――なんて」
とロッディはいたずらっぽい笑顔を向ける。
「まあ、それは建前で、正直、鎧を買うほどの余裕がうちにはないだけなんですよ」
どっちが本当なんだ、と返す余裕もない。
小規模とはいえ、軍勢とぶつかるのは、ジルにとっても初めての経験なのだ。
そして、ジル同様『初めて』に緊張している者が、もう一人。
「フェル、大丈夫だ。いつも通り、いつも通りな」
「う、うん」
クレスと二人で馬に乗ることになった、フェルだ。
「後ろは任せたよ」
「う、うん! ぼく、がんばる!」
小さな彼は何度も何度も、自分の武器を点検している。
今回の順番は、こうだ。
まず、ロッディとジルで先陣を切る。次にジェスの馬、そして、クレスとフェルの馬で
「だ、大丈夫か? 窮屈じゃないか?」
「大丈夫です。よろしくお願いします」
セレネ王女が乗っているケイトの馬を守る。
というわけで、今回の殿は――。
「いいか。真っ直ぐだぞ、真っ直ぐ」
アーウィリドと、クレイグだ。
おまけに、一人一頭ずつで。
正直、これが一番の不安要素で、セレネとアーウィリドを一緒に乗せたらどうかと進言してみたが、ジルの堅実な提案は、軍師殿に即却下された。
「だめです。リッドに先陣に立たれると、速度が落ちる可能性がありますし、中ほどにいて万一事故を起こしたら、後続にいる人間が巻き込まれる可能性がある。危険ではありますが、ある意味これが一番安全です。クレイグ! というわけで、よろしくお願いします」
クレイグは苦虫を噛み潰したような顔をしている。が、それでも自分の役割を放棄するような真似はしなかった。
「――わかったよ」
「よろしくな。――お前」
アーウィリドは自分の相棒となる馬に挨拶して、ぱっとその背に飛び乗った。最初、ジェスを困らせた、あの元気な雄だ。ジルの不安が増す要素が、また一つ増えた。
「では、準備はいいですか?」
エリクシルの言葉にジルがうなずこうとしたその時。
「待って!」
クレスが叫んだ。
「クレスさん?!」
彼は急いで馬から飛び降り、ラドゥカに触れた。
「……行ってくるよ。ラドゥカ」
彼らの砦は、ここに置いていくことにしたのだ。クレスがしばしの別れを告げる。
ジルも思わず敬礼をしていた。
「さ、行きましょう!」
そして、場面はさっきの場所へと戻る。
馬の足音と、いななきが聞こえる。
「来た来た来た来た」
ガルディアンからのお客人たち三人は、今日は傍観者を決め込んでいる。シムチエール軍の現在の統率力を、『おっさん』が、確かめておきたいと言いだしたのだ。
今回の作戦指揮官は、それなりにいい司令官のようだ。小規模ながら、兵の配置も申し分ない。と、眼前をでっかい馬と、それに乗った馬よりでっかいおっさんが通る。
「――ん?」
見間違いと思ったが、そうではなかった。心なしか、馬はふうふう言いながら、おっさんを乗せて走っていった。後続の馬たちがあっという間にその馬を追い抜く。その後に兵が整然と歩を進める。正面から、二頭の馬が先行してやってくる。
そして、それは起きた。
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