再会

 そして、場面はさっきの場所へと戻る。

 馬の足音と、いななきが聞こえる。


「来た来た来た来た」


 ガルディアンからのお客人たち三人は、今日は傍観者を決め込んでいる。シムチエール軍の現在の統率力を、『おっさん』が確かめておきたいと言いだしたのだ。

 今回の作戦指揮官は、それなりにいい司令官のようだ。小規模ながら、兵の配置も申し分ない。と、眼前をでっかい馬と、それに乗った馬よりでっかいおっさんが通る。

「――ん?」

 見間違いと思ったが、そうではなかった。心なしか、馬はふうふう言いながら、おっさんを乗せて走っていった。後続の馬たちがあっという間にその馬を追い抜く。その後に兵が整然と歩を進める。正面から、二頭の馬が先行してやってくる。


 そして、それは起きた。


「なに?!」

 大将として、まだ後続にいるジゼルは、刮目した。

 彼らの実力から言って、迂回などせず正面から突破を試みるだろうことはわかっていた。だとすれば、当然先陣を切るのはロッディ・バーロウだ。だから、騎兵の壁をまずは当てて、馬の進路を阻害した上で、歩兵で確実に仕留める。

 これがジゼルの想定であり、また中央突破を計られた際のセオリーでもある。

 しかし、先頭は彼ではなかった。

 先頭の馬に乗っているのは、どちらも弓兵。しかも驚いたことに、片方、年長の赤毛の男の放つ矢は、騎兵たちの頭上を飛び越え、まだ遥かと言っていい、後方の歩兵たちの頭上に降り注いでいる。

 赤毛の男が叫んだ。

「フェル! 当たればラッキー程度に思って、どんどん打て!」

「うん!」

 まだ幼いながら、あの子供もなかなかやる。何騎か、脱落した。

「怯むな!」

 ジゼルは叫んだ。

 弓を放つには、距離がいる。まして、彼らは全力でこちらに向かってきているのだ。確かに奇抜な作戦で驚かされたが、それだけだ。

「突っ込め!」

 ジゼルの声に呼応するように、騎兵が速度をあげる。


(そろそろか)


 この時を待っていた。

「フェル!」

 愛弟子の名を呼ぶ。

「うん!」

 二人の馬は同時に、さっと左右に道を開けた。

「ロッディ、頼んだぜ!」

 二人の真ん中から、白馬が躍り出た。


 いや、強い、強い。


 ロッディはマドンナの速さに任せて、次々に兵たちを落馬させていく。

「俺、剣よりこっちの方が得意かも」と言っていたジェスの奮闘もなかなかのものだ。後続に回ったフェルたちは、まだ矢を放ち続けている。

 そして、意外だったのが。


「ふんっ! ふんっ!」


 我が相棒兼親友の、この奮戦ぶりだ。多分、セレネにいいところを見せたいだけだろうが、今日はいつになく強い。真正面からぶつかって、中央突破をはかると聞いたときは正直不安だったが、これなら。

 そう考えたジルは、やはり甘かった。


「よそ見しとると、死ぬぞ」

 

 だしぬけに現れた刃が、ジルの頬を掠めていった。

「父上……!」

「ジルさん!」 

「お前さんは、こっち」

 弾むような声とともに、ロッディの頭上に剣が振り下ろされる。

「ロッディ!」

 ジルがロッディのことを気にかけていられたのは、そこまでだった。

 くそ親父が、にやりと笑って言う。

「元気か? 親不孝者よ」

 こののんびりした挨拶。本気で腹が立つ。

 父が、ロッディではなく自分に向かってきた理由はわかっている。自分ではロッディに勝てないとわかっているから、足止めしてるように見えるっぽい方を選んだのだ。あわよくば、くそ親父め。大人気なく息子を叩きのめして、『どうだ。お父さんは強いだろう』くらい言うつもりでいるのかもしれない。

