食卓
「どうやら、振りきれたみたいだな」
後ろを見てそう呟いたアーウィリドの言葉を、エリクシルはすぐに否定した。
「いいえ。こちらが振りきったのではなく、向こうが一時的に兵を退いたのでしょう」
「わたしも、そう思う」
馬から降りたロッディも、エリクシルに同意する。
「何でだ?」
「手前味噌になりますが、マドンナは、そこいらの軍馬では勝負にならない駿馬です。ロッディとマドンナが先行することで、徐々に戦線は伸びつつありました。各個撃破され数を減らす危険よりも、兵力を大事にとったとみて間違いないでしょう」
「ありを一匹一匹潰すより、あり塚をよってたかって壊す方が手っ取り早いからね」
二人の懇切丁寧な説明にも、アーウィリドはぴんとこない、どころか興味がないようだ。のんびりした口調でこう呟いている。
「そうか。じゃあ、また来るかな」
「来るどころか、今夜だと思うよ。まあ、いずれにせよ」
にっこりとロッディは微笑んだ。
「とりあえず、ごはんにしようか」
◆◇◆◇
「……」
「フェル、お皿を配っておくれ」
「うん、お兄ちゃん」
「……」
「ロッディ様、ドレッシングはこれでいいですか?」
「――うん。いいと思うよ」
「……」
「なあ、酒は?」
「だめです。さっきの話を聞いてなかったんですか?」
平和だ。すごく平和な家族団らんだ。
「……」
なのに、なぜだろう。すごく居心地が悪い。
おずおずとジルは提案してみる。
「あの……ロッディくん」
「何ですか?」
料理を取り分けているロッディは、こちらも見ずに答えた。
「よかったら、わたしも何か手伝おうか?」
「いえ、結構です。……ジェス、つまみ食いするんじゃない!」
しおしおとジルは手を下げた。
この感じ。むかし母を手伝おうとして、にべもなく台所から追い払われたあのときと似ている。
「さ、できたよ」
席に着いたみなが、一斉に叫ぶ。
「いただきます!」
「い、いただきます……」
大家族にまちがって入り込んでしまったような感覚を味わいながら、なぜか客になってしまった二人も、小さな声で合唱に加わる。みな男の子なだけあって、食欲は旺盛なようだが――。
「エリー、もっとしっかり食べなさい」
「……肉は嫌いなんです」
「なら、おれが……」
「ジェス、お前は肉ばかりじゃなくて、野菜も食べなさい。リッド! 君もだよ!」
ちょいちょい母親のような小言が、ロッディから飛ぶ。
小声で、隣にいるセレネに尋ねた。
「……食事は、彼が取り仕切っているのかい?」
「いまはわたしがいるので、いつもでは。……ただ」
ごくんと口の中のものを飲み込んで、セレネは気まずそうに言った。
「その……。ロッディ様の料理は、とてもおいしいので……」
少女の皿には、けっこうな量の食事が盛られている。
(太るぞ)
ジルは思わず余計なことを考えた。
ようやくさじを取り、おずおずとまずはスープを口に運ぶ。
雷に打たれたような衝撃が走った。
(うっ、うまいっ……!)
「兄貴! おかわり!」
「もうないよ」
「えーっ!」
ジェスティンの抗議に、ジルは思わず首を縮めた。
(ごちそうになって、すみません)
ちらりと相棒を見る。
「お……、お……、お」
からん、と相棒の手からスプーンが落ちた。
「? お口に合いませんでしたか?」
いきなりケイトは隣にいたロッディの手をがしっと握りしめた。しかも、両手を両手で。
(彼が女性でなくてよかったな。確実に暴行か嫌がらせだと思われるぞ)
ジルは会って数時間の人間に、こんなぶしつけなことをする気にはなれない。――例え。
「お前は天才だ! すばらしい!!」
あり余る感動を表現するためだとしても。
「は、はあ。ありがとうございます」
熱意のない声でロッディは言って、手をぶらぶらと振った。感動しやすい我が友人はなかなかの力持ちなので、おそらく手がしびれてしまったのだろう。彼としてはできれば、ここで会話を終わらせてしまいたかったのだろうが(というより、その方が静かで助かるだろうが)、相棒の感動はまだまだおさまるところを知らないようだ。
「どこで習った?!」
「いえ、どこで習ったというわけでは……」
「ぜひ我が家のシェフとして迎えたい! どうだ?!」
「どうだと言われましても……」
(無理に決まってるだろう)
ジルが口を開くより早く、エリクシルがぴしりと言った。
「困ります」
「エリー」
助かったよ、と彼は続ける気でいたのだろうが、次に続いたエリクシルの言葉が、ロッディの笑顔をひきつらせた。
「彼はうちの重要な戦力であり、なにより、うちの団の中でまともな食事を作れる、ほとんど唯一の人材なのです。いくらお金を積まれても手放す気にはなれません」
「……」
ありがたい言葉だが、『何より』の前後が逆だったらもっと嬉しかったに違いない。傭兵としても、男としても、料理の腕より戦闘の腕を褒められる方がずっと名誉なことだろうし、事実。
「あ、ありがとう。エリー」
礼を口にするロッディの笑顔には、内心の複雑さが如実に表れている。
しかし、小さな軍師殿は本気だ。
“ぜったいにわたすもんかっ”という気迫を隅々までみなぎらせて、相棒をにらみつけている。小さな子供がふくれっ面をしながら欲しいおもちゃを抱え込んでいるような“ぷぅっ!”というその態度に、多分、彼にとっては残念なことに、ジルは失笑を禁じ得ない。
「……何ですか?」
「いや」
不謹慎にも“お父さんが悪かった。さあ、おいで”とこの子を膝に乗せてあやしたくなってきた。実際、ジルにはまだ妻も子もないのだが。
「ぬぬ……! 貴様、さっき肉が嫌いと申したではないか!」
「肉は嫌いでも、ロッディの料理は好きなんです」
「はははは!」
ジルはとうとう声を立てて笑った。
「ジル! 貴様、何がおかしい!」
「い、いや、はははは!」
「そりゃ、おかしいだろうよ」
赤毛の男が口を挟んだ。
「お前らのケンカ、まるで子供じゃねえか」
「何だと?!」
「もうやめて下さい。それと、ケイト殿。わたしはあなたの家のシェフになる気はありませんので、あしからず」
きっぱりとロッディが言った。
「……」
ケイトは、母親に叱られた子供のようにうなだれる。
「……うまいな、これ」
気まずそうな友人の態度は、叱られた後、まだ母親が怒ってないかを探る、子供のようだ。それにしても新妻の料理に感動する夫、次に幼子を持つ父、果ては“もういいじゃない、お母さん”と母をなだめる兄と、ジルの気分の移り変わりはずいぶんめまぐるしい。
まったく、今日はいろいろ起こる日だな、と考えていると、空気を読まないどころか、踏みつけにできる少年が口を開いた。
「で、これからどうする?」
そうだ。これから一体どうするのか。
「なんか捕まえられかけたから、とりあえず逃げたが、考えてみれば逃げる必要もなかった気がするな。どうする? 今からでもあいつらのところに行って話をするか?」
ロッディが苦笑まじりに言った。
「……リッド、さすがにそれは無理だと思う」
ジルもまったく同意見だ。
「どうして?」
が、本人だけはまったくわかってない。蛇足ながら、ロッディはこう付け足した。
「さすがに、あれだけ派手に暴れて逃げ出しちゃったら、ねえ」
まったくこの少年。好戦的なのか平和的なのか、判断に困る。