 そう考えると、さらに腹が立ってきた。

 さらに、息子の神経を逆撫でするようなことを、親父殿は抜かす。

「わしに勝てたら、卒業のとき食い損ねた肉を、ピートの店でたらふく食わせてやろう」

 ふざけるな。肉が食えなかったのも、俺がいまこんな立場に置かれてるのも、全部あんたのせいだ。

 悔し紛れに、ジルは叫んだ。


「結構! 自分で食いに行きます!」


 一方、振り下ろされた剣を受け止めているロッディの頭上から、意外な声がかけられた。

「あれ? お前。ひょっとして、ロッディ・バーロウか?」

 少し離れたところで、息子とじゃれあっている司令官殿から、こんな声が飛ぶ。

「報告書を読んでおらんのか!」

 振り下ろしている剣に、さらに体重を加えつつ、冷たい副官は答えた。

「だって、あんたの字、汚いし」

「書いたのは、わしではないわ!」

「え? そうだったんですか?」

 気の抜けた一瞬を見逃さず、ロッディは剣を押し戻す。そうしながら、ロッディは尋ねた。

「ひょっとして……マシューズ先生?」

「おう。元気にしてたか?」

 どうやら、幼年士官学校時代の生物の先生で、まちがいはなさそうだ。もっともロッディが記憶している先生の姿は、いまの半分くらいの身幅だったけれど。

 記憶の中にあるより、横にずいぶん貫禄ついたその姿に、ロッディは返事に余計な言葉をつい言い足した。

「はい。おかげさまで。……先生も、かなりご壮健なようで何よりです」

「ありがとうよ。でもまあ、俺はあまり変わってないだろ?」

「……」

 ロッディは正直な感想を、自分の胸と笑顔にそっとしまっておくことにした。

「けど、お前はずいぶん変わったなあ」

「……そうですか?」

 この間も、槍は剣を受け止め続けている。互いの腕が、ぶるぶると震えている。

「うん。なんか明るくなった。第一、俺、お前の笑ったとこなんか、一度も見たことなかったもんなあ」

「……そうでしたっけ」

 槍が、とうとう剣を横になぎ払った。剣は、マシューズの手を離れ、草むらへと落ちていった。

「あ」

 丸腰になったマシューズは、一旦、距離をとる。ふと、マシューズの馬に目をやると、マドンナの倍は体重がありそうな彼は、ふうふうと荒い息をついている。多分、背中の重みと自分の重みに懸命に耐えているのであろう彼が何だか気の毒になってきて、思わずロッディは苦笑した。

「先生、いつも生き物は大事にしろとおっしゃってたのに」

「おう、よく覚えてたな。じゃあ……」

 マシューズがにやりと笑う。

「これも覚えているか!」

 マシューズが指をぱちりと鳴らした。右手袋に魔法陣が浮かびあがる。


「ムーン・ドレイド! コール!」

 わらわらと土の中から、タレウサギたちが出てくる。それが、マドンナの足にまとわりついた。マドンナがいや、という風に身を捩る。と、ロッディがやにわに袋から酒瓶を取り出した。