「そうです。それに、あなたの身柄をおさえてちゃんちゃんと言うわけにはいかなかったと思います。そもそも、あなたの身柄をおさえるべき理由を、彼らは口にしていないのですから。ジル殿も言っていたではありませんか、どうして君なのか、我々こそ理由を教えてもらいたいと」
「――なあ」
食べ終えたらしいクレイグが、お行儀悪く足をテーブルに乗せた。
「せっかくだから、改めて自己紹介といかねえか?」
「……そうだな」
姿勢を正し、ジルは言った。
「小官は、ジル・リジッタ・クロヴェール。シムチエール王国騎士団、王宮警備隊第一小隊第四分隊に属している。で、こちらは……」
「ふっ。貴様ら程度に名乗るのは惜しいが、そこまで言うなら教えてやろう!」
「いや、いい」
アーウィリドの小さな抗議は無視された。
「我こそは、キャロライン・ケイト・ド・カルバドス! わが父、カレンは栄えあるシムチエール騎士団第十六代団長! そして俺は、王宮警備隊第一小隊第四分隊隊長だ!」
「名前と人選、まちがってないか?」
素直なアーウィリドの感想に、ロッディがあわてた。
「リッド、何もまちがってはないよ。貴族の家では、男児の夭折が続くと、女性の名前をつけて、その無事を願うという習わしがあるんだ」
「へえ。あんた、大事にされてるんだな」
「そうです。それに、カルバドス家と言えば、シムチエール建国以来、地味に、細々とではありますが、代々騎士を務め続けてきた家ですからね。まして、お父さまは騎士団長です。息子が分隊長くらい務めてても、まったくおかしくありません」
(地味と細々とまったく、ものすごい強調されたな)
ジルは思わず首をすくめた。ケイトが大事にされてるのも、カルバドス家の評価もすべて的を射ている。反論の余地がない分だけ、余計に悔しさが募るというもの。ちらりとケイトに目をやると、彼の顔は火かき棒のように真っ赤になっている。
「要は、親の七光りってやつか」
納得したように、アーウィリドがうなずいた。
「リッド!」
「ええ、その通りです」
「エリー! ……申し訳ありません。その……、なにぶん世間知らずなもので」
正直なもので、と口にしない分、ロッディの方が世事には長けているらしい。おおらかすぎる団長と、手厳しすぎる副団長の間で、なにかと苦労は絶えないだろうなとジルは思った。そして、常識人の苦労いざ知らず。さらにぶっ飛んだセリフを、アーウィリドは吐く。
「オレと同じだな。オレも親の七光りでいま団長やってる」
「……」
同じ親の七光りでも、色々な意味で、ずいぶん格が違う気がするが。
ジルと同じことを、ロッディもエリクシルも考えているらしく、二人ともそろって微妙な顔をしている。
「大変だよな、親が偉大だと」
「お、おう!」
「親父とまったく同じことを求められても困るし」
「ああ!」
「かと言って、できないとシャクだし」
「ああ!」
二世同士、奇妙なところで気が合い始めている。
「大変だよな。二世って」
「そのとーり!」
いかん。このままでは、こいつ泣くかもしれん。
正直、こんなところで友人の男泣きは見たくない。
ジルの気持ちが伝わったのか、ロッディがすばやく話を元に戻してくれた。
「わたしは、ロッディ・バーロウと申します。四年前まで、王都警備隊第一小隊第五分隊に所属しておりました」
「おお。では、ソラリス卿の麾下に?」
「はい」
「おれ、おれはジェスティン・バーロウ! 兄貴の弟で、まだ傭兵見習い! ジェスって呼んでくれよ!」
元気な声が響いた。
「ぼくは、フェルマーク・バーロウです。よろしくお願いします」
もじもじと恥ずかしそうに、十二、三才くらいの少年が挨拶する。どうやらこの子が、ロッディの下の弟らしい。この子も、あまり容姿は長兄に似てはいない。が、次兄と比べると、もう少し都会的な顔立ちをしている。
次に口を開いたのは、琥珀色の髪の神官殿だった。
「クレス・ハート。神官です。少しですが医療の心得があります」
「では、あの教会ではあの子たちの治療をしておられた?」
「ああいった村の子どもたちの病気は、ほとんどが栄養不足から来るものですから、治療と言うほどおおげさなものでは……。でも」
それまで穏やかな笑みを浮かべていた神官殿の顔が、ふいに曇った。
「大分よくなってきたので、できることなら、もう少し看てあげたかったのですが」
人の良い彼の言葉に、ジルは自分たちが招かれざる客になってしまったことを、申し訳なく思った。が、少女の明るい声と笑顔が、落ち込んだ気分を救ってくれた。