「ウサギさんたち」


 タレウサギの、垂れている耳がぴんと立つ。

 これ見よがしに、ロッディは瓶を振って見せた。


「これ、好きかい?」


 タレウサギたちが立ち上がり、一斉に首を縦に振る。


「あっ、こら、お前たち!」

 マシューズの制止は遅すぎた。


「ほら、取っておいで!」


 ロッディが力いっぱい、あさっての方向へ瓶を投げる。

 タレウサギたちは、一斉に瓶に向かって走り出す。

「プルップ!」

「ルップ、ルップ!」

「な、何だ?」

 酒瓶しか見えてないタレウサギたちは、自軍の兵士たちの顏めがけて、次々ジャンプする。もはや、惨状としか言いようのない状況に、呆気にとられるマシューズ。――そして。

「何をやっとるか! マシューズ!!」

 久々に“先生”の雷が落ちた。

 思わず首をすくめたマシューズに、さらにロッディが追い打ちをかける。

「タレウサギはお酒に目がない。だから、絶対に酒を持っていることを知られちゃいけない。見せてもいけない――でしたよね? 先生」

「すごい! 覚えてたんだ。えらいな、お前!」

 マシューズの視界の中にロッディの姿が傾いた。

「あれ?」

 言いながら、マシューズは落馬した。

「マシューズ!!」


「――父上」


 あっ。しまった。

 背後でバカ息子が笑っているのが、見ずともわかる。

 マシューズに続いて、ジゼルも落馬した。

『ふっ! 肉の恨み、思い知ったか!』

 息子の捨て台詞が聞こえたような気がした。が、実際は違った。

 息子が叫んだのは、こうだった。


「貴様ら、ここにおわすこのお方を、誰だと心得る!」


 彼らを追いつめていた兵の動きが止まった。

「ここにおわすは、先王ジークッリド陛下がご遺児、セレネ王女なるぞ!」


(息子め、やるわい)

 指揮官と副官を落馬させての、この言葉。

 はたして息子の目論見どおり、兵の動きが止まった。

「お、王女?」

「一体、どういうことだ?」

 土にまみれたまま、ジゼルは叫ぶ。

「戯言だ! 耳を貸すな!」

 一拍置いて、兵士から鬨の声が上がった。が、すでに遅い。一行はすでにこの混戦を抜け、出遅れた兵たちが追いすがる形になっている。彼らは近く、引き離されることになるだろう。

 ジゼルは、すでに立ち上がっている副官を恨めし気に見上げた。

「マシューズ、まったく、お前というやつは……」

「すんません」

 本当に申し訳ないと思ったのか、マシューズは今回は手を差しのべた。彼の手をとり、寄せてきた馬に乗る。

「マシューズ、わしはとりあえず先に行く。負傷者の手当てと――」

 ジゼルの瞳が、きらりと光る。


「予定通りにな」


「ご武運を。司令官殿」

 敬礼を返した後で、ぱんぱんとマシューズは両手を打ち鳴らす。

「はいはい。みんな、とっとと起きる!」

 落馬した兵士たちが、呻きながら起き上がる中、マシューズにちょこちょこと寄ってきたものがある。

『マッシュ、マッシュ!』

「ん?」

 集まってきたタレウサギの中に、酒瓶を抱えているものがいる。それは、無邪気にこう尋ねた。

『これ飲んでいーい? みんなで飲んでいーい?』

「ああ、いいよ」

『わーい、わーい』

『ありがとう、マッシュ! ありがとう、マッシュ!』

 タレウサギは嬉しそう瓶を開け、みんなで回し飲みを始める。

「いいもん貰って、よかったな」

 大きな手で撫でられたタレウサギは、ちょっとくすぐったそうだ。

「……」

 そんなマシューズとタレウサギたちの様子を、一人の兵士が恨めしに見ている。

「何だ?」

「いえ、何も」

 気質が真面目なものほど、俺(みんな)が働いているのに酒なんか、という論調にすぐ陥る。しかし、他人には働くべきとき、果たす役割というものがあるのだ。

「いいんだよ。今日のこいつらは、よく働いてくれた。怪我で、今日はもう役に立てそうにないお前さんより、ずっとな」

 むっとした顔をしたものの、その兵士は反論しなかった。

 マシューズは立ち上がり、次の指示を出す。

「動ける者はついて来い。追って、あいつらを挟みうちにする」

「挟みうち?」

「でも、もうあいつら……」

 座り込んでいる部下たちは、戸惑いを隠せずにいる。

 マシューズはもう一度手を叩く。酒を飲み干したタレウサギたちが、手袋の中に吸い込まれた。

「敵を騙すには、まず味方からってね。さ、行くぞ」

 馬は疲れを振り払うように、ぶるると体を振り、決意したようにマシューズを再びその背に乗せた。何人かの兵士が、あわててそれに倣う。


「行くぞ!」


 威勢のよい叫びに応じて走り出したマシューズの馬は、まもなく後続の馬に抜かれ、やっぱり最後を走ることになった。

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