「セレネ・ミラージと申します。皆様のお手伝いを少しずつさせていただいております。あの……、よろしくお願いします」
最後に、赤毛の男が口を開いた。
「クレイグ・オスカー。スナイパーだ」
「……」
「なんだよ」
「いや、勘違いだったら、すまない。その、あなたは……」
彼のただでさえ吊り上った新緑色の瞳が、さらに吊り上った。
「あんたのお察しのとおり、俺はプーペだよ。それがどうかしたか?」
「……いや」
「! なんと、この男がプーペ?」
むっつりした顔で、男は言った。
「人種は問わず、広く国民を受け入れるってのが、おたくらの国の理念だったはずだがね。違ったか?」
ジルは口早に言った。
「気を悪くしたなら、すまない。なにせ、プーペと名乗る人間に会うのは、わたしたちは初めてなものだから」
「けっ」
印象通り、彼はなかなかのひねくれ者らしい。
もっとも、この国では少数派に位置する彼らは、こんな強気な態度をとらないとやっていけないものなのかもしれない。
この大陸に存在する人種は、おおまかにわけて三つ。
魔導の力に優れる、三人種の祖と言われるプルミエ。
身体能力に優れる、プーペ。
そして、ジルたちほとんどの人間が属するユマン。
矢を放ったあの膂力も、彼がプーペだと言われればうなずける。
こっそりと、ケイトがジルに耳打ちした。
「俺たちと、変わらんものだな」
見てくれだけはな、とジルは心の中で呟いた。
寿命の長さと老いの遅さは、その身体に内包される魔力に比例すると言われ、プルミエ、プーペ、ユマンの順に寿命が長い。三十代前半に見えるこの男も、少なくとも見てくれの二倍以上の年月を生きていると見て、まちがいない。
人種に関わらず、広く国民を受け入れる。
確かに、それは祖国シムチエール建国の理由であり、理念だ。しかし、ただ単に髪の色が違うとか、肌の色が違うとか、違いはそんなレベルのものではない。持っている力も違えば、若さも、寿命も違うものを同列に扱えるような法はなく、また、本来は法の不足を補うべき知恵もなかなか見つからない。シムチエール建国のために戦った八英雄には、三人種のすべてが揃っていたと言われているが、建国してから後、シムチエールに残ったのは、建国の祖ローシレイ一世、即ち、ユマンのアル・ベールだけだ。
「ま、こう見えても俺の国籍とやらは、シムチエールに存在してるんでね。よろしくな、ご同輩」
「あ、ああ」
次にジルは、エリクシルに目を向ける。
「君は、プルミエかな?」
「まあ、そんなところです」
エリクシルははっきりとは答えず、次にこう付け足した。
「言っておきますが、リッドはユマンですよ」
「……ま、誰がどうであるというより大事なのは、アーウィリド君」
「リッドでいい」
「では、リッド」
ジルは素早く訂正した。親しみを込めて。
「問題は、なぜ君の身柄がガルディアンに求められているかということだ」
精悍な、少年から男に変わりつつある彼の目つきは、お世辞にもよいとは言えない。が、彼の黄金色の瞳は、見られる者の心を不思議と穏やかにした。
「――じゃあ、あんたに訊こう」
「え?」
「なぜオレはやつらに狙われると思う? これからオレたちはどうすべきだと思う?」
正直、面喰った。
先ほども尋ねたように、こちらこそその理由が知りたいところだ。
だが、彼が知りたいのは「これだ」という核心的な答えではなく、一般的な示唆を欲しているように思えた。
あごに手をやり、考える。
「……そうだな」
可能性、というならあげればキリがないが。
「前にも言ってみたが、君がガルディアンの姫君、もしくは貴族の娘にでも見初められ、彼女がどうしても君と結婚したがっている」
「バカな。オレは生まれてこの方、ガルディアンなんか行ったことがない。大体、そんな役回りはロッディのものだろう」
「ちょっと、リッド」
ロッディの抗議を無視して、ジルは話を進める。
「次に、そうとは知らず、ガルディアンの高貴な方に粗相を働いてしまった」
「あ、それはありうる」
「ジェス」
「最後に」
ジルは、アーウィリドをじっと見つめる。
「君こそ、このシムチエールの正当な王位継承者。すなわち、王子であるという可能性だ」
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